第十一話 CHAPTER4、罠(1)

  時刻は10時を30分回ったが、桂川興産の連中とおぼしきやつらは、まだ現れない。

 郷原は、浜崎に、自分の携帯電話を渡しておいた。それからひとり男子便所に入り、便器を一つ陣取って、ドアの外に故障中の張り紙をした。便座の蓋の上に座り、思案を巡らせる。

(すまねぇな、浜崎……。お前をたばかっちまって……。上手く行くわけはねぇと思っているが、これもまぁ、考えのうちだ……)

 息を殺して、タイミングを窺う郷原だった。その眼は、冷酷に凍てついて、鋭くつやめいていた。左手が、トレンチコートの内側の、裏地のポケットを触る。

 その中にある感触が、郷原の神経を落ち着かせた。ポケットから、郷原にとってのお守りであるそれを取り出すと、ストッパーを外してマガジンを引き抜き、中をチェックした。

 そしてもう一度元の状態にすると、無造作に、再び内ポケットに戻した。かなり雑な扱い方であるが、彼にとってはそれでいい。

 それは、ただのお守りだから。

 荒みきっていて、冷えきっている自分を忘れないための、お守りだから。 

 その頃浜崎は、店の入り口を見渡せる、店内奥の4人がけテーブルに陣取り、郷原から渡された郷原のスマホを見つめていた。

(連中も馬鹿じゃねぇ……。たぶん、夕べの俺の着信履歴を、残してあるはずだ。現れる前にはこの電話に、連絡が来ると思う……。俺のフリして電話に出て、なんとか客席に向かわせるんだ。いいな、浜崎……)

 浜崎は、郷原の白い携帯電話を見つめ、もらった錠剤を置いてあった呼び出しボタンの底で、押し付けるようにすりつぶしながら、ファミレスの入り口を緊張した面持ちで見つめていた。

 その向かいの座席には、山本が座っていて、スポーツ新聞を読むフリをしていた。

 浜崎は、山本と一瞬目配めくばせして、再びテーブルの上に眼を落すと、ラークの赤箱からカートリッジを取り出し、加熱式たばこのキャップに差し込んで吸った。

(赤いラーク――。そういえば、いつもの俺のタバコ……。郷原先生は、始めから俺を行かせるつもりで?)

 煙を吸い込み、緊張感を手なづける。不意に生まれたエアポケットのような、精神の間隙かんげきを突いて、いきなり郷原のスマホが、着信音を奏で始めた。ビクッと身構えて、電話に出る浜崎だった。山本も新聞から顔を上げて注視していた。

「はい、もしもし……」

「あんた、昨日の人?」

 電話の向こうの男は、ドスの効いた、くぐもった声である。

「あ、ああ……。例のものを持ってきた……。ずいぶん待たすじゃねぇか」

「店を出ろ」

 男は、高圧的に言う。まるで、お前に選択の余地は無いといった態度であった。

「そうはいかねぇ。俺をさらうつもりなら、その手には乗らねぇぞ……。俺はお前らの悪事を知っている。俺の身に何かあったら、一緒に連れて逃げる手筈てはずの俺の女が、警察に飛び込むからそう思え」

「なんだと……?」

 電話の向こうの声は、苛立ったような声を漏らした。

「わかった。お前は今、店内の突き当たりにいる青いパーカーを着た男だな。今からそっちへ行ってやるが、その前に通帳を見せろ……。頭の上にかざせ」

「こんなところでか?」

「いいから、見せろ。そうでないと信用できねぇ。見せられないならそっちには行かない」

「わかったよ……」

 浜崎は、茶色い紙に包んできた通帳の束を、わざと大きな仕草でビリビリと破り、中から1冊引き抜くと、それを頭の上でひらひらさせた。もちろんこれはダミーである。あとは全部ただの紙だ。

 バレバレの、見え透いたウソなのは、すぐに見破られる――。

(あの車……? もしかして、あれが桂川興産の連中……?)

 その頃田代は、ファミレスの向かい、道路を挟んだ反対側の路肩に、1台の白いフェアレディZが止まっているのを見ていた。

 資材を納入するためのワゴン車が、ちょうど田代の前を横切って、ファミレスの裏の調理場のほうへと入っていく。

(しまった……。あれじゃあ、便所から男を運び出すのに、邪魔だ……)

 そう思ったが、どうすることも出来ない。やがてフェアレディZから、一人の男が出てきた。リーゼント頭の目つきの悪い男である。もう一人、車の中にいる男は、運転席にもたれたまま動かない。田代は、山本の携帯電話を鳴らした。

「お、おい……! 今、ガラの悪い男が一人、そっちへ向かった! 浜崎くんに伝えてくれ!」

「は、はい……!」

 山本は慌てて電話を切り、入り口を見た。同時に、ファミレスの2重扉をカランと鳴らして、男がやってきた。

 リーゼント頭の、その男――。浜崎に合図するため、用意していたタバコを唇につけたまま、山本は、固まってしまった。

(あの男――。そう、あの男だ……。刑事だと言って、僕のところに通帳と、キャッシュカードを寄越せと現れた二人のうちの一人……。見間違えじゃない、覚えている!!)

「あ、ああ……!」

 山本は青ざめて、持っていたスポーツ新聞で、すぐに顔を隠した。

 

 

**

(さて、どうするかな……。あのZ、中にもう一人いる。たぶん俺のことも、この車も監視されているはずだ。それにしてもあの白いワゴン、邪魔だなぁ……。なにも便所の前に止まらなくてもいいのに……)

 田代は、ワゴン車のほうを見た。ワゴンの運転手は、図体の大きな坊主頭の男で、調理場のほうへと消えていった。中の従業員にでも、挨拶しているのかも知れない。

 田代は、まんじりともせずに時間を過ごした。正直、浜崎の様子が気になるが、動くこともままならない。男が店に入ってから、すでに10分が経過していた。店内の浜崎は、どうしている――……?

(ちくしょう……。これじゃあ、薬を混入するなんて無理だ……。まるで隙がない……)

 浜崎は、焦っていた。男は、余裕の表情を浮かべて、浜崎の前でタバコを吹かしていた。

「お前、俺たちの悪事を知っているだと……? ハッタリ噛ますのも大概たいがいにしておかねぇと、痛い目見るぞ? お前こそ、口座を持っているなんてフカシだろうが……。要求はなんだ」

「要求……? だから、カネを寄越せってことだよ」

 浜崎が、いぶかしげな眼で男を睨む。

「なに言っていやがる。お前みたいなヤツがチラチラしていると、先生が困るんだよ……。お前はどこのモンだ。中国のことなら俺たちは無関係だ。近藤を殺ったのは、お前らなんだろうが――。いくらで請け負った? ああ??」

「……………??」

 どうも話が要領を得ない。先生? 中国?? 殺し……??? こいつらは、何の話をしている――??

「まぁいいや。その話はあとでじっくり聞こうじゃねぇの。ククク……。とりあえずションベンでもしてくるか……」

 意味深に笑って、誘うように浜崎を見ると、テーブルから立ち上がる男。

(やった……! べ、便所に立ったぞ……! すぐに後を……!!)

 男が用を足しに、便所へと消えたのを確かめてから、すぐに山本と目配せして、浜崎は自分たちも急ぎ、便所へと向かった。

 レジの前を通り過ぎ、従業員室の手前で、奥まった男子トイレのドアを、男を追って開けた。

 そのときだ。もう一人の別の男が、扉の向こうに立ちはだかっていた。さっきまでフェアレディZの運転席で待機していた男であった。

「おいおい……。お前ら、まさか古典的に、あいつを便所の中で攫おうなんて、考えてるわけじゃねぇだろうな……。残念だがそうは行かねぇ、諦めろ」

「くッ………!!」

 浜崎が、拳を握りしめたその時。

「お、お前は、あのときの……!」

 山本が、震える声を出した。

「なに……? 何だ山本センセェ……、こいつを知ってるのか?」

「さっきの男と、こいつなんだ!! 僕のところに、刑事だと言って通帳とキャッシュカードを寄越せとやってきたのは……!!」

「な、なんだって?!」

「そういうことか。この間のマヌケな医者……。お前が俺たちを呼び出した。ぬかったな。単なる勘違いじゃねぇか」

 立ちはだかる男はそういって、少しいまいましそうに頭を掻いた。

「勘違い……?? 勘違いって……??」

 山本は、男のつぶやきに凍り付いて、立ち尽くしていた。それをチッと舌打ちして、浜崎が、男を組み伏せようと腕を伸ばした瞬間。

 鈍い音が便所から聞こえてきた。グフッと、呼吸が吐き出される音と、間を開けずに低い呻き声。ドスッとサンドバッグを叩いたような音。強い暴力に、あばらが軋む音、だ――。

「ご、郷原先生……!!!」

「ククク……。バカめ。事情聴取に中の男は攫っていく。あばよ」

「クソ……ッ!! ま、待て!!」

 浜崎が、便所の中に逃げる男を追いかけて、扉の向こうに踏み込むと、すでに郷原の姿はなかった。

 立ちはだかっていた男は、小便器を足場にして、窓に乗り上げ、そのままするりと窓の向こうのワゴンに飛び移った。同時に、発進する音。

「あ、うあ……!!」

 山本は慌てて、田代の携帯電話を鳴らそうとしたが、時すでに遅しである。騒ぎを聞きつけて、店内から店員が何人かやってきた。

「ど、どうしたんです?!」

「くっ………!!」

 男の店員に取り囲まれる浜崎だった。外にいる田代はまだ気づいていない。白いワゴンが目の前を通り過ぎたので、これでやっと、便所の前に横付けできると思って、車を動かしていた。その荷台に、郷原が押し込められているとも知らず――。

 山本が、ファミレスから走り出てきた。

「田代さん――!! あの白いワゴンだ!! あのワゴンを追いかけて、早く!!」

「あ~……??」

 田代は唖然あぜんとしていた。

 

 

**

 後頭部に激しい痛み。口の中に、どういうわけか塩分を感じた。鉄さびのような味――。唇が、切れている。ズキズキと、焼け付くように頭が痛む。鳩尾みぞおちにも、こみ上げるムカつき――。体中の痛みが、自分が暴行されたことを、郷原に教えていた。

 まるで水底から見上げた世界のように、視界が揺れている。

「………………?」

 郷原の眼鏡が、ひしゃげて、ピントが合っていないせいだ。郷原が眼を覚ますと、そこは、閉店後のスナックのような場所であった。

 郷原は壁を向いて、ボックス席のソファの上に転がされていた。

 手は後ろ手に、きつく布で縛られていた。足も同様に、脛のところに布を何重にも巻かれ、縛られていた。

 郷原の鼻を、キツい匂いが刺激した。

(タバコの煙……。誰かそこにいる……?)

 上体を動かして、芋虫のように這いずり、床の上に転がり落ちた。

「クッ……、たた……。あー、痛ってぇ……」

 無様ぶざまだが仕方がない。郷原は首や肩、腹筋を総動員して、なんとか上体を建て直すと、ボックス席に背中を預けて、床に座り直した。

 男が二人そこにいた。さっきのファミレスで、浜崎と話したオールバックの男と、もう一人は坊主頭の、スウェット姿の巨漢だ。

「気がついたようですぜ? 松木まつきさん」

「ああ……。そのようだな……」

 松木、と呼ばれたオールバックの男は、むくりと起き上がった郷原を見てタバコを吹かしていた。二人は、スナックの入り口の前に座り、郷原を見ていた。

 広さ約20平米へいべい……、だいたい和室で8畳かそこらの、小さなスナックだ。郷原は、入り口から向かって左側にある、ボックス席に転がされていた。その反対側にはカウンター。カウンターにはバーチェアが6脚……。黒い壁紙と、黒いカウンター、黒い洋酒棚に、ワインレッドのバーチェアと、ボックス席が色映えていて、洒落しゃれたムードのスナックであるが、カウンターの上にはカラオケ用の機材と、テレビも置かれていて、ごく普通の、場末の小さな店という感じであった。

 松木という男と坊主頭の巨漢は、起き上がった郷原に対して反応が薄かった。ただ淡々と、手持ち無沙汰にタバコを吹かしているだけだった。

「なんだどうしたよ。人のことこんなに痛めつけて、拉致らちったわりには、リアクションが薄いじゃねぇか。もっと盛り上がれよ」

 そういって、郷原がけしかけた。

「今、お前に用のある男を社長が連れてくる。それまで待ってろ」

 松木が言った。

「俺に、用がある男だと……?」

「ああ……。しかし、見当違いだった可能性もあってな……。悪かった。手荒な真似をして。ただ、お前が何者なのか、何をするためにわざわざ俺たちに接触してきたのか、それをはっきりさせるまでは、こちらも安心できなくてよ」

「ふーん。あんたたち、まんざら悪い人たちでもねぇのかもな……」

 郷原は、不敵に唇の端を歪めた。

「まぁ、俺たちは、社長がある男を連れてくるまで、見張ってるように言われただけだからな。お前をどうしろとかは」

「ふーん」

 やり口が、まるで素人だ。これじゃあ、逃げてくださいと言っているようなもの……。しかし、せっかくの機会……。これを利用しない手はない……。郷原は言った。

「悪い……。あんたらに殴られたせいで、眼鏡がひん曲がっちまってよ。フレームが眼に刺さりそうで恐い……。ちょっと眼鏡、外してくんない?」

「あ~……? しょうがねぇな。自分で取れないのかよ」

 丸坊主が、立ち上がると、郷原に近づき、眼鏡を外してやった。それから後ろ手に縛られた手に、眼鏡を握らせてやった。

「サンキュー……」

 郷原は、手のひらに収まった眼鏡を撫でる。おあつらえ向きに、折れてひしゃげた眼鏡は、ところどころ鋭利な部分が出来ていた。

 それで、手を縛る布をこする。

 松木と丸坊主は、ヒマそうにきょろきょろして、所在無しょざいなげだった。

「この店は、あんたらの知り合いの店?」

「あ~……? さぁな。お前に答えるこっちゃねぇだろ」

「クク……。そりゃあそうだ」

 手を動かす。擦っているが、なかなか思うように、布は破けてくれなかった。それよりも、手首を動かしているうちに、なんとなく緩むような気がした。眼鏡を、隙間に突っ込んでみた。隙間に突っ込み、こじってみる。こじっては休み、こじっては休む。連中の気をそらせながら――。

 こんなときの会話――。俺は、占い師だ……。人の心の隙を突くのは、得意のはずだろ……?

「あんたら、タバコ好きだねぇ」

「んあー……?」

「いや、俺こう見えて、タバコって吸わないからさ。よくこんな、閉めきったところで吸えるなぁって。俺が女だったら、タバコ吸う男なんか、絶対チューすんのイヤだけどな。あんたらの彼女、そういうの寛大なわけ?」

「あー……? 別に向こうも吸うもん。両方とも吸うんだから、気にしねぇだろ? 俺は逆に、タバコ吸わない女のほうが面倒だ。なんか、冷やかな眼で見られるとムカつくからな」

「なるほど……。そりゃあ確かに、リクツだな……」

 眼鏡が、こじった勢いで、余計にひしゃげてきた。ゆっくりとなおもこじり、こすり、ひねる。ごくわずか、縛り目が緩む感覚――。手が、抜けるかも知れない、もう少しで――。

「お前、まるで吸わねぇの?」

 信じられないという風に、坊主が目をいた。アウトローのくせに、という意味だ。アウトローが、退廃の一つの象徴であるタバコを、吸わないというのが、坊主にはにわかに信じられないのだった。

「まぁ、そりゃあ、吸ったことが無いわけじゃねぇけどよ。どうもこう、溺れられないっていうか。タバコ吸うやつってさ、タバコの奴隷みてぇなところあるじゃん。俺はプライドが高い男だから、そういう、何かの犬になる、奴隷になる、溺れて支配されてしまうっていうのを、どうも軽蔑したくなる……。そんなわけで、タバコも辞められないやつは、俺の中では、真にめ切れていない弱虫……。脆弱者ぜいじゃくもの……。そういう認定になるね」

「言うじゃねぇかコラ……」

 松木が、立ち上がった。

「誰が脆弱だと? それとこれとは関係ねぇだろが」

「関係? あるさ。一事が万事ってぇヤツだ。タバコや女に溺れるヤツはどいつもこいつも、脆弱者……。精神の弱い、不安定な人間……。強がって、自分の弱さを隠そうとしているつもりでも、むしろその逆、本当は恐い……。自分の精神の弱さを見抜かれることが……。だからタバコを吸ったり、酒に溺れたり、女や子どもを縛り付けて、押さえこんで、捨てられる恐怖をごまかす……。とっくに見放されているのにな。クク……。どうせこのスナック、お前らの社長とやらがとち狂っている女のスナックだろ……。その女を恐怖で支配するために、わざわざ俺を連れ込んだ……」

「コイツ!! フカしやがって!! 社長はそんな人じゃねぇ!!」

 松木は怒りに任せて、郷原の胸倉を掴んだ。

「憐れだな、犬め……。お前の社長が女に貢ぐためのカネを稼がされている、憐れな犬だお前らは……。あらゆることに支配され、束縛されているくせに、自分は強いと虚勢を張る、惨めなワン公……」

「なんだと!! テメェはヤクザじゃねぇのかコラ……。テメェだって、上のモンにかしずいて生きてんじゃねぇのかよ……!」

 松木は、郷原を締め上げた。締め上げて、髪を掴み、そしてボックス席の椅子に、顔を押し付けた。丸坊主も怒りの形相を浮かべて、郷原のところへ近づいてきた。

「構うことねぇ、松木さん! やっちまいましょうぜ、こんなヤツ!」

「おう! 黙って聞いてりゃあ舐めやがってっ…! お前だってバックがあんだろがっ! お前だってヤクザじゃねぇのかよっ!!」

 丸坊主が、後ろに回りこみ、手足を縊られて動けない郷原を起こした。松木がそれへと、高々と足を上げて蹴りを打ち込む。グフッと、鳩尾に鈍い音がして、胃液がこみ上げてきた。それでも郷原は矜持の眼をして、うそぶき続けた。

「ヘッ、俺は違うね。俺は何にも支配されない、溺れない。女にも、組織にも、上の連中にもな……。お前らみたいに孤独を恐れ、死を恐れ、自分のツマんねぇ欲も捨てられない、欲に縛られた甘ちゃんと、俺を一緒にすんな。俺はいつだって死んでやる……。命も他人も、俺を縛ることは出来ない……!!」

 松木と、丸坊主の目が、衝動的な怒りで真っ赤に燃え上がった。

 鳩尾に、松木の膝が入った。丸坊主が、背後から締め上げた。容赦なく拳が顎に食い込む。奥歯の砕ける音――。首筋に当たる殴打――。

 次の瞬間、乾いた檄鉄げきてつ音が響いて、丸坊主の体が壁に吹っ飛んだ。

 ぎゃあっと悲鳴を上げて、その場に崩れる丸坊主である。松木がそれにひるんだ瞬間、郷原は松木の襟首を掴み、そのこめかみにお守りを押し当てていた。

「ひ、ひ、ひぃぃぃ!!!」

「動くな」

 ベレッタ・M91――。イタリア軍の歩兵用自動拳銃――。郷原のお守り――。

「な、な、な………!! んで、んなモン持ってる……???」

「ヘッ、んなこと、お前に答えるこっちゃねぇだろ」

「そ、そ、そりゃあ、そうだ……、あわわ!!」

「おいデブ」

 郷原は、足元に崩れている坊主に、顔を近づけた。

「この布をほどけ……。早くしろ……」

 坊主は、恐怖と苦痛に涎を流し、涙と鼻水で汚れていた。郷原が超至近距離から撃った9mm弾は、坊主のわき腹を深く抉り、壁にめり込んでいた。

 その弾痕を、まるで華やかに赤い花びらが飾るように、肉片や細かい血しぶきがスプレー状に取り囲んでいた。銃口を押し当てるように発砲したせいで、発射時の薬莢の爆発がそのまま、壁に肉片を転写したようである。坊主の腹からは生々しい鮮血が滴っていた。

「あ、あぅ、ぅぅ………。こ、ろさな……いで……!!」

「いいから、早くけコラ……。もう一発お見舞いしてやろうか、ああ……??」

「ひ、ひぃッ……!!」

 狂気を宿した郷原の眼に、坊主は震え上がった。その足の布を解こうとしたが、思うように力が入らない。

「仕方がない……。松木とか言ったな……。テメェがやれコラ……」

 銃口を押し当てられた松木は、青ざめて、唇を震わせ、恐る恐る足の縛めを解いた。

 坊主は、這いずるように入り口のほうへ移動してゆく。それを目の端に捉えながら郷原は、すばやく松木の首根っこを押さえると、カウンターの中へ連れ込んだ。そして、今自分を縛っていた布で、松木の腕を縛り上げ、余った端を冷蔵庫の取っ手に結んだ。

「う、ぅぅ………」

 血まみれで這いずり、ふらつく手でどうにか、ドアを開けようともがいている坊主を、カウンターから素早く移動して、蹴り上げた。

「はぐっ!!」

「動くな。動くと余計失血して、死ぬぜ……? 大人しくしていれば殺しはしねぇ……。用が済んだらすぐ医者へ行け。もっとも、それまで生きていればの話だがな……。ククク……」

「う、うぅぅ………!!」

 坊主は怯え、涙を流し、失禁していた。それを一瞥して、店の中を捜す郷原であった。

 店内突き当たりの物置のようなスペースに、タオルが何本か吊るしてあった。それを取り、坊主と松木を固定し、さるぐつわを噛ませると、身体検査をして二人の携帯電話を取り上げ、店の電話の電話線も引き抜いた。

 そして、店内の照明を落す……。

 真っ暗闇――。勝負は一瞬で決まるはず――。

 ベレッタを構え、ドアの脇に立つ。こいつらの兄貴分がここへ連れてくる男……。星の言うことが確かならば、それはたぶん、あいつのはず……。

 郷原の予感が、彼の脳内にアドレナリンを分泌させる。その眼は、狂気に血走り、口元は興奮で歪んでいた。

 

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