第一話 プロローグ

占星術――。

それは天上の悪徳(VICEヴァイス)。

星の巡りの名のもとにさまよう明日を占えば、

垣間見えるは果てしなき人の欲望――。

《表紙イラスト》 酒井日香

 吹き降ろすビル風が、道行く女性たちのマフラーやストールをぎ取ろうとする。暗いネオンに輝く大都会東京の、新宿の夜。19時を回る頃になると、新宿駅西口、小田急百貨店の並びは、さながら占い通りだ。高台子たかだいす角行灯かくあんどんがいくつも並び、仕事帰りの若い女性たちが占い鑑定を受けていく。

 今日はクリスマス間近の金曜日で、一般企業ではボーナス支給の後である。そのせいかOL風の女性が多い。ちらほらと列を成す人気の占い師の前に並んで、順番を待っていた女性二人が、退屈しのぎにおしゃべりをしていた。

「ねぇねぇ、あたし昨日、妙なサイト見つけちゃった」

 強い風に取られそうなストールを、肩で押さえながら、若い女性が、一緒に並んでいる友達に話し掛けた。

「妙なサイト?」

 話し掛けられた女性は、連れ合いの女性の話に首を向けた。

「うん。妙な都市伝説とか、ウソっぽい噂とかさ。そーゆうのを集めたおバカサイトだよ。昨日ヒマだから見てたの。そしたらね……」

「んー……?」

「そしたら、この東京のどこかに、自分の占いが外れたら、それ相応そうおう代償だいしょうを払うって誓約書せいやくしょを取り交わす占い師が、いるんだって」

「えー? マジ??」

「さぁ……、おバカサイトネタだし。でもたぶん、占いを聞くほうにはそういう需要があるかもね。だってさ、みんな、ハッキリした未来こそ聞きたいわけでしょ?相性とか、占い理論みたいなことだけ言ってごまかして、肝心の未来を教えてくれない占い師ってムカつくじゃん。でも、そのウワサの占い師さんは、未来のことしか言わないんだってさ。しかも外したら、代償を払ってくれるんだよ。そこまでしてくれる占い師だったら、こっちも信じてみようかなぁって、思うだろうね」

 聞いていたほうの女性が、話に興味をそそられたように顔を上げた。

「確かにね。そんな占い師の言う未来だったら、あたしも信じるかも。でもさぁ、逆に無茶なことをその人にたずねてさぁ、お金とか、むしり取ろうとするお客が出てきたりしてね」

「きゃはは! それじゃあ占いっつうよりか、賭けだよ~!」

 そういって笑い合う二人の女性の前を、フチなし眼鏡をかけた、背の高い、トレンチコートの男が通りすぎてゆく。男はすれ違いざま、その女性ふたりをちらりと見た。

「そうだね。確かに、自分の予言が外れたら、代償を払うなんて約束すると、占いというよりは賭けだよね。ギャンブルっていうか。あたしだったらそんな無茶、安いお金じゃあやらないな。こっちも代償を払って、命がけで占ってやるから、お前も大金払えよって、そういうね。あたしなら」

「そうねぇ。でも実は、あちこちにそういう書き込みがあるんだよ。だから、もしかしたら、本当にそういう占い師さんがいるのかも知れないなって。もしいたらあたし、ちょっと観てもらいたいよ~。いつ結婚できるのか不安で不安で……」

「あー、あたしも観てもらいたーい! でもさぁ、いくらぐらいするのかしらね、鑑定料……。1万とか、2万とか?」

「200万だ」

 不意に、低い男の声がした。二人の女性が顔を見合わせて、通りの往来に眼をやると、今しがた通り過ぎようとしていた、トレンチコートの眼鏡めがね男が、背中を丸めてにらむようにこちらを見ていた。

「そんなに観て欲しけりゃ、観てやらなくもねぇ。ただし、相談料は最低200万からだ。上はそれこそ、青天井……。姉ちゃんたちの薄給じゃあ、話にならねぇな」

 男は居酒屋から出てきたばかりといった感じで、爪楊枝つまようじをもぐもぐさせていた。肩越しに睨むようなその目つきは、どことなく秘密めいたかげりを帯びていた。

「なにぃ~……? この人、酔っ払い……?」

「お、おっかなくない……?」

「ど、どーしよ……。あたしら、絡まれてる?」

 女性二人が怯えて、身を寄せ合うと男は、ペッと爪楊枝を吐き出して、再び歩き出した。

 占い産業は、今や1兆円規模だと言われている。占いを業務の主体とする企業は、日本国内に千社以上あるし、発刊されている女性向け雑誌のおよそ9割が、紙面に何らかの占い記事を載せている。異常な数の多さだ。

 占い師という職業の人間は、それになりたいと考えている予備軍や、趣味人口まで含めると、全国で50万人以上はいるのではないかと言われているのだが、なぜ占いを商売にしようとか、趣味にしようなどとと考える人間が、こんなに多いのだろう。

 それはやはり、占いには “何も要らない” ということが一つである。そしてもう一つは、占いの論理というのは、実はたやすく習得が可能な、稚拙なロジックである、ということの2つの要素が大きい。

 なにせ、証拠も根拠もなにもなくていい。お客が信じたならそれでいいのである。万が一外れたとしてもそれはそれ、解釈の問題、受け取り方の問題ということで、いかようにも言い逃れができる。

 そのうえ占い師は、資格も学歴も、資本金が無くても始められるし、口さえ動けば誰だってやれるビジネスだ。新規参入に対してここまで懐の広い商売というのも、珍しい。

 それで、食い詰めたような連中が安直に、日銭欲しさでこの商売に飛びついたり、趣味の延長で占い師になる者などが多く、性質の悪いやからがはびこっていて、それ故に、占い師は人から馬鹿にされ、嫌われ、さげすまれる職業なのだった。

(ケッ、乞食こじきどもめ。今夜もたかが数千円ぽっち欲しさで、人心をたばかっていやがる……)

 さきほど女性二人のおしゃべりに足を止めた、トレンチコートに眼鏡の男。彼は、そんなことを考えながら、通りに並ぶ角行灯の行列を眺めていた。

 男の年齢は30代半ばくらいだろうか。色白の肌に高い頬骨。筋の通った高めの鼻に、冷たく光るフチなし眼鏡を乗せている。その向こうには奥二重の切れ長な双眸そうぼう粗野そやな印象の濃くて粗い眉。薄い唇。眼鏡などしないほうが女好きのする顔なのに、人目を避けるようなその眼鏡だけが、長く垂らされた前髪に覆われていて、かえって野暮やぼだった。

 服装はビジネスマン風だが、よく見るとすべて高級ブランドだ。ギラギラ光る金色のロレックスが左手に輝いて、一見しただけで、かなり羽振はぶりの良い男なのがわかる。

 女性客を前に、一生懸命話していた中年の女性占い師は、さっきからこの男がずっと視界から消えないので、手元の謎めいたメモを見ながらも、ちらちらと男の動向をうかがっていた。

「あなたみたいに、四柱全体にひのえひのとが多くて、紅艶こうえんとか、偏在星へんざいせいとかが命式めいしきの中にある人は、不倫関係や、実らない恋につい翻弄ほんろうされてしまうのよ。結婚したいのなら、まずはそこから変えないと……。あら、でもあなた、今年から空亡くうぼうだわ……。空亡が終わらないと、結婚は無理じゃあないかしら」

「く、くうぼう……?なんです、それ……」

 地味で暗そうな女性客が、おばさん占い師の眼を必死に見つめていた。

「空亡っていうのはね、支に対して干である星が、足りない時期を言うのよ。算命学さんめいがくでは、天中殺てんちゅうさつと言うこともあるわ」

「て、天中殺!!」

 女のお客は“天中殺”という言葉に異常に反応して、身を乗り出した。占いのことは良くわからなくても、それが不吉なものだということはなんとなく知っているのだ。

「空亡のときは悪い男にだまされやすいのよ。それが抜けるまでは、何もしないほうがいいわ。行動を起こすと、余計に悲惨な結果になってしまう……」

「そ、それって、いつまで続くの?」

 おそおそるわが身をたずねる女に、おばさん占い師は断言した。

「再来年までね。あと丸2年間は空亡の影響が続くわ」

「あとに、2年も?! そんなに長い間?! それまでは、何をやってもダメなの? け、結婚も?」

 女は顔面蒼白がんめんそうはくで、余計に暗い顔になった。2年といえば短い期間ではない。結婚を焦る妙齢の女性としては、深刻な問題である。

「大丈夫よ。運気を変えればいいの。あなたはかのえを持っているし、いい位置にあるから、もっと派手な服装をなさい。そして、赤やピンクの明るい色で服を選んで、メイクもそうしてみて。そうすると、空亡のマイナスをけることができるわ。良いご縁にもめぐり会えるはずよ」

 占い師が妙な開運法を女に提案したときだ。さっきから占いの様子をじっと見ていた男が、いきなり口を挟んできた。

「ケッ、バカバカしい。おためごかしを抜かしてんじゃねぇや」

 男の声が飛んできた瞬間、中年女性占い師の肩が、ぴくりと動いた。こうなったらもう観念するだけだ。顔を上げて男を見据える占い師を見下ろしながら、男がゆらゆらと、高台子に近づいてきた。動作がどことなくドリフの酔っ払いコントみたいだった。

「くっだらねぇ。赤やピンクを身につけろだぁ……? そんなマジナイで人生が変わるんなら、誰も苦労しねぇんだよ。もっと具体的にいつどうなるとか、どこで何が起こるとか、断言してみろってんだバーロー。そのうえ、運気最悪が2年間だと? そんだけ期間がありゃあ、そりゃあ何かしら起こるだろうが。人間、生活してるわけだからな。どうとでも解釈できるズルいトークをしやがって」

「ちょ、ちょっと! 何なんですかあなた!」

 中年女性占い師は、やや腰を浮かした。街占がいせんしていると、この手の酔っ払いには時々出会うことがある。わずらわしいことになる前に身を乗り出し、手で男を追い払う仕草をしたのだが、男はそんなことにはお構いなしに、女性客の隣の空いている椅子へ勝手に腰掛けた。男の全身から、酒の臭いがぷんぷん漂ってきた。

「あんた、さっきから聞いてりゃあ、ケッコンケッコンって言うけどなぁ、要するに働きたくねぇだけだろ? 私の人生まだまだイケる、私は本当はこんなモンじゃないと思い込んで、自分の等身大の惨めさを素直に認められないのが、今どきの姉ちゃんだ。占いに、あんたの幸せのありかが出てるって? ハハハ! 出るわけねぇさ。占いなんてウソだらけ。何も教えてはくれない。教えてくれるのは世間だけだ。世間の冷たい、人の欲望と本音だけが、本当のことを教えてくれる……。ハハハ……!」

 男はいいながら、勝手に腰掛けた椅子で足を組んだ。

「だから、何なんですあなた。勝手にそんなとこに座られたら、営業妨害なんですけど……」

 占い師が、方位盤ほういばん筮竹ぜいちくを寄せ集めながら、男に言うのだったが、男はますます我知らずといった感じだ。隣の暗そうな女性客に、れしく耳打ちした。

「ホラ、聞いた? 今のこの、占い師さんの台詞せりふ……。 “営業妨害です” って言っただろ? つまりだなぁ、占い師なんてのは、いかにも根拠があるように、学理らしきモンを振りかざすけど、本音はカネさえむしり取れりゃあ何だって言うんだよ。算命学だろうが、占星術だろうが、占いなんて所詮しょせんは、乞食がカネをむしり取る方便さ。そんなもん、信じるほうがアホだ」

 男はそういって、鑑定用の小さな机に突っ伏した。酔いが回って、身を起こしているのがしんどそうな様子だった。

「そうかなぁ……。そう言い切ることもできないんじゃ……」

 一方的に男に割り込まれ、ずっと怪訝けげんな顔をしていた女性客がようやく口を開いて、男の言葉に首をかしげながら小声で反論した。中年女性占い師も、ネックレスが食い込んだ太い首を動かして、女性客に同意するように頷いた。

「そうよ。占いはねぇ、未来のことが当たる、当たらないは問題じゃないの。自分自身を深く知るための手段なのよ。昔から言うじゃない。 “敵を知り、おのれを知れば百戦あやうからず” って」

「そうです。自分を知るための手段なんです。占いというのは。客観的に自分を見直せるツールだと思います、私……」

 それを聞いた男は、馬鹿にしたような眼をして苦笑した。

「へッ、自分探しねぇ。ますます薄ら寒みぃ……。お前らの言う自分探しとやらは、結局はただの欲得じゃねぇか。ケッコンしたい、愛されたい、いい仕事がしたい、才能を開花させたい、もっとカネが欲しい、死にたくない、栄えたい……、どうしたらいいですかって、欲、欲、欲! みーんな欲だ、みにくい欲。この世に人の欲望がある限り、この商売は無くならない、永遠に……。ハハハ!!」

 男はそう言うと、さも愉快ゆかいといった感じで、高笑いしながら立ち上がった。そして、コートのポケットからくしゃくしゃに丸まった紙の束を取り出して、高台子の上にバサッと放り投げると、酔ってふらつく足取りで、蝶々ちょうちょのように楽しげに両手を広げ、往来の人ごみに踊りだした。

「ハハハ! そうさっ! この俺が打ち砕いてやる。この世の欺瞞ぎまんという欺瞞をな……。神秘を語り、神秘を期待する馬鹿どもの妄想をっ!ハーッハッハ……!!」

「な、なんなの?! あの男は! 頭がおかしいんだわ、きっと……」

 中年占い師と、女のお客は、狂ったように去ってゆく男の後姿を、胸を押さえながら見つめていた。ふと、視線を落とす占い師の手元に、丸まった紙の束が見えた。さつ――、である。無造作に数えてみると、千円札かと思ったそれは、すべて1万円札で、35枚もあった。

「あ……! こ、こんなに!!」

 中年女性占い師と、女性客は、顔を見合わせてしまった。

 今、立ち去った男の名は、郷原悟ごうはらさとる――。人は彼を、天才占星術師と呼ぶ。しかし、彼の占いの実態を知るものは少ない。郷原が生きているのは、奈落ならくの底、カネの亡者もうじゃうごめく権力の闇社会……。郷原は、占いを外すことが、決して許されない占い師だった。

**

 楽しそうにゆらゆらと、いい気持ちで歩いて、新宿駅の小田急前を通り過ぎ、青梅街道に出た郷原悟の携帯電話に着信が入ったのは、この直後のことであった。

 ポケットからいきなり音楽が聞こえてきた。スマートフォンの着メロだ。郷原は、酔って定まらない眼と手で、コートのポケットをまさぐり、スマホを掴み出すと、電話の相手が誰かを確認するでもなく通話ボタンを押して耳に当てた。

「あい、ごーはらです……」

「よぉ、俺だ。川嶋だ」

 電話の向こうの声は、聞きなれた、郷原の兄貴分、平安ファイナンス社長の川嶋貢かわしまみつぐであった。川嶋は金融業者、平安ファイナンスの社長であるとともに、寺本組という暴力団の大幹部でもある。業界で言う “若頭わかとう” というヤツだ。

「なーんだ。川嶋さんか。何の用……?」

「なんだは無いだろ?また飲んでるな、お前……」

 電話の向こうの川嶋は、郷原の声の調子で、郷原が相当酔っているのがわかったようだった。郷原の酒好きは、彼を知る者の間では有名な事実である。

「うっせぇな……。いろいろあんだよ俺にだって。どうせまたあのゲームでもやれと、上から命令が来てるんだろ。川嶋さんからの電話が、悪事のお誘いじゃないってことはねぇからな」

「まぁ、ぶっちゃけそうなんだ。上からまた、命令が来ている。例のゲームを見たいとな。今度の挑戦者は、個人資産1000億円とも言われている、クレイジーな変態爺さんだとよ。俺はお前に、それを頼むことしかできねぇ……。お前も、断ることはできない……。それが、この世界のおきてだ」

 あのゲーム――。郷原が、闇社会に名を知られるきっかけとなった、あの忌まわしいゲーム……。それがいかに心身を荒ませようとも、郷原は、そこから逃れることは出来ない。それが、暗黒社会に生きる者の定めである。

「ちょうど今、その爺さんとのゲームに放り込めそうな、間抜けそうなヤツがいる……。ぜひお前に、そいつをイジってもらおうと思ってな」

「間抜けそうなヤツねぇ……。どんなヤツだよ」

「今度のターゲットは、産婦人科医さ」

「産婦人科医ぃ……?」

「しかも、K大出のエリート先生だぞ? ほら、以前、お前に占ってもらっただろ? あの杉並のおんぼろビルのこと」

「ああ……、東京日の出銀行の……」

「おお、それそれ。お前の言ったとおりにな、本当に思いがけない事件が起って、そんで飛んじまったのさ。見事にな」

「思いがけない事件……?」

 郷原は、鋭い目を細めた。

「詳しい話は後で。本人が今、ここにいる。これからお前のところに連れて行こうと思うが、構わないか?」

「ああ……。別にいいよ。とりあえず話を聞こうじゃねぇの。例の所でいいんだな」

「そうだ。いつものところだ」

「了解……。んじゃあ、後で」

 郷原は、深いため息をひとつ吐き出すと、スマートフォンをコートのポケットにしまった。そして、まばゆい青梅街道のスクランブルを見上げた。小滝橋おたきばし通りのほうへ少し移動してから、タクシーを拾った。

「あ、運転手さん、新橋へ行ってくれる?」

「新橋ですか。新橋のどちらに?」

「ダイヤモンドパレスホテル」

「かしこまりました」

 郷原はそれだけ言うと、シートに深く背中を預けて、目を閉じた。

 また、悪夢の占い賭博が幕を開ける――。

(新宿西口のイメージ)

こんな感じで街頭占い師さんが並んでいるのが新宿駅西口の風物詩。条例改正により数が少なくなりましたが、今でもこうして営業している占い師さんがいます。

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