CHAPTER7、逃走(2)

郷原は、新橋ダイヤモンドパレスホテル近くの、土橋インターから首都高速道路に乗ると、西銀座ジャンクションから江戸橋ジャンクションを抜けて、首都高速6号向島線に入った。年末の30日だというのに、相変わらず首都高は渋滞気味でイライラした。一般道路に入ったほうがよかったかと考えているうちに、小菅から6号三郷線に入る。

 三郷ジャンクションから常磐自動車道に乗ると、車はスムーズに流れ始めた。とにかく、自分が無心で占いを繰り返し、塗りつぶしていって浮き上がった空白地帯に向けて、車を飛ばすのだ。

 それはなぜだか、I県とF県の県境近くにある八溝山周辺だった。なぜ、そこに――? と、思っても、占い師にもなぜそう出るのかなどわかりようがない。それこそ、量子力学で言うところの「量子状態」だ。行って、結果が外れたか、当たったかを観測者――、すなわち、占いに問いかけた者自身が確認しないことには、永遠にものごとはもやもやとした可能性の雲のままなのである。

 信じて行動することしかできない。もうこれでダメだったら、郷原は、自分なりの責任を考えていた。

 それは、天涯孤独なあかりのために、小さな墓を立ててやること。そして、飯田継男夫婦に引き取られたあかりの娘を見守ること――。もしもあかりが遺体になってしまったら、自分にできる精一杯なんて、そのぐらいしかない。ヘボ占い師だったと諦めてもらうしか……。

(しかし、因果なものだ――。あんな浮浪娘を拾うなど……。これじゃあ、俺が面倒見ないわけに行かないじゃないか……)

 深夜の常磐自動車道は荷物を運ぶトラックや、トレーラーがたくさん走っていた。スピード違反切符など取られてもいい。否、免許停止になってもいい。それであかりが助けられるのなら――。

 思わず、ぐいぐい他の車を追い越した。自分でも相当な危険運転であることはわかっているが、あかりの命には代えられない。

(なぜ、たったの2回会っただけの女に、ここまでアツくなる……? 自分でもおかしいのは、わかっている……。川嶋さんの言う通り、あんな女など、死のうが生きようが知ったことじゃない……。今までの俺なら、そうだったかも知れない……。だが……)

 何かがおかしい……。自分が自分ではなくなってしまう感じ……。助けたところで、何になる? 別れるだけのことなのに――。

 常磐自動車道を降りると、県道に入った。左手前方に、黒い山体が浮かんでいた。

(あれが八溝山……?)

 心臓が、きゅっと締まった。なぜ、あんな、脈絡のない場所にあかりがいると思うのだろう……。占いの結果を確認するときは、いつもそうだ……。一度だって安心したことなどない。いい気になって無邪気に信じれば、必ず占者を裏切る。それが占いだ。

(そう――。ただ占って、地図に隙間があったから、そこを調べました、ハイ、見つかりました、とはならないのが占い……。この世に、そんな都合のいいことがあるわけはない……。何か、俺自身が代償を払わなければ……。代償をっ……)

 ちょうどそこに、田代からの着信である。郷原はすぐに真っ暗な県道の路肩にランボルギーニを止めると、電話を取った。

「どうしたおっちゃん」

「た、大変だッ!! い、今、平安ファイナンスの代表電話あてに、あかりさんから電話が……!!」

「な……、なんだって?!」

 郷原は、叫ぶと同時に激しく安堵した。生きていた――!! あかりが、生きていた……!!

 しかし、すぐにそれが、ぬか喜びだと知る……。田代は言った。

「それが、負傷しているみたいなんだッ!! 今、岸本という男と、どこか知らない山の中に居ると……。途中で運転手に捨てられて、もう動けないって……。息も切れ切れの声で……」

「くそッ!! 電波の発信元はわからないのかッ!!」

「ダメだ。日中なら中継基地局の発信情報を見ることもできるけど、こんな真夜中じゃあ……」

「ほ、他には?! 他には何か言っていなかったかッ?!」

「三百いくつだかって、あかりさんの背後で男が叫んでいた」

「三百いくつ?? 数字??」

「そう。ええと……。途中で、電池が終わると叫んで切れちゃったから、うろ覚えだけど……。なんか数字を叫んでいた……。330いくつ……? 337とか377とか……。確か……」

 郷原は、必死になっていた。

「337とか377とか?? 道路の番号……??」

 郷原は、さらに必死で電話をつかんだ。

「他には?! 他には何か感じなかったかおっちゃん!!」

 田代はしばらく黙って、そういえば……、と、感じたことを言った。

「そういえば、パタンパタンと、なんだか、板が風に打ち付けられているみたいな音が……」

「板が風に打ち付けられているような音……?」

「ああ……。とにかく電話の向こうで、パタン、パタンと板がぶつかるような音がしていた。野外で、寒くて、でも戸板があるような場所……」

「……風で戸板がぶつかる音……。そして337か、377の数字……。わかった! 探してみる!!」

 郷原は、電話を切った。田代を責めても仕方がない。もうここまできたら、自分と占いとの戦いだ。占いの結果通りの現実を、あとはどう引き寄せるかだ。

 すぐにスマホで地図を確認した。すると困ったことに、この八溝山周辺には県道337号線、県道377号線のどちらも走っていた。377号線は東京寄り、337号線はより原発のあるF県に近い。

「距離がだいぶ違う……。迷ってなどいられない……。俺は、どちらに賭ける……??」

 こんなとき――。こんなときこそ占いだ――。占いしかない……!!

 郷原の眼の前に、キラリと光るものが見えた。観光客が落としていった瓶……。

(やめろ、郷原――)

 心の中に、いつも緊張感が高まると現れるもう一人の自分が浮かんだ。もう一人の自分が、郷原の衝動を静止させようとささやいた。

(やめろ。郷原。あの女をそこまでして救わねばならぬ道理はいったい何だ? まさか、夢で見た天使などを信じているわけではあるまいな――??)

「そんなんじゃねぇ……。そんなんじゃ……。これは、クリシュナと俺との勝負……。北山を見つけることが、クリシュナと俺が出会う唯一の方法……。だから……」

 命を賭ける……。俺は、占い賭博のディーラー……。勝負師……。この高揚感……。この感じ……。

「俺が命を賭けたいのは、この感じ……!! そうだっ、この感じだっ!! は、はははッ!!」

 郷原は躊躇なく、ビール瓶を掴んで手近な石に叩きつけると、鋭利な切っ先を自分の左手首の動脈に押し当て、一気に引き裂いた。鮮血があふれ出た。その血を大地にこぼしながら郷原は叫んだ。

「黒龍よッ!! 俺の血を受けろッ!! この血を道しるべに俺をいざなえっ!!」

 そして、風にふきちぎられた溢れる彼の血液は、不思議な軌道で曲がりくねり、石の上にぼんやりとまがった形を描き出した。

 それはどうみても数字の「3」の形――!!

「3……、3が強いほうに賭けろと……?! ならば……!!」

 県道337号線……!!!

 郷原が叫ぶと、背中から風がゴウッと吹き抜けた。その風は不思議ならせんを描き、八溝山の右手の中腹へ――。

「……そこかっ!! 待っていろ、クリシュナッ!! ぶっ飛ばしてやるッ!!」

 すぐにランボルギーニに乗り込み、アクセルを吹かした。爆音を響かせながらランボルギーニは、迷わず八溝山のドライブウェイを登って行った。

 

 

 

**

 

「おいっ!! しっかりしろッ!! 寝るなッ!!」

 郷原の会社に電話をかけ、田代とつながって現状を伝えたあかりは、安心して気が抜けたせいか、すぅっと目を閉じた。

「おいッ!! 寝るなったらッ!!」

 岸本は周囲を見回した。石塚一人を逃がす作戦とはいえ、危険な賭けだ。郷原の占いだけが頼みの綱……。警察に見つかるのが先か、郷原が自分たちを見つけるのが先か……。

 凍るような氷点下の風が、観光地の駐車場の中にあるトイレのドアの、下から吹き上げて来た。岸本はやっと見つけた公衆トイレの中で、あかりを膝に乗せ、自分の体温で温めていた。風を少しでも除けるには、苦肉の策だ。

「おいッ!! 諦めるなッ!! 郷原はきっと来る!! 必ず来るぞッ!!」

 あかりはうっすら眼を開けた。出血が続き、顔も唇も真っ青だ。

「そうだ、お前!! 郷原の正体知りたくないか?! 郷原の正体ッ!!」

 あかりはうん、と、小さく頷いた。

「そうか、知りたいかっ!! じゃあ話してやるっ!! 郷原は、きっと見つけてくれる!! それまで、しっかりしろよっ!! なっ?!」

 岸本は、子どもに言い聞かせるようにして、膝に抱えたあかりをゆすった。自分だって凍るように寒いが、ジャンパーはあかりに貸してしまっていた。寒さで貧乏ゆすりが止まらない。話でもしていないと自分のほうまで参ってしまいそうだ。

「そう……、聞いて驚くな。郷原はな……、あいつは……」

 あかりは目を閉じていた。岸本は、すべての発端になったソマリアでの出来事を、ゆっくり話し始めていた。

 

 

**

 パン、パン、と、乾いた音が草原にこだまする。

 ダダダダッと腹に響くリズムを鳴らす敵方の機関銃。威力がこちらとはまるで違う。手りゅう弾が爆発する音がして、そこだけパッと明るくなり、岩が崩れる大音響がした。

 どう見てもこちらが劣勢だ。所詮は無秩序なゲリラ。暫定ざんてい政府軍に勝てるわけがない。

「Hey!!All will withdraw!!」という英語での呼びかけを先ほどからしているが、指揮官はいたずらに思案に暮れているだけで、どんどん味方の数を減らしていくだけだった。

 反撃し、一人でも敵を倒さない限り全滅する。仕方がなく塹壕ざんごうの隙間から、身を乗り出し撃ち返すが、眩暈めまいが激しくて引き金を引くことも出来なかった。だいいち、この夜の闇では、敵がどこから撃ってきているのかわからない。もう限界だ。疲れた。いっそ1秒でも早く、敵の銃弾が自分を粉砕してくれないかと立ち尽くしたものの、後ろのゲリラ兵に引きずり降ろされた。

「ジャップ!! 何をバカなことをッ!!」

「だ……、だって……」

「もうすぐ戦闘は止む。潮が引くのを待てッ!!」

「もうダメだ……。そこまでたないよ……」

 朦朧もうろうとする意識……。体中を引き裂くような痛み……。怪我の痛みではない。

 敵の弾幕が止み、おびただしい血が流れたあとで、ついに撤退の判断を下した指揮官はしかし、彼に冷めたく言い放った。

「お前はもう除隊だ。二度とアジトに戻って来るな日本人。病気を移されたら困る」

 そう……。彼は倒れた。戦場で。情けないことに、戦って負傷し、使い物にならなくなったのではなく、伝染病で……。そのまま荒野に置き去りにされた。

 日本に帰りたい、もう一度……。なんだって無実の罪で、日本を追われ、自分はこんな未開の国でゲリラなどやらねばならないんだ?

 眼が覚めたとき、彼……、岸本正巳は、それなりに設備の整った病院に寝かされていた。どうやらゲリラに置き去りにされてから、偶然通りかかったキリスト教の救護隊に助けられたらしい。

 日本人の若者は珍しいのか、大勢の人が「ゲリラのジャップ」を覗きにきた。なぜ日本の青年が、こんなに貧しいアフリカの国の内戦に参加しているのだ? と、体調が回復してからさまざまな人に質問された。

 岸本は、本当のことを答えられなかった。なぜなら、日本に強制送還されるのが怖いから――。自分は、日本から不正に出国して、この国でゲリラ兵として戦って死ぬつもりだったから――。

「なぜだ? 日本は豊かな国だ。日本に居ればよかったのに」と、現地人たちは言う。岸本が「いや、日本は確かに、モノはふんだんにあるが、精神的な意味では大変に貧しい国だ」と説明しても、彼らにはなかなか伝わらなかった。

 ひとまずこの国の首都にある国家警察の尋問を受けるまで、岸本はこの病院にとどまることとなった。しかし、政府機能が内戦でガタガタのこの国では、取調官が到着するまで時間がかかるようだ。

 毎日することもなく、退屈だった。仕方ないから、アメリカ人や英国人、インド系、オーストラリアなどの英語が通じる神父たちを見つけては、思想や宗教について語り合ったり、彼らが持っていた本を借りたりした。どれも英文の本だが、その中の1冊が、岸本の興味をひどくそそった。

「The religion that is destroyed~破壊される宗教~」というタイトルの本だ。今から数年前に、世界16か国で刊行された本であるという。宗教政治学者デイヴィッド・アンダーソンという人が書いたルポルタージュということだった。

 熱心に読み進んでいると、その本を貸してくれた修道士が声をかけてきた。

「君はその本に興味があるのかい?」

「はぁ……。私の母国、日本のことが書いてあるので……」

「その本は、イギリスやアメリカ、フランスなどでは売れたが、日本ではとうとう刊行されなかったんだよ。我々の財団の極東セクションが、アンダーソン教授に依頼して調査・執筆させた本さ」

「へぇ~……。日本では刊行されなかった……。どうしてですか」

「日本政府が、秘密にしておきたいことが書かれているからだよ」

「日本政府が秘密にしておきたいこと……?」

「でも、君には関係ないか。君は祖国を捨てたのだもんね。そしてゲリラの一味に加わった。日本社会に復讐出来ないなら、せめて、外国の権力と戦おうと……。そしてこんな、アフリカの国に来た。そうだろう?」

「違います! そもそも、悪いのは日本の警察や検察です。僕が少年刑務所上がりだからって、やってもいない殺人事件の容疑者に仕立て上げた……。無実なのに、捕まるのは嫌だった。だからこの国へ来た。でも、そんな流れ者など所詮は、この国でだって……」

 ゲリラくらいしか、仲間に入れてはくれなかったんです、と、岸本は、気を許せる神父の隣で泣いた。神父はほほ笑んで岸本の肩を抱いてやると、本を手にして言った。

「この本に書かれている子ども、今はどうしているのだろうね……。この子は知っているのだろうか、アメリカ政府が彼をずっと探していることを……」

「………………」

 岸本は、分厚い英文の本をじっと見た。アメリカ政府筋が、CIAを使ってまで探しているという日本人……。この本の中では繰り返し「Buried Japanese dark emperor」……、葬られた日本国の闇の皇帝、という言葉で出てくる。

 日本の、闇の皇帝……?

「そう。以前イギリスのBBCでもこれ、放映されたんだよ。日本にはもともと、アマテラス女神の子孫である昼の天皇と、スサノオの子孫である夜の天皇、その二つがあったと……。アンダーソン教授によれば、このことは、明治政府の方針で、徹底的に言論統制されたそうだ。スサノオの系譜の王など、最初からいなかったことに……。古い記録を辿ろうにも、それらはすべて焚書ふんしょにされてしまっていて、日本には残されていない。夜の天皇の系譜図と、その子孫の人骨は今、アメリカのスミソニアン博物館の書庫で、極秘文書にされているという……。大昔から夜の天皇の一族は、秘密裡に、裏から表の天皇家に働きかけ、政治を動かしてきたんだ。占いでね」

「占い……?」

 岸本は、眼を丸くした。神父も肩をすくませて、苦笑いした。

「別に日本に限ったことではないさ。我々のバイブルにも、アブラハムの時代から、予言者がいつでも政治をリードしてきたことが書かれている。アメリカは戦争で日本に勝ったあと、この夜の天皇一家を何よりも恐れたのさ」

「なぜですか?」

「夜の天皇こそ、日本の国家的なシャーマン……、法皇だったからだよ。このシャーマンが、アメリカに逆らえと指示を出せば、彼らの霊力を恐れる日本人は一斉に抵抗しただろう。だからアメリカは、アメリカに従う表の天皇家だけが、日本にあれば良いと考えた。CIAを使ってもう一つの天皇家を完全に抹殺しようと……」

「………………」

 岸本は、顎に手を当てると、眉間に皺を寄せて、苦悩するように考え込んだ。

「どうしたんだい」

「………………」

 そういえば、少年刑務所で一緒だった男に、「猊下げいか」ってアダ名がついていた……。いつも頭の悪い連中や、刑務官にからかわれて、じっと耐えていた。あいつの名前はなんていったか……。えーっと……。確か……。

郷原悟ごうはらさとる……」

 

 

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