12星座の「性格」はどこから来たか・前編

 よう、元気か。俺は占い師の郷原悟ごうはらさとる

 ただの占い師じゃないぜ? 俺の占いは「占い賭博」と言ってだな、外したらとんでもない制裁を受けるのだ。占星術を使った賭博みたいなことをしているぞ。普段は平安ファイナンスという金融業者で好き勝手やっている。まぁよかったら俺が出てくる小説読んでくれ。

 さて、今日は「12星座の性格づけはどこから来ているのか」について解説していくぞ。

 

その前に酒井日香の幼少期の体験から。

 

 突然だがここで、俺の作者、酒井日香の子どもの頃の話をしたい。

 あれの実家は伊豆の下田なのだが、母親が世話好きでな、夏休みになると親戚の子どもらを全員家に泊めて、みんなで遊ばせるのが恒例だった。伊豆は海水浴場もたくさんあるから、親戚たちと毎年夏は、海で遊ぶのがヤツは楽しみだった。

 そして夏になるとお決まりなのが怪談だ。

 昔は昼間のワイドショーで「あなたの知らない世界」とか「心霊写真特番」などがやっていてな、夏休みにスイカ食べながらそんなのを見るんだ従兄弟たちと。

 そんな番組を見た日の夜、酒井は、従兄弟や兄貴をちょっと驚かせようと考えた。

 みんなが和室でオセロやトランプをしている横で、寝たふりをした酒井は、ギャグのつもりで、ただ、兄貴を怖がらせたい一心で、急にちょっとうなる演技をしてみたんだ。

 唸って、適当に何か、乗り移ったみたいにして、「く…、苦しい……」とかうめいてみた。昼間霊能者がテレビでそんなことをやっていたから。

 そしたら従兄弟や兄貴は驚いちまって、おい、どうした!!とか、本気で心配して酒井を揺するわけだ。それから「やっべぇ、何か乗り移ったんじゃないか」みたいな話になり、母親を呼んできた。困ったことに酒井のかーちゃんというのが、これまた異常に信心深い人でなぁ、マジになっちゃって、急に「あなたは誰ですか」「あなたはどこから来たのですか」とか、言い出すわけだ。酒井は完全こまっちまって、しょーがねぇから演技しながらうんうん考えて、アドリブで、「や……やま……、やま……ごふぐふげふ!!」とかやったら、母親があとは「やま?? 山田……、山村……、山岡……、山本……、そういう名前ですか?!」みたいに言うから、うんうん頷いたら、「山本さんだって!!」ということになった(笑)。

 そして間の悪いことに、酒井の裏のお宅が「山本さん」という苗字だったんだ。偶然だけど。そのうえ山本家は信心深い家で、法華経を信仰しているお宅で、毎朝3時からお題目を唱えるような一家だったんで、酒井のかーちゃんは「これは山本家になにか言いたい霊に違いない!」ということになった(笑)。いやいや、違うんだよ、昼間霊能者の番組を見たからちょっと、兄貴と従兄弟のにーちゃんを驚かせようと思っただけなんだって(笑)。マジになるな喜久子!!(※ 母の名)。

 かくして、すっかり依り代の酒井と、その霊に話しかける霊能者役のかーちゃん、見守る兄たちギャラリー、という構図になった。そしていろいろ答えるうちに、次第に山本家にたたりの霊がいる、みたいなことになってきて、あれは戦争で死んだ山本家のお兄さんなんじゃないか、とか、山本家はそういえば愛知のほうから越してきて昔は酒屋だったとか言ってた、とか、酒蔵といえば美味しい水だから、きっと井戸があったはずで、井戸は昔は人柱で掘ったとか言うし、そういう井戸にまつわる霊かも知れない、そうでしょ?! そうなんですよね?! ぐらいの話まで行っちゃった。

 酒井は親切な裏のお宅のおばさまにだんだん申し訳なくなってきて、もう困って気絶することにした(笑)。もうこのまま寝てしまうしかない(笑)。やばい、こいつらやばい(笑)。それにしても、霊とか祟りとか、そういうのをみだりに語ると、こういう風に周りは真に受けるんだな、というのが、小学一年生だった酒井日香の胸には強く刻まれたんだ。それ以来、酒井は、占い師や霊能者という人々を厳しく見るようになった。これは良くないことなんじゃないのかと。

 

 なぜ、そんな話を先にしたのかというと、占いとはまさしく、この体験そのものだからなのだ。

 

これを「霊的傲慢」という。

 

 こういう、口寄せの真似事みたいなことを、仏教やヨーガでは「霊的傲慢」という。キリスト教でも聖霊によってもたらされる言葉以外は、サタンの誘惑だと説く。すべて霊的傲慢だ。

 多くの占い者や霊能者がこの「霊的傲慢」に当たる。そのせいか、聖書も仏典も占い者や口寄せはきびしく非難するんだ。俺は占い師だから真っ先に火あぶりだな。

 さて、12星座占いも、実のところ、大半がこの「霊的傲慢」を主成分に成立しているとみて間違いないだろう。俺は「フェアリープリンス・ゴーハラ」というしょーもないペンネームで、ろくでもない星占いを書くこともあるが(詳しくはこちら)、星占いはまさに霊的傲慢のカタマリで、うんうん唸りながら文句を考えるんだ。つまりねつ造だよ。最初に酒井が困って、「やま……、やま……」と、たまたま目に裏山が見えたからつぶやいたら、それだけで周囲がどんどん暴走したのと同じように、この「ねつ造」を、「お告げ」と受け取るからみんな有難がるだけだが、正体は「霊的傲慢」だ。そして信仰に目覚めるほど、この「霊的傲慢」に占い者は、耐えられなくなっていくという。先般、オラクルカードで有名なドリーン・バーチューさんが、キリスト教の洗礼を受けてすっぱり占い師から足を洗ったのも、おそらくこの「霊的傲慢」にご本人が耐えられなくなったからだろう。

 

 つまり、たとえば「ふたご座」の性格といえば、・落ち着きなく・頭の回転が速く・浮気性であきっぽくて・神経質でうそが上手で・サービス業に向く……、というような「意味」は、かつて誰かが、聖霊の言葉によってではなく、自分のねつ造、ひらめきとして、出まかせで言ったものが連綿とただ、続いてきただけだ、と見るのがもっとも素直な解釈だろうと思う。現に星座の「性格付け」は時代によってどんどん変わってきているのだ。

 

 酒井が占星術に手を染めたのは、1980年代。ハレー彗星の来訪やノストラダムスによる終末予言などが過熱していて、環境汚染や温暖化、米ソ両国による冷戦、繰り返される核実験などとも相まって、社会の深層無意識には暗い予感があふれていた。

 その暗い予感――、ユング心理学風に言うなら「共通無意識」とでもいうべきか、そうしたものを星占いは敏感に掬い取っていたんだろうな。

 

 今、酒井の手元には、昭和30年代に刊行された門馬寛明さん著、「占星学」という本があるが、その中から「おひつじ座」を少し引用してみよう。おひつじ座の性格としてこんなことが書かれているぞ。

 

「牡羊座」

淡白で率直な好意的な性向となる。(中略)彼は勇敢で冒険的で、生活的には贅沢で、物惜しみする人ではない。そこで不相応な慈善行為の要請などによっていっぱい食わされやすい。

また短気で、せっかちで、喧嘩勝ちで、強い気性を持っている。牡羊座の天性は常に破壊的で、現存している制度や団体に対して何らかの改善せんとする意思を持ちます。彼らは欲望の対象としてのみ物事を見やすく、いろいろな面で自己を瞞着しなければならなくなります。

 ※「瞞着」…ごまかすこと。だますこと。

 

・・・ということで、門馬さんのこの書きっぷり、ディスられてんのか褒められてんのか、まぁ、これを読んで「褒められている」と感じるヤツぁあんまりいないだろうな。どちらかといとものすごくディスられている。要は牡羊座の性格とは、けんかっ早くて怒りっぽくて騙されやすくてズルくてうそつきだ、と言っているんだ。ちょっと違和感を覚えるのではないだろうか(もっとも、この世の全員ズルくてうそつきでけんかっ早いともいえる。そこまで見越して、人間の本性を暴くつもりで書く、というのも、文筆家目線で考えると面白いのかも知れないが)

 

 中には、傷ついてしまう人もいるだろう。誰だって知らない人間にいきなり、「あなたは騙されやすくて怒りっぽくてズルくてうそつきだ」と言われたら、ムッとするだろうし、ショックを受けることもあるかも知れない。それで占星術は現在、「マイルド路線」をとり始め、極力優しく、おだやかに表現するようになってきている。

 

 そこで、門馬寛明さんの名調子を読んで昭和レトロな気分になったあと、表現がとにかくマイルド、ということで知られる石井ゆかりさんの「おひつじ座」を読み比べてみて欲しい。リンクを貼っておいた。☞マイロハス・石井ゆかり牡羊座

 

 この中で石井ゆかりさんは、

牡羊座は、新しいスタートの星座です。
生命力と活気に満ち、
ウソもとりつくろいもない、生命力をてらいなく称揚する、
輝くようなパワーを持っています。(マイロハス・石井ゆかり牡羊座)より

と言っている。

 

 昭和30年代の門馬寛明さんの「騙されやすく短気でけんかっ早くうそつきでごまかし屋」という描き方の、「騙されやすく」と「ごまかし屋」の描写は、石井ゆかりさんの記述ではすっかり消えているのだ。もはや同じものに対する所見とは思えないくらい別物ではないだろうか。このように、世相や読者層などによって、12星座の意味や性格などはころころ変わってゆく。さらに2~30年もたてば、伝言ゲームのように今度は石井ゆかりさんの内容とも大きく違った「おひつじ座」が現れてくるだろう。

 

 しかし、どちらにせよ読んだあと「本当にそうだろうか」という違和感が湧きはしないだろうか。

 

 もしそれに気がついたなら、それはこれらの言葉が「聖霊によって語られたもの」ではなく、身も蓋もないかもだが「サタンによって語られた言葉」であって、どちらも所詮は霊的傲慢であると言えるかも知れない。酒井が子どものころ、やっべぇ!! と思った口寄せの真似っこと同じことなのだ。ドリーンバーチューさんは、それに耐えられなくなった。占い師につきまとう後ろめたさの正体はまさしく、この「霊的傲慢」なのである。もっとも、俺もブラック占星術師で、星座占いどころか、やってるこたぁ占星術賭博だから、偉そうに他人のこたぁ言えないがな。

 

 さらに星座占いにはもう一つ、忘れてはいけないことがある。

 

 それは、星座占いの性格付けの元になった「ギリシャ神話」が、もともとはギリシャの人たちにとっては大切な大切な聖典、宗教の教えであるということだ。

 もしも、遠い異国の外国人が、日本人にとっての大切な聖典、心の教えである「古事記」「日本書紀」の神々を持ち出して、たとえば「アメノウズメ座は猿田彦座とは相性が悪く、猿田彦座はうそつきで狡猾、性的にだらしない」などとやっていたら、いったいどんな気持ちがするだろうか。

 

 ギリシャ神話をよくよく読むと、むしろ主人公は星座ではないように思う。ギリシャ神話の主人公はヘラクレスや、ヘラクレスの祖父であったペルセウス、アルゴー船に乗って旅立ったあまたの英雄やアキレウスなどの、「人間」だ。人間である彼らが、星座の化けがにや化けさそり、恐ろしい化け獅子などをぶっ倒して果敢に突き進む物語であり、ヘラクレスなどは人間的弱さのカタマリで、たくさんの罪を犯した。その、情けない人間のヘラクレスが、星座を「ぶったおして」ミュケナイ(古代ギリシャ)の基礎を築き、オリュンポス(霊界)に迎えられる話なのである。そこにはギリシャの人々の、「そのようでありたい」という思いや、人間の正体、シニカルな宗教観などがうかがえる。そこにはただ、「人間とは悲しい存在」というテーゼがあるだけだ。けっして、星座同士反目しあえとか、相性があるから排斥しろなどという情けない教えではない。むしろギリシャ人たちは、ホロスコープや星座の呪縛を打ち破り、自由を勝ち取ることを鼓舞するために、こんな神話を作り上げたのではないか。むしろそんな気がするのだ。

 

 さて、ここまでは「霊的傲慢」の話を中心に星座占いを見てきたが、それ以外にも天文学的な話、古代エジプトとの関連、中世の錬金術記号の話などがあるが、それは後編で。(後編はここから)

 

酒井日香の占星術小説はここから

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