CHAPTER1、あっという間の再会(1)

(前作からの続き)

 長い長い、占い賭博が終わった。

 病院の暗い待合ロビーで今、人を一人、死に追い詰めた男……、郷原悟ごうはらさとるが、自分のせいでこんなことになった相手のために祈り、震えているのを見て、郷原にとっての兄がわりの川嶋貢かわしまみつぐが、背中を支えていた。川嶋と郷原、双方にとって親分にあたる寺本組組長、寺本厳てらもとげんも側で見守っていた。
 
 川嶋が、賭博相手の志垣智成しがきともなりを見た。

「志垣会長……。今回の賭けは、どう考えても会長の負けです。郷原の占いは、完璧に的中したんだ。どうか郷原に、約束通り賭け金を払ってやってください」

「ふむ……。いいでしょう。今回は、完全に私の負けだ。しかし、寺本さん、川嶋さん」

「え………?」

 小切手にサインをしながら、志垣智成が、寺本厳と川嶋貢に視線を向けた。

「あなた方は、いつまでこんな賭博に、この男を使うつもりで?」

「そ、それは……」

「この男は、こんなことに飼い殺す男ではない」

「…………………」

 川嶋が口ごもる。寺本も、腕を組んで黙り込んだ。
 
 志垣はうつむいたままの郷原の背中に、声を浴びせていった。

「郷原さん、あなたは、こんな世界にいるべき人間ではない……。あなたは、あなたの力を生かせる世界に行くべきだ」

 ずっと虚ろだった郷原が、志垣の言葉に顔を上げた。

「俺の力を、生かせる世界………?」

「そう……。あなたは、絶望している……。未来など読めたところで、誰も助けられ
ない自分に……。人を陥れ、死の淵に追い込むしかできない自分に……」

「う、うう………」
 
 郷原は、うめいた。
 
 志垣は妖怪だった。どこまでが演技で、どこまでが本気なのかわからない男だと川嶋は思った。さきほどまで占い賭博を見物して、酔って上機嫌そうだったのに、今はまるで、判決を下す裁判官のようだ。

「本当はあなた、助けたいのです……。か弱き人を……。貧困者を……。女や子どもや、喘ぎ苦しむ労働者たちを……。そうじゃないんですか? 郷原さん……。あなたは本当は、貧者のためにこそ、命を賭けたい人なのではないのですか?」

「うっ………」
 
 耳を塞ぐ。唇を噛む。郷原の体中が震えて、はらはらと涙の雫が、床にこぼれていった。

「そうやって、政治家や金持ちの保身だけを占わされるのか……? どいつもこいつも、俺を利用するだけ利用して、占いが済めば人間とも思わないくせに!! 俺の悲しみや苦しみなど、誰も想像しないくせに! 占い師のことなんて、誰も人間だと考えていないっ! それでも、そんな世界で生きろと?! この先も、ずっと一生利用されて、利用するくせにバカにされて、踏みにじられて生きろと?!」
 
 わめく郷原。静まり返った病院の、暗く、冷たいロビーに、その声が響く。まるで、舞台の上の独白のように――。
 
 志垣は、舞台上手で黄金の錫を持ち、君臨する全能の神役のように、郷原に残酷な宣告をした。

「何を寝ぼけたことを……。占い師など、人間でなくて当然です。占いは、一方的に人間を規定する。星座や、カードや、相などというバカげたもので……。その時点で人間を、人間として扱っていない占い師……。占い理論の前では、人間は単なる記号に成り下がる……。人間を人間として扱わぬことを生業とするものが、他人から人間として扱われないからといって、なにを憤ることがあるでしょう。当然の因果応報じゃないですか。フフフ……」

「っつ………!!」
 
 子どものように震えている郷原の肩を抱いて、川嶋が懇願するように志垣を見上げた。

「し、志垣さん、今は……。今はもう、これ以上郷原を、揺さぶらないでやってください……。自分自身の占いで、誰より傷ついているのは郷原だ……。でも、こいつはこんな風にしか、生きられないのです、今は……」

「姉、ですか」
 
 志垣が、核心を突いた。

「な、なぜ、それを……?」
 
 郷原の背中を抱きながら、川嶋が、思わず眼を見開く。

郷原深雪ごうはらみゆき……。もう何年もホスピスに入ったままの、郷原さんの姉……。病院の白い壁しか知らない、かわいそうな姉……。10代の頃から入退院を繰り返していた姉の治療費のために、中卒の弟は、ウソで固めた占い師になって、博打を繰り返し、心身をぼろぼろにしてゆく……。悲しい悲しい、親に見捨てられた姉弟……。手っ取り早くカネを稼ぐには、占い師ぐらいしか手段がなかった弟……。ククク……。美しい話です、実に……。フフフ……、ハハハハ!」
 
 志垣は、ロビー中に響き渡るような声で笑い声を立てた。

「まぁ、いいでしょう。しかし、断言しますが郷原さん……。あなたの力はいずれ、欲深い政財界の人間に注目されるようになる……。わかりませんか……?あなたは、その気になれば、この国の王にすらなれるのだということを……」
 
 闇に怯える子どものように、震える目をして、志垣を見つめる郷原。王という言葉……。いつも、占い師だ、詐欺師だと嘲笑ちょうしょうされ、バカにされてきた自分が、王……? 王、だって……?

「そうです。あなたは、天上の悪徳を操る王、闇の太陽にさえなれる男……。いつか、支配してやりなさい、その占いの力で……。あなたがた姉弟を踏みにじった、世間の者どもを……。憎くて仕方のない、カネ持ちたちを……。政治家を、財界人を、この国のすべてを……。フフフ……。ハーッハッハッハ……!!」

「う、うぅっ……!!」
 
 郷原は喘ぎ、たまらず、川嶋に縋りついた。父親に助けを乞う、少年のように――。
 
 志垣智成は、それだけ言うと、約束通り都合2億の小切手を切って、そのまま病院から去っていった。いつか、あなたは闇の王となる日が来る――。そんな呪いの予言を、郷原に残して……。 

「もう、限界なのかも知れんな……」
 
 寺本厳が、一人つぶやいた。

「げ、限界……?」
 
 川嶋が郷原の背中を抱えたまま、顔を上げた。しかし寺本は意味深に微笑むだけだった。限界――……、それはつまり……。

(もう、隠しておけないということ……?)
 
 せきを切ったように、郷原は急に川嶋を振り払うと、志垣を追って駆け出した。

「お、おい、郷原ッ!!」
 
 叫ぶ川嶋を、寺本厳が静止した。

「いい。行かせろ。それより……」

「は、はい……」

「志垣の野郎は、郷原を欲しがっている。恐らく郷原の、あのうわさを知っているのだろう」

「………………」

「待てよ志垣ッ!!」
 
 郷原は、思わず大声で怒鳴っていた。

 志垣の背中がぴくりとして、足が止まった。

「なんです一体……」

 もう万事終わったでしょう、と言いたげな感じで、志垣は面倒くさそうに郷原に振り返った。しかし、それはわざとらしい演技だった。

 志垣には確信があったのだ――。きっと自分を呼び止めると思っていた。そのために、投げかけたのだ。「王」という言葉――。

「あんた、俺について何か知っているな?! いったい何を知っているんだッ!! 俺が本当は、天皇家と同格の家の、行方不明の息子かも知れないとかいうふざけた噂かッ!!」

「………………」

 志垣は無言で立ち尽くした。

 郷原は、答えない志垣にいきどおり、喰ってかかった。

「答えろッ!! あんた、バカな噂を信じてんだろッ!! だから、俺に近づくため、占い賭博を申し込んできたんだろ?! 答えろよッ!!」

「…………………」

 志垣は頷きはしなかったが、さりとて否定もしなかった。郷原は怒りに顔中を真っ赤にして震えていた。

 志垣はじぃっと郷原の眼を、間合いを離して見つめ続けた。この噂のためにもたらされた、悲惨な郷原の生い立ちを知れば、彼の怒りが無理もないことはわかる。

 しかし……。

 事態はすでに、個人の感情など無関係に動き出しているのだ。郷原悟には、残酷でも、どうしてもそのことを伝えておかなくてはならない。

「今夜はもうこれ以上、余計なことを言うのは止めておきましょう。ただ、一つだけあなたに知らせておきたいことがあります」

 志垣はそう言うと、杖で体を支えて、改めて郷原に向きなおった。

「あなたはご存じないかもしれませんが、少し前、ある有名な日本の宝が、ロサンゼルスの金融街で噂になりました」

「……? 日本の宝……?」

 少し首をすくめる郷原。志垣は自分の記憶を確かめるように、ゆっくり話した。

「その宝が原因で、日本のある有名な一族が大打撃を受けてしまったのです。平たく言うと、巨額の投資詐欺に遭ってしまった……。困った一族が事態の解決を求めたのが、アメリカ西部の金融、経済、政財界、産業界に多大な影響力を持ち、アメリカの政府筋とも大きなコネクションを持つ研究財団ウィオス……」

「研究財団ウィオス……?」

 初めて耳にする言葉に、郷原は怪訝けげんな顔をした。

「なんだよそれ……」

 志垣は、ふぅっとため息をつき、足元へと視線を落とした。何か重たいものを暗示しているようだ。

「研究財団ウィオスとは……。テクノロジーのT、水素のH、ウォーターのW、イオンのI、酸素のO、サイエンスのSの頭文字を繋げて、THWIOS(ウィオス)……。そういう名前の財団……。表向きは、水素燃料電池や、バイオマス発電、オーランチオキトリウムという、石油を生成する藻(も)を使った油田開発など、次世代クリーンエネルギーの研究をしている財団ですが……。その実態は……」

 志垣の声のトーンは急にくぐもった。志垣は声を潜めて言った。

「The world is one state……」

「ザ・ワールドイズワンステート?」

 何なんだそれ、と、郷原は苛立った。

THWIOSウィオス……、本当は、テクノロジーとか、水素とかの頭文字ではなくて、ザ・ワールドイズワンステート……、つまり、世界は一つの国家、というスローガンを縮めたものであるという……。エネルギー利権で得た莫大な富を元に、世界中のあらゆる公共事業に関連を持ち、銀行と癒着し、テロや紛争を支援して、あちこちに傀儡政権を作ろうとしている戦争商人です。そのウィオスが、金銭トラブルの処理をある一族から任されて、あなたを血眼になって探しているのだ」

「…………!!」

 郷原は、絶句した。

「な……、なんで?? い、今ごろっ……??」

 志垣は寂しそうに微笑んでいた。

「おカネ儲けと自分たちの箔付けに、利用したいのでしょう。あなたの出自と才能は、実にインパクトがありますから――」

「………………」

「本当は、こうなる前にあなたを身受けしたかった……。くだらない連中に、あなたを利用させぬように……。だが、それは叶わなかった。せいぜい、知らない場所で勝手に身辺調査などされぬよう、お気をつけなさい郷原さん。敵はすでに暗躍しています。あなたがいくら否定しても、あなたの噂は消せるものじゃない」

「………………」

 絶句し、拳を固く握りしめている郷原に、志垣はさらに付け加えた。

「今、私の知人のある外交官が、ウィオスに捕らえられています」

「???」

「彼は、あなたのDNA鑑定を日本で行うことに、ずっと情熱を抱いていた。関連省庁に、あなたを救済するようずっと訴えていた人……。宝の話を聞いて、個人的にウィオスを調べてみたくなったようです。そして消息を絶った……。もしかしたら、連中に捕まってしまったのかも……。気が向いたらでいい。もしも占いで探せるものならば、その外交官……、宮下広夢みやしたひろむさんを探してあげてください」

「……な、なぜ俺が、そんなことを……?」

 郷原が問うと、志垣はまたしても眼を伏せた。

「……彼はきっと、あなたが今生、何を成すべきか教えてくれる人……。そろそろ、腹を決めなさい郷原さん。いつまでも逃げ続けるわけには行かないのですよ」

「うっ……」

 その言葉に郷原は、胸に杭を打ち込まれた気がして、立ち尽くすことしかできなかった。ではお元気で、と言い残すと、志垣智成は迎えに来たシボレーに乗り込んで、その場から去っていった。追いかけることもできない郷原……。ただ、ずっと忘れたかったことを呼び覚まされて、愕然とするだけだった。

 郷原のすぐ傍らには、いつの間にか寺本厳と川嶋貢が立っていた。震える郷原の肩を抱いてくれたのは、寺本厳だった。

「気にするな郷原。あんなの、志垣のハッタリさ。お前がこの日本の、滅んだ王朝の最後の末裔だなんて、悪い冗談にもほどがある」

「………………」

「お前がその噂を消すために、どれだけ血のにじむ思いをして、この寺本組に入り、悪党をやり続けてきたのか知りもしないで……。なぁ? 郷原よ……」

 寺本厳はそういうと、父が息子を慰めるようにして、力強く郷原の肩を握った。郷原は黙って寺本厳に体を預けていた。

「心配するな。雪村の子は、この俺にとっても子……。お前には、寺本組こそ本当の家……。俺たちはファミリー……。血よりも濃い……。お前は俺が守る」

「………………」

 寺本厳は、郷原を軽く抱きしめたあと、迎えにきた組の車に乗り込んだ。見送るために後部座席を覗き込む川嶋と郷原だった。

「1日も休みを取らず済まないがな郷原。明日は鑑定予約が目白押しだ。15時から石橋建設社長の鑑定。18時に芸能プロダクションスタンレーのタレントと社長の鑑定。その後、21時から神奈川県保守党議員連盟の議員の鑑定。頼むぞ」

「はい」

 きっぱりと返事をする郷原に、川嶋は心配の表情を浮かべた。

「おやっさん、郷原は今日、生き死にの大勝負をしたばかりですよ? 少しは休ませてやらないと……」

「何言ってるんだ川嶋さん。おやっさんは今、立ち止まってなどいられない大事な時期だ。どんどん鑑定を受けなきゃ」

「し、しかし……」

「大丈夫。俺は今絶好調だ。やらせてくれよ」

「………………」

 郷原の笑顔のせいで、それ以上何も言えない川嶋だった。寺本厳は「ではな。今日はご苦労だった郷原。明日もよろしく頼む。鑑定場所はいつもの料亭だ」と言い残して去っていった。

 川嶋はすぐに郷原を窺った。

「大丈夫なのか? 少しくらい休まなくて……?」

「大丈夫だよ。心配しすぎだ」

 郷原は妙に明るい笑顔で、川嶋を見返した。川嶋には妙にひっかかる笑顔だった。

「……お前、何かあったのか……?」

「何かって何さ?」

「こんな勝負の後なのに、なんだか、妙にやる気だからさ」

 川嶋は肩をすくめたが、郷原は「別に」とだけ言うと、川嶋を見送るために通りに出て手を上げた。川嶋は、郷原がちゃんとホテルに戻るまで送ろうと提案したが、郷原が断ったので、そうかと頷くと、一足先にタクシーに乗り込んで、郷原と別れていった。

 一人になった郷原は、よろよろとその場にしゃがみ込み、しばらく動かなかったが、なんとか立ち直り、自分用のタクシーを拾った。乗り込むとすぐに、後部座席に倒れ込んだ。

 運転手が異変に気づき、バックミラー越しに郷原を心配した。

「大丈夫ですかお客さん……。どこか具合でも……?」

「……だ、大丈夫……。ひとまずダイヤモンドパレスホテルへ……」

「わ、わかりました」

 

 

**

 郷原と別れた志垣は、車の中で葉巻を吹かし、車窓をぼんやりと眺めていた。その様子に、横に座っていた秘書風の男が「残念でしたね」と声をかけた。ふぅ、とため息をつく志垣であった。

「占い賭博、郷原が勝ったのだから仕方がない……。本当は寺本組から私が身請けし、あれを本来の身分にふさわしく再教育したかったのですが……。思った以上に、母親の血を色濃く受け継いでいるようだ。本当に占いを当てるとは思っていなかった」

「郷原悟の母親……」

「そう――。誰もが消したいと思った郷原の母――。きちがい女で、竹虎家の汚点……。精神病院から抜け出し、カリフォルニアに逃げているという話までは掴んだが――」

 志垣は、葉巻の煙をふぅ、と、もう一度深く吐き出して、横で志垣の話を聞いている秘書風の男に言った。

「ウィオスの動きを調べるとともに、郷原の母親のことももう少し粘り強く調べるように。あれは精神病院に一生閉じ込めておくべき女ですから」

「写真では、ものすごく色の白い、いい女なんですがねぇ……」

 秘書が答えると、志垣は葉巻の吸い口をいまいましそうに噛んだ。

「それは、きちがい特有の、色情因縁の色香です。あの女は恐ろしい化け物……。容赦してはいけない」

 志垣の記憶に、19年前のある事件の少年審判がよみがえったが、その内容は大変倒錯的でおぞましく、傍聴席の誰もが耳を覆いたくなるような話だった。それを淡々と、こともなげに話した少年、郷原悟――。志垣は当時、彼を引き取り自らの手で教育したいと願ったが、それは志垣のライバルであった男、雪村幸造も同じであった。けっきょく志垣は出遅れて、郷原は当時、寺本組ナンバーツーだった雪村に引き取られてしまったが――。

(郷原さん……。また会うでしょう我々は……。あなたの本質は、闇にうごめく黒いシャーマンなのだ——。ヤクザのままにさせておくことはできない……)

 流れる車窓の光を横顔で受け、志垣の輪郭は怪しく輝いていた。

 

 

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