CHAPTER6、黒い龍(3)

 あかりは恐怖を感じて、思わず散らかった室内を後ずさり、物陰に隠れた。

 人影はせわしなく鍵を開け、プレハブ小屋のサッシの入り口を開けると、懐中電灯で室内を見回した。

「おい、居るのか? 大丈夫か?!」

「………??」

 殺されるのではないかと怯えて、物陰に隠れていたあかりは、その声のトーンに禍々しさが無いので、少し安心して顔を出した。すぐに懐中電灯があかりを照らした。

「無事か!! よかった」

 現れたのは眼を覆うほどの長さの前髪で、ボサボサの頭をした、クマみたいな男であった。彼はすぐにあかりに近寄ると、あかりの左足にカフが嵌められているのを確認した。

「足かせが……。こんなことをするのは江川夏実だな。本当にドSな女だ」

 どこか、この辺りにクリップは……、と、懐中電灯で、散らかった事務机の上や、引き出しを漁る男である。

 やがてメモ用紙の端についていたクリップを見つけると、それを曲げてカフのロックに差し込んだ。

「簡単なオモチャだ。これで抜けるはず……」

 ところが、カフのロックが中で錆びているのか、上手くつっかえが外れない。かかる力が足りないようだ。

「くそっ……、何か無いのか、何か……。クリップを巻きつけるのにちょうどいい、硬くて細いものが……」

 男は言いながら、懐中電灯であちこちを漁った。あかりがつい、口を出した。

「あ、あのぅ……」

「何?」

「鍵なら……。ありますけど……」

「ほ、ホントかっ?! それ貸してっ!!」

 あかりは、ずっとお守り代わりに握りしめていた、変な金ぴかの印鑑型キーホルダーがついた、郷原の謎の鍵を男に手渡した。

「うん、いける。これなら……」

 ちょっと手元を照らして、と、男は、懐中電灯をあかりに差し出した。あかりは男の手元を照らしてやった。郷原が、受け取らなかった謎の鍵……。それに、クリップを巻きつけて、テコの原理で鍵穴の中をこじると、ピン、と小さな音を立てて、柱に結び付けてあったほうのカフのロックが外れた。

「よし、外れたッ!!」

 男は叫び、次はあかりの右足首に嵌められたカフを外しにかかった。しかし、その瞬間、あかりがいつも食べ物を差し入れられていた壁から、ひと筋の光が――。

「裏切ったのか岸本」

「くっ……」

 見ると、ガラクタの隙間から見える向こう側の空間に、男がいる――。あかりの耳に、ピン、という鈍い音が聞こえた。素早い動作で、右足首のカフも外れた。男はそのままあかりの手に鍵をもどすと、あかりの前に立った。懐中電灯を手にしたもう一人は言った。

「その女をどうするつもりだ? それは我々の交渉カード……。組織から出てゆくなら一人で行くがいい。もっとも、そうなれば、お前の兄夫婦、甥と姪……、年老いた農家の父母……。すべて組織により始末されるがな……」

「………………」

 岸本という名前らしい男は、視線を前方へと向けたまま、事態を飲み込めず戸惑っているあかりに、小声で言った。

「いいか……。俺がこれから何をしても、決して叫ぶなよ……」

「!!!」

 岸本はそう言うと、あかりから少し離れた。あかりにしてみれば、絶好のチャンス――。足かせは外され、体は自由だ。なのに、恐怖で動かない……。胸の前で手を組み、惨劇の予感に身震いするだけだった。

 別の男は、いったんガラクタの壁を離れると、階段を降りたようだ。下のガレージを通り、もう一方――、先ほど、岸本が入ってきたほうの階段を昇ろうとしていた。その右手には、明らかに拳銃が――。

 あかりは恐ろしさでつい、しゃがんでしまった。心臓が縮み上がる――。近づいてくるもう一人の男……。1歩……、2歩……。3歩……。足音を響かせて、着実に階段を上がって来る――。

 岸本はやおら、物が散乱した事務机に乗り上げると窓を開け、そこから天井の油圧パイプに飛び移った。

 油圧パイプはそのまま、勢いよく下に引かれ――。もう一人の男は、階段の途中でどうすることも出来ないまま、うわぁっと叫んで蹴り落とされていた。

 あかりはきゃあっと叫んで眼を覆った。油圧パイプから飛び降りた岸本は、階段下に転がり落ちた男を追いかける――。そして、男の手から拳銃を奪うと、一発撃った。断末魔の声――。あかりの耳を貫いた――。

 思わず祈るように眼を閉じた。今、そこで人が殺された……。

「う……、うそでしょ……??」

 怖くて動けない。岸本は階段を再び昇って来ると、怯えきったあかりの右手首を掴んだ。

「きゃあッ!!! 嫌ぁッ!!!」

「騒ぐな!! お前もブッ殺すぞッ!!」

「――!!!」

 あかりは唇を噛み、叫びを押し殺した。岸本は一度外したカフを再び、あかりの右手首に嵌め、もう一方を自分のズボンの腰ベルトに引っかけた。そして強引にあかりの手首を掴んで立たせると、乱雑なプレハブの床の上の、ゴミや布団を引きはがした。

 現れたのは隠し床板である。とはいえ、覗き込んでいたあかりは、床板が真四角にはぎとられてからやっと、そこが秘密の隠し場所であることを理解した。

 岸本はその中から、鉄アレイのような形をしたものと、小さな弁当箱のようなものを取り出すと、小さな弁当箱から伸びた赤や青の導線を鉄アレイに結び、鉄アレイの片方の出っ張りを、思いっ切り靴で踏んだ。パキンと小さな、嫌な音がした。

 あかりは直観的に感じた。

 目覚めてすぐに思った。シンナー臭いこの部屋……。さまざまな試験管や、薬品の瓶が転がっていたこと……。そして、今のそれは紛れもなく――。

「ば、バクダン……!!」

 あかりは、一瞬でも正義の味方だと思えた岸本に、急激な禍々しさを感じて後ずさった。足かせが取れたのをいいことに、窓に手をかけていた。岸本はしかし、洗練された動きですぐにあかりの行動を封じた。

「おおっと、逃げられちゃ困る。あんたには一緒に来てもらう。郷原と交渉するんだ」

「ご、郷原さんと??」

 岸本はそういうと、あかりのリュックを掴み、中身を確認した。

「おわッ!! 携帯電話……!! 携帯電話だっ……!! これは使える! シガレット用電熱器からインバーターで電気を取れば……」

 岸本は、あかりのリュックの中に入れっぱなしだった、電池の切れたスマートフォンを見つけて喜んだが、さらに驚いたのは――。

「な……、なんだこの札束っ!!」

 中から100万円ほどはありそうな、カネの束が出てきたので、眼を丸くしたが、あかりは叫んだ。

「それに触らないでッ!!」

「あ~……??」

 振り向く岸本である。あかりは、涙でクシャクシャの顔のまま、岸本に言った。

「それ、郷原さんが、あたしに貸してくれたおカネなのッ!! 大事なおカネなのッ!! ひ、人殺しの手で触らないでッ!!」

「…………言うじゃねぇか女っ……」

「ひぃッ!!!」

 岸本は、あかりの髪を引っ掴み、殺した男から奪った拳銃を突きつけた。あかりはガタガタと膝を震わせたが、尚も抵抗した。

「……こ、殺しなさいッ!! 死ぬのなんか怖くないッ!! い、生きてたって、いい事なんか何もないッ!! あたしには、家族も、帰るところも、おカネも仕事も、何もないものッ!!」

「………………」

 岸本は、しばらくあかりの眼をじっと見てから、あかりの手首を掴むと、彼女にうさぎのリュックサックを背負わせて、そのままプレハブを出た。

 鉄板の階段をあかりは、岸本に引っ張られるまま、カンカンと降りてゆく――。

 あかりの行く手に、先ほどの男の死体が、頭から血を流し、目玉をひん剥いて倒れていた。思わず眼を背けた。あかりと鎖でつながっている岸本は、あたりにガソリンを撒いた。

 そして、あかりと二人、岸本は暗闇の中に躍り出た。あかりにはここがどこなのかまるでわからない。月夜の草むらを、岸本に手引かれて夢中で歩くだけだった。

 しかし――。

 十六夜(いざよい)の大きな月が中空に架かり、眼が暗がりに慣れてくると、あかりは、自分が駆け抜けている場所の足元が舗装された道路で、道路の割れ目から自生した草がすっかりススキのように伸びているのだとわかった。時折、伸びて絡まった草に足を取られそうになった。

 無人のたばこ屋、無人の和菓子店、無人の美容室の前を駆け抜けていく。

「どうしてどこにも灯りがついていないの?! ここはどこ?! も、もしかして……」

 岸本に手を引かれ、急ぎながらあかりは、岸本に言った。

「もしかしてここは……」

 市街地を抜け、小高い丘の上に出た。遠くに1か所だけ煌々とともる灯り……。あれは……。

「そうだ。常陽電力F県第一原子力発電所……。ここは立ち入り禁止区域だ」

「た、立ち入り禁止区域!!」

 あかりは眼を見開いて、暗い太平洋へとまばゆい光を放っている、不気味な建造物を見つめた。

「原発事故……。大震災……。すべて人為的に起こされたものだと言ったら、お前は驚くか」

「え……?」

 あかりは戸惑いで、眼を見開いた。

「そ、そんなバカなこと……」

「ある。お前たちは知らないだけだ。平和ボケした日本人だから……。もともとこの東北地方の沿岸沖は、伊豆から北陸へ抜けるフォッサマグナで分断された大陸プレートが、せめぎ合う地震の巣……。そこに、核爆弾を打ちこんで爆発を起こし、振動連鎖であれだけの巨大地震と大津波を起こしたのだ」

 岸本は、あかりの手を鎖で引いて、原発建屋の方向に向かい歩いていった。あかりは戸惑いながらも従うしかなかった。

「そんなわけない。あれは自然災害よ」

「なぜそう言える?」

「だ、だって……」

 ニュースでやっていたから……、と、あかりが言うと、「お前、本当にバカだな!!」と、岸本はあかりに怒鳴った。

「ニュースでやっていたらそれが真実? ハッ。おめでたいのを通り越して呆れるね。そんなんだから、日本はイルミナティに狙われるんだ」

「イルミナティ……??」

 小高い丘から、下り坂になった。岸本は、掴んだあかりの手首への力を緩めると、ゆっくり手を離してやった。南の空高く、シリウスがギラギラと怪しく輝いている。何もかもが冴えわたる真冬の空気だった。

「アメリカ政府と癒着した巨大財団、ウィオス……。あの大地震の日、この東北沿岸には、アメリカのオハイオ級原子力潜水艦が……。その潜水艦に研究技術を提供したものこそ、研究財団ウィオス……。ヤツらは日本の保守党にも根回しを……。連中は、アメリカ軍と連携してわざと大陸プレートの下で核爆発を起こし、この常陽電力F県第一原子力発電所を攻撃した」

「ど、どうして……?」

 あまりの突拍子もない話に、あかりはつぶやいた。とても信じることはできなかった。

「そんなの、決まっている。ウィオスは次世代水素燃料電池事業を極東アジアで展開する上で、どうしても常陽電力の株を買い占め、日本のエネルギー施設を支配下に置くための足がかりにしておきたかったのさ。こうしてカタストロフィーを起こし、危機感を煽って株主たちを追い込み、自ら株を手放させる……。株価が大暴落したところで一気に買い占める。常陽電力の株を持っている人間の多くは、特殊行政法人や、産業界、政財界の重鎮どもだ。そうして、原発を経営する権利を自分たちのものにしてしまう……。時間をかけて、この国の政治の中枢に入り込む……」

「な、なぜそんなことを……」

 首をかしげるあかりに、岸本は苛立って毒づいた。

「ほんとバカだなお前。どうせファッションとかくだらない色恋とか、そんなのにしか興味ねぇ、クソビッチなんだろ。ケッ」

「なっ、何よその言い方ッ!! さっきも言われたッ!!」

 あかりはキレて、思わず岸本の背後から、岸本の尻を思いっきり蹴った。岸本は前につんのめった。

「なっ!! 何しやがるッ!!」

 岸本は思わず振り向いて、ぎょっとした。あかりの背後に車が止まり、そこからバラバラと降りてくる人影を見た。

「追手が来た!! 急げッ!!」

「え?? え??」

 

 

 

**

 岸本はあかりの手首を掴むと、全速力で駆け出した。しかし、ここは海へと続く1本道……。身を隠すものなど何もない。

「岸本正巳ッ!! その女を返しなさいッ!!」

 ヒステリックな女の声である。あかりを従えた岸本は答えず、夢中で駆けた。あかりは引きずられるようにして手首のチェーンを掴んでいた。

「止まらないと撃つわよっ!!」

 闇の中に数発、連射的な銃声がとどろいた。足元数センチのところに連続して弾が撃ち込まれ、岸本は驚いて、走るのを止めた。

「くそっ……。なかなか正確な射撃をしやがる……」

 拳銃を構えたままの女は、止まった岸本を下り坂の頂上で見下していた。

「その女を返しなさい。その女を連れ出してどうするつもり?」

「………………」

 岸本は、答えなかった。銃を構えた女は、そのままじりじりと、草だらけの坂をすり足で降りてきた。女の背後には、さらに二つの人影――。新自由革新党青年部部長、江川夏実を女王として突き従う、江川の親衛隊だろう。

「鑑定結果が出たのよ。郷原はやはり、クリシュナ様が探し続けた男だった。その女は、郷原を呼び出すために使うの。返してちょうだい」

「……ご……、郷原さんを、呼び出すため??」

 あかりは恐怖に顔をひきつらせながらも、女の台詞が引っかかった。そして、怒りが込み上げてきた。

「あ……、あたしを利用して、郷原さんを呼ぼうとしたって、無駄よっ!!」

 あかりが言う声に驚いて、顔をあかりに向ける女。

「あたし、郷原さんの恋人でも、何でもないもんっ!! 知り合ったのだって、まだ10日も経ってないんだからッ!!」

「な……、なんだと……?」

 あかりを連れ出した岸本のほうがむしろ、あかりの発言に青ざめていた。

「じゃあお前っ! あの手紙は何だっ!! 郷原に会いたいだの、31日に明治神宮で初詣デートしようだの、書きつけてあったあの手紙はっ!!」

 岸本はキレて、思わずあかりにつかみかかった。あかりは半泣きでムキになっていた。

「あたしの片思いなのッ!! 別にいいでしょ?! 親切にしてくれたから、それで……。もう一度会ってお礼が言いたくて……。ただ、それだけだったのよっ……」

「お前なぁ~……」

 岸本があきれ返っていると、背後から、江川夏実が迫った。

「茶番はいい。そこまでよ。岸本さん」

 こめかみに、ガシャリと拳銃を突きつけられていた。岸本は思わず両手を上げた。

「二人ともひざまづきなさい。座るのよ、さぁ……」

「………………」

 岸本は、夏実の言う通りその場に膝を折った。あかりもつられてその場に座った。

 夏実の背後には、夏実に突き従う男たちの一人が、ロープを手にして立っていた。

「なんだよ、それで俺たちをふんじばろうってのか?」

 夏実が、岸本の鼻先に銃を近づけた。

「なぜ逃げたの? 私たちはあなたの恩人でしょう? ソマリアから密入国してきたあなたの生活を面倒見て、仕事をあっせんし、寮に住まわせてやったのは誰? あたしたち新自由革新党……。そうでしょう?」

「………………」

「ホテルマンの石塚はどこ? 二人で結託して、組織を裏切るつもりね?!」

 男たちはロープを手に、じりじりと岸本とあかりに近寄った。このとき岸本は、遠くのほうで車のエンジン音を聞いていた。打ち合わせ通り、原発から、車を盗み出した石塚が、岸本を迎えに来た音だとわかった。

(いいぞ石塚……!! 来いッ!! そのまま……!!)

 幸いなことにひざまづかされた場所には、海から吹きつける風が運んだ砂が多量に積もっていた。岸本は、砂の感触を左手で確かめると、利き手である右手のほうはジャンパーのポケットを意識した。夏実たちは、岸本が拳銃を持っていることに、まだ気づいていない――。

 風は、凪いでいた。晴れ渡った放射冷却の夜だ。左手で砂を握り、利き手の右手で、拳銃をこっそり握った。

「さぁ、その女を渡してもらうわ。お前たち、女と岸本をつなぐ手錠を外すのよ!」

 江川夏実が言い終わると同時に、男たちは、さらに岸本とあかりににじり寄った。しかし、背後から猛スピードで迫る車の音――。

 激しいヘッドライトに、夏実たちが一瞬目を奪われたスキに岸本は、素早く自分を縛ろうとした男を拳銃で撃ち、江川夏実の顔面めがけて砂粒をぶち撒けた。眼を潰された夏実が顔をそむけたほんのわずかな間で、振り向きざま、あかりのカフを外そうとしている男も撃った。男が倒れた瞬間に、あかりの手首を掴んで走り出した。

「岸本さん、早くっ!!」

 石塚が助手席のドアを開け、ハンドルを握りながら岸本に片手を差し出していた。岸本は車のステップに巧みに足をかけ、石塚の手を取ると、引きずられないよう夢中で駆けてついてくるあかりの手を掴み、引っ張り上げようとした。

 そのときだ。

「くそッ!! 止まれッ!!」

 江川夏実が、発砲してきた。オートマティック拳銃のマガジンが尽きるまで、闇雲に撃って来た。岸本が夢中であかりを引っ張りあげている途中、あかりがきゃあッと悲鳴を上げた。間一髪、猛スピードで走る軽トラックに、あかりを引き上げたと思ったら――。

「う、撃たれたのかッ!! お前ッ!!」

「う、ううッ……」

 あかりは右の腰部を押さえていたが、その指の間がとたんに真っ黒く変わって行った。泉のように鮮血があふれてくる――。

「わっ!! バカッ!! 逃げづらくなるだろッ!! 血を止めろッ!!」

「そ……、そんなこと言われてもっ……!!」

 岸本はやむを得ず、ジャンパーを脱ぎ、その下に来ていたインナーを脱ぐと、あかりの傷口に当ててやった。

「右の腰か……。これではもう走れない……。腎臓が破裂していたらすぐに処置しないと、命に関わる……」

「……もう嫌……。助けて……」

 あかりは泣いていた。余計に血が溢れた。岸本は自分のジーンズまで、あかりの鮮血で濡れていくのがわかった。

 

 

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