第二十八話 CHAPTER9、占い賭博(3)
パァァァ……ン――!!!
鼓膜が張り裂けそうなほどの銃声だった。たましいごと、粉々になりそうな爆発が、とたんに郷原をこの世ならざる空間にとどめていたドーパミンの分泌を、完全に止めた。
4発目――。
現実の、椅子に手足を括られた郷原の肉体が、恐怖ではげしく暴れ始め、足腰にはめられた枷が血の滲むほど食い込んだ。
このとき、見物用の離れたソファで、郷原の様子をじっと見ていた志垣、川嶋、寺本、そしてその場に居合わせた者すべてが、郷原が精神分裂を起こしたのをはっきりと見て、ゾッとしていた。
椅子に括られ、ぶつぶつと心の壊れた廃人のようになって、眼をたぎらせ、見えない何かと話しているように見える郷原。口からは涎を垂れ流し、起立した股間をかすかに濡らして、まことに痛ましい、狂いきった、おぞましい人間の極限――。
しかし、4発目の弾丸の音を聞くや、電光石火にペンを取り、眼をカッと見開き、殴りつけるように必死で文字を綴りはじめた。
「俺は、俺は、誰にも支配されはしないっ!! 俺が欲しいのはカネだっ!! 権力だっ!! バカにされない人生だっ――!! あいつがくれる温もりなんかじゃないっ!! 誰が安っぽい神秘になどっ!!」
閉じて行く郷原の精神世界の狭間で、郷原を誘惑したくて仕方のない悪徳の女神が、叫んだときにはもう、遅かった。郷原は、星など関係なく、自分が素直に感じた内容だけを、そのままメモに走り書きしていたのだ。
そして、便箋を高らかにかざす――。
「かっ!! 書けたぞっ!! 書けたっ!! 止めてくれっ!!」
すぐに浜崎が駆け寄り、郷原の手から便箋をもぎとって、志垣と寺本に見せる。書かれた文章を目で追った志垣は、眼をひん剥いて驚くと、すぐに手を上げた。
駆けつけるスタッフ。機動隊が使うジュラルミンの盾を持ったスタッフたちが、すぐに郷原の前にバリケードを展開した。
「はっ! 早く解けコラ!! は、早くっ!!」
パァァァ………ン!!!
5発目の銃声――。
目をつぶり、肩をすくめ、凍りつく心臓――。恐る恐る、眼を開けてみる………。最後の弾丸は、ジュラルミンの盾をぶち抜き、さらにバリアにしていた鉄板に当たって、かなり威力を殺されたらしく、防弾チョッキを着ていたスタッフに当たったが、肌が赤くなる痛みを胸板に残す程度で、なんとか床に落ちた。
助かった―――。
すぐに革ベルトを解かれ、自由にされる郷原――。
郷原が書きなぐった便箋を、志垣と寺本は、目を丸くして読んだ。
「ほ、本当に、こんな展開が……?」
そこには、こんな予言が記されていたのだ。
“勝者・池田原口コンビ。しかし、二人は正規の勝ち方をしない。試合は中断され、不戦勝のような形になる。何らかの理由で重傷を負う山本。死ぬかも知れない状態に陥る”
「な、なんとっ……!! 正規の勝ち方をしないだと……? どういうことだ……?」
志垣は、身震いした。
「しかも、セコンドの山本が瀕死……?? 信じられない……」
郷原は、浜崎の助けを受けながら、やっと立ち上がると、そのままどっかりと、空いたソファに崩れ込んだ。
「本当に、こんな未来が見えたのか、郷原……」
寺本厳が、ソファに崩れた郷原を見下ろすと、郷原は組長を睨め返した。まるで見境いなくかみ殺しかねない、狂犬じみたその眼に、さすがの寺本も一瞬たじろいだ。
「わからない……。わからない、もう何も……。俺にわかるわけないだろっ!!! 俺は自分の思うままを書いただけだっ!!」
「おい、今、デスティニーのオッズは、どうなっている?」
「今のところ、9対1で橋爪勝利を予想する会員が、圧倒的です」
「9対1、か……。これでは元返しだな。賭けとしてはつまらないが、俺も確かにそう感じる。橋爪が負けるなど……。もし原口が勝ったら、原口に張ったほうは大興奮だ。しかし……」
「郷原の占い勝負は今年、2戦2勝……。全部勝っています。それを考えると今回も、当たるのかも知れないという考えは、捨てられないのでは……」
川嶋が、寺本組長に顔を向けて言った。
「ふむ……。まぁいい。ネット会員たちには、郷原のこの予想を、メールで配信しろ。占い予想がどの程度の精度で当たるのかを、賭けたがる連中だからな」
「わかりました。おい浜崎、すぐにネット会員たちに、占い結果をメール配信して、占い賭博のオッズを決めろ」
「はいっ!!」
川嶋の命令に、きびきびと答えた浜崎慎吾は、すぐにスィートルームの別の部屋へと移動して、占い賭博を楽しみたい連中のために、ゲームを仕立て始めた。
志垣は、占い予想の書かれた紙をしばらく覗き込んで、好奇心に目を輝かせていたが、しかし、急に表情を変えた。言葉のアヤ――。そこがどうしても、引っかかるのだ。
「フフフ……。なかなか迫真の占いでしたよ、郷原さん。本当にあなたが発狂したのかと思えるくらい、楽しい占いの様子でした。しかし、ここが引っかかります。ここをあなた、どうするので?」
疲れ果て、眼の焦点がまだ合っていない郷原の前に、郷原が書きなぐったメモを、突きつける志垣である。
「引っかかる……? どこが……?」
「ここですよ、ここ。 “何らかの理由で重傷を負う山本。死ぬかも知れない状態になる”――。 ここの記述、ひっかかりますねぇ……。死ぬ “かも” 知れない、はないでしょう? 死ぬ “かも” 知れないは。ここをあなた、どうするんです?善人の山本はけっきょく、死ぬんですか? 生きるんですか?」
ヘビのように、狡猾に笑みを浮かべて、いたぶるような志垣の追及が、郷原の精神を現実に引き戻した。
「あ………」
占い文の中の、わずかな汚れのような、逃げの部分――。そこを志垣は、指摘したのだ。
「さぁ……。そこまで言い切らなければ、私はあなたの占いを、当たったと認定できません。山本は死ぬんですか、生きるんですか。今この場で決めていただかないと、占いとして中途半端です」
「う…………」
郷原の脳裏に、一瞬垣間見えた景色――。それが蘇る――。
あのとき、死に限界まで近づいた郷原の精神が捉えたのは、仰向けに倒れている山本の姿であった。それ以外には何も見えなかった。
(あれは死んでいる――? 生きている――?? わからない……。わかるものか……。実際に、その時、その場所に居ない限り、わかるものかそんなものっ……!!)
郷原は、思ったままを口にした。
「わかるわけないでしょ……。そんなもの……。そんな風に感じた、思ったというだけなんですから」
それに対し、志垣は首を振る。
「いいえ。勝者が池田だと断言したあなただ。生きるか死ぬかも断言すべきです」
「なら、山本が生きるほうでいいよっ」
「それは、占いがそう言っているのですか?郷原さん」
「占いなんか関係ねぇ!! 山本が生きるほうを俺は、信じるっ!!」
「し、信じる……?? 信じるですとっ……?! ダメです、そんなのは……!! ならば、賭けなさいよ、信じるならば……。信じるなど、口で言うのは簡単です!!」
「どうしたんですか、志垣さん」
異変に気づいて、寺本と川嶋が、郷原と志垣の元へやってきた。
「ああ、寺本さん、ここの記述、逃げだと思いませんか?死ぬ“かも”なんて書き方はないですよ。これはくだらない、テレビや雑誌の星占いではありません。私と郷原さんの、真剣勝負なんだ」
「んじゃあ、何を賭ければいいんだよ……。賭ければいいんだろ! 山本が生きるほうにっ!」
ガン! と、大きな物音が響いた。苛立って思わず、手前にあったテーブルを、志垣に向かって郷原は蹴飛ばした。
————————- 第34部分開始 ————————-
【サブタイトル】
占い賭博 4、
【本文】
「フフフ……。苛立ったってダメです。生きるというなら、賭けなさい。だいたい、世間のやつらは占い師などという、いかれぽんちに甘すぎる……。人様に圧迫感を与え、人生を迷わせる予言をするからには、外したら責任をとらせるべきなのだ……。世の中の誰も、占いを糾弾しないから、世間にはバカな占い信者が溢れかえっているのです。私は、占い師は責任を取るべきだと思います。郷原さん、言い切る、信じるならば賭けなさい……。さぁ……!!」
「わかったよ……。んじゃあ、腕でもバッサリ取ってもらおうじゃねぇか……」
「右腕? 左腕?」
ペンを取り出し、寺本と川嶋の目の前で、更に証文にしたためてゆく志垣であった。
「じゃあ、左腕だ」
まるでふてくされた子どもみたいに、背中を向けて、ぶっきらぼうに言う郷原を、川嶋は、いたたまれない顔で見つめていた。
カネのため、すべての責任を一身に背負うには、郷原の背中は繊細過ぎて、女性的だった。だから川嶋は辛くて、思わず顔を背けてしまう。見届ける責任が自分には、あるはずだと思いながら……。
志垣は、投げやりな態度の郷原を見つめ、いたぶるようにニヤリと笑って言った。
「いいでしょう……。では、試合終了後1時間経ってもまだ、山本が生存していたなら、この志垣、さらに1億円を追加いたしましょう。あなたと違って私は、体を張るしかないドブネズミではありませんから、カネを賭けます。山本が死んだら、私の部下に居合い抜きの達人がいますから、その男をすぐにこの場に呼んで、あなたの腕を一刀両断させます。いいですね、ククク!!」
「…………………」
ハンデボクシングのゴングまで、あと1時間と15分――。その試合が終わったとき、まさに運命が明らかになる………。
郷原は苛立って、人のいる場所から離れた窓辺に立つと、珍しく2本目のシガーに火をつけた。
そして、考える……。占いは終わったけれど、なんとか山本を救えないものかと、考える……。昨日からわからない、あの山本の、最後の明るさ……。いまどき珍しいあんな人間を、こんな薄汚い賭博で死なせるわけにはいかない……。家族の元に、無事に帰してやりたい――。それがせめて、自分にできる精一杯のこと――。
(そうだ……。さっき垣間見えたあの映像――。あの映像は間違いなく、山本が倒れている映像だった。しかしなぜだ……? なぜ、山本が倒れなきゃならない……?
倒れる――。倒される――。あるいは、刺される――。刺される?? 誰に――??)
刃物……。池田、原口、橋爪、山本の4人のうちで、刃物を持っていいのは原口だけだ。
(ということは、原口が、山本を刺す――?? どうして……。しかし、考えられるとしたら、山本が自分で自分を刺すか、原口が何かの理由で山本を刺すとしか……。そうとしか、考えられない……)
しかし山本は、自分で自分を傷つける術を持たない。どう考えてもそうなのだ。昨夜山本は、城乃内の部下につきっきりで監視されていた。ホテルの部屋の中には、ハンデボクシングを円滑に終わらせるために、刃物や凶器になりそうなものは、一切置いていなかったはずだ。山本の所持品もすべて、ホテルに入るまえに、城乃内がチェックしている。だとすると……。
(山本が自分で自傷する、自殺を選ぶという可能性は、ありえない……。どうにかして、凶器を調達する以外には……。冷静に考えればそうなんだ。なのに俺は……。山本が、自分で死ぬ覚悟を決めていると、勝手に思ってしまっていた――)
郷原の心が、真っ二つに張り裂けそうだった。
(もしそうだとしたら、山本が、刺される――? 誰に? 唯一凶器を持っている、原口に――?? 原口が、山本を刺すのかも知れないということなら、占いは外れる……)
まず、その恐怖が郷原の体を包んだ。
(だって、どうして原口が、山本を刺さなきゃならない? 動機がない……。追い詰められた弱者の原口がキレて、橋爪以外に池田や、支配人の城乃内を刺す、というのなら、動機もなんとなく掴める気がするが、なぜ、まるで接触のないであろう山本を刺すんだ……?)
郷原はシガーを咥えたまま、ゾッと恐ろしくなって、自分の右腕で、自分の上体を抱いた。
(ま……、負ける……。今度こそ……。あのビジョンは、気の迷い……。当たる気がしない、今回ばかりは……)
思わず呟く郷原だった。なぜこんなにも心が弱っている……?
[北山あかりを、愛したからさ……]
また、頭に響くもう一人の自分の声……。
[わかっていただろう? 誰かを愛してしまえば、もう自分ではなにも決められなくなると……。わかっていて、なぜ腕に抱いた……? 頬を寄せた……?体中で野良猫の呼吸を感じていた……?)
「うるさいっ……!!!」
自分の声を振り払うように、激しくかぶりを振ると、たまらず郷原は、さっき脱いだトレンチコートを探す。
クローゼットの中――。夢中で、コートの内ポケットをまさぐった。すぐにわかった、あの硬い感触――。郷原のお守り――。
これを身に付けていないと、とてもじゃないがこれ以上、正気で居られない。まだ濡れたままのコートを羽織る。拳銃を抱いていないと、不安で仕方がなくて……。
「どうしたよ郷原。そんな濡れたコートなんか、また羽織りやがって。言っておくが、山本に、試合開始前のアドバイスをしに行くなど認めんぞ。お前の気持ちが山本に寄っているのは、わかっているがな……」
刻々と集まる占い賭博のオッズに、眼を輝かせながら、寺本厳がちらりと郷原を見た。
「……そんなんじゃありません、そんなんじゃ……」
郷原は、うつむいて否定した。
[ウソだ……]
また、心の声……。
[ウソだ郷原……。助けたいくせに……。山本を死なせるくらいだったら、いっそ占いなど外れたほうがいいと思っているくせに……。しかし、山本が生きればお前は死ぬ……! あとは神に任せるしかない……。占いが、当たるのか外れるのか……。皮肉なものだな! 運を弄ぶ占い自体が、また運任せであるという、この真実……! ククク……! 占いが当たるか外れるかそのものを、占い師は見抜けないのだから……! ハーッハッハ……!]
「黙れ……!! 黙れっ……!! うるさいっ!!」
郷原はよろよろと、モニターから離れて一人、東京の夜景を見渡せるガラスの窓辺に近づいた。耳の奥に、吹雪の唸り声が響く。
今頃、親子3人、寄り添いあって暮らしたあの海辺の町は、雪に閉ざされているのだろうか――。
そう思いながら郷原は、夜景のかなたになぜか、北山あかりの姿を探していた。
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