CHAPTER4、ホロスコープは無効~ヴォイド~(3)
急に、携帯電話の呼び出し音だ。
物思いに沈潜し過ぎていたせいか、郷原は、突然の携帯電話の着信に、大きくビクッとして、慌てて電話に出た。独自に事件の調査をしていた田代英明からであった。
田代は今、永森のところで、浜崎と村井を借り出し、国家公安委員会の、定例会議報告書を閲覧中であるという話だった。
「国家公安委員会の、定例会議報告書?」
郷原が言うと、田代は電話の向こうで頷いた。
「そうなんだ。川嶋さんから聞いていなかったかい郷ちゃん? 平安ファイナンスの侵入の手口が、アフリカの貧乏ゲリラがよくやる方法だってこと……」
「……ごめん……。それどころじゃなかったかも……」
郷原は、昨夜、自分が激しく取り乱したことを思い出して、少し頬を赤らめたが、「ゲリラ」という言葉に引っかかった。
(ゲリラ……? 強力な実行者……、という星のキーワードをなぞるような響き……。まさか……)
郷原の思考が遊離し始めると、田代が「その定例会議報告書には……」と、詳しく説明を加えた。
「それには、テロリストの可能性がある人物、まだ実行犯とは言い切れない人間、組織周辺の者まで実名で出ているんだ……。もちろん、新自由革新党、1万人プロジェクトの参加者名簿も……。それらの名前を一つ一つ調べていったら、面白いことがわかったんだよ」
「面白いこと?」
郷原は、携帯電話を持ち直した。
「石塚が参加していた1万人プロジェクト……、新自由革新党……。それの、20~30代の若い連中を束ねる青年部のリーダーというのが、女だと言うんだ」
「女?」
意外な感覚を受ける郷原だった。田代は言った。
「その女の名前、江川夏実、と言うんだが、今、パソコンに詳しい永森さんが、江川夏実という名前であれこれ検索をかけてくれたら、なんだか知らんが、フェイスブックで、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の名前が出てきた。江川夏実という名前は、その同窓会パーティーの写真に、タグ付されて出て来たんだけど」
田代はそういうと、それが……、と、声を低くくぐもらせて言った。
「それが……。その雰囲気というか、体つきというか……。どことなく、平安ファイナンスの防犯カメラに写っていた人物に、似ているような気がして……」
「なんだって?」
思わず、身を乗り出す郷原であった。田代はさらに続けた。
「あと、シュベールのマスターから、郷ちゃんのことを聞いた」
んん? と、郷原は、携帯電話を持ち直した。
「何? シュベールのマスター??」
郷原はどきりとして、手が濡れるのを感じた。田代は「ああ」と頷いた。
「郷ちゃん……、今年の10月頃、変な男とシュベールで会っていなかった?」
「………………」
思わず、視線を下に向ける……。みんなには黙っていたことなので、決まりが悪かった。
「郷ちゃんの同級生か、昔なじみのようだったとマスターが……」
同級生、と聞いて、郷原はすぐに「ああ」と頷き、平静を装った。
「それ、たぶん岸本正巳のことだ。少年刑務所にいたころ、同室だったことがある男なんだ……。俺が金融屋だと聞いて、カネを無心に来ただけだ」
「そいつが公安に追われているとか、このままじゃテロの実行犯にされてしまうとか、助けてくれとか、必死に郷ちゃんに泣きついていたとマスターが……。モーニングの朝早い時間帯で、あまりお客がいなかったから、会話が聞こえたんだと」
田代がいうので、郷原はチッと舌打ちした。
「あの親父、余計なことを……」
「何?」
「……いや、何でもねぇ」
郷原の動揺を感じ取りながら、田代はさらに付け加えた。
「マスターが言うには、そのとき、郷ちゃんと対面していた男は、新自由革新党がどうのとか、爆弾テロがどうのとか言っていたって……」
そこまで話が漏れているなら、仕方がない。郷原はああ、と頷いて、シュベールのマスターの話は本当であることを田代に認めた。そのうえで、岸本のために弁明した。
「だが、あのとき岸本が俺に会いに来たのは、窮状を訴えるため……。このままでは自分は、まんまと新自由革新党の罠にかかって死刑台一直線だと……。逃げたいが、逃走資金がない。昔のよしみで助けてくれ郷原って、泣きついてきて……」
「追い払ったのか?」
田代が訪ねると郷原は「もちろんだ」と答えた。田代は「本当に?」と確認した。田代は、郷原が人一倍情にもろいことを知っている。窮状をとつとつと訴えられでもしたら、なんだかんだ、相手を助けてしまう人間なのを知っていた。
「なんだよ、疑ってるのか? おっちゃん」
「いいや……。なんだかんだ郷ちゃん、いい人だから……。俺を昔、助けてくれたようにね。岸本も無碍には返せなくて、そのままズルズルと……」
「それは絶対に無い。だいいち、公安に追われているなんていう人間と付き合ったら、俺まで警察に疑われるじゃないか」
「それは確かにそうだ」
田代はとにかくさ、と、言葉を繋いだ。
「とにかくさ、郷ちゃん。今から永森さんのマンションまで来てよ……。防犯カメラに写っていた人間と、江川夏実の写真を、見比べてみて欲しいんだ。それから、岸本正巳についても……」
「……わかった。今すぐそちらへ向かう。永森のマンション……。確か、西新宿だったな?」
田代はああ、と頷いて「じゃあ待ってるから」と言うと、電話を切った。
平安ファイナンスの防犯カメラに写っていた画像に、どことなく似ているという、カリフォルニア大学の同窓会パーティーの写真……。もし、江川夏実が、あの防犯カメラに写っていた女かも知れないなら、あかりを探す大きな手がかりになる。しかし――。
(岸本……。結局、あのときの岸本の必死の訴えが、こんな形で現実になってしまったということか……。だとするならば……)
岸本が言っていた通り、これから大事件が起こるはず……。北山がそれに、巻き込まれてしまう可能性も……。
郷原は、悪い予感に胸が苦しくなった。できることなら、自分があかりと代わってやりたい――。あの娘には、なんの罪も無いのだ……。
郷原は、今日クリーニングされたいつものトレンチコートを羽織ると、部屋を出た。エレベーターで1階に下り、フロントに鍵を預けると、フロント係たちは事件のことで恐縮していた。
外に出ると、郷原は夜空を仰いだ。外は相変わらずしんと冷たい。東京タワーが明るく輝いて、雲一つない星空であった。
なんとなくタクシーよりも、地下鉄に乗り、新宿へ向かう気になった。タクシーロータリーを一瞥――。そういえば、ここで思いがけず、北山あかりと再会したのだった。
あのとき、強がったけれど、本当は嬉しかった――。それだけは、認める……。認めるしかない……。
郷原はそのまま、顔を背けると、ホテルのロータリーをつっ切って通り沿いにある地下鉄乗り場へと向かった。
新橋から新宿までは、東京メトロで15分程度だが、丸の内線ホームは西新宿から遠い。駅構内を歩いていって、ひとまず新宿駅西口の、小田急デパート前へと出た。いったん大ガードに続く緩やかな坂道を下る。自分のことで迷惑をかけていることもあり、せめて、田代たちに何か、差し入れでも買っていってやろうと思った。西新宿は完全に高層ビル街で、目立った店も無い。買い物なら西口の思い出横丁界隈がベストである。
しばらく行くと、クリスマスが終わったフライドチキン店が、呼び込みをしていた。そういえば今日集まっているメンバー全員、会社の宴会時に、こういうものをよくつまんでいた。差し入れにちょうどいいかも知れない。
フライドチキン店で差し入れを買い、折り返して、再び小田急デパートの前を通りかかったそのとき――。駅舎の壁に隠れるように、ぼんやりとした灯(あか)りが……。
既視感で、思わず郷原は立ち止まった。
(あれ……? あの角行燈は……?)
占い師の、霊泉先生……? それから、この景色……。どこかで見た気が……?
しかもそれは、まだ訪れていないはずの、大みそかで……。郷原は霊泉先生にクダを巻き、コーヒーをごちそうになり、先生に暴言を吐いて立ち去ったような……??
あかりが行方不明になって以来、気が休まらないから、脳がそんな夢を見たと、勝手な誤作動を起こしているのかもしれない。
思わず覗き込むと、ヒマに明かして本を読んでいた霊泉先生だったが、人影に気付いて、うわっと声を上げた。
「あらあんたっ!! こないだ絡んできた、酔っ払い兄ちゃんっ!!」
「なんだよ先生……。まだやってたんかここで……」
郷原は、そのまま角行燈の前の椅子に腰かけた。
「あ、あんた、この間はびっくりしたわよぉ~!35万円も置いていくんだもん……」
そのセリフに郷原は、少し考え込んだ。記憶が無い。
「んあー……。そうだっけ……。俺、覚えてねぇ……」
霊泉先生は、眼を丸くした。
「お、覚えてないの?! あんた、35万も置いてったのに??」
「うん……。ぜんぜん」
言いながら、この辺りの台詞もなぜか既視感だ。人間の記憶というのは、実にあいまいなもの――。いつ、どこでなんて、いくらでも書き換えることができるのかも知れない。
郷原は、なんとなく霊泉先生に占ってもらいたい気分になった。
「ここで先生に会えたのも、なんか、めぐり合わせかも……。う、占ってくれっ……。俺のことを……。うう……」
張り詰めた神経が、郷原の声のトーンを弱々しくさせた。
「ど、どうしたのよあんた……。占いは、嫌いなんじゃなかったのかい?」
「き、嫌いだけどさっ……。嫌いだけど、もう、何もかもわかんないんだ……。いろいろあって……。何でもいい、気休めでもいい。俺は今、どうするべきなのか……。これからどうしたらいいのか教えてっ……。ううっ……」
郷原は、言える範囲の中で、霊泉先生に話せるだけ状況を話した。霊泉先生は、郷原が同業者であることを知って眼を丸くしたが、それ以上に唖然としたのは――。
「あ、あんた!! 雪村幸造さんの弟子?? ほ、ほんとっ?!」
雪村幸造の名前に、激しく反応した霊泉先生だった。
「ど……、どうしたの先生……? まさか、爺さんの知り合い?」
郷原のほうが、今度はあんぐりとした。
「知り合いも何も……。飲み友達だったよ、あんたのお師匠様とは。一緒に関西のラジオ番組の仕事をやったりしたことも……。幸造さんはお元気なの?! 久子ちゃんはっ?!」
瞳孔を見開き半笑いで、世間の狭さを改めて思う郷原だったが、霊泉先生が久子の名前を出したのでさらに驚いた。
「……霊泉先生は、久子ママのこと……。いや……。雪村の爺さんの一人娘のこと、知ってるの……?」
「もちろんだよっ!! 占い業界ってねぇ、狭いのよ郷の字。あんな占いバカの娘でさ……。気の毒に……。父親が占い学理研究にのめり込むあまり、久子ちゃんはいつも一人ぼっち……。さぞや寂しかっただろうねぇ……。今はどうしてるの……?」
霊泉先生が聞くから、郷原は寂しそうに微笑んで、久子の近況を話した。雪村幸造は8年前に亡くなったことも……。
「……雪村の爺さんは、無茶な占いが祟って、8年前、大阪でヤクザに殺されちまった……。久子さんは、あんまり幸福じゃない……。とあるヤクザの内縁をやってるよ……。日陰の身だけど、そのヤクザの子どもを産むのが夢だってずっと言っていて……。肝心のヤクザは、久子さんが妊娠できない体なのを知りながら、たまに他の女と遊んでさ……。この間も、半狂乱の大喧嘩……。かわいそうで、見ていられなかった」
それを聞いて霊泉先生は、「そう……」と、深くため息をついた。
「そう……。占い師を家族に持つってぇのは、そういうことよ……。郷の字、あんたも気をつけなさい」
「どういうこと……?」
霊泉先生は、ゆっくり言った。
「この仕事はね……。劫を受けるの……。占いが当たれば当たるほどね……」
郷原は、どきりとした。「当たれば、当たるほど……??」思わず口の中で反芻していた。
「そう……。占いが当たるってね、あたしたちが当てているんじゃないの。自分が天に積んでいた徳……、それを引き出して、それと引き換えに当てているのよ……」
「天に積んだ徳? そんなもの――」
郷原は、視線を下へ落とした。キリスト教では、占いが当たるのは、サタンの力だと言われている。占い師という、どうしようもない神への背徳者は、神を裏切っているゆえにサタンに魅入られるのだと――。
「……そうね……。キリスト教では、そんな解釈もある。だとしたら……」
その彼女が、あなたのサタンの力を今回、受けてしまったとも考えられるわね、と、霊泉先生は言った。郷原はますます悲痛な表情になった。
「そんなこと……。だって、たったの二度会っただけの女だ。それだけの関係でしかないのに、なぜこんなことになる?? 深い間柄ならまだわかるけど……」
「深い間柄なんでしょうよ」
霊泉先生の言葉が、郷原の心臓をわしづかみにした。
「たぶん、とても深い、運命のめぐりあわせなのだと思うわ。遠い遠い過去からのね」
「……遠い過去……?」
そんなの、と、郷原は首を左右に振った。
「そんなの、あるわけない。前世なんてまやかしだ。俺はそんなもの信じねぇ……。キリスト教では前世とか、輪廻なんて認められてないよ」
「あんた、クリスチャンなの?」
「………………」
しばらくの間のあと、郷原は「違うね」と言って、顔を上げると笑ってみせた。
「俺はどっちかっつうと、反キリスト者さ。イエスをののしる者だ。あんなのは偽りの神だ。最悪の悪魔だ。俺は、神と戦うために、神がもっとも忌み嫌う占星術師になったんだ」
「………………」
霊泉先生は、そんな郷原の言葉に複雑な表情を浮かべると、言葉をつづけた。
「キリスト教でも、そうでなくても、どっちでもいいけどね郷の字。あんたのお師匠の雪村幸造は、占いに関しては、比類のない天才だった……。でも、その当たり過ぎる占いゆえに、人一倍劫を受けたの……。その幸造さんの劫が、幸造さんだけでなく久子ちゃんにも行ってしまったのだわ……。あんたも、気をつけなさい。上手く占いに関わって行かないと、いつか占いに自分自身が取り込まれ、その劫が、必ずあんたの愛する者のところへ……。あんたのもっとも大事な人を、不幸にさせることになるんだよ……」
郷原は、愕然として霊泉先生を笑い返した。
「そんなの、あり得ない。俺と北山はなんの関係もない。前世でもなければ来世でもねぇ。ただ、卑劣な犯罪者は絶対に許せねぇ。あの娘は運悪く巻き込まれただけさ」
霊泉先生は、大人が子供を見るような目で苦笑していた。
「そういうとこ、幸造さんと似てるわねあんた。幸造さんも、この世でキリスト教が一番嫌いだってよく言ってたわ。前世も来世も、そして占いも、よわっちい、人間の心の中にしかないマーヤー(幻影)だと……」
「………………」
郷原は、強気に微笑んで「そうだよ、その通りだ。俺は、雪村の爺さんのそういうところを尊敬してるんだ」と言って、椅子から立ち上がった。
「やっぱり、これは自力で、死ぬほど考えて行動して、俺自身で解決するしかねぇってことだな。ありがとう先生。先生としゃべって、ちょっとすっきりしたよ」
「大丈夫。……いつかわかる日が来るよ……。わかる日がね……」
郷原は、怪訝な顔をしたが、霊泉先生は優しく微笑んでいた。
「あたしは、いつでもいるわ。また悩んだら探してちょうだい」と、霊泉先生は郷原に、自分の携帯番号が書いてある名刺を手渡した。
「今度飲みに行こう郷の字。あたしはいつも新宿にいるから」
「ああ。このことが片付いたらぜひ。久子さんの店に連れてくよ」
郷原は霊泉先生の名刺を、大事そうに胸ポケットに仕舞うと、鑑定料を払って席を立とうとしたが、霊泉先生は首を左右に振った。
「さっき言ったでしょ? あんたにあたし、先週この場所で、35万円ももらってんのよ? これはサービス。あんたは永久無料鑑定でいい。悩んでも、悩まなくても、また顔見せに来ておくれ。なんだか、生き別れた息子みたいな気がするからね」
霊泉先生はそういうのだが、郷原は、いいから取っときなよ、と言って、1万円を渡した。霊泉先生は、「じゃあ遠慮なく」と、ペロッと舌を出してかわいく笑った。その顔が、なぜだか郷原の記憶を刺激した。あの女と、この霊泉先生の年齢は同じくらいだろう。あのとき以来、もう会うこともない存在だが、もっとこんな風に、温かい、味のある女性だったらよかったのに……。あんなに若作りで、魔女みたいで、いつまでも「女」でいて欲しくなかったのに……。
そんなことを考えながら、霊泉先生と別れ、田代たちが集結している永森光郎のマンションに着いた。すっかり差し入れが冷めていたが、永森に手渡すと、永森は電子レンジで温めた。田代がさっそく問題の写真を見せた。
「見てよ郷ちゃん……。これが、大学の同窓会パーティーで、江川夏実が振り向いた顔の写真」
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