第五話 CHAPTER2、占星術(1)

「でもなぁ。負けたらこの人、もっと地獄を見るんだぜ?」

「ああ……。確かにな。だから俺も、この方法だけは切り出したくなかったんだが……。でも、自宅ビルがすでに、差し押さえの対象になっちまってる今、この人の両親を、占有屋せんゆうやや取り立て屋から守るためには、どこか安全な場所へ逃がしてやるしかねぇだろ?」

「まぁね。キッツイからな。差し押さえ対象の物件に住み続けるのは。張り紙や騒音なんてぇのは序の口、汚物をかれたり、ネコの死骸を置かれたりな。ひどいのになると、ピストルでドアに鉛弾なまりだまをぶち込んだりするヤツもいる。本当に、債務者を殺してしまうこともあるんだ。どっかのダムのコンクリには、そんな死体がたくさん、塗りこめられてるって話。あんた、山本さんって言ったっけ? 取り立て屋や占有屋を、舐めないほうがいいぜ? 川嶋さんの言うとおりだ。早く両親を、飯場はんばかタコ部屋に逃がしたほうがいい」

「それが、どうしてもイヤだって聞かないんだよ……。だったら、手っ取り早く借金をチャラにするには、この方法しかねぇだろ?あの賭場とばなら、一晩で数千、場合によっては数億の勝ちですら、夢じゃねぇからな」

「…………??」

 山本を置き去りにして進んでいく川嶋と、郷原の会話。山本は勝手に決められたくなくて、身を乗り出すのだが、二人がまとう空気のせいなのか、上手くげんはさめない。

「そうねぇ……。ただ、そうなると、山本さん一人じゃあ今度の賭博は成立しない。もう一人対戦相手がいないとな。それが恨みに連なる相手なら、山本さんも遠慮なく本気で戦えて、申し分ないんだけど……」

 郷原は、ヘビのような眼で、山本に笑いかけた。山本自身はそれで良いとも、なんとも答えていない。それなのになんだか、参加するのが前提で話が進められていくのが、山本には恐怖だった。そんな山本をチラリと見て郷原は、またヘネシーをひと口煽り、ソファの前のテーブルに置いてある、ノートパソコンの電源を入れて、万年筆と手帳を手元に置いた。

「そんじゃあ、まずは、山本先生の生年月日でも教えてもらおうか」

「せ、生年月日、ですか……?」

「そう。借金返したいんだろ……? 親を救うためにさ」

 郷原はそういうと、ソファに寝転んで足を組み、腹の上にノートパソコンを載せて、データを入力する格好で、山本の言葉を促した。

「せ、生年月日は……」

「ふーん……」

 郷原は寝転んだまま、片手ですばやくデータを入力していった。

「あんた、結婚したの9ヶ月前?」

「え?」

「9ヶ月ぐれぇ前なんじゃねぇの? ずいぶん、派手な式だったみたいだねぇ……。そうだな……、たぶん、9ヶ月前だから、今年の3月……。3月の21日。春分の日。結婚式って、この日だね」

「な、なんでわかるんです!!」

「わかるさ……。俺、占い師だもん」

「う、占い師……?」

「そう。占い師。まぁ、正確に言うと占星術師ってぇことになんのかも知んねぇけど、そんなことはどうでも。んで、そのすぐあとに嫁さん、妊娠してんだろ、なーんか、そんな相があるぜ?」

 山本はあっけに取られて、口をぽかんと開けたまま、何度も大きく息継ぎをした。

「川嶋さん……!」

 急に、大声を出す山本である。

「やめてください! こんなトリックに、僕がひっかかるとでも思ったんですか!」

「あ~??」

 川嶋は、いきなりの山本の怒りに、面食らった。

「僕はこれでも医者の端くれ、科学教育を受けた人間ですよ?! こんな大げさなことをして、心理的な暗示を与えておいて、その実、事前にボクの私生活を調べておいたに決まっている!! 絶対にそうだ!! 典型的なホットリーディングじゃないですか!」

「……だったら?」

 興奮して叫ぶ山本の耳に、不意に、郷原の低い声が飛んできた。

「……え?」

「だったら、どうだって言うんだよ負け犬」

「な、なに……! なんだと……!」

「18歳のときに、激しい挫折や劣等感の相がある。フフ……。これはそうだな、いろいろ考えられるが、たぶん、アンタは、負けず嫌いのカタマリみたいな性格だと星が言ってるから、そう……、こんな解釈はどうだ? たとえば、自分にもっともふさわしいと思い込んでいた大学、国立大学に受からなかった……。おおかた、そんな出来事を示しているんだろうよ」

「……!!」

 山本は、顔が真っ青に青ざめた。

「30歳のときに、訴訟そしょう騒ぎ……。火星と木星、刃物と血液、か。手術中の事故ってぇとこ? 反対側に土星もいる。心臓発作を表示する天王星……。たぶん、この配置からすると、患者は一時的に心肺停止……。しかも、性質の悪い配置をしているから、むしろ殺すより面倒な後遺症を、患者に与えちまった……。しかし、あんたは生真面目だ。患者に誠意を見せようと思ったんだろう。海王星と火星、大損害の印……。たぶん示談を、病院は一切認めなかった。あんたは、仕方がなく自腹を切った。患者の家族に望まれるままに……。この辺りから独立を焦るようになったんだろう。この医療ミスが起こったのは、7月の、恐らく12日か13日のどちらか……。その1ヵ月後には、閑居かんきょって出てるから、たぶん自宅禁慎期間か。8月の半ばあたりから、9月の終わりくらいまで……」

「し……、調べたな……!! 調べたんだ、僕の過去をっ!!」

「ククク……!」

 郷原は、体中を震わせた。

「フフフ……!!」

「な、なにがおかしい!!」

「はーっはっはっは!!」

 郷原は、腹を抱えて爆笑しだした。

「は! それ、それだよ!! 自分でバラしてるじゃねぇか! 俺は誇大妄想男だって、自分で言ってることに、なぜ気づかない……?」

「なっ………!」

 山本は、感情がたかぶって、頬にくっきりとしゅが差した。

「俺たちだってヒマじゃねぇんだよ。お前のつまんねぇ失敗なんか、調べたからって何になる。もう占いなんかしなくったって、その後のあんたの人生なんか、手に取るように読めるさ。あんたは、自分がいつでも一番だという意識が強くて、組織に馴染なじめない男だった……。K大というカネ持ち大学の中では、比較的普通の家庭だったせいで、カネ持ちの馬鹿息子たちに負けるもんかという、妙な自負心が肥大化していったんだろう。だから医局で嫌われ、孤立していった。そのうち、向こうが悪くて、自分は正しいのだという方向に、思考回路が向かってゆく……。それで意気込んで独立しようとしたら、今度はものの見事に詐欺師に引っかかっちまった。この時点で、前の職場の局長でも部長でも頭下げて、復職してりゃあここまで堕ちずに済んだんだろうが、プライドの高いあんたのことだ。開業がダメになったなど、みっともなくて言えなくて、そのウソを通すために、こんなことになっちまった……。違うかよ……」

「う……………」

 山本は、自分の弱い部分を見事に描写されて、真っ青に青ざめ、うつむいてしまった。体が、ぶるぶると震えていた。

「どうだい山本先生。郷原の力を、信じる気になったか……。ウチの顧問はただ者じゃないと、言っただろう?」

 川嶋の声を背後で聞いた山本は、震えながらつぶやいた。

「す、すいません、た、タバコを1本、吸わせてください……」

 郷原は、薄笑いを浮かべて立ち上がると、山本と川嶋のために飾り棚からグラスを取り出し、ウィスキーのロックを作ってやった。それから、さきほどからずっと扉の前に仁王立ちしている浜崎に声をかけた。

「おい、浜崎」

「何でしょう、郷原先生」

「ナマ、いくら積んできた?」

「はい、とりあえず10本ほど」

「あ、そう……。んじゃあ、それ全部と、いつもの借用書、持ってきてくれる?」

「かしこまりました」

 浜崎は、新兵のようにきびすを返すと、ロックを解除して扉の外へと出て行った。郷原は立ったまま、カラカラと氷を鳴らしてウィスキーを飲むと、夢中でニコチンを体に入れている、山本と川嶋を冷やかに観察した。山本が吸いだしたので、川嶋もそれに便乗したようだ。

 川嶋が、郷原の視線に首を向けた。

「な、なんだよ、郷原……」

「……んなモン、どこがウマいのかなーって、思って」

「そ、そりゃあお前、クセみてぇなモンだからよぉ……」

 川嶋が、バツが悪そうに言った。近頃は喫煙者に対する世間の風当たりが強いので、日ごろから社員にかしずかれている川嶋も、タバコのことを聞かれると、なんとなく小さくなってしまうようだ。

「ふーん。川嶋さんはともかく、山本先生はのん気だねぇ。あんた、タバコなんか吸ってる場合じゃないっしょ……。酒だとか、タバコだとかは、生活に一番要らないモンでしょうが。カネがないなら、真っ先に止めるべきモンだろ、常識的に。こんな状況で、借金取りを前にして、そんなもんよく吸えるじゃん……。いい度胸だ」

 山本は、郷原の指摘に顔中を真っ赤にすると、すぐに目の前の灰皿に、吸いかけのタバコをこすりつけた。

「ククク……。いいよ別に。吸えよ……。とがめてるわけじゃねぇ。人間って、どうしようもなく矛盾した生き物だなぁって、そう思っただけだ」

 郷原はそう言うと、ヘネシーの入ったグラスを一気にあおった。まるで、風呂上りに麦茶でも飲んでいるかのようだ。医師である山本は、その様子を見ていて、この男のほうこそ、かなりのアルコール依存症なのではないかと思った。飲むほどに眼がギラついて、手負いの狂った獣のように、肩で息をしている。

 やがて、浜崎が戻ってきた。

「郷原先生、ご用意しました」

「ああ……。そこへ並べてくれ」

 浜崎は、抱えるようにして持ってきたジュラルミンのケースを開けると、山本が座るソファの前のテーブルに、札束を積み上げていった。山本は、目の前に展開されてゆく光景にだた、口を開けて見入っていた。

「さぁ~て。そんじゃあ、始めるとするか」

「な、何を……?」

「お絵かきさ」

「お、お絵かき……?」

 郷原は再びソファに座ると、ノートパソコンを目の前に置いて山本を見据えた。

「そう……。もしも、絶対に外れない占いがあったとしたら、山本先生は俺に、何を聞きたい……?」

「あ、あなたに……? 聞きたいこと……?」

「そうだ」

「郷原の力は、今見た通りです山本先生。この男は、女神に心底惚れられている……。予言の女神に愛された、天才占星術師……。あなたの聞きたいことを素直に聞いてみたらどうです」

「ぼ、僕の、聞きたいこと……」

 山本は、震えながら口を開いた。

「僕を騙した近藤学という男は、今、ど、どこへ……?」

「探してどうする」

 郷原は、微笑んだ。

「さ、探して、訴える……! カネを返して欲しい、許せない……!」

「ふーん……」

 郷原は、左腕のロレックスに眼をやると、今この瞬間の時刻のメモを取った。そこから、この瞬間の星の位置を割り出す。占星術というのは、“時空を切り取る”占いであると言ってもいい。質問が出た瞬間の時刻、その場所の緯度・経度から、星の位置を割り出すことができれば、ほぼオールマイティに、何でも予測の材料にすることが出来るのだ。だから、熟練した占星術師というのは、郷原のように、常に正確な時計を身につけているものである。いつでも、占いのための時空を切り取れるように――。

 描き出した星を見ると、質問の対象者を表示する星が、逆行し、赤道面からだいぶ南緯なんいに下がっている。これは目的の人物が、二度と山本の前には現れないことを意味する配置だ。

(しかし、何だ……? 姿は現れないが、この近藤という男は、もっと別の何かに、繋がっているような感じがする……。問題の星の黄経度は、136度付近か……。子どもに関したこと……。赤ん坊……。山本自身は、産婦人科医だと言ったな……。この辺りに何か、接点があるのかも知れないが、これでは、近藤からカネを絞り取るのは、無理そうだ……。さて、どうするかな……)

 爪楊枝をしきりと噛んで、そんな風に推理する郷原だった。

「……自称、ファインメディカル社長の近藤なら、諦めろ。こいつは警察に捕まるようなタマじゃない。逮捕はされることはないだろうな。組織もバックについている」

「………………」

 山本は、固まってしまった。ひと呼吸おいて、パソコンの画面を凝視する郷原の眼が、細く、険しくなった。よく星の配置を眺めてみると、見逃してしまいそうな微細な部分に、死相のようなものが浮かんでいることに、郷原は気がついた。

「なんだ、タマを狙われてる可能性があるな、この近藤って男……」

「タマを、狙われてる?」

 川嶋が好奇心で、ついのぞき込んだ。

「ああ……。刃物や、ピストルを表示する星の配置が、妙にたくさん出てくる……。天王星、火星、土星ね。おっかない星だらけ……。死に怯えた心……。しかしまどろっこしいなどうも。こんなヤツのことなんか、どうでもいい。所詮は、もはや手の届かない場所にいる男だ」

 郷原は、左腕に常にめているロレックス、エクスプローラーⅡのストップウォッチ機能を押すと、耳に押し当てて山本を見た。

「俺の質問に答えろ」

「し、質問……?」

「もしも第三者に、すべての借金をなすりつけられる方法があるのだとしたらどうする?」

 山本の瞳孔が、一瞬大きく引き絞られた。

「しかも上手く行けば、借金がチャラになるばかりか、プラスにすることすらできるかも知れない、そんな方法があるのだとしたら、どうする……?他人に泣いてもらうか、それとも、やっぱり自分が苦しむのか……。あんたはどちらを選ぶ……。山本先生……」

「あ……、あぅ……、ぅぅ……」

 静かに、郷原は眼鏡を外す。山本は口を開けたまま動揺して震えた。金縛りにあったように、郷原の眼に魅入られてしまった。長く垂らされた前髪の隙間から、射抜くように覗く、郷原の瞳……。奥二重の切れ長な双眸と、形の良い濃い眉が、独特の催眠効果を発揮しながら山本に迫った。

 しばらく静かな緊張が、場を支配していた。何秒、何十秒、経過しただろうか。心を丸裸にする郷原の視線の前で山本は、必死に平静を装ったが、自分では気づかないところで、郷原に本心を告げていた。瞳孔が、さきほどから大きく絞られていた。呼吸のリズムが、少し緩やかになっていた。乾ききっていた唇に、うるおいが戻った。瞬きの回数が増えていた。

 山本の全身が、自分の投げた質問に対して、希望的反応をしているのを、間違いなく確認した郷原は、笑い出した。

「なるほどね。自分と愛する親、女房子どもが助かるためなら、他人などどうなっても構わないと、そういうことですか先生。ははは……! 正直な人だ……! はーっはっはっは!!」

 山本は、高笑いする郷原を前に、完全な敗北感を覚えて唇をかみ締めると、膝の上に置いたままの握りこぶしに、一段と力を込めた。

「なら、奪い取ってみろよ……。殺すぐらいの覚悟でな。その覚悟があるなら、いいでしょう。そのための舞台にご案内して差し上げましょう。山本先生のリクエストに答えて、借金をチャラにできるチャンスを演出してやろうじゃないの。ただし……」

 郷原はそう言うと、ソファから立ち上がって、山本の目の前に対峙した。背の高い郷原の影が、緊張と屈辱でちぢこまっている山本を覆った。

「それをして欲しければ、ここにある1000万でこの俺を雇え」

「なっ……!!」

 

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