CHAPTER4、ホロスコープは無効~ヴォイド~(1)

 

 北山あかりが、何者かに拉致された翌朝。

 田代英明は、川嶋に挨拶をして、郷原を見舞った後、独自に調査を開始した。

 まずは手始めに、朝早く警察時代の後輩に当たり、現時点で判明している捜査情報を教えてもらった。そこにはすでに興味深い情報がいくつも含まれていたが、まだ警察が調査していない部分もあった。

 それは、郷原の部屋の鍵を開けたとみられる、ホテルマンについてである。

 郷原が、新橋ダイヤモンドパレスホテルに電話をかけたとき、その電話を受けて、郷原の指示通り602号室を覗きに行った「石塚昭敏いしづかあきとし」という男だ。

 石塚は郷原の電話を受け、彼の部屋を見に行ってから行方不明になっていた。郷原の汚れたシャツが持ち去られたことに、この石塚が関与しているのは間違いないだろう。警察への挨拶と聞き込みを済ませたあと、田代は、石塚とプライベートでも仲が良かったという男性従業員に会うことにした。彼が、石塚と食べ歩いて撮ったという写真を見せてくれて、田代にいろいろ話してくれた。

「これが石塚か……」

 田代が見せてもらったスマートフォンの中では、固太りな筋肉質の男が、特盛り巨大ラーメンを前にして嬉しそうにピースサインを作っていた。田代には考えられない量だ。

 他の写真も見せてもらったが、巨大お好み焼き、巨大餃子、焼肉食べ放題、寿司食べ放題などなど、食べ物と一緒に写っている写真ばかりである。

「失礼ですけど、ホテルマンのお給料はどのくらい……?」

 田代がうかがうように下手したてから聞くと、石塚の男性同僚は後ろ頭を搔いた。

「そうですねぇ……、安いです。手取りで、17~18万くらいですか」

「石塚ってぇのは、毎日こんなに食べてるの?」

「はい。食べるのが趣味みたいな人でした。毎日いろいろ行っていたみたいですね」

 田代は速記でメモを取りながら、質問をした。

「石塚ってぇのは実家住まいか?」

「いや……。日暮里にっぽり駅から歩いて15分くらいの場所に、アパートを借りていたはずですが……。ホテルまで埼京線で通勤していると言っていましたけど……」

「手取り17~18万の給料で、日暮里でワンルーム暮らし……。それで毎日食べ歩きなんてしていたら、給料たないだろ?」

 田代が言うと、男性社員は大きく頷いた。

「そうなんです。それで石塚さん、今年の春頃から、いい副業を始めたって言ってました。俺も誘われましたけど、ちょっとそれが、犯罪チックな話だから、俺、断ったんですけど」

「犯罪チック?」

 思わず喰い付く田代である。そうそう、そういう話が聞きたいのだ、と言わんばかりに、身を乗り出した。

「それ、詳しく教えて」

 男の話を要約すると、こうだ。

 食べ歩きが大好きな石塚は、今年の春から「1万人プロジェクト」という、反社会的運動に参加するようになったという。1万人プロジェクトと聞いて田代は驚いた。週刊誌大好き、ゴシップ大好きな田代は、それの話をしょっちゅう飲み屋でしていたから……。

 もっとも、今年の春頃まで、1万人プロジェクトは、ネットニュースや新聞記事で話題が出ない日は無いと言っても良いほどの社会運動であった。もともと、学生たちが、常陽電力と原発政策反対、憲法改正や安保法案改正、集団的自衛権の解釈をめぐる問題などで、デモ隊を組織していたのが始まりである。フェイスブックでもしょっちゅう広告が流れて来るので、世間的にはクレイジーな連中として広く知られていた。

 最初はごく普通の学生デモだったが、それがいつしか「1万人プロジェクト」と呼ばるようになった。学生ばかりか、若い社会人たちも運動にどんどん加わるようになった。その根幹が――。

「年金ボイコット運動なんだよ」と、田代は、部屋で待つ郷原に報告した。郷原は元気なく「ふーん……」と、気のない返事だった。

「1万人プロジェクトとは、国民年金の1号被保険者を1万人集め、彼らから国民年金を組織に3分の1だけ支払ってもらう、というものだ。1号被保険者の年金支払い額はおよそひと月1万5000円前後……。それの3分の1、5000円を、1万人から毎月徴収すれば、組織の月収は5000万……、年収では6億円……」

「しかし、国民年金は、支払いを拒否すれば強制徴収されるだろ?」

 郷原が、いつもより元気無さそうに答えると、田代は言った。

「いや、その代わりにさ。プロジェクトのメンバー同士、連携し合って、強制徴収に抵抗するんだと。そのために1万人プロジェクトは、武闘派の人間を多く集めていたようだ。石塚は高校・大学と柔道部で、体格もいいし喧嘩には自信があった。ちょくちょく仲間の強制徴収の抵抗に参加していたと。行くとそこでも、小遣いがもらえるそうなんだ……。石塚はそれで小銭を作り、そのぶん趣味の食べ歩きをしていた。そして恐らく……」

 1万人プロジェクトの危険な誘惑に、ハマって行ったんじゃないのか……? と、推理する田代である。

「1万人プロジェクトは今、中心メンバーだった青年幹部たちを中心に、“新自由革新党”を名乗り始め、政治結社化しているという……。驚いたことに、政党助成金も今年から交付されたようだ、という話だ」

 しばらく間を置いて、考えたように郷原が返答した。

「……その1万人プロジェクト……、新自由革新党は……。年間6億ものカネを稼いで何をする気だ?」

 やっと口を聞いてくれた郷原に安堵して、田代は一気に話した。

「……これは、あくまで噂だけどさ……。誰にでも入手可能な、台所にある危険物で作れる爆弾、兵器研究をしているという話。1万人プロジェクトももともとは、1万人のテロリストを作るのが目的だと……」

「……それが、北山を連れ去った……? 俺一人だけを脅すために、平安ファイナンスに忍び込んだ……?」

 カランと、電話の向こうで音がした。田代は、郷原が飲んでいるのを感じた。返事にどことなく覇気が無いが、田代はとりあえず報告を続けた。

「そうだね……。新自由革新党の可能性が、あるんじゃないかな……。郷ちゃんもニュースやネットで見ただろ? あいつら、安保関連法案の可決騒ぎのとき、大暴れして、保守党議員を殴ったりして逮捕者も出している。最近では先鋭化しつつあり、公安部がテロ組織としてマークしているという話……。俺は今から、今回の事件でヘマをやらかした凄腕警備保障へ行ってくる……。またあとで連絡する」

 田代が報告を終えると、郷原は元気なく「わかった」とだけ言って、向こうから電話を切ってしまった。憔悴しょうすいして、疲れ果てているようだ。

(そりゃあそうか……。自分を慕って手紙を入れに来てくれた無関係な女の子が、暴漢にさらわれたんだし……。DNA鑑定が何とか言っていたが……)

 田代は、郷原の生い立ちや過去にはとくに興味が無い。警察時代、暴力団や性風俗に関する取り締まりを中心にやってきた田代は、底辺を生きる者に、事情のない人間など一人もいないことを知っている。敢えて聞く必要もない。郷原は郷原なのだ。

 手帳を閉じると田代は、ダイヤモンドパレスホテルの従業員と話した喫茶店を後にして、そのまま凄腕警備保障の常務取締役、木下に会いに行くことにした。アポイントを取ると、川嶋がしっかり話をつけてあったので、木下はおどおどしていた。

 木下が指定したのは、凄腕警備の大きな本社ビルではなく、港区三田通りにあるシステム部のオフィスだった。そこなら事務員しかおらず、ゆっくり話もできるし、今回の不手際についてもお詫びしたい、という話である。

 

 

 

**

 東京タワーが間近に見える三田通りに、警備会社「凄腕警備保障」のシステム部があった。田代は、しょっちゅうこの辺りを車で通るので、見たことのあるビルだ。1Fの外食フランチャイズ店がまた変わっているのに気が付いた。

「ありゃあ……。ここって確か、最初は牛丼屋、その次がカレー屋、その次がコーヒーショップで、最近までうどんチェーンだったよね……。今度はコインランドリーか……。よっぽど呪われたビルなんだなここ。ははは」

 確かに建物全体が、暗く沈んでいる。凄腕警備保障もいずれは傾くのではと、不吉な気分にさせるビルの4階に、目指すオフィスがある。木下は恐縮至極の顔つきで田代を迎えた。

「こ、この度は……」と、会社の不手際を深々と詫びる、元夕日新聞社会部部長、木下であった。

 田代は木下の名刺を受け取ると、それを懐に仕舞いながら言った。

「いやぁ、あれは防ぎようがないですよ。コンピューター基板にドライアイスを詰められちゃあね……。あれ、アフリカ系の悪党がよくやる手口なんですわ」

 言いながら、木下にソファへと通された田代は、そのまま上手に腰かけた。木下は「そ、そうなんですか?!」と眼を丸くして、田代の対面に腰かけた。化粧の地味な事務員が、二人にコーヒーを持って来た。

「……東アフリカ、エチオピアの隣に、ソマリアっていう国がありますでしょ。日本人にはあんまり馴染みのない国ですが……」

「え、ええ……」

「そのソマリアのゲリラは、おカネがないもんだから、安価に作れるドライアイスで何でも危険兵器をこしらえるんですよ。その技法を真似た不良アフリカンが、似たような手口で会社強盗や空き巣を働く……」

「なるほど……。では、田代さんは、今回の平安ファイナンスの事件が、アフリカ系テロ組織だと……?」

 木下は、思わず両手を膝に乗せて身を乗り出していた。田代はええ、と頷いた。

「テロ組織または、それらに関連した人物……。その可能性は、ゼロではないと思います」

「……し、しかし、平安ファイナンスを調べてくれた刑事さんたちからは、そんな情報は一つも……」

「やる気がないんでしょうよ。どうせ平安ファイナンスは、ヤクザのフロント企業……。だから本気で捜査などしてやる必要はない。そういう、警察の意地の悪さを今回は感じています。それで元刑事の私が、かわりに捜査をしているってわけ」

「な、なるほど……。して、私に折り入ってお話とは……?」

 木下が揉み手するように、田代に恐縮しながら伺うと、田代はコーヒーを一口飲んだ。

「……私が現役の刑事だったとき、ある噂がありました」

「ある噂……?」

「……有名新聞社の警察付き番記者が、職務上知り得た国家公安委員会の機密情報を、知り合いの土建屋や警備会社、IT企業などに横流ししていると……」

 田代の話を聞き、見る間に顔面蒼白になってゆく木下だった。

「な……、何がおっしゃりたいのでしょう、た、田代さん……」

 木下がハンカチで額の汗を拭く。田代は余裕でタバコを取り出すと、禁煙か喫煙か確認もせずにそのままタバコを吸い始めた。

「いやぁ、この凄腕警備保障さんもねぇ。元夕日新聞社会部で、警察番だったあなたを、早期定年退職後に常務取締役に迎え入れたくらいですから、あなたのコネを使い、国家公安委員会や、公安調査庁の極秘資料を横流ししてもらうぐらいの便宜を、図らせているんじゃないかって」

「!!!!」

 木下は、ひぃっと青ざめて身震いした。田代は意地悪く、携帯用灰皿にタバコの灰を入れると微笑んだ。

「川嶋さんも、今回のお宅の不手際は水に流すと言っている……。でもそれは、木下さん。あんたの心がけ次第……。あんたの心がけが悪ければ、直ちに東京地検特捜部に情報をリークするつもりだ。泣く子も黙る鬼軍団の地検が、この凄腕警備保障に押し寄せます。社会的信用はボロボロ……。お宅の株価は大暴落……。容疑は何? もちろん、特定秘密保護法違反……、ふぐッ!!!」

「めっ!!! めっそうもございませんっ!!! は、はははっ!!」

 木下は、思わず対面のソファから駆け寄ると、田代の隣に滑り込み、その口を抑え込んだ。

「はははっ!! た、田代さんっ!! き、喫茶店にでも行きましょうかッ!! おいしいナポリタンの店があるんですッ!! ランチを御馳走しますっ!!! はははッ!!!」

 木下はそういうと、いぶかしげにこちらを見ている事務員に、愛想笑いを浮かべて田代の腕を掴み、結婚式の新婦とその父親よろしく、仲良く腕組みをして凄腕警備保障のシステム部を後にした。

「……で、結局、私に、国家公安委員会から番記者経由で見せてもらっている、毎月の、国家公安委員会の定例会議事録を見せろと……?」

 ナポリタンが喉を通らず、フォークで突くだけの木下が言うと、田代は美味そうにズズッと麺を啜り、頷いた。

「ま、そういうこと。国家公安委員会は毎月、海上保安庁、自衛隊、警視庁警察庁の各公安部、港湾管理局、出入国管理局、税関などから上がってくる不審者情報を、すべてまとめて議論した上で、警察全体の予算や方針を決めている……。警備会社や土建屋どもは、その情報を知ることで、警察の下請けや公共事業の入札情報を、いち早く察知して、仕事をもらうことができるってわけ」

「……ま、まぁ……。どこの会社でもやっていることですけどね、ははは……」

 木下は、ハンカチで額の冷や汗を拭った。田代は最後のナポリタンを口に入れると、美味そうにランチセットのアイスコーヒーを飲んだ。

「そうそう。どこもこんなのはやってます。だから俺たちも、そんなのを言いふらすつもりはない。ただ、さっきも言った通り、警察はどうも、本気で動いてくれる気が無さそうに感じるんです……。このままじゃあ、まだ生きているかも知れない、攫われちゃった女の子が、殺されたり、監禁の果てに死んでしまうかも知れない……。女の子の命を助けるには、一刻の猶予もありません。だからこうして、木下さんに直接、頭を下げに来ているんだ。寺本組若頭・川嶋貢の代理人としてね……」

 田代はそう言うと、爪楊枝で前歯をつつきながら、木下に深々と頭を下げた。木下は、そういうことなら……、と、やっと気を許してくれたようだった。

「でも……。確かにウチには、国家公安委員会の毎月の定例会議事録が、夕日新聞社会部の番記者から流れてきますが、毎月膨大な量ですよ……? タウンページくらいの分厚い資料です……。それが毎月毎月……。ウチの社長でさえ読み切れず、最近はCDROMに焼いたら満足してしまって、ぜんぜん営業資料にも使わないですし……」

「だから、そのCDROMさえちょっと貸してもらえればいいんです。俺たちは、そこに名前が上がっているテロの危険人物を知りたいんだ。木下さんには絶対に迷惑をかけませんし、今後は、寺本組の他の建物の警備や、いろんな仕事も頼みたいと思っている……。だから、どうかそのCDROMを貸してください。読み込み作業は我々で行いますから」

 田代がまたしても、深々と頭を下げると、木下常務はしぶしぶ了解してくれた。田代を喫茶店に待たせると、自分はいったんシステム部のオフィスに戻り、300本近いCDROM を段ボールに入れて持ってきてくれた。

「……ひとまず、これがここ7~8年分の報告書です……。特殊なパスワードでプロテクトがかかっていますが……」

「それは大丈夫だ。平安ファイナンスのシステム部にも一人、天才ハッカーがいるからな」

 田代はそう言ってにっこりほほ笑むと、木下から段ボール箱を受け取った。気の小さい木下は小声で「済みませんが、お正月の仕事始めの前日……、来年4日までには確実に返してください……。社長に貸し出したことがバレたら、大目玉です……」と言った。

「わかってる。解読作業が済んだら、すぐにシステム部へお返しするよ」

 田代はそう言って、意気揚々と喫茶店を、口の周りをケチャップで赤くしたまま、段ボールとともに出ていった。

 そのまま自分のボロ車を運転して、西新宿にある平安ファイナンスシステム部、永森という男のマンションへと直行した。

 

 

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