CHAPTER2、連れ去られたあかり(1)

 場面変わって、北山あかりのそれからである。

 新潟にある老人施設に入れられた祖母に、面会しに行った北山あかりは、施設の外にタクシーを待たせて祖母と会ったが、その変貌ぶりに愕然とした。最後に祖母に会った時は、まだ普通に歩いていたのに、今は完全に車いすになっていた。

 去年、一人でトイレに行こうとして転倒し、骨折をして以来、立てなくなってしまったとの、施設側の説明だった。

「ごめんね……。ごめんねお婆ちゃん……。ずっと一人ぼっちにさせて、放っておいて本当にごめんね……。えっ、えっ……」

 祖母と別れてタクシーに乗り込んだあかりは、東京までの帰り道で、ずっと一人鼻を啜っていた。あかりにとって父方の祖母は、もう一人の母と言ってもいいくらいの存在で、祖母がいてくれたおかげでグレずに済んできたのだ。両親がいなくなっても、祖母があかりの側にいてくれて、いつも食事を用意してくれたり、慰めてくれたから、どうにか生きてきた。

 あかりが東京で、子どもをひっそりと産み落としたことを話すと、祖母はあかりの手を取って「よかったねぇ~」と微笑んだ。あかりは、その産んだ娘が、水商売のお客にもてあそばれてできた子どもで、障害があって、相手の妻にまるで、強奪のようにして引き取られたことや、りえと暮らしていた間、生活費に困り、おかしなビデオに出演してしまったりしたことなどを、祖母にはとても言えなかった。

「名前はなんていうの?」

「……りえ……」

「りえちゃん! んまぁ~! かわいい名前だことっ! 今度連れておいで。ね? お婆ちゃんにも会わせてちょうだい」

「………………」

 そういう祖母に、あかりは涙目で、うん、と、頷くことしかできなかったが、さらに驚いたのが、介護施設の事務所から告げられた衝撃の事実である。

「ええ? 叔父が、毎月の利用料の負担分を、去年から入れていないですって?!」

 あかりはその話を聞いて卒倒しそうになった。今はひとまず、入居の際の一時金で家賃を相殺していっているが、あと数か月で一時金相殺もできなくなるという。

「そ……、そうしたらお婆ちゃんは……」

「そうですねぇ。ここをご退去いただく形に、ならざるを得ないかと……」

「そ、そんな……」

「一度、ご次男さん……。叔父さんに当たる方だと思いますが、連絡してみてください。電話番号も住所も変わったようで、こちらからでは繋がらないのです」

「………………」

 タクシーに揺られて、関越道を東京方面に戻りながら、あかりは心当たりの叔父の家へと電話してみたが、「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」のガイダンスだった。

 たぶん、逃げたのだ――。叔父一家も、カネに困っていたのだろうか……。あかりから生家を取り上げ、根こそぎ奪っていったくせに――。

 叔父が頼れなければ、祖母は、もっと劣悪な環境に移るか、あかりが面倒を見る以外にない。しかし、今のあかりは、自分の住まいにさえこと欠くありさまだ。

 あかりは泣きながら、大切に折りたたんで、いつも肌身離さず持ち歩いている、りえが書いてくれたカードを取り出した。

「おねさんめりくます」とあって、曲がった線で人間らしきものが描いてあるカード……。あかりは何度も抱きしめ、見直し、何度泣いたかわからない。あかりのことはどうやら、「遠い親類のお姉さん」だと、飯田の妻はりえに説明しているらしかった。

(会いたい、あいたい、あいたい……。りえに会いたい、お婆ちゃんを引き取って、3人で暮らしたいっ……)

 やっぱりまた、水商売をやるしかないのか……。

 接客そのものは嫌いではないけれど、しかしホステスは、最後はお客と寝るハメになるのが重い。相手を信じたって結局は、弄ばれるだけで終わることも学習した。

 だったら――……。

(だったら最初から割り切って、風俗のほうがいいのかも知れない――。何も考えなくて済むわ……)

 考えているうちにまた泣けてきた。いったい自分はどうするべきなのだろう。

 誰か、しっかりとした信頼できる大人と、ちゃんと話をしたかった。今のあかりにとって郷原は、11歳も年の離れた唯一の「信頼できる人」だ。

 だから、ほんの少しでいい。郷原の意見が聞きたいと思った。水商売でしか稼げないなら、それでたくましく生き抜いてみせろと、郷原に突き放して欲しい。あるいは、もしも違う生き方があるのなら、それを教えて欲しいと思った。おカネなんかその場しのぎで渡されるよりも、そっちのほうがあかりには、ずっと重要だった。

 涙をふいて、タクシーのシートから体を起こし、リュックサックの中を漁ると、親友・純菜に宛てた手紙を書こうと思って持ち歩いていた、レターセットを取り出した。

「あの……、運転手さん……」

「はい。何でしょう」

「ペン、あったら貸してください……。手紙を書きたいのです」

「ペン? ああ、どうぞ」

 運転手は、胸ポケットからペンを取り出すと、前を向いたまま、腕だけ後ろに回してあかりに渡してやった。

「ところで、身の振り方は決まりましたかお客さん。どこで車を降ります?」

「……じゃあ……」

 平安ファイナンスへ――、と、あかりは言った。

「平安ファイナンスの本社ビルの前で、降ります」

「そこでいいの? 本当に?」

「ええ」

 あかりはもう一度涙を拭いて、膝にレターセットを広げると、揺れる車内で文字を綴った。

 郷原さんへ――。

「ごうはらさんへ……。いろいろと、本当にありがとう……。あたしは……」

 正直に、思いを綴って、渡すのだ。それがケジメだ。そうしないと、自分は前には進めない。その結果答えがノーでも構わない。もう二度と会う気がないのなら、きっぱりと、郷原の周囲の人間からではなく、郷原本人から告げて欲しいだけだ。

 多少文字が曲がったけれど、なんとか手紙を書き終えて、封筒に入れた。封筒の表にもしっかりと「郷原 悟 様へ」と書いた。これを平安ファイナンスの集合ポストでも、玄関口でも、どこでもいいから、挟んでおくのだ。

 新潟と東京を往復して、タクシー運賃は14万円を超えていた。新宿に着いた頃にはすっかり夜10時を回っていた。

「ここが平安ファイナンス……?」

「そうです」

「運転手さん、どうもありがとう」

「……事情はわからないけど、元気出してくださいね。若いお嬢さんには、涙は似合いませんから」

 あかりはその言葉にほほ笑んで、タクシーに別れを告げると、平安ファイナンスの本社ビルを振り返った。

「ここがそうなのね……」

 1階は不動産屋、2階と3階が平安ファイナンスになっていて、その上には設計事務所や、司法書士事務所などが入居している。ビルのプレートには「平安第一ビルディング」と書かれていた。つまりは、平安ファイナンスの自社ビルということだ。

 あかりはエントランスに入ると、集合ポストがどこにあるのかときょろきょろした。

 集合ポストはエントランス左奥、デザインガラスで仕切られた壁の向こう側に見える。あとはそこにこの手紙を入れればいいだけだが――。

 なんとなく好奇心が働いて、平安ファイナンスのオフィスまで行ってみたくなった。

 しかしエレベーターは防犯のためロックされていた。時刻が時刻だから当然だ。他に入口はないか見回してみると、エレベーターホールの奥の突き当りに、階段が見えた。階段の手前には重い防火扉がついていたが、それがなぜだかうっすら開いていた。

(……? エレベーターはロックされているけど、階段は上がれるのね……?)

 普通は夜間、どちらも締まっているのが当然だと思うのだが、しかし、あかりには好都合だ。重い防火扉は、押すと滑らかに開いた。この上がたぶん、2階の、平安ファイナンスの入り口なのだ――。

 あかりは知らない。この、本来なら閉まっていてもおかしくはないはずの、登り階段へと続く扉が、何者かによって故意に開けられていたのだということを――。

 恐る恐る、薄暗い階段を登っていくあかりである。ちょっと覗いてみるだけだったが、緊張しているせいか、なぜだか足取りがしのび足だった。

 あかりが薄暗い階段を昇り切ると、真っ暗な平安ファイナンスのスチール扉が見えた。暗がりで眼を凝らすと、2枚の合せ扉に嵌められた、2枚のすりガラスにちゃんと「(株)平安ファイナンス」と目張りしてあった。

(ここが、郷原さんの会社……)

 扉に近づき、おそるおそる、手紙をドアの下の隙間に突っ込めないか、覗き込んでみた。

「???」

 あれ――? ドアが、開いている……???

 あかりが暗がりの中、覗き込むと、普通ならロックされている扉が、ほんの数センチ空いているのが見えた。

「ええ? ど、どうして??」

 思わずドアの隙間を押し広げ、顔を突っ込んでみた。

 真っ暗な、誰もいないオフィス――。 あかりが覗き見た左手側の大きなホワイトボードが、外の街燈に反射して、多少文字が判別できた。人の名前が書いてあり、営業グラフのようなものが見える。そしてその中に――。

「あ――。郷原さんの名前……」

 本当に、ここが郷原の会社なのだ。

 あかりは安堵してつい、もう一歩ドアの中に踏み込んだ。その隙を突いてあかりめがけて、踊りかかる人影――。

 突然のことにあかりは叫ぶ間もなく、全身を激しいショックで撃ち抜かれた。バネのように勢いよく吹っ飛ばされると、すぐにみぞおちにもう一発。崩れ落ちたところでビニール袋のようなものを口に当てられた。抵抗しようにも、袋の中の空気を吸わされているうちに、あかりの神経系を駆けめぐっていた生体電気の流れがシャットダウンし、もうそれからあかりの意識は無い。

 倒してみたら他愛もない、若い女だったのを見て男は眼を丸くした。

「なぜ、こんなところに女が……」

 てっきり、警備員かと……。

「殺したの?」

 もう一人の人影が、あかりを手にかけた男を覗いていた。

「わからない……。咄嗟(とっさ)に、ドライアイスの揮発ガスを吸わせてしまったが……」

 男は、警報システムの配電盤に詰めるために持って来た、ドライアイスの袋を覗き込んだ。二酸化炭素がたっぷりと気化して、パンパンに膨らんだビニール……。

 もう一人が、今、倒した女――、北山あかりの口元に顔を寄せると、あかりはかすかに呼吸をしていた。あかりの呼吸を聞いて、そいつは安堵のため息をついた。

「よかった……。死んではいない……。気絶しているだけ……。でも、どうする?」

「……高濃度のドライアイスを吸わせた場合、長時間放置するのはマズいと岸本が言っていたな……。革命のために手を汚すのは構わんが、今のこの段階で、一般市民を殺害したとなると世論が我々に悪くなる。それだけは避けなければ……」

「でも、酸素ボンベなんて無いわ」

「郷原のホテルに忍び込みに行った岸本なら、持っているはず……。はやく岸本と合流しなければ……」

「うん?」

 犯人の一人は、倒したあかりが、手に何かを握りしめているのを見つけた。

「手紙か……?」

 ペンライトで封筒の表側を確認して、あっと息を呑んだ。それから慌てたように封筒を破いて中身を取り出すと、ライトをかざして読んだ。

「この女……」

 気絶したあかりの髪をひっ掴んで、顔をじっくり見る。

「どうしたんだ夏実ちゃん」

「この女……。郷原の恋人みたい」

「ええ?!」

 もう一人の男は眼を丸くした。なんと因果なことだろう。男は、夏実ちゃん、と今呼びかけた、女と思われる小柄な者のほうを見た。

「夏実ちゃん。どうする……? 導師クリシュナに探せと命令された金印は、ここの金庫には無かった。この女が郷原の親しい女なら、こいつを連れていけば、郷原本人を呼び出せるんじゃ……」

「……そうね……。こちらに金印は無かったのだし、かといってなんの収穫もないまま引き上げるわけにも行かないものね。この子を連れていきましょう。導師にはあたしから知らせるわ」

「ああ。そうしてくれ」

 男は頷き、小柄なあかりを、ヤギでも担ぐようにして自分の肩に乗せた。

「さぁ、撤収だ夏実ちゃん」

「ええ。でもその前に――」

 女は言いながら、指示された通りに印字した、郷原を揺さぶるための紙と、あかりが郷原に宛てた手紙とをホワイトボードに張り付けた。

 それから、二人は大急ぎで平安ファイナンスを後にした。

 

 

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