CHAPTER5、実行犯・江川夏実と岸本正巳(1)
翌日、午後4時を過ぎて田代は、ようやく広尾の大使館で働いているという、江川夏実の過去を知る人物と会った。彼女はカリフォルニア大学ロサンゼルス校に、夏実と同じ頃留学し、夏実と同じ国際政治学部で学んでいたという。
開口一番、この人物は夏実のことをうざい、と言い放った。
「うざい?」
1杯700円もするミルクティーを飲んで、田代は眼を丸くした。
「ほんと、うざいですこの人。大学のときはこう、じとーっと悩んでて、暗くて……。精神科に通ってカウンセリングを受けてもいました。だから、探偵さんからフェイスブックで連絡をもらったとき、てっきり何かやらかしたのかと思ったわ」
「ええ? 暗かったの? この江川夏実って?」
田代は眼をしばたたかせた。
「みんな苦手だったと思う。父親が警察官僚、叔父さんも総務省だか何だかで……。一族みんな東大卒なのに、自分だけは東大に入れず、恥隠しのために自分は、アメリカ留学させられているんだって……。だから、同じように検事総長の息子の、西くんとしか、ツルめなかったみたい。自分たちはまるで王と女王だって言っていたわ。一般人には、自分たちの悲劇は理解できない、とかって」
紅茶を飲みながら、情報提供者……、フェイスブックの中の名前は「ミロリン」という――、は言った。思わず身を乗り出す田代であった。
「ええ?! 江川夏実は、お父さんが警察官僚?! 西正和が検事総長の息子?!」
椅子からズッコケるほどの衝撃だ。そんなのが、過激な政治結社の、青年部リーダーをやっている……??
「1万人プロジェクトを、取り締まれないわけだそれじゃあ……」
田代は改めて納得した。お役所というところは、身内の不祥事にはハチミツよりも甘いのだ。それは田代自身が体験済みであった。
「探偵さん、あの運動のこと知ってるの?」と、ミロリンは、上品なお嬢様風ワンピースに身を包んで言った。田代はもちろんだ、と頷いた。
「ふーん……。じゃあ、スカルアンドボーンズって知ってる?」
ミロリンが紅茶を飲みながら、田代に言った。田代は視線を上にあげて考え込んだ。
「スカルアンドボーンズ……。頭蓋と骨……。 もしかして……」
イェール大学に実在するという、秘密結社……? と、田代は言った。ミロリンはそうよ、と、いたずらっぽく笑った。
「スカルアンドボーンズは、アングロサクソンしか入会することができず、ジョージ・ブッシュやケリー国務長官で有名になったけれど、実は西海岸にも似たような学生たちの結社が存在するわ」
「へぇ……。興味深いね!」
田代は思わず身を乗り出した。ミロリンは「でしょ?」と笑うと、まるでデイヴィッド・アイクの世界よね! と言って楽しそうだった。
「アメリカ西部は昔から、移民に対して自由な土地柄だし、メキシコにも近いでしょ? だから、その秘密結社はスカルアンドボーンズみたいに、特権意識で結びつくのではなくて、移民や、有色人種、少数民族なんかでも入れてもらえるし、元犯罪者や、劣等感の強い人でも、特定の試験に合格すれば入れてもらえるの。そういう意味ではすごく懐の深いサークルね……。だけど反面……」
社会の上層部にはなかなか食い込めない有色人種同士、結託して、世界統一政府を作りましょうなんて言う、過激な思想もはぐくまれているわ、と、ミロリンは言った。
「その秘密結社の名前は、公表はされていないけれど……。スゥイグヌム……、と呼ばれている……」
「スゥイグヌム……?」
耳慣れない響きの言葉……。ミロリンが「スゥイグヌムとは、ラテン語なんですって」と教えてくれた。英語でいう「Sign」の語源であるらしい。
「人種のるつぼで多国籍だった古代のローマ軍が、行軍するときに先頭を行く騎馬兵に持たせていた旗のことなんですって。それと統一政府を目指す自分たちとを、なぞらえているのねぇ」と、ミロリンはミルクティーをかきまぜた。
「ミロリンさん、妙に詳しいねぇ……」と、田代は自分もミルクティーを一口飲んで笑った。
「仕方がないじゃない。夏実と西君がすっかりそのサークルに入れ込んじゃってて……。あんたも入りなさいって、うんざりするほど聞かされたんだから」
「まるでカルト宗教だ」
「その通りよ。一人じゃなにもできないけど、仲間がいると急に強くなる……。あたし、そういうのってキライだわ」
「うんうん」
田代は苦笑して笑った。カルトは本当に面倒くさい。そういうのに入信した人間と距離を置きたくなるミロリンの気持ちはよくわかる。
「詳しくはこれを見て」と言って、ミロリンは、田代に自宅から持ってきたという、アメリカの雑誌や、新聞の類を渡してくれた。忙しいのでそろそろ職場に帰らなければならない、ということだった。
「今、大使館街は大変なの。日本人外交官が数日前から行方不明になっちゃって……」
「日本人外交官が行方不明?」
思わず目を丸くした田代であった。
「そうよ。しかもそれ、今話した西海岸スゥイグヌムと、大いに関係ある話だわ。スゥイグヌムに出資し、スゥイグヌムを自分たちの自警団に組み入れているという噂があるのは、巨大研究財団ウィオス……」
「研究財団ウィオス……?」
田代は、目をしばたたかせた。
「そのウィオスがアリゾナ州に所有している、巨大水素燃料電池の実験場を視察に行った日本人外交官が、視察中に行方不明になってしまったらしいの。一般人がいなくなるのと、外交官がいなくなるのとでは意味が違うでしょ?」
「外交特権というヤツか」
田代が腕組みしていうと、ミロリンは頷いた。
「そう。だからあたしのバイトしてるオーストラリア大使館でも、情報を必死に集めているわ。そのしわ寄せでなんだかバタバタしているの。じゃあね探偵さん。紅茶ごちそうさま!」
ミロリンはそういうと、慌ただしく紅茶専門店から出て行った。
取り残された田代は、膝の上で、ミロリンが留学先のアメリカ・カリフォルニア州から持って帰ってきたという、現地の雑誌を眺めてみた。カリフォルニア大学の広報課が作ったものであるらしい。
「……なるほど……。だいぶ背景が読めてきたぞ」
**
田代はそのあと、新橋ダイヤモンドパレスホテル602号室の、郷原の部屋に行った。
郷原は落ち着きなく立ったり座ったり、占いをしたり、放り出したりを繰り返していた。郷原の身の周りの世話をするべく詰めていた浜崎慎吾が、心配そうに田代に言った。
「あれから、もうずっとああなんス。ずっと占いの相を眺めて、ああでもない、こうでもないと……。食事も一切摂らなくて……」
田代はそうか、と頷いて、浜崎は家に帰してやることにした。浜崎だって、今日の明け方まで永森のところで作業をして、疲れているはずだ。田代があとを引き受けると、浜崎はじゃあ、と会釈して、郷原の部屋を出て行った。
郷原はまた、あかりからの手紙を読み返しては、深くため息をついていた。
(この仕事はね……。劫を受けるの……。占いが当たれば当たるほどね……。あんたも気をつけなさい。上手く占いに関わって行かないと、いつか占いに自分自身が取り込まれ、その劫が、必ずあんたの愛する者のところへ……)
「くそっ……」
郷原が、前髪を強く掻き上げて、焦燥していた。田代は優しく声をかけた。
「どうしたよ郷ちゃん……」
「北山が攫われたのは、俺のせいだ……」
「……そんなことない。いろんな不幸な状況が重なってしまっただけだよ」
田代が声をかけると、郷原はあかりからの手紙をたたみ、深いため息をつきながらポケットにそれを仕舞って、またパソコンと天体暦を開いた。自分に出来る事なんて、占いくらいしか無いのだ。必死に精神を集中させ、ホロスコープを描いたが――。
「だめだ……。またしてもボイド……。くそっ……。いったい何が気に入らない? なぜまともに答えない?」
「星が、まともに答えない……? そんなことって……」
あるの? と、つい、田代は眼を丸くして、じっと郷原の背中を見つめた。それから、自分がミロリンから聞いてきたことを、焦る郷原に報告することにしたのだが――。
郷原は、またしても空振りに終わった占いを放り出し、立ち上がると、田代から離れて酒瓶を手にした。気持ちが焦り、じっと座っていられない様子である。
「フェイスブックで知り合ったミロリンの情報によると……。江川夏実の父親は警察官僚で、叔父は総務省官僚……。夏実の二人の兄も、東大出でキャリアを歩んでいる超エリート一家だそうだよ」
「………………」
「それから、江川夏実とともに、平安ファイナンスの防犯カメラに写っていた男……、西正和……。こちらも、父親が、検察庁に務めていて、刑事部の部長職や、検事総長も務めたキャリアだそうだ。二人は付き合っていたという話も……」
「……ふーん……」
郷原は、疲れがにじみ出た声で返事をし、爪楊枝をしきりと噛んで、ジャックダニエルをグラスに注ごうとした。しかし、焦りで瓶のふたが開けられず「ああッ! くそッ!」と瓶を放り投げた。
「少し落ち着きなって郷ちゃん」
「なんでこんなときに限って占いがっ……、占いの相が、無効になるんだッ!!」
郷原は頭を搔きむしると、壁に自分の額を打ちつけた。
そしてまたテーブルにつくと、今度はタロット占いである。
「何だよ、星がダメならタロットカードってわけ? 少し落ち着きなってば」
「落ち着けねぇ。落ち着けるかっ! 早く見つけなきゃ、北山が殺されちまう!!」
しかし、タロットに変えたところで、こちらも先ほどから何度も、「死神」「悪魔」「タワー」などの凶札のオンパレードである。
またしても最終結果に悪札――。剣の10番だった。
「なぜだっ……。なぜこんな札がっ……。ううっ……」
「ねぇ、報告をまず聞いてくれよ郷ちゃん」
「うぐぅっ……。北山、短い間だったがいいヤツだった……。成仏してくれっ」
「え、縁起でもないッ!!」
田代は思わず、郷原がテーブルに並べたタロットカードを振り払った。
「だって最終結果ソードの10だよ? 悪札なんだようう……」
「……ねぇ、タロットってさぁ~、若いお姉ちゃんがよく、こういうの真に受けるけどさぁ~……。本当にその通りになったりするのかねぇ~……?」
郷原は、テーブルに突っ伏した顔を上げた。
「もちろん、自分自身への問いかけだ。自分を戒めるためにやってるだけだ」
郷原はそう言うと、タロットカードを放り出した。
「何回やっても凶札が出る、ということは、それだけ俺が、悪いことを想像して動揺しているってこと……。しっかりしろ、郷原! とカードは言っている。潜在意識がそのまま出てしまうから」
「なるほど。確かにタロットの言う通りだ。俺たちは今、あかりさんの最悪の事態――、つまり、殺されたり、埋められたりしたことを考えているが、それに負けてはいけない、その悪い想像に打ち勝て、ということだな」
「そう……。だからホロスコープが、ボイドになってしまうんだと思う。昨日からずっと……。最悪の方向にばかり気が取られて、北山の生存に真剣に賭けていない……。もっと真剣に賭けなければダメだ……。だが、占い賭博なら、相手に自分を追い詰めさせればいいが、戦う相手が目の前にいないのに、自分が自分に賭けるなんてどうしたらいいのか……」
「………………」
郷原の相棒、元刑事の田代は、郷原の肩を叩くのだが、郷原は頭を搔きむしるばかりだ。
「俺は占いのことなんか、まるでよくわかんないけどさ……」
田代はそういうと、先ほど郷原が投げたジャックダニエルの瓶を掴んで、郷原の眼の前で酒を注いでやった。
「捜査に段階があるように、占いにももしかしたら、段階ってあるのかもよ? 今、郷ちゃんは、いきなりあかりさんの居場所を特定しようとしている。でも、もしかしたら、他のところから切り崩していったほうがいいのかも知れない。だからひとまず落ち着いて、俺の報告を聞いてくれ」
「………………」
郷原は、田代から手渡されたロックグラスの中身を、無言で一息に飲み干した。
「いいかい? ミロリンさんは、俺にくそ高いミルクティーとピザと、チーズケーキを奢らせたが、そのぶん、実に興味深い、有力な情報を教えてくれた」
「………………」
「その、興味深い情報というのはこれだ」
田代は言いながら、郷原の眼前に、英文で書かれたゴシップ誌を見せた。郷原が、ロックグラス片手にうつろな視線を上げると、そこには「Mastermind of terrorism is to entice students」という見出しが……。
「……マスターマインドイズ、テロリズム……。テロの黒幕が学生を誘惑?」
「そうだ。カリフォルニア大学のキャンパス内でも、問題になったらしい。カリフォルニアを中心に勢力を伸ばしている学生結社……、スゥイグヌム……。サークルのふりをして悪魔的な儀式に連れ出したり、射撃訓練を受けさせたり、グローバル資本主義をもっとキツくしたニュースタンダード……、世界国家樹立思想を植え付けたり……」
「世界国家樹立思想……?」
どこかで、聞いたような言葉……。ええと……。
「どうした郷ちゃん?」
「誰かが、似たようなことを言っていた……。世界国家……。The world is one state……」
「ザ・ワールドイズワンステート?」
田代が思わず聞き返すと、郷原は、ようやく思い出した。
「そうだ。志垣のオッサンだ」
「ええ?」
「志垣のオッサンが、そういえば言っていた……。アメリカ西海岸には、とても恐ろしい戦争商人、研究財団THWIOS(ウィオス)があると……」
「研究財団ウィオス! そう! 言っていたよミロリンさんも! カリフォルニア大学は、その研究財団から多額の献金を受けているために、ウィオスが裏で操っているスゥイグヌムの勧誘活動を見ても、職員たちは強く注意することができず、学生たちの格好の漁場になっているってさ。江川夏実もそこで感化されたらしい。それまでは、仲間外れにされるのが怖いだけの、気の小さい女の子だったのに、スゥイグヌムでテロ的思想に染まってからは、別人のようにタカ派に変ったと……」
「………………」
郷原は、右手で自分の唇を押さえるようにして、考えながら田代の話を聞いていた。田代は続けた。
「それだけじゃない……。カリフォルニア大学のみならず、アメリカのさまざまな大学に、このスゥイグヌムは入り込んでいると……。日本人の有力者の子弟が留学する大学は、だいたいがアメリカの名門校だ。そこで感化された連中が日本に帰り、日本の中枢の仕事を任されるようになり、少しづつ国を売るように仕向けられていく……。それがスゥイグヌムと、スゥイグヌムを裏で操っているウィオスの狙いだと……。新自由革新党と1万人プロジェクトには、アメリカ西部留学経験者がかなり含まれていて、それは日本版スゥイグヌムなんだと……」
「……じゃあ、俺のシャツを盗み、北山を攫っていったのはやはり……」
この、研究財団ウィオスと、それに関連した日本版スゥイグヌム……、新自由革新党……? と、郷原は、田代と顔を見合わせた。
郷原は、壁に寄りかかり、憔悴して前髪を掻き上げた。
「それがしかし、岸本正巳といったい何の関係が……?」
「……どこかで岸本は、江川夏実や西正和と接触し、仲間になった……。そうとしか考えられないけど……」
「……岸本……。まさか、昔の仲間が俺を裏切るだなんて……」
ますます人間不信になりそうだ、と、郷原はつぶやいて、前髪を掻きむしり、深いため息をついた。
「……しかし、北山を連れ去ったのはいったい、なぜ……? あんな宿無し女など連れ去ったところで、一銭にもなりゃあしねぇのに……」
「……それは、俺にもわからないが……。もう一つ……」
田代は言いながら、もう一つ、ミロリンから聞いた話を郷原に伝えた。
「ミロリンさんって今、オーストラリア大使館でバイトとして働いているらしいんだけど、日本の外務省の特務外交官……、宮下広夢さんが今、行方不明だって言うので、慌ただしいみたい。それにもどうやら、ウィオスが関係しているんじゃないかって言ってた」
「……宮下広夢……、か……。そういえば、そんなことも志垣のジジィが……」
そのとき、ホテルの部屋の呼び鈴が鳴った。郷原の兄貴分で田代にとってもボスの川嶋が、刑事を二人伴ってやってきた。鑑識結果が出たようだ。
郷原と田代は息を吞み、互いに顔を見合った。そして、頷きあって立ち上がった。
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