京都アニメーション放火事件と超次元占星術

 2019年7月18日午前、京都市のアニメ制作会社 「京都アニメーション」にて放火火災が起こりました。死者34名、重軽傷者34名という史上稀に見る惨事となってしまいました。

 

 犯人は「青葉真司」という名の男であるという情報です。

 

 青葉容疑者は、1978年5月16日生まれという情報が上がっています。

 

 今回の事件を占星術的に分析することは可能なのでしょうか?

 

 

その前にそもそも「占星術」とは?

 

 青葉容疑者の分析に入る前に、まずは「占星術とは何か」ということをきちんと読者の皆さんと確認しておかなければなりません。そうしないと、青葉容疑者と同じ日に生まれた人は犯罪者の可能性がある、とか、出生のホロスコープにこういう相を持つ者はこういう犯罪を犯しやすい、などの、おかしな論理を産んでしまいます。

 

「占星術」とは、一般に、星から受ける影響を読み解く技術である、と思われています。

 

 しかし、現代人の「読み解く」という作業はなんにせよ学校教育の悪しき習慣によって刷り込まれたものであり、占星術の本来的な意味とは違っている点、学ぶ人はくれぐれも注意しなければなりません。

 

 占星術とは、それがインド式占星術であるにしろ、西洋占星術であるにしろ、アラビア式占星術であるにしろ——。もともとは、 「ヨーガの一つ」 であり、精神のヨーガだ、ということをまず我々は強くこころに刻む必要があります。

 

 現代人はみな、学校教育で毒されすぎてしまい、勉強というと、「本を読む」「暗記する」「論理的に考える」ことが、「勉強」だと思っていますが——。 しかし、これを占星術の世界に持ち込むと、占星書に書かれた相をうのみにしたり、暗記知識で人様の鑑定ができると思い込んでしまう、性質の悪い占星術師が増えてしまいます。

 

 しかし、繰り返しますが占星術とは「精神のヨーガ体系の一つ」であり、ヨーガだ、ということを初心者はゆめゆめ忘れてはなりません。

 

現代人の勉強法とヨーガの勉強法はまったく違う

 

 さて、現代科学がこんなに発達する以前の、3000年~4000年も昔のインドやギリシャなどでは、一部の人たちは地球が丸いことも、宇宙にはたくさんの銀河があることも、物質がすべて分子・原子、さらに素粒子で出来ており、エネルギーは物質と等価であり、相互関係にあるといった、現代の最先端の物理学知識を知っていましたし、分子工学などない時代に、特定の鉱物や植物から薬効を取り出して薬を処方することもしていました。

 

 そうしたことを知りぬいていた人々を、インドでは聖者リシ、と呼びます。

 

 科学も物理学も、薬学もない時代に、彼らはどうして現代人がようやく知ったようなことを知ることができたのでしょうか?

 

 答えは瞑想です。

 

 インド出身で、20世紀アメリカの偉大な精神的指導者であったクリシュナムルティは、自伝の中で「科学者たちよ、思考の束縛から自由になりなさい。その「自由」は、瞑想によってのみ手に入ります」と述べています。どうやらいにしえの聖賢、聖者たちは、現代人が思う勉強法とは異なる方法——、つまり、「瞑想」によって自然界の諸相や、天文学的な事実、運動法則、ひいてはこころと霊魂のメカニズムを解いてきたということです。そのことから、現代では、科学者が率先して瞑想をしているといいます。人知のおよばないミクロやマクロの世界を、瞑想によって先に知覚し、あとから数式や実験で追確認する——。なんと、そういう方法が世界の最先端研究では現実に行われているのです。

 

 そして瞑想こそ、ヨーガの根本であります。ということはつまり、占星術の知識とは、ただ本を読んで暗記して、それを他人にそのままふりかざせばいいという、そんな無邪気なものではないということです。精神を深く統一し、神に祈り、心の雑念を払い欲望から自由になる過程においてのみしか、誰もこれを正しく読めはしないということです。そういう意味で占星術に「入門書」や「読み方指南本」がある段階で激しく現代人は、占星術を勘違いしていると言えます。

 

 さて、ここを踏まえた上で、平成から令和の世にかけても稀に見る大惨事となった今回の事件を、超次元占星術で振り返ってみましょう。

 

事件当日の星回り

 

 ネット情報に上がっている青葉容疑者の生年月日から太陽ゾーンを割り出すと、彼の出生の太陽は「おうし座24度」でしたので、超次元変換すると 「水グループ」の「ゾーンホワイト生まれ」であることがわかります。

 

 事件当日、7月18日に注目してみると、運行の太陽がゾーンホワイトと同じ水グループ、鏡面関係の「ゾーンゴールド」に、運行の火星もホワイトと同じ水グループのスカイを運行していたことがわかります。

 

 さて、超次元占星術と、ふつうの占星術とを比べてみると、実は青葉容疑者の凶行は、ふつう知られている一般的な西洋占星術の手法では読み切れないことがわかるでしょう。

 

 なぜなら、ふつうの占星術ですと、超次元占星術で鏡面関係(同一グループ)に入る星は、吉角とされる調和角になるからです。

 

 青葉容疑者が凶行を行った7月18日の太陽は、ふつうの西洋占星術ですと、「かに座24度」にあり、青葉容疑者の出生の太陽である「おうし座24度」と正確なセクステル——、つまり、60度の好ましい吉角を形成していました。

 

 これであれほどの大火災を予測できる占星術家は、ほとんどいないのではないでしょうか。従来の西洋占星術では、吉か凶かは、「こころで決まる」のではなく「角度で決まる」と考えるからです。いい角度だったのだから、容疑者は本当はこの日、うきうきしていなければいけなかった。けれども、実際は、苛立ち紛れのひどい凶行に及んだのです。

 

 しかし、超次元占星術に変換すると——。 この日はそのものずばり、大変まずい状況を語っていたのです。超次元占星術は、事件の結果を星の角度の吉凶で決めることはできない、と、断固表明する、ヨーガ体系の流れを汲む西洋占星術です。

 

 では、何で吉凶や、良し悪しが決まるのかといえば、それは私たち一人一人の「こころ・意識」で決まると考えます。現代の日本人や日本社会は、学校教育による誤った因果律の捉え方の洗脳で、占星術をまるで化学反応であるかのように捉えてしまい、同じ星回りですべての人に同じ運が与えられるはずだ、と無邪気に受け止めすぎてしまいます。現代人は実は、占星術を理解する能力が衰えてしまっているのです。

 

 それで、大半の占星術愛好家は、本に書かれたことを吟味することもなくうのみにして、法則ですべてが決まると考えてしまうから、この人が犯行に至った理由はどの星学上の相か? ということにばかり思考が囚われて、ホロスコープの輪から抜け出せなくなります。この思考回路こそが 「思考に囚われた現代人の悪しきクセ」 そのものであることを、占術家はまず知らなければなりません。この問題は西洋占星術のみならず、実は他の占いでも同様です。占いは書物で学べるものではありません。すべては精神のヨーガなのです。

 

 

  超次元占星術では、事件は「星の組み合わせで決まる」と考えます。

 

 そして、その事件が凶か吉かは、本人のこれまでのカルマとこころ、意識で変わってきます。

 

 × は、超次元占星術では、以下の通りの意味があります。

 

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(+面)困難からの切り抜け。克己。毅然とした態度。自己主張。エネルギッシュ。ファイト(自分を応援し励ます)。成功のための苦闘と変化。決断力。

(-面)苛立ち。エキサイトした状態。けんか腰。破壊衝動。軽率な行為。一時的なやけっぱちに支配された行動。自己や災難を経験する状態。やけど、火災、出血。負傷の危険性。炎熱性の病。発熱。出血すること全般。事故やけが。

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 これはいい角度とか、悪い角度とか一切関係なく、一般に「吉角」とされる場所に星が入ってもマイナス面の意味が噴出するときがありますし、一般にふつうの占星術で「凶角」とされている、同じゾーンに星が入る場合にプラス面の出来事が強調されることがあります。筆者(酒井)は、何度も火星の良い角度のはずなのに指を切ったり、手足をすりむいたり、外科治療の痛い思いをしています。また、凶角だったはずなのに火星のプラス面の恩恵が出たこともしょっちゅうです。

 

 つまり、「星同士の角度」では、ものごとの良しあしは決まらないということなのです。 実はこれこそが 「カルマの力」だとヨーガは教えます。では、「カルマ」とは何なのでしょうか。

 

彼 “だから” 大量殺人を犯したわけではない

 

 

 さて、ヨーガとは「心の法則の探求である」と言うことができるでしょう。

 

 占星術を精神的な完成への道であると説明したヨギ(ヨーガを行じる者の意)、スワミ・スリ・ユクテスワ師は占星術についてこう説明しています。

 

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「誕生の瞬間大空いっぱいに描かれる託宣(ホロスコープ)は、決してその人の運命(過去の所業が原因となってもたらす結果。カルマ。宿命)を強調するためのものではなく、むしろ、その束縛から抜け出そうとする人間の意思を喚起するものである(中略)。星学というものを迷信的に恐れ、信ずる者は、星運の奴隷としてその機械的な法則に巻き込まれてしまうことになる。賢者は、その信仰の拠り所を被造物(物質界)から創造主に転換することによって、自己の星、すなわち過去の因縁(カルマ)に打ち勝つのだ。人間は、自己の霊性に目覚めるほど、物質的に支配される度合いが少なくなる。魂はもともと永遠に自由なのだ。それは生まれて出来たものではないから、死ぬこともなければ、星に支配されることもない」(パラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」 第十六章「星運をかわす」より抜粋)

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 つまり、スリ・ユクテスワ師は、「自己の霊性に目覚めた者は、星に支配されることはない」と言っているのです。ということは、どのような星が来ようとも、どんな角度だろうとも、どのような星座宮だろうとも、起こることのすべては本人のここまでのこころのありよう、意識の捉え方であるということが言えます。星々はその、「意識」をそのまま、鏡のように跳ね返して本人に戻しているだけなのです。

 

 

 運と結果とこころの関係をまとめてみましょう。

 

 

 パターンA 「悪い角度で星が来て、悪い現象が起こった」

        これはふつうの現象です。現代人はこれに陥りやすい。

 パターンB 「良い角度で星が来て、悪い現象が起こった」

        これは現代人でも何か、ものすごく大きく誤ったカルマ

        を発動させている状態。今回の青葉容疑者はこれに当たります。

        これについては詳述します。

 パターンC 「良い角度で星が来て、良い現象が起こった」

        凡人レベル。こころと意識のメカニズムに気づかない

        と大変危うい状態です。

 パターンD 「悪い角度で星が来て、良い現象が起こった」

        これも少しはマシですし、意識レベルとしてはA・B・Cパターン

        よりもいくぶん高いですが、実はだからといって調子に乗ると

        大変怖い現象です。

 

 

 この4つのパターンと、それを超越する必要性については、仏教経典の「大業分別経」「小業分別経」というお経にくわしく出てきます。パターンAと、パターンCは、現代人にとって大変わかりやすいですね。「勉強を頑張った “から” いい大学に合格できた」とか、「食事を我慢した “から” 5キロ痩せられた」 とか、「酒を飲みすぎた “から” 肝臓病になった」 という、算数みたいに単純な因果律です。現代人はこのAパターンとCパターンしか理解できないため、この二つのパターンから外れるとひどくうろたえてしまいます。

 

 しかし、占星術でなくとも、人間社会を見渡せば、Bパターンの結果やDパターンの結果が出ているケースはごろごろしています。今回、犠牲になってしまったなんの罪もない多くのクリエイターさんたちを見ると、現代人は「どうして??」 と思わずにいられません。彼らが何の悪を成したというのでしょうか。なんの落ち度もないのに、なぜ焼き殺されなければならなかったのか——。 現代的な教育では、このことに対する救いは見出せません。因果律としてBパターンが起こったからです。現代人は、明確な因果関係で説明できないことが起こると、もうお手上げ状態になってしまうのです。

 

 Dパターンもまた多くの人々を傷つけているでしょう。みなさんも、一度や二度は、「なんであんなヤツに幸福が来て、自分には来ないのだ」と嫉妬したり、惨めな気持ちにさせられたり、嫉んだりひがんだりしたことは絶対にあるはずです。私などは大変嫉妬深いので、いつもこの 「Dパターン」 を得ている人間を見るとこころがひどくかき乱されます。もしかしたら青葉容疑者も、それ以外のひどい殺人犯や通り魔も、こうした 「Dパターン」 の幸福に驕り、勝ち誇っている人間を見たせいで正気を保てなくなったのかもしれません。その歪んだ矛先が、一見幸せそうな成功者に見えたアニメーション会社に向けられてしまった——。 そのように考えることはできないでしょうか。

 

 だとするならば、青葉容疑者と我々は地続きです。

 

 この御しがたい「こころ」を制御しないまま、欲望と現象界(現実界)に翻弄されるまま生きていては、我々だっていつ殺人犯になるかわからないということです。どの星座宮に星をいただき生まれて来ようとも、どの星がどんな宿命を与えようとも、それはただの「揺れるさざ波」に過ぎません。その波を、「こころという船」でどうわたるのか——。占星術とはまさに、いつでもこのことを我々に問うているのです。そして正しくわたる方法はただ一つであるとスリ・ユクテスワ師は言います。それは 「信仰を持つこと」です。それ以外はどんなによさそうなことだったり、耳障りのいいことであっても、すべてはまやかしであると言われます。信仰とは、特定の宗教宗派のことではありません。イスラームの神でも、イエスキリストでも、ブッダでも、老子や孔子でも、日本の八百万の神々でも、それらを通じてこの宇宙一切を産み出した「何か」を信じるのです。

 

超次元占星術で 「自己と向き合う」

 

 さて、ここで改めて青葉容疑者の、犯行の日の星回りをもう一度振り返りましょう。

 

  と  は、どちらも「炎熱性」の星です。超次元占星術を体験していただくとわかることですが、しばしばが、自分の出生時の の位置に重なったり、同じグループの鏡面関係に入ると熱が出たり、アレルギーがひどくなったりします。これは体内の免疫系が弱っている証拠で、免疫系の働きが健康に保たれている人であるならばが重なっても、鏡面関係に来てもどうということはありません。そして、免疫系が実は人間の 「こころのありよう」 とダイレクトに直結していることは、現代の医学で明らかにされています。つまりが悪い角度で来たり、良い角度で来ても、現象として辛い・悪い・苦しいことが起こるなら、それはもう精神生活やものの考え方自体が歪んでいますよ、というサインなのです。

 

 も同様です。 は「火」の星、と書くくらいですから炎熱性の星で、まさに火や、火で磨かれた鉄・金属で生み出される刃物、皮膚が破れて切り開かれる状態、出血を意味します。青葉容疑者が凶行に及んだ日はこの両星が、青葉容疑者の生まれつきの (表では青色で表示してあります)に対して、本来は吉角であるはずの、同じ(水グループ)であるゾーンゴールド、ゾーンスカイに入っていました。

 

 これは本来ならば パターンC、「よい角度で星が来て、よい現象が起こった」 でなければなりません。従来の西洋占星術ならそう考えるべきです。しかし現実には、パターンB、「よい角度で星が来たのに、悪い現象が起こった」です。 これはつまり、青葉容疑者の 「こころ」 が、問題だらけで、本人がそれを変える努力をしなかった、自己と向き合うことから逃げ続け、社会のせい、親のせい、他人のせいにし続けてきたばっかりに、もはや正常にさえ星が機能しなくなってしまったということなのです。これは仏教ではカルマの最悪ランクの 「現れ」で、こうなるとこの容疑者がここで起こしたとてつもない悪のカルマを返済するのに、何十万年かかるか知れません。おそらく再びゼロ地点——、すなわち、「人間として最低ランクの生」 になるまでに、彼は何百万回と火に焼かれ、切り殺され、苦しみの涙ととてつもない恐怖を繰り返すことになるでしょう。来世はもはや人でないかも知れません。ラッキーなことに人に生まれても、おそらく生まれる場所は最悪の場所であるはずです。正しい信仰、宇宙の真理と出会うまで、これは繰り返されるとあらゆる聖典には書かれていますし、瞑想をしてヨーガを積むとそれが真実だというのは直覚的にわかるようになります。だからこそ、「殺してはならぬ」のです。何人たりとも。虫も動物も——。(我々にもこれは大変に難しいことです。だからこそ殺人犯を笑う資格のある人間などこの世にいるでしょうか)

 

 さて、人の「最終目標」は、すべての人間が皆、聖者の生き方を志すことだとヨーガの聖典は言います。よし! 今度こそ修行して解脱し、輪廻の輪を抜けるぞ! と覚悟ができるまで、我々は猶予を与えられているのです。しかしその「執行猶予期間」 のあいだに殺人をしたり、淫邪に浸ったり、大食いやむさぼり、金銭欲・支配欲・名誉欲などに振り回されてしまっては、「猶予期間」 の間にどんどん悟りへの道が遠のいてしまうでしょう。

 

 かくいう私も、小説欲、イラスト欲、文筆欲から抜け出すことができず、ヨーガの教えが真理だとしりつつも、こころは修行を目指せないまま、俗な生活に浸りきっていて、情けない限りです。

 

 しかし、超次元占星術で星の動きを知り、星が起こすさざ波に対して「いちいち反応しない」「怒らない」「落胆しない」という修行をすれば、これは良いカルマを積んだことになります。青葉容疑者も、もしも早くに良い占星学と出会い、いちいちめぐる惑星と日々格闘して、こころを制御する方法を学んでいたら、ここまでのカルマの病的なねじれを起こさずに済んだかも知れません。

 

 超次元占星術はそうした意味で、真に精神のヨーガです。誰もが星から、社会から、自己の弱さから自由になるための、こころの筋トレ装置であると言えます。

 

 

 

 

 

 

 

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