CHAPTER5、実行犯・江川夏実と岸本正巳(3)

 

 郷原は思わず刑事に掴みかかろうとしたが、田代がすかさず後ろから彼を取り押さえた。刑事は皮肉を込めて言った。

「ガールフレンドが誘拐されたのは、あなたが悪いのですよ郷原さん。最後の王朝だかなんだか知らないけど、反社会勢力の一味を気取って、あくどいカネ儲けして、暴力団の仲間で居続ける……。暴力団などやっているから、親しい人を危険な目に遭わすのだ……。これを機会に足を洗うことですね。占いからも、ヤクザからも」

「テメェッ!!」

 郷原は、怒りのあまり刑事たちの手前にある机を蹴り飛ばした。田代一人では抑えきれないので、すぐに川嶋も止めに入った。

「やめろ郷原ッ!! 障害罪で、お前までしょっ引かれるぞっ!!」

「くそっ……」

 郷原は、ソファに座り直されてしまった。刑事二人はやれやれ、と一息つくと、川嶋のほうを上目使いに見た。

「あなたがた反社会勢力が勝手に、相手に報復したり、女性の捜索をするのは感心しません。捜索や解決は一般市民同様、我々に任せること。いいですね?」

「だから、立ち入り禁止区域をっ!!」

 郷原が言ったが、刑事はバカにしたように微笑んだ。

「ですから、それもね。可能性としてはもちろん検討します。しますともええ。しかし、捜査会議で承認されなければ人員も、費用も、必要な物品もそろわないのです。まずは岸本正巳について調べ、証拠を固めて捜査本部を説得する……。それしかありません」

「そんなタルいことやってたら、北山が殺されてしまうッ!! 頼む、今すぐ原発周辺を……!! 立ち入り禁止区域を調べてくれよッ!! 占いでそう出てるんだッ!!」

 立ち去る刑事たちを追いかけて、郷原は懇願したが、刑事たちはそのまま無視して郷原のホテルの部屋を出ていってしまった。

 郷原は、拳を固く握りしめていた。

「くそっ……!!」

 そして、怒り任せにクローゼットを開けると、何本か吊るしてあるスーツ用のネクタイを取り出して、自分の首に巻きつけ、一気に搾り始めた。

「バッ……、バカ野郎ッ!! 何してるんだ郷原ッ!!」

 川嶋は慌てて郷原を捕まえた。田代もだ。

「バカッ!! あの子が誘拐されたくらいで取り乱すなっ!!」

「ち、違うっ!! そういうんじゃねぇったら!! どうやったら占いがもっと真剣になるのか、ちょっとやってみただけだっ!! こうなったら原発の中の、北山がいる範囲をピンポイントで見つけ出すしかねぇっ……!!」

 郷原は、二人を思いっきり突き放した。

「お前……、それほどまであの子のことを……?」

 川嶋が悲しい眼をしていうと、郷原はムキになった。

「ばッ!! バカッ!! 違う!! そんなんじゃねぇッたら!! 俺と北山あかりには、特別な関係など何もない。誤解しないでくれ。このままじゃ寺本組まで、世間に笑われちまう、それが許せネェだけだッ!!」

「そ、そうか……。ならいいが……」

 川嶋は、それを聞いて安堵の表情を浮かべた。郷原は、再び頭を抱え込んだ。

「クソッ……。どうすりゃあいいんだ……。俺は、追い詰められなければ断言できない占い師……。殺るか、殺られるかの本物の緊張感……。それが無いとダメだっ……。ダメなんだ俺はっ……」

「郷原……」

 川嶋は、焦りで頭を搔きむしる郷原の背中をじっと見た。その時だ。

 突然、郷原の部屋の電話が鳴り響いた。

 一同、何とも言えぬ緊張感である。その電話の音が、黒い瘴気となって部屋中に満ちて行くのがわかる――。

「……な、なんだこの威圧感は……」

 郷原が、電話に見入っていると、電話の呼び出し音はいっそう黒い波動を強めて、郷原に出ろと急き立ててきた。ごくりと唾を呑んで郷原は、受話器を取った。

「アロウ? ミスター郷原?」

 電話の向こうから聞こえる声は、郷原がまるで知らない男の声だった。どこか陽気なトーン……。

「テメェは誰だ」

「I’m glad to meet you。やっとあなたに電話がかけられました。嬉しいですね」

「……お前……、ガイジンか……? 何者だ……」

 郷原の声は、自然と怒気を含んで低くくぐもった。

「How are you? ご機嫌いかが?」

「……喧嘩売ってんのかコラ……。テメェは誰だと聞いているのはこっちだっ!」

 郷原の声はいっそう凶悪になった。背後にひかえる川嶋には、殺気がびんびん伝わってきた。田代はすぐにボイスレコーダーをセットして、音声を拾うために郷原の口元と受話器の間に向けた。

「そうですね……。クリシュナ、と呼ばれています。日本人にはね……。インドの英雄……。バガヴァッドギーターや、マハーヴァーラタといったインド叙事詩に登場する神の名前……」

「つまり、テメェは神ってことか、ケッ」

 郷原は思わず、ずっと噛んでいた爪楊枝を床にペッと吐きだしていた。戦闘態勢である。

「おお怖い。そうやってピックを吐きだす仕草、昔テレビで見た日本のチャンバラヒーローと同じです。何といったか……。ええと……」

「……この部屋を監視していやがるのかお前……」

「ええ。見ていますよ。あなた以外にも他に二人男性が……」

 郷原は、受話器を持ったまま周囲を見回したが、監視カメラのようなものがどこにあるのかわからなかった。

「お前、ウィオスとかいう変な財団の人間だな?! いったいこの俺になんの用だっ!! 北山を返せっ!!」

「フフフ……。なんですかその態度は……。私は、せっかくあなたのDNA鑑定の結果が出たので、知らせてあげているというのに……」

「なんだと?!」

 郷原の顔が、怒りで赤く染まっていた。

「じゃあ、岸本正巳に俺の部屋へ忍び込むよう、指示したのは……」

 テメェなのかっ?! という郷原の声に、クリシュナはフフッと笑うと、余裕タップリの声で言った。

「……よくぞ今まで……。三十数年もの長い間、隠し通せたものだ……。世間を騙し続けてきた……」

「テメェッ……!!!」

 郷原は思わず、電話の向こうの壁を思いっきり拳で殴っていた。バキッと大きな音がして、壁がへこんだ。クリシュナは「おお怖い。本当にあなたは、すぐキレる子どもですねぇ」と笑った。そして余裕で告げた。

「あなたはさきほど、苦悩していましたね……。自分で自分を脅かすなど出来ないと……」

「………………」

「ならば、私があなたをおびやかして差し上げましょう」

「なんだと?!」

「私は、あなたと遊びたいのです郷原さん。占星術でね……。あなたの占いが、波動関数をどう打ち破るのか……。波束の収縮現象をどう見せるのか……。フフフ……」

 郷原の瞳孔は、一層の焦りで大きく見開かれた。体中のうぶ毛が逆立った。

「ふざけるなッ!! わけのわからんこと抜かしやがってッ!! 北山は無事なのかっ!! 答えろッ!!」

「ああ、あの女の子ね……。無事かどうかは、私にはわかりません。それこそ、今の彼女は量子状態……。何せ、あなたの大事なリトルガールを攫っていった連中とは、別行動をしているものですから」

「テメェっ……!!」

 郷原はまた、拳で電話機が置かれた壁を殴っていた。田代が見かねて郷原の手を掴んだ。拳の皮膚が破れて、血が滲んでいた。

「とにかく私と遊びましょう。ガールフレンドと引き換えにね……。どのような出来事も、いずれ量子状態は終わり、波束の収縮が起こってケリがつく。女の子を見つけなさい郷原。女の子を占いで見つけ出したとき、あなたはこの私の元へ……。神の高みへ招待される……。フフ……」

 健闘を祈ります、と、最後に言うと電話の向こう――。クリシュナと名乗った謎の外国人は、電話を切った。

「くそっ!! 切られたッ!!」

 郷原は、腹立ち紛れに受話器を叩きつけた。

「俺と、占星術で遊びたいだと……? 量子状態……? 何のつもりだいったい……」

 しばらくきょろきょろと室内を見回した。

「あそこか……」

 郷原は言いながら、ホテルの壁に架けられた小さなフォトグラフの前に進むと、額受けの飾りのあたりをいじり出した。田代と川嶋が注目していると、何やら小さな部品を外した。

「監視カメラだ。こんなところに……」

「シャツを盗んでいったヤツが取り付けていったんだな……」

 川嶋は念のため、郷原が外した小さな部品を、ハンカチで包むと、田代に手渡した。

「岸本正巳の指紋がついているかも知れん。これは警察に届けよう」

「……くそッ……」

 郷原は、いまいましそうに吐き捨てた。

「まだ監視カメラが残っているかも……。このホテルはもう引き払ったほうがいい」

 川嶋が言うと、郷原は首を左右に振った。

「いいや……。ここで今、ハッキリ敵とつながった。岸本が裏で関係していることも……。ここには、連中の残留思念が残っている……。俺はここで、もっと北山の居場所をサーチしてみる……。占い師としての俺の実力が、今試されているんだ……。ピンポイントで北山の居所が掴めたら……」

 調べるの、助けてくれるよね……? と、郷原は弱々しく二人を見た。川嶋も田代も、郷原の肩を叩いて「もちろんだ」と言った。

「防護服なら、寺本組の関係企業にいくらか置いてあるし、なんならヘリだってチャーターできる。こうなったらヤクザの底力を警察にみせつけてやるさ。安心しろ」

「そうだよ! 立ち入り禁止区域に行くなんてなんでもないさ」

「……ありがとう……。二人とも……」

 郷原はそのまま、ずるずると壁伝いに、前髪を掻き上げてへたり込んでしまった。

「もう、今は一人になりたい……。悪いけど二人とも帰って」

 田代と川嶋は、顔を見合わせた。

「あとは俺の問題だ。頼む。集中したい。一人にさせてくれ」

 田代と川嶋は、心配そうに互いを見合ったが、郷原の言う通りにする以外になさそうだ。頷きあうと、二人は郷原を残して、ダイヤモンドパレスホテルを後にした。

 

 

 

**

 それから。

 郷原は一人、ジャックダニエルを煽りながら、インターネットや書籍を漁り、あれこれ考えていた。先ほどの外国人――、クリシュナの命令で、実行犯が平安ファイナンスに残していったA4コピー用紙に印刷された、謎の方程式をもう一度じっくり眺めてみた。

 

     郷原悟様。お会い出来る日を楽しみにしています 
        |ψ(x,t) |²=ψ’(x,t)ψ(x,t)

 と、ある。

 先ほどのクリシュナも自分と遊びたい、と言っていた。つまりは、このA4用紙の暗号は、クリシュナからの挑戦状であるのは間違いないだろう。

(刑事はこれを、波動関数だと言っていた……。量子力学か……。クリシュナの野郎は、占いで北山あかりを見つけてみせろと――)

 前髪を掻き上げ、爪楊枝を噛んだ。

 郷原自身には、科学の素養も、数学の素養も無い。しかし、わざわざ血液の付着したシャツを盗ませ、自分のDNA鑑定までした外国人である。郷原の生い立ちや学歴は、知り尽くしているはずだ。

 知っていてこんな、ややこしいことをする――。それはつまり――。

(この方程式そのものを解け、ということではなく、この方程式が何を言いたいのか見極めろってこと――。たぶん……)

 頭を搔き上げながら、パソコンで、「波動関数」「量子力学」などのキーワードを入力して、記事を読んだが、素養のない郷原にはちんぷんかんぷんだった。

「くそっ、なんなんだよコペンハーゲン解釈って……。量子エンタングルメントだの、トンネル効果だの……。なんのこっちゃ……。自慢じゃねぇが俺ぁ、高校も行けてねぇ少年刑務所上がりだってのバッカヤロー……」

 心の中に、北山あかりが浮かんできた。

 今ごろあかりは、どうしているのだろう。すでに殺されたかも知れない……? だけど、どうにもできない……。手がかりもない……。

(北山、お前はいったい、今、どこに――? 心の中で呼びかけたら、答えてくれないかな――……。テレパシーで通じ合えたらいいのに……。もっと俺を呼んでくれ……。強く強く……。そうすれば、もしかしたら……)

 やがて疲労からか、郷原はそのまま書斎でウトウトしてしまった。その眠りの間に、彼は不思議な夢を見た――。

 

 

 

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