CHAPTER1、あっという間の再会(3)

「もう嫌……。どこに行ったらいいの……? あたし……」 

 あかりがポケットに手を入れて、深いため息を吐き、歩き出そうとした次の瞬間。「げぇッ!! オエッ!!」と、誰かが吐いているような音が聞こえた。

(何? 酔っ払い?)

 振り向くと、ホテルの玄関のすみっこのほうで、隠れたように、トレンチコートを着た男が吐いている――。

 思わず気になって近寄るあかりだった。あかりがしばらく眺めていると男は、そのままホテルの玄関ポーチを支える柱にしがみついたまま、地面に崩れるようにしゃがみ込み、肩で呼吸をして苦しそうだった。どう見ても普通じゃない。

「びょ、病気……? だ、大丈夫……? あの人……?」

 近づいて声をかけた。

「あ、あの……」

 振り向いた男――。長い前髪に、メガネをかけて、鋭い顔つきの男――。

 それは、北山あかりがずっと会いたいと願っていた、郷原悟そのものだったから、あかりは心臓が止まりそうなほど驚いて、思わず立ちすくんだ。

「な……、なんでお前がこんなところにッ! うぷッ!!」

 郷原は柱にしがみついて、またげぇげぇ吐いた。すぐに駆け寄って背中をさするあかりだった。

「ど、どうしたのっ? 具合でも悪いの? お、お医者さんに……」

「うるせぇッ!! 俺に構うなッ!!」

 あかりの手を突っぱねた郷原だったが、そのままよろけて地面にへたり込んだ。あかりはすぐに郷原の額に手を触れた。

「すごい熱……!! すぐに休まなきゃ! け、警備員さんっ!!」

 あかりは一度追い出されたロビーに駆けこむと、まだ館内を巡回していた警備員を見つけて郷原の元へと引っ張った。警備員は郷原を見るなり「先生っ!」と叫んで駆け寄った。顔なじみのようだ。

「先生、す、すぐにいつものお部屋へっ……!!」

 警備員に抱えられて、郷原は、ホテルの中へ運び込まれた。どさくさに紛れてあかりも一緒に郷原の部屋へ入った。彼を一人にさせておくのが心配だったのだ。

 入ったのは、一昨日、郷原とともに一夜を過ごしたスイートルームとは違う階にある、普通のシングルルームだった。少し大きめのベッドに、クローゼット、ドレッサーの鏡と、液晶テレビが置かれたテレビ台、右手奥には小さな書斎スペースがあった。

 郷原をベッドに寝かせた警備員が、あかりを振り返った。

「あなたが待ってた人って、この占いの先生?」

「そ、そうです……」

「あっそう……。じゃあ、いいか」

 警備員は、郷原の靴を脱がせて、ベッドに寝かせてやったが、肩口にべったりと血が滲んでいるのを見て驚いた。

「ありゃあ、ひどい怪我っ! 救急車呼んだほうが……」

 それを聞き、苦しそうに激しく首を左右に振る郷原である。

「そ、それは止めて……。お、お願い……」

「そうですかぁ? うーん……。じゃあ、お任せしますが、何かあったらいつでもフロントを呼んでください」

 そういうと警備員は、郷原の部屋から去っていった。郷原は寝かされたものの、すぐに苦しそうな息で身を起こすと、風呂場に向かった。

「だ、大丈夫なの?」

 はぁはぁと、荒れた呼吸を返すのが精いっぱいのようで、郷原は、トレンチコートとシャツをその場に脱ぎ捨てると、あかりを残して脱衣所に消えた。

 眼を丸くするあかりを尻目に、しばらくするとシャワーの音だ。あかりは郷原が脱ぎ捨てた、汚れたシャツとコートを拾い上げたが、コートがずいぶん重くて驚いた。裏地のポケットに固くて重たい何かが入っているようだが――。

(勝手にポケットなんか見るのはマナー違反ね……。ひとまずこの辺りに……)

 トレンチコートのほうはハンガーに吊るして、捨てるかどうかしなくちゃならないほど汚れたワイシャツは、部屋の隅に置いた。

 やがてシャワーを浴びて戻ってきた郷原は、濡れた髪のまま、バスローブ姿でベッドに仰向けにダイヴすると、そのままぐったりと動かなくなった。

「はぁッ、はぁッ……」

「だ、大丈夫……?」

あかりはすぐにホテルのフロントに電話をして、氷を用意してもらった。フロント係がついでに体温計を貸してくれたので、それで検温してみると、39度近い熱だ。

「あんな体で、無茶するからよ……。二日前よりひどい熱じゃないの……」

 あかりは、郷原の体にきちんと毛布を掛け直してやって、頭の下に枕を入れてやり、氷水で濡らしたタオルを額に当てがってやった。

「ねぇ、本当に救急車呼ばなくて平気……?」

郷原は大きく呼吸して言った。

「だ、大丈夫……。仕事をしたあとは、いつもこうだから……」

「仕事?」

「それより……」

 なんで北山がここに……? と、郷原は、あかりに首を向けた。あかりは肩をすくめて微笑んだ。

「……鍵を、拾ったの」

「鍵……?」

「そうよ。コレ。お家の鍵じゃないかと思って……」

 あかりは郷原に、安っぽい金メッキの印鑑型キーホルダーにつけられた、ディンプル型とシリンダー型の二つのキーを見せた。郷原はああ、と、短く頷いた。

「それ、要らない……。呪いの印鑑だし……」

「呪いの印鑑?!」

 あかりはきょとんとして、鍵が結ばれている印鑑型のキーホルダーを見たが、別段、変わったものでもないような――???

「何よそれ……。あたしが言ってるのはキーホルダーのほうじゃなくて、鍵のことよ」

「だからさ。北山がそれ、持っててくれたら俺……。嬉しい……。俺、そんなの持たされているの嫌だったんだ、ずっと……」

 郷原は苦しい息であかりに手を伸ばすと、彼女の手にキーホルダーを握らせた。

「???」

 熱のせいで郷原は、混乱しているのか――。あかりはそう考えて、話を変えた。

「それから、おカネも……。あんな大金あたしは……」

「いい。あげる」

「でも……」

「あげるよ。北山に」

 郷原はそう言うと、優しく微笑んで、すぅっと眠りに落ちていってしまった。あかりは思わず郷原を揺すった。

「ねぇ……。郷原さん……。あたし、そういうの嫌なのっ……。水商売はやめて、ちゃんと地道に生きたいのっ……。こんなことしないで……」

 郷原は、すっかり寝入ってしまって答えない。あかりは小さく震える声で囁いた。

「ねぇっ……、おカネ、こんな風に押し付けるとかじゃなくて、ちゃんと相談に乗ってよっ……。どうしたらいいのか教えてよ、ねぇっ……。占い師なんでしょう……?」

 体を揺すったが、郷原は眼を開けてくれなかった。あかりは無言の郷原の肩に、自分の額をくっつけてしばらく鼻を啜ると、ゆっくり顔を上げて、辺りを見回した。

 殺風景なただのホテルの部屋かと思いきや、うっすらと生活感がある。ベッドの奥の書斎のような作りの一角には、本だなとブックスタンドが置かれ、難しそうな本がたくさん並んでいたし、そこにゴルフクラブが入った大きなキャリーバッグも立てかけられていた。良く見ればクローゼットの下には靴も何足か置いてある。

(もしかして、郷原さんは、この部屋に住んでいる――??)

 あかりはふと、書斎の上に無造作に置かれた、クリスマスカードのようなものが気になって、立ち上がると、それを手に取って見た。そして思わず、自分の胸を押さえた。

 それは、折りたたんで肌身離さず持ち歩いている、りえが作ってくれたカードに似ていたから――。

 開けてはいけないと思いつつ、好奇心には勝てなくて、あかりはついカードを開いてしまった。

「………………」

 りえと、似たような文字……。一生懸命なクレヨンで「さっちゃんへ」と書かれていた。その側に、違う筆跡で、ボールペンで添え書きしてあった。

(深雪さんはお元気です。良いお医者さんが海外で見つかったとのこと。本当によかったですね! 転院手続きの書類を揃えてお待ちしています。散歩に出た病院のお庭に、かわいいクリスマスローズが咲きました。ひとときなごんでいただければ幸いです)

「………………」

 そこには、車いすに乗り、顔が変形した女性が、看護師と思われる女性とともにクリスマスローズを手にした写真も添えられていた。

(……そういえば、郷原さんには一人だけ、姉がいると……。この人が……?)

 あかりは振り向くと、また郷原の枕元に戻った。

(もしかして郷原さんは、重い障害のあるお姉さんを――)

 たった一人で抱えて、悪戦苦闘しているの……?

「……これじゃあ、余計もらえないよ、おカネ……。あたし、おカネなんか要らないから、郷原さんとただ、おしゃべりしたいの……。どうしたらりえを取り返せるのか教えて……。占い師でしょう……? 鑑定料なら払うわよっ……。えっ、えっ……」

 あかりは郷原が眠るベッドの側で、泣きじゃくった。郷原は高熱に浮かされて、ひたすら眠り続けていた。

 

 

**

 翌朝、平安ファイナンス社員の浜崎慎吾はまさきしんごが、郷原の仮の住まいであるダイヤモンドパレスホテルの、いつもの部屋に様子を見に行ってみると、見たことのある若い女がベッドサイドに座り、郷原の肩に自分の頭をちょこんと乗せて、眠りこけていたので驚いた。

 その手が、しっかりと郷原の手を握り、指同士が絡まり合っているのを見て、浜崎は少し微笑んだ。

(そうか、このひと――。谷中のところに閉じ込められていたホステス……。なるほどねぇ……)

 男と女なんて、出会った瞬間に決まるという。この二人もたぶん、そういうことなのだろう。驚くことではないのかも知れない。

 郷原のあの、凄惨な占い賭博を目の当たりにした浜崎は、あかりの頭に頬を寄せ、安らかに眠る郷原を見て、このまま二人をそっとしておいてやりたい気がしたが、そろそろ時間だ。仕方がなく北山あかりの肩を叩いた。

「もしもし」

「んぁ~……」

 眼をしばたたかせるあかりである。ゆっくり上体を持ち上げると、視界に茶髪の若い男が映った。

「あ、あなたは――」

「覚えてるっスか。俺のこと」

「ええ、まぁ……」

 寝ぼけて眼を開け、ゆっくりと体を起こす北山あかりに、浜崎はどうしてここに? と質問をした。

「郷原先生と付き合うことになったんスか? ひょっとして?」

「ち、違います! えっと……。た、たまたま、郷原さんの落し物を拾ったので、返そうと思ったら、住所も電話番号も知らないから……。このホテルで待ってみただけ……。そうしたら偶然会えて……。体調がすごく悪そうで……」

「ふーん。それでひと晩、看病をねぇ……」

 浜崎は、ベッドサイドでぬるくなった洗面器入りの水や、郷原の枕元に置かれたスポーツドリンク、体温計などをじっと見た。

「そろそろお引き取り頂きましょうか」

 浜崎慎吾の背後から、あかりが見たことのある中年男がぬっと現れた。

「あ、あなたは……」

 あかりは、この男も知っている……。確か、郷原の上司のような男……。

「一度ならず二度までも、郷原があなたに世話になるなんてね……。礼を言います。これは私からの謝礼です。お受け取りください」

 胸ポケットから財布を取り出し、3万円の裸の現金を突き付けられたあかりは、首を左右に振った。

「要りません、そんなもの……」

「いいえ。お受け取り頂かないとね。けじめですから」

「い、嫌です」

 あかりは、きっぱりと言った。

「あたし、郷原さんにまだ用事があるんです。彼が目覚めるまでここに居ます」

「それは出来ません。さぁ、お引き取りを。タクシーを下に呼びますから」

「タクシーって……。タクシーであたし、どこへ行ったらいいんですかっ……」

「さぁ……」

 川嶋は首をかしげて微笑むと、あかりの手首を掴んだ。

「ちょっ……、放してよッ!!」

「浜崎、頼む」

 川嶋が声をかけると、浜崎も加勢した。あかりは男二人に追い出される格好になった。

「ちょっとッ! 放してッ! どこに行けっていうの?! 帰れる場所なんかどこにもないわよッ! どこにもないったらッ! あたしは郷原さんに用があるのよッ!!」

 あかりはわめいたが、男の力にかなうはずもない。あっという間に部屋から出されてしまって、タクシーに押し込められた。

「どうぞ、お元気で……」

 川嶋と浜崎は、あかりに深々と頭を下げた。

「ちょっと、どういう意味?!」

「そういう意味です」

「もう郷原さんに会うなってこと?!」

「そうですね」

「どうして?!」

「どうしてもね」

「なによッ!! 会わせてくれるまで何べんだって行くんだからッ!! バカにしないでよッ!!」

「行ってくれ」

 川嶋は、タクシーの運転手に頷いた。あかりは小さい子どものように、ぎゃあぎゃあわめいたまま、タクシーに運ばれていった。

「しかし驚いたな。あの子がまさか、また郷原の部屋にいるなんて……」

 川嶋が言うと、浜崎も頷いた。

「ホントっスね。男と女はわかんねぇっス」

「しかし、深い仲になってもらっては困る……。郷原は、やがては寺本組の中枢になる男……。どこの馬の骨とも知れないあんな子はちょっとな……」

「………………」

浜崎と川嶋が、郷原の部屋に戻ると、郷原が起き上がっていた。

「き……、北山は……? 北山あかりは……?」

 川嶋が、浜崎を小突いて言った。

「うん? 俺たちがこの部屋に来たら、もう誰もいなかったぞ?」

「そ、そうです! ははっ。先生が眠っているうちにお帰りになったんじゃないですか?」

 浜崎はつい川嶋に合せて、ウソを言ってしまった。

「そ、そうか……」

 郷原は、あかりが残して行った、ベッドの側の洗面器やタオル、体温計などを見回した。胸の奥が強い寂しさを訴えていたが、郷原にはその理由がわからなかった。

 

 

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