第二十五話 CHAPTER8、調印(3)

 郷原は、ランボルギーニに乗り込むと、遠回りしながら赤坂のシンフォニーホテルへと帰った。結局ここしか行き場がなかった。

 組長が用意した部屋へ戻ると郷原は、熱いシャワーを浴びた。

(そういえば、山本のやつ、今ごろどうしているだろう……)

 別れ際、妙に澄んでいたあの笑顔――。やけに気になる……。

 バスルームから出ると、バスローブ姿のまま、郷原はパソコンを開いた。今夜は酒は口にしない。占い賭博の前にだけは、郷原は酒に溺れなかった。郷原もまた、志垣に勝つためには冷静でいなければならない。酒を飲んで酔いに身を任せるというのでは、クールに状況判断をするなんて無理なのだ。

(そう――。状況判断――。それに尽きる――。あくまでも予想の99.9%は、状況判断と分析力――。星の並びなど、単なる連想の呼び水に過ぎない。ギミックだ)

 郷原はパソコンで、山本亮一の生年月日と、池田史郎の生年月日を、もう一度確認した。こうして本番直前に、占いのイメージをあらかた固めておくのだ。郷原は運命を決める星だと、かのアレキサンドリアの天文学者トレミーがその著書「テトラビブロス」で歌っている星、サターン(土星)の軌道を、確認してみた。トランジット(経過中の惑星)――。土星は現在、黄経162度37分を逆行中……。

 山本の生まれつきのサターンの位置である、黄経122度32分と、角度差は40度とわずかに0.5分――。まさに今こそが、運命のタイミング――。山本にとっての――。乗るか反るか――。

(星は、試している……。山本自身の運を……。状況は厳しい、この星回りでは……)

 サターンの角度を、微に入り細に入り、いろいろ分析してみる郷原だったが、次第に、星の角度の中に、違和感を覚え初めていた。

(………? なんだこれは………?)

 命のゆらめき――。生命力の枯渇――。血――。

 そんなキーワードを連想させる組み合わせの角度が、明日1日だけで、数えてみると5箇所も出来ている。

(これは………。これをどう俺は、解釈したらいい……?)

 郷原の肌色が、見る間に白く青ざめていった。目を剥いて、ホロスコープに見入る郷原。

(なぜだ!! なぜ山本に、死相が浮かんでいる?! なぜ――)

 思わず、腰を浮かす郷原だった。

(どう解釈したらいいんだ、この相を……。なぜ、なぜ山本が死ぬ目に遭う……?! 殺しあうのは橋爪と、原口のはずだろ?!)

 前髪を掻き揚げ、焦燥しきったように、郷原はそのまま、パソコンの前で頭をむしった。

(いつもそうだ――。結局、ホロスコープなど見たところで、具体的な結論を出すのは自分の想像力しかない。こんなもの読めたからって、それでなんだってんだっ!クソ喰らえっ――!!)

 郷原は苛立って、パソコンのマウスをテーブルに叩きつけた。

 毎回感じている、占いへの怒りと幻滅。

欺瞞ぎまんだ、欺瞞だ、欺瞞だっ――!!! こんなもので人の心理や、特徴や、未来が読めるなんて欺瞞だ!!! なんの役にも立たないじゃないかっ!!)

 よろよろと、打ちのめされたようにパソコンの前を離れると、夜景の眺められる部屋の窓辺に立った。

(だめだ……。いつもそうだっ……! けっきょくいつもわからなくて、ギリギリのところで閃くように、意味が繋がるんだ……。もっと事前にわからなければ、意味がないっ……!! どうして今頃、山本の死相に気がつくんだ俺はっ……! くそっ!!)

 ガラス窓を、右の拳で叩く。占いが何の役にも立たないのはけっきょく、その時に明確な質問をしてみて初めて、星だとかカードだとかの意味が見えてくるところである。それは例えば、ガンを疑って検査をするからこそ、ガンを見つけられるようなものなのだ。

 不安の芽や、喜びの可能性も何も出ていない平常時に、運・不運を託して占いなどしたところで、何も読めはしない、絶対に――。 

 そこにこそ、占いは転ばぬ先の杖、開運の羅針盤などと喧伝する占い自体の誤謬性ごびゅうせいがあるのである。

 だから郷原が、山本の星を事前に見ていたのに、今日まで山本の死相に気づけなかったのも無理はない。あのとき、スィートルームで初めて山本の星を見たときは、占い賭博自体がどう成立してゆくのか、郷原自身にも掴めていなかった。だからやはり、察知できなくて当然なのだ。所詮、本当のことは神様にしかわからない――。

(どうしたらいい……? こんなことで俺は明日、本当に未来を予言することなどできるのか? しかも、わずか数時間先の未来を――。今度こそ、負ける……? 負けるかも知れない……? 俺は……)

 窓辺から、客室に備え付けの小さなテーブルを振り返る。眼が、ただ一点、電源が入ったままのパソコンを見つめていた。体がふらふらと、再びそこへ吸い寄せられていった。何かに取り憑かれたみたいに――。

 放り投げた天体暦を、もう一度拾い上げた。

[そうだ郷原……。占ってみろよ、明日の自分の運を……。明日、お前が生きるのか死ぬのか、星に聞いてみろ……。ククク!!]

 心の奥から、悪魔の囁きが聞こえる――。パソコンに、自分の生年月日を入力しそうになって、郷原はかぶりを振った。

(だめだっ……!! こんなものに運命など聞いてはダメだっ……!! 運命を聞くともう、自分が振り絞る智恵も、必死の思考も、すべて最初から定められていたことになってしまう……!! そんな馬鹿げたことになってたまるかっ!!俺は、俺のすべての能力を振り絞って、命を賭けて未来を考える……!! 考えて、考え抜いてみせる……!! 誰が星になど、自分の未来を委ねるものかっ!!)

 まるで忌まわしいものに慌てて蓋をするように、勢いよくパソコンを閉じる郷原だった。酒が飲めないと、どうしていいかわからない。仕方がないからもう一度、夜景の見渡せる窓辺に戻った。

 ふと、北山あかりを思い出していた。

(あいつ、今夜はどうしているんだろう……。帰る場所なんてなさそうだったけど……)

 窓辺にもたれて、遠い眼をする郷原だったが、しかし甘い感情は今、頭の中から排除する必要があった。そういえば、トレンチコートの内ポケットに、ベレッタ・M91を入れっぱなしにしてある。それを、窓辺まで持ってくる――。

(大丈夫――。負けたらそのときは、これですべてを終わりにさせればいい――。恐れるな………)

 ベレッタの銃把に収まっているマガジンを、引き抜いてみた。

(やっぱりな、おっちゃんのやつ……。実弾を全部抜いてある……)

 これでは、ただのおもちゃだ。郷原は、セカンドバッグにいつも入れてある9mm弾を、装填しておくことにした。

 それから、微熱で少しだるい体をベッドに投げ出すと、胸に拳銃を抱いて目を閉じた。

(山本を助けたい――)

 胸の奥から、そんなつぶやきが上がってくる。

(山本を無事に、家族の元へ帰してやりたい――。自分で山本を罠にはめたくせにな、俺……。でもどうやって……?)

 あの死相――。ウソであってくれたら、と思う。何かは起る。絶対に起る。そう読めてしまった以上、明日は……。だが、星の言葉は象徴言語だ。単なるイメージとしての死相だから、それで本当に死ぬんだ!と考えるのは早計というものである。

 この死相が、文字通りの死を意味するのか、それとも、山本の中の覚悟が深刻に極まって、死を迎えるような心境になっているという意味なのか、あるいは、もうダメだ! 死ぬんだ! と思うような、ヒヤリとする一瞬があって、それで通り過ぎるようなことなのか、その判断はつかない。

(たぶん、この可能性の糸の束の中で、一番正解に近いのは、この死相が山本の決意を表している、と考えられるところだな……。俺の今までの経験と、直観で、そう解釈するのが一番しっくりと来る……。しっくりと納得が行く推量というのは、だいたいにおいて間違ってはいないものだ……。だとすると……)

 死を覚悟する――。それが山本の戦略――?まさか――。

 妙な予感が胸を締め付けた。郷原は、山本のあの、別れ際のすがすがしい笑顔を、思い出していた。

 

 

**

 その頃――。

 都内某所、人影のほとんどない、コンビニエンスストアの前の一般道路の路肩。

 そこに駐車されている一台の黒いボックス車。その最後部の3列目シートに、元・東洋太平洋チャンピオン、橋爪功治との打ち合わせを終えた山本亮一が乗っていた。

 山本はこれから、城乃内の部下二人につれられ、城乃内が用意したホテルの部屋へ移送されるのである。

 電話をかけるなら、このタイミングしかないな――。

 山本はそう思って、先ほどから思案をめぐらせていた。今、運転手役の男はひとりコンビニへ、山本を監視する合間に食べるカップ麺や菓子などを買いに行っていた。

 もう一人はかったるそうに、助手席に持たれてタバコを吹かしていた。それを見て山本は、いきなり声をあげた。

「困ったなぁ、なんだかさっきから歯が痛いや」

「あー……?歯が痛いだぁ~?」

 言われた男は、ふんぞりかえって山本を睨んだ。

「我慢しろよ、歯痛ぐらい」

「無理ですよっ!あいたた……。な、なんだか、だんだん痛みがひどくなってくる……。コンビニって確か、鎮痛薬くらい置いてありましたよね?悪いけど、ちょっと行って買ってきてもらえませんか。いたた……!おカネはあとで、ホテルに着いたら返しますから」

「……ケッ、しょーがねぇな……」

 男はそういって、車の外へ出た。山本の手はすでに、後ろ手に縛られている。ボックス車は通常、3列目のシートにドアがない。3列目から出るには、いったん2列目のシートを倒して、2列目のスライドドアを開けて車外へ出るしかない構造である。縛られた手でそこまでやれはしないだろうから、男は山本ひとりを車内に残して、自分もコンビニへと歩いていった。

 この隙に、山本は上体を下げ、フリースのポケットに入れておいた携帯電話をつかみ出すと、不自由な手で器用にダイヤル選択をし、コールボタンを押してから、なんとか首に挟んだ。少ししゃべりにくいけれど、首と顎で挟んで話せば、話せないこともない。

 山本がかけたのは、新婚だった妻、奈緒子の実家だった。監視の男たちがいつ、戻ってくるかわからない。早く伝えなければ――。

 3回目のコールが鳴り終わるとき、通話状態に入った。

「はい、久保でございますが」

 上品な、中年女性の声である。山本はすぐにその声が、義母の声であるとわかった。

「お、義母さん……、お久しぶりです、亮一です……」

「え……? りょ、亮一さん?! 亮一さんなの?! あなた、いったい今どこに……?!」

 義母は、驚いた声を上げていた。

「お義母さん、その節は本当に……。事情を説明したいのですが時間がありません。奈緒子さんを……」

 山本が言い終わらないうちに、奈緒子が母親から受話器をもぎ取ったようだ。懐かしい声が耳に飛び込んできた。

「りょ、亮ちゃんなのっ……?! バカっ……!! どこにいるのよっ……、こんなに心配させてっ……!!」

 奈緒子は、涙声だった。奈緒子の叫びには答えずに、山本は急いで話した。

「訳あって説明しているヒマはない……。奈緒子、よく聞いてくれ……。これから僕はきみ宛に、ある手紙を書く」

「手紙……? 手紙って……」

「中身は、書類だ」

「書類?! なに、意味がわからないよっ……、亮ちゃん……」

 山本は、残酷な頼みに、出産間近の奈緒子を傷つけるのを承知で、唇を噛むと、淡々と用件を伝えていった。

「その書類はこれから、どうにかしてポストへ投函する……。それから、僕の実家のすぐ近くにある古書店、覚えてるか?」

「古書店……? 清文堂のこと……?」

「ああ。昔から世話になってた清文堂のおじさんに僕は、いろいろと本を預けてあるんだ。その中の医学辞典の真ん中あたりに、僕の生命保険の証書が挟まっている……。それを君が、持っていて欲しい……。もし、このまま僕から連絡が来なかったら、僕の先輩の、大林先生のところへ行って、明日届く手紙の中に入っている書類に、印鑑を押してもらってくれ……。それからすぐに、保険屋へ連絡を……。死亡給付金は2億ほど賭けてある。そのお金で借金の精算をしたら、僕の両親を助けて……。両親の居場所は、手紙の中に一緒に入れておく。生命保険のお金で、せめて僕の両親に、アパートでも借りて、普通の暮らしをさせてやってくれ……。残りはぜんぶ、きみと、僕の子どもに……」

「な、なに言ってるの亮ちゃん!! バカなこと言わないで!! お願いっ、今、どこにいるの?! ねぇっ……!!」

 奈緒子は、絶叫していた。山本の頬には、ポタポタと伝う、雫――。ジーンズの膝へと、染み込んでゆく――。

「ごめんよ、奈緒子にこんな辛いお願いを、するなんて……。ほ、他に誰も、頼める人がいなくてさ……。だいじょうぶ。僕はきっと勝つ……。勝って奈緒子に会いにいく。生まれる子どもにも、きっと会いにいくよ……。だから待ってて……。でも、電話がなかったらそのときは、僕が送った僕の死亡診断書で、生命保険を……」

「亮ちゃんっ!! イヤよ亮ちゃん!! どこにいるか教えてっ!! イヤよっ―――!!!」

 泣き叫ぶ声――。

「おい! 何してるっ!」

 監視の男が、山本が首に携帯電話を挟んでいるのを見つけて、怒鳴った。

「まったく、油断も隙もないな。なにが歯痛だ、笑わせやがってクソ医者……。おい、今夜はつきっきりで見張ったほうが良さそうだ。コイツから絶対に眼を離すなよ」

「へいっ!」

 山本は、携帯電話を監視役に取り上げられてしまった。

 そして、あとは書類をポストに入れるだけだが、それはなんとかホテルの客室係に頼もうと思った。

 上手くこいつらの監視を、かいくぐることができればいいけどな――。山本はそう思って、眼を閉じた。

 

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