ようやくハーモニック(ハーフサム)の時代が来た。~工藤明彦占星学教室~

 よう、元気か? 俺は占い師の郷原悟だ。

 俺は酒井日香の占星小説「VICE-ヴァイスー孤独な予言者」の主人公で、天才占星術師、というキャラクター。占星術でどぎつい占い賭博をやっていくんだ。

 

 今日はあるブログと書籍を紹介したいと思う。こちらだ。

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「工藤明彦占星学教室」https://ameblo.jp/meian0310

「ハーフサム辞典」https://www.amazon.co.jp/dp/4991054303

 実は、この工藤明彦さんは、俺の産みの親、「酒井日香」の占星術の先輩なんだ。

 

 今もまだあるのかはわからないのだが、かつて東京・代々木に「明暗塾」という占星学教室があった。酒井日香はそこに1995年から2002年か、2003年くらいまでいた。工藤先生はそれよりもずっと前、70年代くらいから通っておられたらしい。その工藤先生が上記でも紹介した「ハーフサム辞典」という本を出されたんだ。それが嬉しすぎるので、こうして記事を書いているというわけだ。

 

 この「ハーフサム辞典」は、その明暗塾の主宰者、門馬寛明という人が、我々講座を聞きにいっていた受講生たちに学ばせていたテキストで、原書はレインフォルト・エバーティンという人の「The Combination of Stella  Influences」という本。

 

 とにかくこの本の、惑星同士が引き起こすコンビ解釈が本当にすごいのである! これ1冊あればもう他の本がいらないくらいの名著だ。門馬さんの翻訳で我々生徒は入手できたけれど、他の占星術サークルではなかなか目にすることはできなかっただろうし、門馬さんは「実際にプロの占星家が占った記録」を生徒に学ばせていた。おかげで酒井は、実はスラスラホロスコープが読める。今でもだ。それは俺、悪徳占星術師の郷原悟を描く際にもものすごい役に立っている。

 

 そんな幻の本が、このたび先輩・工藤明彦先生の手で世に出されたのだから、嬉しくないはずはない。工藤先生の素晴らしい占星術哲学にも敬服である。そんな思いで、紹介しようと思ったのだ。

 

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 さて、ここからいきなり思い出話。

 

 実は酒井は、占星術を最初、この「明暗塾」で学んでいたが、そこにいたある時期、「占いライター」というアルバイトにかかわるようになり、それが原因で占星術そのものがどうしても理解できなくなっちまったんだ。

 何がわからないのかというと、とにかく書店に並ぶ占星術本入門書の質が悪すぎること。 なにせ、エバーティンのコンビ解釈と、それに裏打ちされたハーモニック、ハーフサムという技法が身に沁みすぎていたのである。それがとてもスパスパ当たるので、あまり世間の人には知られたくない気もしていたが、それにしても、それと比べると市販本の質が悪いのだ。こんな入門書でホロスコープが読めるようになる?? ちょっと信じられないな。

 

 そんな思いだった。

 

 鏡リュウジさん、松村潔さん、秋月さやかさん、石川源晃さんなどなど。占星術好きな人ならだいたい読んだことがあるのではないだろうか。

 酒井ももちろん読んだ。酒井が占星術に始めて触れたのはルル・ラブアさんの入門書だったけれど、秋月さやかさんの正統占星術入門 という本などはまだよかった。大御所、ルル・ラブアさんの書いた本とあまり変わらない内容だったので、まだ安心感があった。

 こまったのが鏡リュウジさんと村松潔さんである。何が困ったかというと、なんだか「すごそう」な感じだからだ。特に鏡リュウジさんである。

 いろいろご本人の著書を読むと、海外の占星術家の名前をとにかくたくさん出してきて、僕はそういう人と親交があるんです、というのを押してくる感じがした。

 そのうえ、鏡さんのすごく迷うところは、ご本人に 「鑑定経験」 がほとんどないことである。さらに書籍を何冊か読むと、鏡さんの本を読んで、参考にして、いっしょうけんめい占いをやっているのであろう読者を、なんとなくバカにしているのをどうしても感じてしまったのだ。僕は鑑定なんかしませんよ、といいながら、占星術の入門書を書いたり、とても強い影響を与えてしまう児童向けに占星術指南本を書いたりするのは、むしろ 「書かせる方が」どうかしていると思った。鏡さんは無邪気に生きているだけなのかも知れないが、彼にそれをやらせる出版業界の大人がおかしいと感じた。

 なぜなら、占星学とは 「鑑定ありき」 だからだ。 手術したことがない外科医が手術指南本を書いているのとおなじくらい、鏡リュウジさんの書く占星術本はなんだか違和感なのである。

 そして「心理占星術」だという。うーん、これもおかしい。心理占星術といえば、酒井にとってはエバーティンなのだどうしても。あれだけ海外の占星家と親交のある鏡さんがなぜ、心理占星術の第一人者であるエバーティンのことはまったく書かないのだろう。違和感がぬぐえない。とにかく、彼の本を、彼の占星術を信じて、必死に道を求めて鑑定を積んでいる町場の占い師さんをバカにしたような感じがどうしても好きになれないし、酒井が編集者だったら鑑定経験もない人に入門書など書かせない。それではあまりにも読者をばかにしているからである。しかしこれは鏡さんの周囲の人間が悪いと思うし、「それはよくないよ」と誰も助言する人がいなかったのだとしたら、それは気の毒なことだろう。

 

 もう一人が松村潔さんである。 もともと、酒井にとって占星術は、「少しでも前世がある感触がつかめたらいいな」程度のもので、酒井は幼少期から深刻なネクロフォビア(死恐怖症)だったから、もしも占星術で少しでも、「前世」みたいなことがわかれば、死への恐怖が緩和されるだろう、ぐらいの思いだった。確かなものが欲しかったのだ。占星術なら現実の「星」を根拠にしているのだから、それは前世の存在証明になるに違いないだろうと思ったのであるし、惑星の影響とか、星座の影響というものを少しは信じていた。

 それが「サビアン占星術」である。 実はこの本を読んだとき、「ああ、占星術は終わったな」とどこか遠くで思った。星座の影響も、惑星の影響もないじゃないかこれじゃあ、と。こんな「チャネリング」でいいなら、占星術とはいったいなんだ?? 星の影響なんて最初からないのでは?? だとしたら我々が追い求めているものは何なのだろう。そんなになんでも、「星座」にあらゆることを押し付けていいのだろうか? 

 ただ、松村潔さんのほうが、鏡さんより好感が持てるのは確かだ。なぜなら松村さんは少なくとも「鑑定しよう」「実践しよう」という姿勢は感じられたからである。ただ、彼の占星術はあまりにも 「彼独自」すぎていて、ちょっと私には向いていないな、と感じたし、松村潔さんに憧れて 「占星術ライター」気取りする人たちも好きにはなれなかった。

 

 本を出すって、そんなに偉いこと??

 本を出すってそんなにすごいの??

 

 そんな怒りが実は、酒井日香に占星術賭博小説、「VICE-ヴァイスー孤独な予言者」を描かせる原動力となった。もう占星術も、出版社の人も、みんなよくわからない。もう占星術なんかどうでもいい。もともと妄信で成り立っている世界で、正体は本でマウンティングしたい人たちががちゃがちゃやってるだけの世界じゃないか。だったら酒井は、好き勝手に言いたい放題言おう、小説を本気で、死ぬ気で書いて、占いとはなんなのか、生涯かけて突きつけて、占星術をブチ殺して自分も死のうじゃないかと。

 ・・・・なんてことをやって、気が付いたらネットでの執筆活動は早くも10年過ぎた。その間に占星術とは何なのか、占いとはなんなのか、もう占い書籍に頼ったってダメだから、宗教書もヨーガの本も量子力学も科学史の本も天文学の本も航海術の本も東洋占術の本も心理学の本もしこたま読んで、とにかく占い師じゃない人が占星術について何と言っているのか、とにかくどん欲に集めていったんだな。

 そして結論。 ようやく、「惑星の影響」とは何なのか、突き止めることができた。答えは「神聖幾何学」である。そして神聖幾何学の元になった古今東西の錬金術史、魔術史なのである。

 どうやら、占星術とは、「占い」というより「神聖幾何学魔術」といったほうがよく、古代人は本気で惑星を神だと思い、惑星のために詩句を唱え、惑星のために供物をささげ、惑星のために本気で祭壇をしつらえ、こよみを作ってきたのだ、ということ。

 そして仏典の阿含経、長阿含経、華厳経、観音経、地蔵経などを読んでいくと、惑星が本当に「生きた精神生命体」であることが描かれており、ヨーガやヒンドゥーの書物ではなんと、その惑星神が本当にこの世に物理現象を起こすのだ! と書かれていて、心底おどろいた。

 仏典では、惑星のことを、六道輪廻の世界の中の「天部」の存在であると明確に規定している。そのせいかお釈迦様の悟りを見て金星が舞い降りてきたり、空海の口の中に虚空蔵菩薩の化身である金星の神が飛び込んだりという記述がある。橋本敬造さん著「中国占星術の世界」という本には、中国人が本気で惑星の神を祭壇に招き歓待する祭りが描かれているし、日本でも安倍晴明が土星や木星を歓待したという記録が残されている。

 どうやら惑星の神が「物理現象を引き起こす」のは本当のようなのだ。酒井はヨーガの達人が目の前で物質化させるのを見たし、瞑想が深まったとき土星の天使と木星の天使がお話相手に降りてきてくれた体験もしている。そして現代の物理学では、こうした経験をすべて「妄想だ!」とは言えなくなってきているのだ。量子力学の世界では今や、「意識」のほうが主体で、「現象」のほうが客体であると認めているからだ(ニールス・ボーアのコペンハーゲン解釈と声明を参照)。

 

 そうしたとことを踏まえたとき、「占星術はなぜ当たるのか?」という答えは、「それは超常現象だからです」としか言いようがないのである。この3次元世界に生きている私たちの肉眼には、土星も金星も木星も、ただのどでかいたま、球、不活なガス塊にすぎない「モノ」に見えるだけで、霊眼が開けてくると彼らが本当に「生きてそこにいて地球人を見ている!」のがわかる(たぶん頭がおかしいことを言っている、というのは酒井も重々承知なのだが)。でもお釈迦様もイエス様も「惑星は生きている」とおっしゃっていて、占星術師より仏陀やイエス様のほうが偉いのは世界中の誰も異を唱えないだろうから、お釈迦様の名のもとに語っているのだ。釈迦の威を借る酒井日香なのである。えっへん。

 

 そうでないと、「占星術とは何?」と考えたとき、まるでつじつまが合わないことになる。

 惑星の影響が電磁気力や潮汐力、引力であるならば、なぜ「占星術が当たらない」人がいて、占星術の予言が「その通りになるとは限らない」ことが出てくるのか。

 それはやはり惑星の力が、仏教が説くように「カルマの顕現」であり、惑星の神のきまぐれで占いをむしろ神のほうが、当ててやったり、外したりしているのである。どうしてもそうとしか思えないし、まさか占星術師の側もこの期に及んで「占星術は科学法則だ!!」などといいはするまい(そんなことを言うと俺、郷原悟のように、占いのときに手足や命を賭けなくてはいけなくなる)。占星術に「絶対」などはないのだ。どんな占いも外れるときは外れるのだ。

 

 さて、占星術がなぜ当たるのか? が、「超常現象なのだ!」 ということを前提として話を進めると、実は西洋占星術がなぜ、現実の、観測上の星座とはまったく合致しない「sign」を用いているのか、だんだん見えてくるだろう。

  さきほど、占星術の正体は「神聖幾何学」だと俺は言った。つまり、西洋占星術は最初から、「空に幾何学を展開したかったのだ」ということだ。そうでなければ、占星術の仕組みの中にいまだ色濃く残されているアリストテレスの周転円モデルや、プラトン幾何学や、ケプラーが制定したアスペクトなどの理由がわからない。ケプラーは360度を「5」で割ったアスペクト、72度(クインティル)や、360度を「7」で割った51.43度(セプタイル)を、わざわざ新設しているのである。

 

 ケプラーの時代の学者は、みんな、プラトンやエラトステネス、ユークリッドなどの本を読むことが当たり前だった。数学者はピュタゴラスとプラトンの威光をみんな強く信じていた。そしてピュタゴラスとプラトンこそ、「万物は何でできているのか?」ということを追い求めた哲学者であり、ピュタゴラス教団では、どうやら万物をかたちづくっているのは幾何学立体だと見抜いていたのである(これは現在ではフラクタル数学や分子工学としてその通りであることが実証されている)。この古代ギリシャの哲学者たちが占星術に封じ込めた「天空幾何学」こそ、「アスペクト理論」なのだ。西洋占星術はそもそも「神聖幾何学を空に描く学問」なのだ。

 

 つまり360度を「なんの整数で割るか」が問題なのである。そこではもはや星座は単なるものさしの目盛りに過ぎない。だからこそ、プラトンやピュタゴラスや、エラトステネスなどが活躍した時代前後、2500~2000年前の春分点を今もかたくなに守り続けているのだし、つまりは「星座はそれほど重要ではない」ということなのだ。だから何かのシンボルとして、軽く読むにとどめればそれでいい。重要なのは惑星同士が形作る「神聖幾何学」、アスペクトなのである。

 ところが、ものさしの目盛りを今の占星術本は 「読みすぎる」「なんでも星座におっかぶせすぎる」のは否めないだろう。市販の占星術本のほとんどが星座の解釈にたくさんの労力を使っているが、西洋占星術はその成立のときから星座はただのものさしの目盛りにすぎなかったのなら、星座解釈をあまりやりすぎてどんどん神秘主義に陥り、収拾がつかなくなるような流れではない占星術があっていいではないかと思うのだ。

 

 それに対する一つの答えが、「ハーモニック」「ハーフサム」「ミッドポイント」などと呼ばれる技法なのである。

 そして、とうとうそれを堂々と、世間に「どうだ!!」とぶちあげてくださったのが工藤明彦先生なのだ。そして今の「あまりにも神秘主義すぎる占星術」に、工藤先生は堂々と反論してくださっている。

 

 工藤先生の占星術の姿勢は、とにかく「自分で検証してみよう」というもの。

 これも過激に行き過ぎると、「じゃあ占星術は科学なのか?」になって、孤独な予言者の俺、郷原悟のように、「そこまで言うなら腕の1本賭けてみせろや」みたいなことになりかねないけれど、先ほど俺は、惑星の力とは、神の力だと言った。

 

 神はうそや不誠実が大嫌いなのである。だから、「私は私の占星術にプライドと信念を持っている」「私は私がこの肌で試して信用できた理論しかみなさまに提案しない」という工藤先生の姿勢には、惑星の神も「当ててやらざるを得ない」だろう。やはり占星術家も、その誠意が常に問われてしまう世界なのだ。

 

 ちなみに、酒井日香考案 「超次元占星術」 では、よみときの参考書として工藤先生が描き下ろされた「ハーフサム辞典」を使用して良い、という許可をいただいたので、これから超次元占星術の週刊星占いを配信するのに、折に触れ工藤先生の著書のことは紹介し、おススメしていきたい。

(終)

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