CHAPTER5、実行犯・江川夏実と岸本正巳(2)

「鑑識結果が出たらしいぞ郷原。座ってくれ」と、川嶋が促し、ソファに刑事二人を通した。

 郷原と川嶋がその対面の上座へ座り、田代は少し離れた簡易椅子に腰かけた。刑事たちは挨拶もそこそこで、すぐに結果報告が始まった。

「えっと……。前回お伝えした、この部屋で見つかったサバイバルシューズ様の靴底の足跡ですが……。それらを型取りし、鑑識で詳しく調べたところ、ごくわずかながら菌類の胞子が付着していました」

「菌類の胞子??」

 郷原が顔を向けると、もう一人の刑事が解析結果表を手に説明をした。

「科学捜査研究所に鑑定を依頼したところ、おそらくシイタケではないだろうかと……」

「シイタケ!?」

 郷原は、目を丸くして青ざめていた。田代は郷原の動揺を感じ取り、メモをしながらも郷原の表情に注目していた。

 刑事がさらに続ける。

「その上、郷原氏の部屋に残されていた、サバイバルシューズ様の靴跡は、かなり特殊な靴底で、軍靴に近いものでした。靴底の模様と一致する金型はいくつかあるのですが、それらを使用しているのはとても特殊なところなのです……」

「……特殊なところ……?」

 郷原は、青ざめた表情のまま顔を上げた。刑事は「ロシア軍です」といった。

「ロシア軍???」

 意外な情報が次々と出てくる。田代は速記でどんどんメモを取っていったが、郷原の表情は青ざめるばかりだ。やはり、信じたくはないが、あの男の関与を感じ取っているのだろうと田代は思った。

「ロシア軍のサバイバルシューズ……。そんなものが……」

 日本に売ってるのか? と川嶋が聞くと、刑事は首を左右に振った。

「いや、それが。靴販売協会に尋ねたところ、ロシア軍のサバイバルシューズなど、日本国内では扱いはない、との話なんです」

「だとすると、外国人……?」

 川嶋が腕組みをして、刑事を見た。刑事は鉛筆で耳の上を掻いた。

「しかし、それにシイタケの胞子がついていたんですよ? 今はシイタケのシーズンが終わった真冬……。野山を歩いただけで靴底に付着することは、まず考えられません。左右の靴跡から検出されましたので」

「……じゃあ、考えられるとしたら、どういう可能性なんですか」

 川嶋が訪ねると、二人の刑事たちは顔を見合わせてから「そうですねぇ……」と、話してくれた。

「考えられるとしたら、輸入シイタケのコンテナとか、シイタケのほた木がいっぱいある林野を歩くとか、シイタケ栽培している農家のビニールハウスや室で、菌糸づけをしている場所で過ごすとか……」

「つまり……。その靴の持ち主が、シイタケ栽培とか、シイタケ販売に関係している、ということか……?」

 タバコをくゆらせながら、川嶋がつぶやいた。刑事たちは頷いたが、郷原はさらに青ざめて、顔色が悪かった。

「今、全力で全国のシイタケ農家を調べています。全国には、およそ3400戸のシイタケ農家があるようで、時間はかかるでしょうが、少なくとも、郷原さんの部屋に侵入した者が誰なのかは、いずれ判明するでしょう」

「………………」

 郷原は、目を細めると、昨日無効だったホロスコープをファイルから取り出し、もう一度眺めてみた。

 月が巨蟹宮にあり、ドラゴンの尾を踏んだあと、ボイドになっている、嫌な配置のホロスコープ……。もう、素直にこれを読んだほうがいい。考えたくないけれど、犯人は――。

「今の話で、もうわかった……。そのシイタケに関係する人物……。サバイバルシューズみたいなミリタリー物が好きそうな人間……。そして、俺の過去を知る者……。たった一人だけ心当たりがある……」

 二人組の刑事が、眼を輝かせて郷原に身を乗り出した。

「心当たりがあるのですか?」

「……ああ……」

「誰なんです」

「……しかし、考えたくはない……。俺に助けを求めてきた男が、俺を裏切るだなんて……」

「郷原さん、話してください。北山さん捜索の手がかりになるかも知れません」

「そうです。話してください」

「そうだ。話したほうがいいぞ郷原。あの子のためだ」

 刑事と一緒に川嶋まで郷原を急き立てるから、郷原は、顔の前で手を組み、両肘をついて深々とため息を吐いた。

「俺の部屋に忍び込んだ男はたぶん、岸本正巳(きしもとまさみ)だ」

「岸本正巳……?」

 川嶋は、目を丸くした。川嶋にとっても、聞き覚えのある名前だったから――。

「岸本正巳って確か……。10月の中頃、突然平安ファイナンスにやってきて、お前に会わせろ、会わせてくれるまで帰らないといって、会社で粘っていた男か??」

 川嶋が郷原に聞くと、郷原はそうだ、と頷いた。

「ま、まさか郷原、会ったのか?! 岸本正巳にっ!! あれほどみんな……、俺も浜崎も、統括の門倉部長も、やめておけ、関わるなって言ったのに……!!」

「……ごめん……。少年院上がりで、自分も苦労したからつい……。同じ身の上の岸本を放っておけなくて……」

「なんで俺に話してくれなかったんだ! なんで今まで黙ってたっ!!」

 川嶋は、改めて郷原に問いただした。郷原はごめん、と小さく答えるしかできなかった。

「どういうことですか郷原さん……、岸本が、あなたを訪ねてきたというのは……??」

 刑事が訪ねるから、郷原は、ことの顛末を説明した。

 それは、こういうことだった。

 

 

 

**

 今年の10月半ば。晴れ渡った秋の空がまぶしい午後。

 平安ファイナンスのお客様ロビーに、一人の熊みたいなボサボサ頭の男が現れて、融資窓口でいきなり「郷原悟に会わせてくれ」と言った。

 窓口の女性が困惑していると、なおも男は強い口調で「郷原を出せ!!」と凄んだ。

(まさか、寺本組の賭博場、デスティニーの客か……? 占い賭博のトラブル……?)

 そう思った浜崎慎吾と、村井修が、窓口の女性に向かって怒鳴っていた岸本を引きはがすと、話を聞いた。そうしたら――。

「郷原にどうしても会いたい。郷原しか頼れる人間がいない。本当に困っているんだ」という話。顔を見合わせた浜崎と村井が、出張中の社長・川嶋貢に相談すると――。

「そんなの、ダメに決まってるだろ? 郷原に会いたいなら、直接郷原に連絡を取るのが筋だ」

 と言った。それはそうだ。浜崎と村井は仕方がなく、川嶋の命に従い岸本を追い返したが――。

 しかし、追い出されてなお、岸本は、平安ファイナンスの前から消えようとしなかった。川嶋は、いずれは勝手に消えるから放っておけ、と言ったが、浜崎が心配して、郷原に電話をかけてしまったのだ。

「浜崎が言うには、俺が現れるまで、何日でも岸本は、会社の前で待つと言って聞かないという話だったから……。ほかのお客にも迷惑になるし……。川嶋さんたちには内緒で、朝いちで、会社の前に行ってみたんだ。そうしたら――」

 本当に会社の入り口に岸本がいた。早朝で、ほかにやっている店も無いから、シュベールのモーニングに連れていくことにした。

「……そのときに、シュベールのマスターが目撃していたわけか。郷ちゃんとその岸本を……」

 田代が顔を上げて郷原を見た。郷原は「ああ」と頷いた。

「それで、岸本はそのとき、何と……?」

 刑事が郷原を覗き込んだ。郷原は「本当は刑事に言うようなことじゃないけど……」と、バツが悪そうに前置きして、そのときの岸本との会話を思い出した。

「あのとき岸本は、俺に、このままでは、死刑にされてしまうと――」

「し、死刑?!」

 刑事二人は、顔を見合わせた。田代の速記も止まった。

「死刑……。それは穏やかじゃない……」

「岸本はこうも言っていた。ずっと潜伏していたソマリアには、現地の少女に産ませてしまった息子がいて、どうしてももう一度、その子どもに会いたいと……」

「ソマリア?! ソマリアにいたのか岸本は?!」

 田代は驚いて、思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。

「ど、どうしたんだおっちゃん」と、郷原は顔を上げた。考え込む田代であった。

「岸本正巳がソマリアにいた……。そして平安ファイナンスの警報システムを壊した手口は、アフリカ系のゲリラがよくやる方法……」

「じゃあ、岸本が連中に、ソマリアで覚えた技術を教えた可能性があるってことか……?」

 川嶋が田代に言うと、田代は「その可能性は非常に高い」と頷いた。刑事たちは手元のタブレットを覗き込んでいた。

ソマリア――。東アフリカの国……。スエズ運河と結ばれた紅海から、インド洋に抜ける海上交通の要衝――。アジア向け石油タンカーや、レアアース、日本がヨーロッパに輸出している車、電化製品などが多く通るその海域は、海賊多発地帯だ。隣国・エチオピアとの泥沼の戦闘が続くこの世の地獄……。

「岸本は、数年前までそのソマリアに潜伏していた……。日本で無実の女性強姦殺人の容疑者にされて、警察が怖くて、パニックのままおもちゃのゴムボートで沖に出たら、たまたまK国工作船と鉢合わせになり、K国経由でソマリアに逃げたと……」

 刑事二人はすぐに、手元のタブレットで警視庁のデータベースにアクセスしてみた。確かに、国際手配部のテロリスト名簿の中に、岸本正巳の名前があった。

「じゃあ、岸本は、郷原さんに会うためにわざわざ、日本へ戻ってきた――??」

 刑事の一人が言うと、郷原は首を左右に振った。

「……別に、俺に会うために戻ってきたわけじゃないと思う。岸本は、やばい連中の罠にハマり、いったん日本へ極秘裏に帰らされたあと、ある場所で、爆弾製造にかかわることになってしまったと……」

「ば、爆弾製造!!」

 刑事たちは、思わず仰天して腰を浮かせていた。田代も川嶋も目を丸くした。

「……岸本は、“奈良の爆弾魔”という異名のある男でね……。少年院に入った理由も、中学でいじめに遭って、それに復讐しようとして、自作のクラスター爆弾を教室で爆発させたんだと。かなりのけが人を出したって言ってた。実家は農家だから、肥料をちょっと加工すれば、危険な爆発物など簡単に作れると……。その爆弾製造の知識と腕を、ソマリアでも大いに買われ、現地ゲリラとして活動していたらしい。そうしたらある日――」

「ある日……???」

「ある人物に、日本に帰国しろと言われたんだそうだ」

「ある人物とは……??」

 刑事と田代がそろって身を乗り出した。郷原は首を左右に振った。

「それについては非常に危険なので言えないと……」

「非常に危険……?? どういうこと……?」

「さぁ……。とにかく岸本は、その人物に協力するふりをして日本へ戻った。そうすればソマリアで、岸本を受け入れてくれた現地のゲリラ村を、壊滅作戦から救ってやるという条件で……。そして、日本のある組織に協力する形で、爆弾製造に加担したと……」

 田代と刑事たちは、集中して郷原の話をメモに速記していった。郷原は顔の前で固く手を組み、沈鬱な表情をしていた。

「けれど、次第にそれが怖くなってしまって……。本当にゲリラの村を助けてくれたのかもわからない……。このままでは自分は、爆弾を作らされたのを証拠にして、テロの首謀者に仕立て上げられてしまう……。どうしたらいいんだと、必死だったよ。俺を訪ねてきたのも、少年院時代の仲間をたどり、不良の間を渡り歩いてようやく……」

「………………」

 郷原の話に、全員が息を吞んだ。それではまるで……。

「岸本は、日本で無差別テロをやらされるために、帰国させられた……??」

 コクリと郷原は頷いた。でも――、と、言葉を継いだ。

「でも、そんな話を俺にされても困る……。警察に言ってくれなくちゃ……。だから、警察に一緒に行こうと説得したさ。うちの寺本厳さんに相談しようって……。厳さんなら、警察にも顔が利くし、信用できる刑事を紹介してくれるはずだ。弁護士も探してやるし、裁判費用なら俺が貸してやるってね……。そう言ったんだが……」

「そうしたら岸本は、急に郷ちゃんを罵(ののし)って、シュベールから出て行ってしまったんだな……?」

「うん」

 郷原は、田代に頷いた。田代がシュベールのマスターから聞いた話と一致した。

 マスターは、話の内容が内容だし、郷原が警察に疑われてしまうのも忍びないから、今まで黙っていたらしい。

「しかし……。その岸本正巳が、郷原さんの部屋に侵入した犯人だとしたら、なぜ今、郷原さんを……? 彼は今までどこに潜伏し、何をしていたのでしょう? そして、どうやって日本に戻ってきたのでしょう? 血の付いたシャツだけを盗んでいった目的は? あの謎の挑戦状は?」

 年配の刑事が矢継ぎ早に疑問をまくしたてるから、郷原は、唇を噛んで辛そうに言った。

「たぶん、シャツを盗んでいったのは、俺のDNA鑑定をするため……。俺が、出雲王朝の正統な血筋であると、確認したかったんだろ……」

「それはなぜです? あなたを調べることが、岸本にとって重要だったのでしょうか?」

「………………」

 いや、と、郷原は小さく首を振った。

「もしかしたら、岸本が関係している連中のほうが、俺の背景に興味を持っているのかも知れない……。あのとき、依頼主が誰なのかは怖くてとても言えないと怯えていた岸本……。今回のことも、そいつらに逆らえなくてやったという可能性もあるのでは……」

 刑事たちは、またも顔を見合わせた。

「つまり、この事件は、複雑な外交問題や、宗教問題や、テロリストに関するものを含んでいる……、ってことですか……?」

 郷原は、眼を閉じて黙った。否定はしない。

「これ、国際手配部とか、テロ対策室の担当のほうがいい案件じゃないですかねぇ……?」

 若い刑事が言うと、中年のほうの刑事は「そうかもな」と相槌を打った。

 川嶋が、隣に座る郷原の肩をつかんで刑事たちを見た。

「刑事さん……、郷原は過去、たびたびこうしたことで命を狙われ、人生を踏みにじられてきました……。こいつが暴力団員に身を落したのも、そのためなのです……。まさかヤクザの男が、日本の古い王族の末裔だなどと、世間は誰も思わないでしょうから……」

「しかし……。日本の出入国管理は世界でもトップクラスの厳しさです。その厳重な出入国管理局の眼を盗んで、一度出国した人間を、入管が再び日本に入れるようなヘマをするでしょうか?」

「………………」

 郷原は沈黙した。中年のほうの刑事が郷原に膝を乗り出した。

「それに関して岸本は、何か言っていませんでしたか? アジトがどこだとか……。どうやって日本に戻ってきたかとか……」

 郷原は、静かに首を左右に振った。

「それも言えないといっていた……。とにかくあのときの岸本はやたらと、いろんなものに怯えていて……」

「……しかし、日本の入国管理の厳しさは、世界トップクラスだ……。それを考えるとどうも……」

 刑事たちが困惑していると、郷原は姿勢を崩してソファに足を組んだ。

「刑事さんたち、甘いよ……。そりゃあ日本の空の玄関は、厳重だ。世界最高水準だというのも嘘じゃない。日本は移民にはとても厳しい国だから……。でも、海上ルートはどうだ? 特に今は、常陽電力F県第一原発事故の影響で、原発から半径20キロ圏内はほぼ警備もガラ空き……。使われなくなった漁港もいくつかある。海上保安庁の不審船レーダーにも穴はある。いくらでも侵入可能だろうよ」

 郷原が静かに言うと、田代も頷いた。

「そうだね……。F県第一原発……。そしてその周辺……。あそこからなら、放射能さえ恐れなければいくらでも……」

 刑事二人はまたしても、顔を見合わせた。

「んん……? 原発……??」

 思わず、何かひらめいて、ソファから身を起こす郷原だった。爪楊枝を噛みしめていた口元を緩めると、瞳を大きく見開いた。

「どうしたんだ、郷ちゃん」

 思わず田代が、郷原に首を向けた。

「……原発事故……。誰も住めない……。それはつまり……」

 無効の土地――? あのボイドは、占いが無効であるという意味ではなく、無効の土地、不毛の土地、という意味だったのか――??

「ど、どうしたんだ郷ちゃん……。何か……?」

 郷原は、ソファから腰を浮かして、茫然としていた。結局外れていなかったホロスコープ……。星の相……。今回は、ことごとく星の意味する通り……。だとすれば……。

「原発周辺……。北山は、原発のすぐ近くにいる……? 岸本の潜伏先ももしかして……」

「ええ?!」

 郷原はつぶやくと、そのままガバリと身を起こして、刑事二人の眼前に縋った。

「刑事さんっ!! たのむ、原発事故の立ち入り禁止区域を調べてみてくれっ!! そこに北山がいるかも知れない!! き、岸本もッ!!」

 郷原が言うと、刑事たちはそろって手を胸の前で振った。

「ちょ、ちょっと待ってください! まだ、犯人が岸本かどうか、裏付けが出来ていませんし、原発事故の立ち入り禁止区域は、放射線量が高くてとてもとても……!!」

「だからこそだッ!! だからこそ、たやすく侵入できてたやすく隠れられる……。しかも、無人の家屋がたくさん……」

「それは、占いなのですか? 郷原さん」

 刑事の一人が、冷やかに郷原を見た。郷原は「そうだ。でも、絶対に北山は……!!」と言いかけたが、刑事はいっそう声を張った。

「占いは、占いです。なんの根拠もない。ただのあなたの思い込みだ。それに、立ち入り禁止区域を調べるなど、月面基地へ行くようなもの……。防護服がないとたやすくは入れないし、人員も、おカネの面も、普通の町村を探すよりずっと困難です」

「じゃあ、北山に死ねっていうのかお前らはっ?! 無関係な女が誘拐されているんだぞッ?!」

 

 

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