CHAPTER3、導師クリシュナ(2)
「……どういうことですか夏実。女性を拉致するだなんて。私はそのような指示は出していません。ただ、郷原が間違いなく持っているはずの、不比等の金印を見つけ出し、ヤツに謎かけの招待状を渡せればそれでよかった」
電話は、クリシュナとウィオスが資金援助している過激組織「新自由革新党」の青年部リーダー、江川夏実からのものだった。
夏実は成果を示すため、クリシュナに反駁した。
「しかし導師クリシュナ。この偶然とらえてしまった女は、どうやら郷原悟の恋人のようなのです。ヤツに宛てたラブレターを手に持っていましたから」
クリシュナは、その報告に「ええ?」と、思わず大きな声を出した。
「その女は、郷原悟の恋人?!」
「はい。郷原になかなか会えないので、会社まで手紙を置きに来たようです。郷原を呼び出すための、有効な交渉手段になるのではないでしょうか」
「それはなんと僥倖……。直接ヤツと対峙する交渉カードにできる……」
クリシュナは、思わず下唇を舐めた。その女と引き換えに船に来いと誘えば、郷原もしぶしぶ、来る気になるはず――。
だが、日本の若者たちに、自分の威厳も示す必要がある。当初からの狙いの不比等の金印は、見つけることが出来なかったのだ。これはこれで重大なミスだ。
「しかし、あなた方は、私が頼んだ金印を見つけることが出来ませんでした。これは大きなミス……。なんですって? それに関して、別の提案があると?」
クリシュナは、思わず受話器を持ち直した。電話の向こうの江川夏実が、クリシュナに岸本の収穫物について話した。
「ええ……? 金印は見つからなかったが、その代わり、室内に郷原の血がついたシャツが落ちていた……?」
夏実は電話の向こうで「はい」と、力強く返事をした。
「ヤツは我々が忍び込む前日、外交官・宮下と通じている志垣智成の要請で、志垣に占い賭博を披露しています。その過程で左肩を撃たれ、負傷したとの情報が……。そして血のついたシャツが落ちていた……。それは間違いなく郷原本人の血液です。ちょうどご親族も集まっていることですし、親族の唾液と、このワイシャツとでDNA鑑定をすれば、金印が見つからなくても、ヤツが本当にあの一族かどうか、判定することができるのでは……」
「……なるほど……。DNA鑑定……」
クリシュナはつぶやいた。もちろん、金印を手に入れることはあきらめたくないが、それにしてもいずれは、DNA鑑定は行わなければならないことだ。日本政府主導で行われるより先に、自分たちがやったほうが都合がいい。
「わかりました。では、その郷原の血液が付着したワイシャツ……。それを今すぐDNA鑑定しましょう。ちょうど6日後の大晦日、31日は、我が財団の船で、王朝を世界中の投資家たちに宣伝する、船上レセプションパーティーをやるのだ……。そのとき、郷原悟を招待して、真実を聞かせてやるのもいい。フフ……」
では、次の指示を待ちなさいと言うと、クリシュナは電話を切った。クリシュナはこの件に関し、3日間祈祷してから描き出したホロスコープを取り出してみた。
「第九のパヴァにグル……。私と郷原とは、どうしても出会う運命にある、ということ……。そしてマンガルが第七のパヴァ……。形はどうあれ、郷原を怒らせればいいということだ。フフ……。自らの血に潜む業も知らないまま、占い師として生きてきた郷原悟……。会うのがとても楽しみだ……」
一人つぶやいてクリシュナは、盗聴防止の電波遮断板が張り巡らされた部屋から出ると、再び宮下の元へと戻って行った。
宮下は相変わらずのん気な表情で、にこやかにベッドの縁に座っていた。
「お帰りなさいクリシュナさん。議論の途中で居なくなっちゃうから、ちょっとさびしかったです。ははは」
「……私の祭壇のプラーナが、乱された原因がわかりました。出雲の神の呪いではなかった。むしろ祝福でした」
クリシュナは宮下に言った。宮下はきょとんと不思議そうな顔をした。
「……ずっと行方不明だった王朝の跡取りかも知れない男……、郷原悟が、占い師だというのは知っていますか? 宮下さん」
クリシュナは、ティーポットとティーカップが置かれたままのテーブルに着くと、足を組み、宮下のほうへと向きなおった。宮下はええ、と頷いた。
「それは聞いています。しかも、非常に当たる占い師だとね……。もしも、彼こそが、途絶えたはずの出雲王朝の、正統なる男系の男児なのだとしたら、その予言の力は遺伝的なものでしょう。霊能力は家系に強く左右される……。彼らはなにせ2000年もの間、大和朝廷を鬼道で支えてきたシャーマンなのですから」
「鬼道、とは?」
クリシュナは、宮下に質問した。聞きなれない言葉だったからである。宮下は得意になって、嬉しそうに敵であるクリシュナに説明した。
「鬼道とは、三国志の魏書・倭人伝に出てくる言葉で、日本の現皇室の祖、アマテラス女神のモデルであるとされている伝説の女王、卑弥呼が行っていた占いのことです。その卑弥呼の鬼道は、一説によれば、はるか遠く、中東、シュメール文明を受け継ぐ精密な占星術であったと……。出雲王朝は、そのシュメール人の末裔だという説があります」
「シュメール文明……、ね……。旧約聖書のアブラハムもまた、シュメール人の末裔だったという説が……」
「そうなんです。日本の宗教界にはどういうわけか、大昔から“日猶同祖論”が根深いのです……。日本人は、ユダヤ人と同胞であると……。日本人のルーツは、アブラハムと同じ古代シュメール文明だと……。事実、日本固有の宗教である神道には、シュメール文明との共通点が多数指摘されている……。だから、ユダヤ国家・イスラエル支援のアメリカと縁が切れないのだ……。ユダヤ人国家を守ることは、日本人の深層意識に組み込まれた太古からのプログラムであると……」
クリシュナは、宮下の言葉に肩をすくませた。
「……おお怖い、怖い。神々の計画は本当に……。神という生き物は、数千年がかりで目的を果たしますからね。それで日本は、アメリカを支援するためにわざわざ安保法案を改正し、アメリカ軍が襲われたらアメリカ軍とともに戦うという法案を……。そしてユダヤ、アメリカを憎むイスラム原理主義のテロリストどもに狙われる、と……。そういうわけですねフフ……」
クリシュナは、そう言って意味深に笑うと、足を組み直した。
「日本が、無差別大量殺人の標的になる日は近い。そうは思いませんか? 宮下さん……」
クリシュナに問われ、宮下は、厳しい表情をしてクリシュナを見返した。
「……確かに、その脅威は確実に迫っていますね……。国家的スポーツ行事に浮かれている場合じゃない……」
「でしょう。だからこそ、世界は出雲の王を待っているのだ……。象徴化されて、政治的なことは何もできない天皇よりも、民衆の俗なる願いを叶えてくれる出雲王を……。アジアは、待ち望んでいる……。日本政府がいつまでたってもこの問題を捨て置くので、我々が立ち上がっただけのこと」
「……それは、私が日本政府を説得します。日本の貴族として、日本人たちに認めさせなければ……。お願いです、私を日本に帰らせてください!」
宮下は懇願したが、クリシュナはふぅっと息を吐き、遠い眼をした。
「……まぁ、時期が来たら返します。しかしね、宮下さん」
「なんです?」
「……私は知りたいのです。どうしても……。生と死と、存在の秘密をね……。だから郷原悟に会いたい。会わねばなりません」
「………………」
「彼の占いは果たして、シュレーディンガーのパラドックスを……。波動関数を打ち破ることができるのか……。私が知りたいのはその一点のみ……」
クリシュナはそう言って、手元のティーポットを手に取ると、お茶をカップに注いだ。宮下はぎょっとした。
「宮下さんとまだ話しておきたいことは、これからのエネルギーの……」
「ああッ!! だ、だめッ……!!!」
「ダメではありません。重要なことです」
「それは私のっ……!!!」
クリシュナがカップに口をつけると同時に、宮下が思わず叫んだ。
「私のおしっこ!!」
**
激しい叫び声がした。ガシャンと音がして、クリシュナが廊下に怒鳴った。
「誰か、この男を縛りなさいッ!! 海に沈めます!! サメに喰わせろッ!!」
「わ、悪かったクリシュナさん! ずっとトイレにも行けてなかったものだからつい……」
「ああ、メイナード夫人といい、貴様といい、日本人はこれだから嫌いだっ!!」
クリシュナは吐き捨てて、すぐに宮下の部屋から出ていった。宮下は屈強なクリシュナの部下に、後ろ手に縛られて、再び大音量のヘッドフォンを耳に当てられた。
「わかったっ! 謝るからッ! ねぇ、頼むよこれやめて! 気が変になっちゃうよっ!」
「しばらく聞いていなさいッ!! お前たち、宮下から眼を離すなッ!!」
クリシュナはプリプリ怒って、宮下の監禁部屋から出て行った。宮下は大音量で流れてくる”素晴らしき水素社会の到来”という録音を、それから50ターンくらい聞かされたが、やがて、再びヘッドフォンを取られた。宮下の元に男が数人やってきた。
「何事ですか?」
「ミスター宮下。今から移動します」
男たちの背後からクリシュナが現れ、部下たちに「やれ」と顎をしゃくった。
「うわッ! な、何を……??」
宮下は急に麻袋をかぶせられた。
「しばらくそれで我慢しなさい。今から日本へ行きます」
「な、何だって?!」
意外な展開に、麻袋の中で宮下は驚いた。やがて足が地面に突かなくなり、宮下は何者かに担ぎ上げられると、真っ暗な場所へ閉じ込められた。
「おいッ!! 出せッ!!」
叫ぶ間も無く、ブスリと太ももに痛みが走る。
「しばらく寝てなさい。これからものすごく高くて、酸素の薄いところを飛ぶので、寝ていたほうが身のためですよフフ……」
「くそッ!! 誰かッ!! 私はここだッ!!」
……叫ぶうちに、気をうしなった。あとは荷物として、日本まで運ぶのみだ。王朝のお披露目を行う際、宮下には、日本の政治家や役人を呼び出すための招待状となってもらう。
クリシュナは研究財団ウィオスの、アリゾナ砂漠にある巨大水素燃料実験場「ソノラシティ」の、自分の執務棟から出ると、車で同敷地内にある滑走路へと向かった。
滑走路を管理しているエンジニアが「ご用命のビジネスジェットは、いつものロングビーチ空港に手配いたしましたよ」と微笑んだ。
「そう……。それはどうもありがとう」
「先ほどメイナード氏の奥様も、ご自分で操縦してここから離陸しました。やはりロングビーチ空港に向かったようです」
「ええ??」
クリシュナは眼を丸くした。
(まさか、夫人も財団の船に……? 親族たちには口止めしたはずだ。メイナード木綿子だけは招待しなくていいと……)
「どうかされましたか、クリシュナさん?」
エンジニアがのぞき込むので、何でもなさそうに片手を上げ、微笑んでみせるクリシュナだった。
小型機の貨物入れに、麻袋に詰めた宮下を押し込み、一緒に連れていく数名の側近と、郷原のDNA鑑定を行うための科学者たちを後部座席に座らせ、自分は小型機の操縦席に乗り込んだ。
操縦はクリシュナ自らが行う。ロングビーチ空港近くの、小型機専用空港に着陸したら、車でロングビーチ空港まで行って、ビジネスジェットに乗り換えるのだ。
「さぁて。ここからが大忙し……。まずはロングビーチから一気に羽田へ。羽田から、最寄りのヘリポートへ――。そして、我が財団が所有する客船へ――。宮下を冬野たちに会わせ、郷原のDNAサンプルを超特急で取りに行くのも、ラクじゃない」
クリシュナは改めて、アメリカと日本の距離を思った。ほぼ地球の真反対だ。
テイクオフし、旋回しながらソノラシティの入場ゲートを見ると、マスコミがテレビカメラを回して、野次馬が集まっていた。日本人外交官行方不明事件として、日本からわざわざアリゾナまでやってきたテレビ――。バカな連中だ。お前たちの探す宮下広夢ならここにいるのに――。
クリシュナは、眼下に向かってほくそ笑むと、空のかなたに消えていった。
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