12星座の「性格」はどこから来たか・後編

 よう、元気か? 俺は占い師の郷原悟。

 ということで前回の続きだ。12星座のあの「性格づけ」がいったいどこから来ているのか、というテーマで語っていたよな。そして前回は「霊的傲慢」の話を書いた。(前回の記事はこちら)

 「霊的傲慢」と聞くと、自身辛くなる部分も占い師各自にはあると思うが、だからこそ占い師、という生き方は高い精神性と自己研鑽を要求されるんだ。ファッションでやれるようなもんじゃないってことだな。俺ぁファッションどころか命がけなわけだけど。

 さて、12星座の「性格付け」の主成分は「霊的傲慢」であるために、押し付けられると大変不快感が出る。どんなに良いこと、美しい言い回しでも不快感が出るんだ。おそらくその居心地の悪さこそが「占いらしさ」であると言ってもいいのかも知れない。けど、そのルーツや由縁を知れば、一方的に書き散らかされるほうも少しは納得できるだろう。

 

 さて、12星座の「性格づけ」のルーツは、なんといっても「ギリシャ神話」だ。たとえば「しし座」や「かに座」は、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの「12の功業」に登場する化け物。黄道のことを別名で「ゾディアック(ZODIAC)・獣帯」と呼ぶが、羊に牛に山羊、獅子、蟹、サソリ、馬といった地中海沿岸諸国、小アジアや北アフリカで身近な生き物がシンボライズされている。たとえば「おひつじ座の性格」と言ったときに、「羊」という動物のことを考えるのは自然な流れだ。羊、という生き物の生態を少し動物図鑑等で眺めると、彼らは真っ先に動きだした個体に誘導されやすく、その視界は奥行きを感じにくいためちょっとした影や地面のくぼみを見ただけでひるんでしまい、おびえると逆に突っかかってくる習性を有するようだ。これを利用して牧場などでは、まず一匹をエサで誘導して全体を動かす、という技を使うこともあるらしい。

 こうした「羊」という生き物の習性が、そのまま星占いの12星座に流用されているのは間違いないだろうし、ギリシャ神話においてもおひつじ座になった「羊」は、ヘルメス(知恵の神 =トート)が、可哀そうな兄妹を救うために遣わした俊敏な「空飛ぶ羊」。この「俊敏な羊」というところが、羊特有の習性である「真っ先に動きだした個体に誘導される」ところに、インスパイアされているような気もするな。

 こうして考えたときに、「あなたはおひつじ座の星の元に生まれているので、ヘルメスが遣わした牡羊のように常に真っ先に動き、弱者を助けなさい」と言われれば、それは「霊的傲慢」ではなくて神からの「託宣」だ。作家の阿刀田高さんが「新・トロイア物語で、古代の「託宣」の様子を描いておられた。(※トロイア、という国は地中海を挟んでギリシャ(ミュケナイ)と向かい合っており、今から4000年以上も昔、ミュケナイの暴君アガメムノンがトロイアと戦争をした。ギリシャ神話と関係している叙事詩「ホメロス・オデュッセイア」に描かれている)

 主人公はトロイア国国王の忠実な家臣の息子、アイネイアス(※実は古代ローマの始祖という伝説がある)なのだが、そのアイネイアスが元服を迎える前、神殿に連れていかれ、そこの神官から「託宣」を受けるのだ。すなわち「シンボル授け」と言ってもいい。「実はお前は、愛と美の女神、アフロディテの息子なのだ」と神官から託宣を受けたアイネイアスは、愛と美の女神の息子に恥じぬよう、常に気高く優しく生きようとする。それがのちのローマ建国へと結びついていくという、阿刀田文学の最高峰ともいえる作品なのだが、これこそが「星座占い」の本質ではないかと思うのだ。

 つまり、「あなたはヘルメス神の遣わした神の羊がシンボルなので、その羊のように、つねに弱者を守り真っ先に行動しなさい」と言われれば、ああそうか、と素直に思うだろう。これが「託宣」だ。だが、逆に、占い者が妄想でああでもない、こうでもないとこねくり回した星占いは、「霊的傲慢」になってしまう。そこには人間特有の「恣意しい」というか、占い者の生々しい、生霊に近いような想念が織り込まれている。ゆえに星占いは「どうしても居心地が悪い」のだ。酒井日香が占星術をやめ、逆に占い評論家であろうと決意したのも、この星座につきものの「占い者の想念」がどうしても気持ち悪かったからだ。もっと素直に、アイネイアスのように、星座のシンボルを「託宣」にするにはどうしたらいいのだろうと、今でも考え続けているが、星占いが商品である以上、この気持ち悪さを払拭するためには、占いを商業にしてしまおうとするコンテンツ屋や出版社、テレビなどから離れる必要がある。

 

 さて、面白いことに、ギリシャ神話も掘り下げていくと、「ティターン族」と「オリュンポスの神々との闘い」の話になっていく。ティターンというのは「巨人」だ。そして不思議なことに、北欧神話でも、中国の周王朝の神話でも、西アフリカの伝承でも、旧約聖書にも「巨人」の記述がある。

 ゼカリア・シッチンという、オカルト界隈で有名な人がいて、この人はベルリンの「博物館島(ムゼウス・インゼル)」に収蔵されている、中東の古代都市ウルクで発掘された石板を解読した結果、「現人類は宇宙人によって創造された」というとんでもない学説を唱えた人だ。ウルク、という古代都市は、失われたシュメール文明の街であり、すべての歴史はシュメールに通ず、とまで言われている。俺がやっている占星術もシュメール文明の欠片だ。ウルクの遺跡群からは天体観測の詳細な記録が出土しているんだ。

 そしてそのウルク周辺、関連から出土した石板の楔文字を解読したゼカリア・シッチンの説というのが、太陽系には「惑星二ビル」という3400年周期の未知の惑星があり、今からおよそ20~45万年ほど前にその二ビルから宇宙人(アヌンナキ、またはネフィリム)がやってきて、自分たちの母星に必要な金を掘る奴隷にするために、現人類を創出した、という、アニメのような話なのだ。そしてアヌンナキ(ネフィリム)は、現人類よりかなり背が高く、女で4~5メートル、男で6~7メートルあったとされている。まさに神話に出てくる「巨人」だ。そのうえシッチンが解読したシュメールの石板には、アヌンナキ(ネフィリム)に逆らって反乱を起こした者たちがいたと書かれている。もしかしたら、世界中の神話に共通して「神々の戦い」が描かれているのは、それが「史実」だからかもしれないな。まぁ、にわかには信じられないが……。

 しかし、実はNASAはすでに「惑星二ビル」は実在し、おそらくそう遠くない未来に発見されるだろうと明言しているのだ。もっとも、「二ビル」とは言わないで、NASAはあくまでも「プラネットナイン(第九番目の太陽系惑星)」という言い方をしているが……。しかし、その周期はまさにシュメールの石板通り、シッチンの解読通りにおよそ3400年周期だというのだからすごい話だよな。

 そしてもう一つ、実は現人類創出のシュメール神話ともう一つ言われているのが「シリウス神話」だ。オカルト界隈では、アヌンナキ(ネフィリム)が現人類をDNA操作によって作り出す際に、シリウス人の霊魂というか、アストラル体というか、ボディの前駆体の素子というか、そんなようなものをブレンドした、とも言われている。つまり現人類の肉体を形作るアストラル体というか、ボディの前駆体のような素子は、シリウス人のものだということらしい。アヌンナキが母とすればシリウス人が父に当たる。

 

 そして最近の太陽系研究でわかってきたことは、どうやら太陽系はシリウスの重力に引っ張られているということだ。シリウスという星は、「シリウスA・B」という恒星の二重連星であることは知られている。そして地球からの距離がなんとたったの8・6光年なのだ。まさに「すぐそこ」と言っていい。だからこそあれだけ異常にギラギラして見えるのだ。

 

 そして占星術の12星座は、どうもこの「シリウス」に大きく関係している、というのが、長年占星術について調べてきた酒井日香の感想だ。シリウス自体は黄道――、すなわち、太陽の通り道からはだいぶ南に逸れている。しかし、シリウスは12星座のうち、「しし座」にものすごく深く関係しているのだ。

 

 今のカレンダーでは、7月21日頃が「しし座」のシーズンの始まりとされる。しかしそれは「歳差」という、地球の地軸の首振り運動によるもので、今から数千年前のしし座は、およそ1か月前の6月21日ごろからスタートしていた。

 6月21日頃、と聞いて、すぐさま何を思い浮かべるだろうか。占星術ファンなら「夏至」を思い浮かべる人も多いのでは?? 今は夏至の日は「かに座」のシーズンのスタートだが、それはかつては違った。そう――。数千年前、夏至の日は、「しし座」だったのだ。

 

 そして夏至の頃、「しし座」の先頭の星――、一等星レグルス(小さい王、という意味)とともに太陽が地平線から昇る頃、そのわずか数十分前にシリウスが昇り始める。

 

 そしてしし座の対抗といえば「みずがめ座」なのだ。みんなは、不思議に思ったことはないだろうか。太陽というのは異常に明るいのに、どうして「太陽が〇〇座にある」とわかるのかと。少なくとも、酒井には長年疑問だった。

 しかし、天文学のことをあれこれ学ぶうちに、実は太陽の位置を決める方法を補うやり方として、「対抗星座」を観察するやり方があるのだと知った。

 もしも太陽が日中、ずっとある星座にいるなら、日没と同時に現れて日の出まで天から消えない星座を探せばいい。すると、しし座とともに太陽が昇る頃、夜通し沈まないのがみずがめ座だとわかる。

 そして、「みすがめ座」の、「みずがめ」の由来になったのは、もちろん生活道具としての「水瓶」だが、これは伊達じゃない。夏至を迎えるころ――、すなわち、現在の7月21日頃からまぎれもなくエジプト周辺諸国、北アフリカや中央アフリカの国々は雨季になるのだ。数千年前は6月21日頃だっただろうが――。

 雨をざぶざぶ降らせるから、「みずがめ座」というのである。そしてみずがめ座のすぐ西隣には「やぎ座」、東隣には「うお座」があって、さらにみずがめ座の下にはフォマルハウトという明るい星があるが、そのフォマルハウトは「みなみのうお座」。このフォマルハウトが実は、暗い星ばかりのみずがめ座・やぎ座・うお座を探す際の位置の指標になる。この空域は水にちなんだ生き物の名前ばかりだ。「やぎ座」にしろ、半身は山羊で、半身は魚。つまりこの星座の半分を過ぎたくらいで雨季が始まるのだ。そして「うお座」が過ぎるころ雨季が終わり、秋の実りを迎える(※うお座の反対、つまり太陽が出てくる方角がおとめ座になる)。

 そして実は、今でこそこの「みずがめ座」はそうでもないのだが、明治・大正期に書かれた星座占いでは、みずがめ座の性格描写は「やぎ座」そっくりで、やぎ座の星占いとみずがめ座の星占いでは違いがちょっとわからないくらいだった。明治・大正時代の香りが残っている、門馬寛明氏著「占星学」から、やぎ座とみずがめ座の運命を抜粋してみよう。

 

「山羊座」

(中略)人生はしばしば不運、あるいは不幸です。権力への願いは強く、外来あるいは未知の人の前では無口ですが、友人間では力が入り、能弁になり、説得力も充分です。しかしこの星座は多くの危機に立たされやすい。あらゆる場合その地位において、由々しい論争や敵を作ることを含んでおかなければならない。まったくやぎ座の天運は逆境に満ちている。

「水瓶座」

(中略)人生的には、しばしばそこに到達するのに成功的でない場合がある。しかし最後までの努力は惜しまないようだ。財産成功運は不確実です。つまり事情の変化や大きな障害、主として突然の敵や陰謀、または中途の挫折を招く。無口が原因することがある。

 

 …と書かれている。つまりみずがめ座も、やぎ座も、「無口で陰謀により逆境が多く悲運の目に遭いやすい」という描写なんだ。似てるだろ。確かにやぎ座とみずがめ座はどちらも、不運のシンボルであるとされる「土星」によって支配されている星座、ということになっているが、土星はもともと洋の東西問わず、不思議と「抑える・沈静化させる」働きがあるとされてきた。中国では土星のことを「鎮星」ともいうくらいだ。そして確かに実際の土星を見ると、優しい銀色の光で、気分が落ち着くのを感じるだろう。土星を見ると痛みが和らぐ、という人も実際にいる。本物の土星をその肉眼でぜひ、見ていただきたい。

 もしかしたら、やぎ座とみずがめ座のこの、「くらぁぁぁぁ~・・・・い、不吉な星占い」は、現実に空を見上げた時、暗い星ばかりで形が判然としにくい、という、視覚上の事実と、さらに雨季の指標であり、雨季のたびに北アフリカや中央アフリカでは農業に甚大な被害を受けてきたことが、「忌まわしい星座」「憎らしい星座」ということになって、あの不吉で重々しい、苦しそうな性格付け、運命づけになっていったのかも知れないと酒井は考えているようだ。明治・大正・昭和初期の星占いは、現在のように「占いライター」を自称する文筆家の創作(霊的傲慢)によって汚染されていることは少なかった。おそらく、古代からの言い伝えめいたところがまだ、門馬さんあたりではうっすら残っていたのかも知れない。

 現在のやぎ座、みずがめ座の描写ではどちらも、こうした「重々しい部分」は、排除されている。みずがめ座を「無口」と表現する星占いは皆無だ。むしろ自由でのびのび、きゃぴっと明るい性格に改変されていることが多い。

 さらに、12星座は、古代エジプトやカルデア、バビロニア、ギリシャといった地中海周辺諸国では「何かを封じた魔方陣」だったかも知れない、ということだ。惑星が星座を「支配する」という考え方は、かなり古くから見られる。カルディアン・オーダーとして知られる「地球から近い順に惑星の周転円を並べていく考え方」があるが、ホラリーという、占星術における易占(※ 実は俺は、「VICE―ヴァイス―孤独な予言者」の中でこのホラリー使いの天才、ということになっている)では、このカルディアン・オーダーが大切で、星座を惑星が「支配」している、つまり星座は単なる惑星の「出張所」に過ぎない、という考え方をしていくんだ。占い診断の中でな。

 最近のエジプト研究においては、「ピラミッド5000年の嘘」という、ドキュメンタリー映画でも語られたが、どうやら大ピラミッドの建造は、ふつう考えられてきた4500年という時代よりもっと古いんじゃないかと。そしてゼカリア・シッチンのシュメールの石板解読や、地質学研究で言われていることだが、どうも今から1万3000年ほど昔のこと、「地球磁場停止」があったのではないか、と言われている。これがとんでもない現象で、磁場が完全停止するとどうなるか。地球は一切の宇宙からの電磁波や放射線を防げなくなり、ものすごい宇宙線がそれこそ「神の怒りの炎」のように降り注いでくると言われている。

 そして考古学的な知己を動員すると、どうやら、地球磁場停止の際、「災厄」が空から飛んできて、それが「しし座ーみずがめ座ライン」だというのである。だからエジプトの大ピラミッドは、しし座ーみずがめ座ラインとシリウスに向けてセッティングされており、しし座ーみずがめ座ラインを想定したとき、90度直角方向に来るのがおうし座の「アルデバラン(または昴)」、そしてさそり座の「アンタレス」だ。

 タロットカードの大アルカナの最後、「世界」には、おうし・しし・鷲・天使が四隅に描かれているが、あれはそのまま、ピラミッドが示している「神聖四星座」なのだ。だからこそ、占星術では「グランドクロス」と言って、おうし座・しし座・さそり座・みずがめ座で起こる十字は「最悪」であるとされる。聖書の巻末につけられている「黙示録」でも、この神聖四星座は天使の名前で描かれていて、神の怒りの炎を降らせるという。

 もしかしたら……、まぁ、小説的ファンタジーとして聞いて欲しいのだが、占星術というのは、もしかしたら、ゼカリア・シッチンの言うような、ピラミッドが示すような、「地球磁場停止」と「シリウス人」の伝承をひそかに伝える、究極の人類の秘密なのかも知れない。現状単なる女性雑誌のくだらない星占い程度にしか思われていないのが、俺も悔しいところだ。

 

 そんなわけで、この辺のことは読者諸氏の考察に任せるが、星座の「性格付け」から「霊的傲慢」を取り除いたとき、さて、何が残るのかということを各自、深めていってもらえたら嬉しいかもな。

 

 ということで、天才占星術師の俺、郷原悟が主人公の小説読んでくれ。

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