CHAPTER1、あっという間の再会(4)
「お客さん、いい加減泣き止んでくださいよぉ~……」
「…………………」
あかりはタクシーの後部座席で、ずっとめそめそしていた。結局返すことができなかった鍵とカネである。タクシーの運転手は困惑していた。行き先も定まらず、仕方がないから、とりあえず都内を無意味に走る。
「どこで降りますか? ねぇったら。どこへ行けばいいんです?」
「………………」
「ああ?」
「……でも、……の?」
「んん??」
「……ど……こでも、いいの……?」
後部座席の女が、ぐずぐずと、やっと体を起こしたので、運転手は安心した。
「そうですねぇ。どこでもいいです。はい」
「お、おカネは……?」
「おカネは心配ありません。平安ファイナンスさんに請求するよう、言われてますから」
「平安ファイナンス……」
郷原が、関係している会社……。あかりは、ポケットからスマートフォンを取り出すと、検索してみた。
株式会社平安ファイナンス。設立は今から10年前。高利貸を主とした金融業者。代表取締役社長・川嶋貢、本社は東京都新宿区大久保1丁目……。
「………………」
そうだ――。会社はわかるのだから、会社に手紙を届けよう……。もう一度会いたいこと、ちゃんと伝えよう――。
あかりは少し元気になった。それから、窓の外を眺めて涙を拭うと「新潟に行ってもいいですか」と言った。
「んあ~? 新潟ぁ?」
驚いた声を上げるタクシードライバーであった。
「ええ」
「まぁ……。構わないですけど」
「じゃあ、新潟の、ハッピーヴィラ長岡という有料老人ホームまで……」
「老人ホーム、ハッピーヴィラ長岡……」
運転手は、ハンドルを握りながら器用にカーナビの画面を選択した。あかりはシートにもたれかかって、涙に濡れた顔を手で拭った。
(大丈夫……。きっと会えるわ、もう一度……)
こうなったらこの際、17歳のときに離別してしまった、大好きな祖母に会いに行こうと思った。子どもの頃からずっと、もう一人の母として、あかりの面倒を見てくれた祖母――。しかし、父が、母の後を追うようにアル中でのたれ死にした後、その弟にあたる叔父が、祖母名義だったあかりの生家を売ってしまって、そのカネで祖母を老人ホームに閉じ込めてしまったのだ。
祖母にはもう、4年も連絡ができていなかった。きっとあかりが行方不明になってしまったことを、心配しているはず――。
(どうかお婆ちゃんが、まだ元気でいてくれますように……)
あかりはタクシーのシートにもたれて、ぼんやりと考えた。
**
「して、郷原先生……、今度のうちのこの子は……」
「そうですね。イニシャルS・Hという人物が見える……。キャスティングボードを握る男のようですが……」
「キャ、キャスティングボードを握るS・H?! もしかして、制作会社部長の園田さんのことですか!?」
相手の男と若い女は、思わず身を乗り出していた。郷原はビジネススーツ姿で、正座をして、テーブルの上の紙に何やら書き込んでいた。
「園田、という名前かどうかは、わかりません。しかし、あなたがたのタレントに対して、失礼ながらもう路線が違うと思っているようだ……。このタレントの女の子は、生年月日を見るとなかなかクレバーな人みたい。気象予報士なんかで仕掛けたら、いいんじゃないですか」
顔を見合わせる事務所社長と、新人タレントである。心当たりがあるのだろう。実は……と、打ち明けてくれた。
「あたし、実は来年春に、気象予報士の試験を受けるんです。今まで通り歌手を目指すよりも、そっちの方に路線変更したほうがいいですか?」
「……うん、そうね。そっちがいいみたい。でも一つだけ注意すると君は、母親のことですごく不安定……。母親は足が悪いのか……。一人暮らしをしている……。タレントを目指すなら、自分のことは捨てて非情になれと言っているようだ。君はしかし、非情になれるかねぇ……。フフ……。何かを得るには、大事な何かを犠牲にしなければならないのは宇宙の真理……。自分の野心と引き換えに、弱った親を見捨てられる最低の人間に身を落とす覚悟はあるのか」
「あ………」
女は、痛いところを突かれて絶句した。芸能プロ社長は「大丈夫! 大丈夫ですようちのマリは! 必ずや芸能界で成功して、お母さんを東京へ呼べますともっ!」と笑うと、お茶を一気に飲み干した。
ふすまの後ろから声がした。
「郷原先生、そろそろ鑑定終了のお時間ですが」
「そう……。わかった。では、開運の色紙をお授けしましょう」
郷原は、筆と色紙を持って来させると、二人に「情熱を持ち続けて」と書いて手渡した。芸能プロ社長とどう考えてもホステス上がりの冴えない女性タレントは、それを有難がって受け取り、郷原の鑑定部屋を会釈しながら出ていった。郷原はさっそく手帳に二人のことを書き記した。
芸能プロスタンレー……社長久保田落ち目。これにて貸止め。
タレント泉マリ……リサイクル必至。
「どうだ郷原、あの二人は……」
スーツ姿の川嶋が、ふすまから覗き込んだ。郷原は今書きこんだ手帳を川嶋に見せた。
「スタンレー社長の久保田はもう落ち目だね。そろそろ付き合いを見直すいい頃合いなんじゃないの」
「そうだなぁ」
「久保田が平安ファイナンスに、またカネ貸してくれと言って来たら、クスリでも捌(さば)かせればいいのさ。自分で稼げよってね」
「そいつぁいいアイディアだ」
「女のほうはいつもの通り、ちょっとだけグラビアに出させて有頂天にしたあとは、タレント風俗に沈めるぐらいしか価値は無い。芸能界で成り上がろうなんて、バカなことなど考えずに、大人しく親の面倒見てりゃあ良かったのにね、フフ……」
「………………」
「なんで人は、夢なんか見るのかなぁ……。俺には、理解できないや……。夢など見なければ、最初から苦しまずに済むのに……」
「………………」
川嶋は、黙って郷原のつぶやきを聞いていた。やがて次の鑑定客だ。
「ご、郷原先生っ……、ど、どうか、次の選挙へ向けてお力添えをッ!!」
郷原の前に座るなり、いきなり年若い郷原に土下座をして懇願する、保守党議員連盟の地位ある代議士であった。
「いいでしょう。必ずや、あなたの党の推薦する候補を国政へ……。ただし、私の占いは高いですよ? フフ……」
(なぜ人は、夢などみるのか……。夢など見なければ、占いなど何も必要はなく、人は皆、争うこともせず、自然と調和して暮らしていけるのに……)
郷原は、自分自身に疑問を繰り返しながら、星々の軌道からホロスコープを手元に描いていくのだった。
**
郷原が離れの間で今日の占い鑑定を終えた頃、料亭の別の部屋では、貸切の宴の真っ最中だった。毎年12月26日の夜は、寺本組の関係者の忘年会なのだ。郷原の元にも、廊下と中庭を挟んで、賑やかな声が聞こえてきた。
「お前は、あっちへ行かないのか郷原」
顔を上げると、川嶋貢が側にいた。郷原は、ぐったりと座布団に寝転がり、両手でこめかみを押さえていた。
「寺本のおやっさんが呼んでいるぞ」
「………………」
体が、まだだるい。郷原は立ち上がるのが億劫だった。
「北山は……」
「んん?」
「あ、いや……。わかった。今行くよ」
郷原は立ち上がると、渡り廊下を歩いていって、寺本や、他の直参幹部たちがいる広間へと向かっていった。郷原がかつて、寺本組ナンバーツー、雪村幸造に伴われていた頃を知る古参幹部たちは、すっかりいっぱしの風格を身に着けた郷原に、感嘆していた。
「これが、雪村幸造はんの跡目かいや!」
「幸造さんが昔、連れ歩いとったあのガキか!!」
「いい男になったやないかい!」
雪村とつながりのある関西系の関係者は、そう言って次々と郷原の背中を叩いた。寺本厳は嬉しそうだ。
「そうとも。これが二代目雪村幸造……、雪村の跡を継ぎ、占い賭博のディーラーになった郷原悟よ」
そういって豪快に笑った。
しかし、その裏で、郷原に鋭い視線を投げかけてくる者たちも――。
嫉妬、羨望、怒り……。たかが占い師の分際で、上手いこと寺本に取り入りやがって……。そういう男たちの本音……。霊感体質の郷原には、手に取るように読めてしまう……。
(バカだなこいつらは……。俺は、暴力団にでも入らなければ、とっても生きられなかっただけ……。自分を汚さなければ、口さがない世間のレッテルが消えないから、仕方がなくこうしているだけ……。妬まれる筋合いなど何もない。お前らに、俺の気持ちがわかってたまるかっ)
思わず酒が進んだ。熱でだるい体には、ちょうどいい気付け薬だ。
「おっ、さすがは雪村の跡目っ!! いい呑みっぷりや郷原っ!! もっと飲め!」
「ありがとうございます、橋本の兄さん」
「困ったことがあったらいつでも姫路へ来てやっ。力になるさかいに」
「ありがとうございます、小林総長」
郷原は、笑顔で一人一人に酒を注ぎ、自分も注がれて飲んだ。川嶋は郷原の兄貴格という位置づけで、やはり幹部たちから一目置かれて、誇らしげに郷原を見ていた。
その時だ。
郷原の側に控えていた川嶋の携帯電話から、着信音が流れてきた。応答してみると、平安ファイナンスが入居しているビルを管理している管理会社からの連絡だった。その知らせに川嶋は、思わず大きな声を出してしまった。
「ええ?! 空き巣に入られた?!」
川嶋の素っ頓狂な声に驚いて、一同一斉に川嶋を振り返る。
寺本厳も、郷原も、側にいた他の幹部たちも、川嶋を注視した。
「なんだいったい」
「どないしたんや」
「会社の扉が空いていると、ビルの警備員が……。何かあったみたいだ」
川嶋はすぐに身を起こすと、寺本厳と居並ぶ古参幹部たちに頭を下げた。
「す、すみませんおやっさん! 会社を見てきます!」
郷原も慌てて立ち上がると、川嶋に従った。
「ちょっと待て川嶋。最近はうるさいから飲酒運転は困る。秘書に運転させろ」
川嶋と郷原はすぐに、寺本の秘書が運転する車に乗り、料亭を出た。暴力団の集まりを警戒し待機していた公安刑事が、宴会の最中に出て行く郷原と川嶋をいぶかしがり、職務質問したが、川嶋は涼しい顔で「ちょっとね……」と言ってごまかした。
川嶋は車の中ですぐ、平安ファイナンスが契約している警備会社と連絡を取り、警備員を現場へ向かわせたが、警察には通報しなくていいと指示を出した。警察に用を頼むときには、一般市民とは違い、それなりの構えが必要だ。まずは自分たちがこの眼で現場を見てからだ。
「ヤクザの会社に空き巣に入るなんて、いい度胸だなまったく……。金庫が荒らされていなければいいが……」
「そうだね……」
郷原も、川嶋の隣で頷いていたが、思い出すのは志垣の言葉だった。
(せいぜい、知らない場所で勝手に身辺調査などされぬよう、お気をつけなさい郷原さん……。敵はすでに暗躍しています)
「………………」
郷原は、車窓に流れる街灯りに照らされながら、親指を唇に当てて考え込んでいた。
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