第七話 CHAPTER2、占星術(3)

「星が、そう指し示している……。何かを隠すためのアイテム……。それらの販売……。山本さん、アンタが詐欺に遭ったファインメディカルだけど……」

 郷原は、ソファから身を起こして、山本のほうを向いた。

「そもそも、ファインメディカルは自前の信販会社を持っている」

「自前の信販会社……?」

 川嶋が、首をかしげてオウム返しをする。

「ああ。つまり、ファインの製品なんだから、本来ならファインのグループ企業の信販会社が決済を請け負うのが普通だってこと。たぶん、トロピカル信販を語った謎の組織は、いろんなうさんくさい物品販売のローンの、窓口をしている……。そして、契約者に振込みのための、専用口座を作らせるんだ。山本さん、アンタ、近藤と契約したとき、トロピカル信販だという連中から、支払い専用口座を開設するよう言われなかった?」

「い、言われました! 変だなって思ったけど、ローン支払いの専用口座を持っていたほうが、確定申告するときとか、監査されるとき、税金の控除がスムースに行くからと、そう言われて……」

「やっぱりな。たぶんその口座、ローンの支払いが滞ってきたところで、ローン契約をチャラにしてやるから寄越せとか、貸せとか、そんなことを言うんだろう。そして、もっと悪いカネを洗浄するのに使う……。犯罪で得たカネを、いくつかの口座に入れて自分が持っておく。そこから、メインで使っている口座へ少しずつ入金して、溶け込ませていくのさ……。犯罪で得たカネは、起訴されて裁判で有罪が確定すると、証拠物として没収されちまうからな。だから悪い奴らは、ムショから出てきたときに、カネが使える状態にしておく。それがマネー・ロンダリングだ。トロピカル信販を語った何者かの正体は恐らく、それを専門に高値で売買する組織……。近藤は、山本先生を信用させて、有り金巻き上げるために、どうしてもリース契約の契約書を見せる必要があった。しかし、悠長にファインの子会社の契約書を捏造する時間がなくて、知り合いの詐欺集団にでも、一芝居打ってもらったんだろう。近藤に協力した連中は、何か別の理由で、とにかく誰かの銀行口座と、通帳、キャッシュカードが欲しかった。それでたぶん、芝居のついでに、山本先生に口座を作れと言ったに違いない……。あとでそれを高値で転売するために――。あるいは、自分たちで利用するために……」

 山本も、川嶋も、遠くで聞いている浜崎まで、郷原の推察力に驚いていた。確かにそう考えると、いろんなことでつじつまが合う気がする。

「その口座、どうなったんだ? 結局……」

 川嶋がタバコの煙を吐き出しながら、山本のほうを向いた。山本は蝋のように真っ白になって、目を剥くと、抑揚のない声を出した。

「は、はい……。近藤がいなくなって、警察に詐欺被害を訴えた直後、捜査2課の刑事だという男が現れて、捜査の手がかりのために、その通帳と印鑑、キャッシュカードをしばらく貸してくれと……。だから僕は……、その……」

「んで、渡したのか……。とことん、騙されやすいタイプだな、アンタ。少しは人を疑うことを覚えたほうがいいぜ? ククク……」

 郷原は、またヘネシーをグラスに注ぐと、美味そうにひと口飲んで笑った。山本はただ青ざめて、こぶしを握るだけだった。

「んで、そいつらをどうやって、賭博にハメるんだ? 郷原……」

 川嶋が、話を先に進める。

「この謎の組織から裏口座を買っている連中を、どうにかして炙り出す」

「裏口座を、買っている人間?」

「ああ。裏口座を買うってことは、出所の明かせないカネを、たくさん持っている連中だってのは確実だろ? この組織を調査していけば、恐らく、ある連中に行き当たるはずだ」

「ある連中……?」

 山本が、疲れ果てた顔で呟いていた。

「ああ。スネに傷持つヤツらさ。警察に突き出されるのが、何よりも恐いヤツら……。そして、あくどいことで作ったカネを、マネー・ロンダリングして確実に持っている人間。そんな人間が必ずいると、星が俺に教えている。それを探し出す……」

 川嶋は、そうつぶやく郷原を見ながら、紫煙を静かに吐き出した。

「田代を、呼ぶのか……?」

「そうだな、田代のおっちゃんの出番だな……」

 郷原はそう言うと、左腕のロレックスに眼をやった。現在時刻は明け方4時を回ったところだ。郷原と川嶋、平安ファイナンスの闇のエージェント、田代英明たしろひであきに動いてもらうには、まだずいぶん早い。世の中が動き出す頃にならないと、田代も調査できないだろう。

「とりあえず、仮眠でも取るか。山本先生、もういい、あんたは少し眠れ。浜崎も疲れただろ? ベッドは奥の部屋にもあるから、二人とも休んでくれ」

 川嶋はとりあえず、疲労困憊してぐったりしている山本をベッドに連れていくと、眠らせてやることにした。今の山本は、例のゲームの正式な参加者となったのだ。これからはコントロールしながら、接していかなければならないだろう。

 山本の両親は早々に、川嶋の部下たちによって、伊豆の国民宿舎の飯場へと転居させる予定だったが、それも夜が明けてからでいいだろう。山本をベッドで休ませてから、川嶋がリビングに戻ってくると、郷原は、ソファに横になり、眼鏡を外して、右腕を眼の上に載せていた。郷原もまた、かなり神経を酷使したようである。いつも占いが終わると、郷原は大体ぐったりしている。

(よほど消耗するんだろうな。星を読むという行為は……。無理もない、あの寒気のするような推理だ……。異常な集中力だというのは、見ていてわかる……)

 不意に、川嶋の胸の携帯電話が音を出した。

「………?」

 部下からだと思って慌てて携帯を見ると、電話ではなくてLINEだった。LINEの相手は、川嶋の長年の愛人久子からだ。久子は、ひとり新宿でスナックを営んでいるママさんである。いつも深夜12時に店を終えて、後片付けをして、自宅に帰って風呂や食事などを済ませると、だいたい寝るのが朝方という生活をしているから、こんな時間のメールも珍しくない。

「……犬?犬がどうしたって?」

 川嶋の愛人久子は、40をとうに越えた今でも、どことなく無邪気さのある女だった。用件だけを書けばよいのに、余計なことまで書いて寄越すのは、女という生き物に特有の習性だな、と、川嶋は思いながらLINEに眼を通して、眠りかかっている郷原を揺すった。

「おい、郷原……。久子からLINEだぞ。深雪ちゃんの請求書が来たって。早急に払えってことみたいだ。すぐ病院に行ってやれ」

「んあー……。請求書? ああ、そうか。もうそんな時期……。わかった。そのうち顔を出すって、久子ママに伝えておいて」

 そういうと、そっけなく郷原は、川嶋に背中を向けた。よほど疲れているようだ。

 川嶋はそれを見ると、浜崎が寝転がっているベッドルームに行って、毛布を取って返し、郷原の体が冷えないよう、それを全身に優しくかけてやった。

(お前と俺との付き合いも、もう15年以上になるんだな、郷原……。お前がいなければ俺は、あのときのまま、今だにしがないパチンコ屋の店員で、兄貴連中にこき使われるだけの存在だったかも知れない……。本当に感謝している……。しかし……)

 川嶋は心配だった。この郷原の消耗ぶり――。

 これが占い賭博本番ともなると、もっとずっと過酷だった。なにせ郷原は、命をさらけ出さねばならないのだ。占いを外すことは、占い賭博の賭場では、死を意味するのだから。いや、死なないまでも、相手に望まれるままを郷原は、自分の占いに賭けてみせねばならないのだった。

 そうまでしないと、ウソや欺瞞を激しく嫌う闇社会の連中たちは、占いなど信用しはしない。奴らが知りたいのは、つまらない人生相談とか、自分探しなどではなく、自分を捜査する警察の動き……。競馬の勝ち馬……。株の売り目と買い目……。誰がいつ、誰とどこで、密談をするのかということ……。

 この連中に、おためごかしは一切通用しない。当たるのか、外れるのかだけだ。だから信じてもらうためには、自分の占いに命を賭けるしかない。そういうスタイルでなければ、この闇社会で認められ、権力を掴むことは出来ない――。

 郷原悟は、そうやって修羅の世界をくぐり抜けて来た男だった。川嶋貢はただ、最初に郷原をこの世界に世話してやった兄貴分というだけで、一目置かれる存在になり、郷原の力でここまで来たのだとわかっていた。

(俺は、お前がいつか破滅するかも知れないと思いながら、上からの命令に逆らえなくて、いつも占い賭博をけしかける……。そんな自分が、情けねぇ……)

 郷原が仕掛ける占い賭博――。それがもたらす膨大なテラ銭と、好奇心でそこに集まる政財界の人間たちの秘密が、結局は川嶋と平安ファイナンス、ひいては寺本組と、その大本である関東報勝会を強固なものにしている。

(親父や本家が、ここまでのシノギに育った郷原を、簡単に手放すだろうか……。今や郷原は、寺本組と関東報勝会にとってのドル箱……。金看板……。そこから救い出してやるためには、俺は……)

 そう思う川嶋だったが、それと同時に別の声も胸にあがってきて、思わず首を振った。

(いや、わからない。郷原自身はどう思っているのか……。俺が不安なのはこの眼だ。占いをしているときの、こいつの眼……。自分が敗れ、滅びる狂気に、たまらない快感を覚えているような、あの突き抜けた眼の光……。郷原はもしかしたら……。俺には理解できないような、とんでもないことを望んでいる――?)

 川嶋は一瞬の自分の予感に、また首を振って、胸の内の不安を払い落とすと、郷原が寒くないよう、空調を調節してリビングの照明を落とした。夜が明けたら、いよいよ本格的に調査開始である。自分も少し休んで、体力を回復させることにした。

 

 

**

「おおぃ! 直人、起きろよ。もう6時半だぞ?朝練あるんだろ?」

「ん……。んん~……」

 田代英明は、ピンクのエプロン姿のまま、台所で弁当を詰めていた。チン、と音がして、トーストが飛び出す。田代はそれを皿に載せると、牛乳とジャムと一緒に、テーブルの上に並べた。

 今日の弁当はシャケの焼いたのと、無骨な卵焼きと、冷凍のシュウマイだった。卵焼きがどうも上手に作れなくて、タッパーからはみだしている。

「おい直人、起きろってば! 練習に間に合わなくなるぞ?せっかく今度の試合で、ベンチに入れてもらえるかも知れないんだろ? がんばって起きろよぉ」

「んあ~……、眠い……」

 田代の息子の、直人である。直人は眠い目をこすりながら布団から這い出すと、とりあえず食卓に着いた。

「うげ~、またシャケぇ? ワンパターンじゃねぇかよー」

「しょーがねぇだろ。父ちゃん、料理できねぇんだもん……。動き回って腹が減りゃあ、おいしく食べられるって」

「まぁいいけど……。婆ちゃん、早く帰って来ないかなぁ……。毎日、父ちゃんの料理じゃよぉ……」

「そう言うなってぇ。そのうち上手くなるさ、料理も。要は慣れだ慣れ。婆ちゃんも、リハビリが済んだら退院してくるからさ。な?」

 直人は、じと目で父親を見た。ピンクのエプロンが、妙にプライドのない感じを演出している。第一線で働いていた刑事だった頃の父の、かっこよかった姿を思い出すと、ちょっと情けない気持ちになった。

「あー、もう行かなきゃ……。ユニフォーム、ユニフォーム」

「そこに洗濯してあるぞ?」

 直人は、パンをひと口だけ牛乳で流し込んで、着替えると、歯磨きと洗面をササッと済ませた。そしてスポーツバッグに、赤いユニフォームとスパイク、タオル、田代が作ったシャケ弁当などを入れて、行って来ますとボソッというと、そのまま出ていってしまった。

「やれやれ……。アイツも反抗期だなぁ……」

 田代はつぶやいて、ピンクのエプロン姿のまま、直人の食べ残したトーストをかじった。

 田代英明はついこの前まで、警視庁新宿署の敏腕刑事だった男だ。それが今は、郷原悟と平安ファイナンスのエージェントをやっている。郷原が占いで導き出した秘密を調査したり、相手の弱みを握るための裏工作をしたりするのが、今の田代の仕事だ。

 田代が刑事から、この世界へと転身した原因は、やはり占い賭博だった。その頃田代は、職務上でのやむを得ない付き合いが原因で、とある詐欺師と不適切な間柄になっていた。田代の母親が、手伝いのおばさんと二人、細々と営んでいた、中野の実家の製麺屋も大変な事態になっており、気がつけば数千万の負債ができていた。

 川嶋は川嶋で、田代とツルんでいた詐欺師に融資の漁場を荒らされていたし、郷原は郷原で、地震予知が出来るという大予言者と戦っていた。

 この3つの軸が次第に絡んで、ついに過激な流血オカルトゲーム、「人間占い神経衰弱」になっていくのだが、そのとき田代は最後、大逆転のチャンスというところでカネが尽きたため、なんと自らの命を賭けるという愚挙に出たのである。

 そして見事に大負けし、そのせいで郷原の下僕として、一生働くことになったのだった。もちろん、警察もクビになった。田代は今、残っている借金の返済のために、息子の直人と自分の母親とで、6畳2間の木造ボロアパートに暮らし、ときどき新聞の勧誘員をしながら、なんとか食いつないでいる。

 挙句に、貧乏になった田代をみるや、数年連れ添ったフィリピン人の女房は、勝手に本国へと帰ってしまうし、母親は母親で、膝を痛めて入院する始末。

 そんなわけで今の田代家は、父と息子の寂しい男所帯であった。

(直人もこの春には中学生だ……。そろそろ、塾とか家庭教師とか、考えないとなぁ……)

 裏返しになったままの直人の靴下を、干すためにひっくり返しながら、田代はそんなことを考えた。

 その時だ。エプロンのポケットに入れてあったスマホが、けたたましく鳴り出した。

「うぁ……!」

 田代は慌ててその電話に出た。郷原からである。

「よぉ、おっちゃん、朝早くに悪いな。直人は?」

「直人ならもう出かけたよ。もうすぐサッカーの試合なんだとさ。こんな時間から朝練に行ったよ」

「ふーん……。そうか。頑張ってるじゃん直人。ところでおっちゃん、あの一件以来カツカツなんだろ? 直人の学費なんかは足りてるのか?」

「まぁどうにか。元は敵だった刑事の俺に、郷ちゃんや川嶋さんが仕事をくれるおかげで、ぼちぼち借金も返せてる。今日も調査の依頼かい? 郷ちゃんのためなら俺、一生懸命働くからさ。何でも言ってくれ」

 田代はそう言うと、スマホをスピーカーモードにして、メモを取る体勢になった。郷原の低い、淡々とした声が室内に響く。

「ああ。それじゃあ頼む。まず一つ目は、目黒にある “しらゆりテレフォンサービス” という会社へ行って、03-―××××―△△△△という電話番号を利用していた顧客を、特に今から1年半ほどの間に絞って、調査してきて欲しいということ」

「うんうん」

「もう一つは、その電話番号を使っていた業者や個人を特定できたら、その所在地も調べておいて欲しいということ。できれば早急に知りたい。今言った二つを調べるのに、どのくらいかかる?」

「ん~……、そうだな。午前中でなんとか」

「わかった。んじゃあ、昼頃落ち合おう」

「りょーかい!」

 田代は電話を切った。それから、出かける支度をした。コットンツイルの白いパンツに、グレーのカジュアルシャツを着て、茶色いマウンテンパーカーを羽織はおる。少し離れた月極駐車場に置いてある、10年落ちの中古車、マツダ・デミオに乗り込むと、まずはしらゆりテレフォンサービスのある、目黒を目指す田代だった。

 

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