第二十六話 CHAPTER9、占い賭博(1)
その翌日、占い賭博当日。
数人の男たちが、赤坂シンフォニーホテルの広々としたロイヤルスィートルームに集まり、なにやら立ち働いていた。
室内中央には、丸いシンプルな椅子と、その椅子と一体型になっている、小さなパソコン机が置かれてあった。
男たちは、その椅子から10メートルほど離れた場所に、分厚いウレタン材のマットを置き、その間に木板と、鉄板を埋め込んでいく。その後ろには更に、うずたかく積まれたブロック塀――。
その向かい合わせの位置に、拳銃よりもはるかに狙撃性能の高い、ライフル銃を持った男がひとり立ち、なにやらそれを謎の装置にくくりつけていた。
「よし。いいぞ。試しに撃ってみてくれ」
パネル側にいた男たちが全員、謎の装置にセットされたライフル銃の後ろに下がると、撃ち方の男は、躊躇もなく発射した。パァァン……! と、薬莢が割れる音がする。
「どうだ……?」
一発撃って的を見る撃ち方の男。男が撃った弾痕を確認する、他の男たち。今発射された弾は、ウレタン材と木板と、鉄板をブチ抜いて、ブロック塀の塊にめり込んでいた。その弾痕と、中央の椅子を見比べる。
「うーん……、もうちょい、あと4、5センチ上にしたほうがいいかなぁ……。頭の位置に合わせないとな」
なんだか、テレビ局の撮影セットみたいに、手が込んだ舞台装置だ。撃ち方の男が片目をつむって照準を微調整する。3回試し撃ちしてみたところで、スタッフの一人が言った。
「うん、タイミングもピッタリだ。これでいいんじゃないかな。あとは、郷原先生が到着するのを待つだけだ」
「しかし、郷原先生が部屋に居ないとはね。迎えにいったらもぬけのカラだったらしいよ。監視くらいつけなくちゃ」
「まぁな。俺なら逃げるよ、こんな勝負。25分以内に答えを出さなきゃ、頭をブチ抜かれる装置に括られて、占いの予想をしてだな、しかも、それが外れたら外れたでまた、誓約書通りの代償を支払わされるんだ。狂気の沙汰だよまったく……」
腕を組み、室内の端へ移動したスタッフたちが、今からここで行われる郷原悟の占い予想の瞬間を、口々に噂していた。
「でも、郷原先生は毎回、これで数百万、数千万と稼ぐんだろう?」
「まぁ、そういう噂だけど……。でも、その裏ではな……」
スタッフの一人が、もう一人のスタッフに対して、くぐもった声を出した。次第に室内に、寺本組の関係者や、志垣智成の関係者が集まり始めているから、聞かれてはマズいのだ。
「なんでも噂だと、郷原先生が客と賭け合ったカネは仲介料として、半分寺本組と平安ファイナンスに吸い取られるって話だ。こんなに命を賭けさせて、そのカネをむしり取るんだから、組長や川嶋の旦那も酷なことするよなぁ。そのくせ川嶋の旦那は、郷原先生のことをあちこちで、俺の弟だとか言って、自慢しているらしい」
「うわー、なんかヤダなそれぇ……。郷原先生、そんなんでよくやるよ、こんな賭博」
「まったくだ。そのうえな、郷原先生の占い予想が、どの程度当たるのかを、またオッズにして賭けにしたり、賭場に集まる一般客のぶんでも、組には相当なカネが入ってくる……。川嶋の旦那や組長が、郷原先生を手放したがらないのもわかるだろ?」
「へぇ~……。占い賭博って、そんなに売上があるのか……」
「おいそこっ! くだらないおしゃべりはやめろっ!! 間もなく志垣会長の到着だっ! ビシッとしろ、ビシッと!」
ひそひそ話をしていた二人に、黒服を身に纏った浜崎慎吾が、檄を飛ばした。
(クソッ……、こいつら、川嶋社長を悪く言いやがってっ……! 郷原先生と社長は、そんな仲じゃねぇ……! 社長は郷原先生のためにこそ、この賭博を仕切っているんだっ!!)
浜崎はそう思ったが、今日は会場の警備隊長だ。きっちりと仕事をこなさなければならない。
空気がざわついていた。部屋のインターホンを鳴らす音が聞こえる。志垣智成の到着だ。
志垣は、今日も私人というスタンスらしく、部下は一人しか伴っていなかった。しかし、川嶋貢と寺本厳が、志垣を護って一緒に現れた。寺本組と平安ファイナンスにとって、志垣は今、大変なカネを落してくれる可能性のある客であり、また、政財界に闇の枝葉を伸ばそうと考えている寺本厳にしてみれば、賭博で志垣を接待することは、後々の関係にも好都合なのである。それで組長自ら、志垣を案内してきたのだろう。
室内を一望して、寺本は言った。
「おい、肝心の郷原の姿が見えないが、どうした……? まさか、怖気づいて逃げ出したのか?」
川嶋が、自分の腕時計に眼をやる。
「約束の午後7時には、まだ15分ほどあります。ギリギリまで待ってやってください。あいつにはあいつなりに、コンセントレーションを整える時間が必要です」
そう言って、郷原をよく知る川嶋は、志垣たちに口を添えた。
その頃――。
赤坂シンフォニーホテルの、すぐ前にある公園の便所で、郷原は、頭から水道の水をかぶっていた。
極限まで頭を冷やす――。冷静になりきる――。冷静に、冷え切らなければ、最後の最後で運だとか、神だとか、星だとかの神秘に飛びついてしまう――。
そんなことでは、ダメなのだ。最後まで自分の意志で、自分の決断で“占い”を貫かない限り、言い当てるなど出来ない。最後の最後で、星なんていうものの言うことを信じてしまうようでは、結果はたやすく覆るのである。
頭から、コートもネクタイもシャツも、ずぶ濡れになるまで水を被った。そして顔を上げ、便所の鏡を覗き込む――。
(眼――。今の俺の眼――。冷え切っているか?たった今、ビルの屋上から飛び降りることができるほど、命の惜しくない、突き抜けた眼の色になっているだろうか俺――。生きることに執着していないだろうか、今の俺は――)
そう思った瞬間、ざわりと肌をかけあがる、あの温もり――。
郷原は、自分の一瞬の気の迷いに、絶句したように立ち尽くした。
(だめだっ……! 思い出すな今はっ……! 生に心が向かえば、未来を読み間違える……。限界まで意識を死に近づけなければ、未来を垣間見るチャンネルは、開かない……。信じられるものは自分だけだ。自分だけを信じろ……!志垣に勝って、カネと権力を掴むために……!!)
またジャバジャバと水を浴びて、頭を激しく振った。そして、キッと顔を上げると郷原は、毅然とした足取りで、靴もコートもボロボロの姿のまま、赤坂シンフォニーホテルの最上階にある、占い予想のための会場へと向かった。
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「やはり、監視をつけるべきだったのでは? 寺本さん……」
葉巻をくゆらせながら、志垣が言う。
「う、むぅ……。しかし、今まで郷原が、勝負から逃げたことは一度も……」
顎をなで、首をかしげる寺本であった。川嶋が、落ち着き払った眼をしてきっぱりと言う。
「大丈夫です。郷原は必ず現れます。開始時刻まで、まだ2分あるじゃないですか。もう少し待ちましょう」
寺本厳、川嶋貢、志垣智成の3人は、占い賭博のための装置をゆったり眺められる位置に置かれたソファに、腰を落ち着けていた。その壁際には、浜崎慎吾と6人のスタッフ、そして志垣の部下一人が、手を後ろに組んで、郷原悟の到着を緊張して待っていた。
刻一刻と、秒針がリズムを刻む。水を打ったように静まり返る、スィートルームの広々としたリビング。
郷原を信じて、ひたすら待つ川嶋の耳が、微かな気配を察知する。
その気配は、次第に明確な靴音へと変わり、確実にこちらの方向へ近づいてきた。
川嶋が、振り返った。それを見ていた志垣たち、スタッフたちも一斉に、部屋のドアへと首を向けた。
(5、 4、 3、 2、 1、ゼロ……!!)
胸の中で川嶋がカウントしたと同時に、静まり返った室内にインターホンが鳴った。浜崎はすぐにドアへと駆け寄り、施錠を解き、開け放った。
一同、一斉に息を呑む――。郷原……。なんという姿――……。
「せ、先生っ………!」
あまりの郷原の迫力に、浜崎慎吾は思わず、後ずさった。
郷原は、ずぶ濡れのトレンチコートから水滴をしたたらせ、血走った、それでいて落ち着き払った眼をして、室内へとやってきた。
浜崎が、すぐにタオルを持ってきた。それで軽く髪と顔、コートを拭う。その場にいる一同が、郷原から視線を逸らせないでいる中、郷原は、寺本厳に言った。
「すみません組長……。志垣さん……。まだ、もう少し時間を頂いていいですか……。もうちょっとだけ……」
「まぁ、良かろう。好きにしろ」
郷原は、寺本や志垣たちの環視から離れた場所で、濡れて重くなったコートを脱ぐと、首と肩をコキコキと鳴らして、軽くストレッチを始めた。腰を伸ばし、隅々の関節までほぐしてゆく。
それが終わると、部屋の入り口に近いところで立ち会っている川嶋の元へ行った。川嶋はよくわかっているふうに、懐から高級シガーを1本取り出すと、それを郷原に静かに手渡した。
受け取り、穂先を軽くほぐして郷原が口に咥えると、川嶋がカルティエのライターで、火をつけてやる。
(まるで死刑囚だ、これじゃあ……)
始めて賭博のために占う郷原を見る浜崎は、その儀式を見てそう思った。東京裁判を描いた映画で、処刑前の戦犯がやはり、こんな風にタバコを吹かすシーンがあったように記憶している。
なんともいえない、透き通るような、死に赴く者のような目をして、厳粛な表情で、郷原はただ静かに、葉巻の煙を吸い込んでいた。
眼を閉じて、胸を落ち着ける。そして、自分に言い聞かせる。
(大丈夫――。今、死んでも悔いはない……。俺は死ねる……。いつでも死ねる……。だから恐れるな……。失うことを恐れるな……。何もかも捨てろ、この瞬間に……!)
いつも左腕に嵌めている、金色のロレックスを外すと、タバコを吸いながら文字盤を耳に近づける。時計が刻むリズムに合わせて、呼吸を整えながら、嫌いなはずのタバコの煙を、ゆっくり深く吸って吐く。強く眼を閉じて、そして、強く眼を開けた。
ゆっくりと郷原は、シガーを灰皿に押し付けて、一同を振り返った。
「さぁ……。そんじゃあ皆さん、ボチボチ、始めましょうかね……。楽しい楽しい、占い鑑定大会でも……」
そういって郷原は自ら、処刑台のような室内中央の椅子へと腰掛けた。浜崎がそこへ、紙切れを渡す。
そこには、ボクシングの当事者、橋爪功治と原口信夫の生年月日と出生地などの、占いに必要なデータが書かれている。池田と山本の生年月日は、もうパソコンに記憶させてある。
スタッフが用意した最高級シェリーを飲んでいた志垣老人は、待ちかねたように身を乗り出して、装置に腰掛けた郷原を、爛々とした好奇心で見つめていた。
「では、会長にルールのご説明を……」
「ええ。お願いします」
マイクを手にした浜崎が言うと、志垣は、海坊主のようなはげ頭に醜い紫斑を浮かべて、脂ぎった顔と飛び出た目玉を突き出し、椅子の郷原をじっと見つめながら頷いた。
「えー……、まず、志垣会長、郷原先生の椅子の前へどうぞ。会長のお付きの方もご一緒に」
「………それで、どうするのです?」
郷原の前に出てきた志垣と、志垣の付き人は、次を促すように浜崎を見た。
「郷原先生が座る椅子に、革ベルトが何本かついているのが、おわかりですか?」
「ええ。これのことですね」
志垣が、椅子についている太いベルトを、掴んでみせた。
「はい。まずはその革ベルトで、郷原先生をきつく固定してください。足首、腿、腰、胸の4ヶ所に、ベルトがついていますから、その全部を固定します。郷原先生が途中で恐くなって、逃げ出さないように――」
志垣のボディガードである、腕力の強そうな筋肉質の男が、郷原のベルトをぐいぐい締め上げる。そのあとで、志垣がベルトを確認した。バックルも頑丈だし、自動で電子ロックされる仕組みになっているから、外れる心配はないだろう。
「えー、ベルトで先生を固定して、カウントが始まったら、郷原先生にはパソコンを叩いたり、暦をみたりなど、占いを始めてもらいます。そしてそれを、手元に置かれた便箋に綴る――。どんな展開で、最終的に参加者たちがどうなっているのか、それを便箋に書く。占いに与えられた時間は、25分間です。5分経過するごとに、水平移動装置がじりじりと動いて、セットされた時限発射装置が作動し、弾丸が1発撃たれる――。弾は少しずつ、郷原先生の頭を狙う――。郷原先生は、5発目の発砲音を聞くまでに、便箋に予想をしたためないと、頭を打ちぬかれることになります。しかし、便箋に書けばそれでいいというわけには行きませんから、25分の間に予想を書いて、それを立会人の皆さんで読んでもらって、志垣会長のOKが出たら、そこで初めてスタッフがレスキューに入る。だから、読まれる時間も考慮すると、郷原先生の持ち時間は25分より短い。早く書いて読ませて、OKをもらわないと、死んでしまうわけです」
「な、なるほど……! それは面白い、ククク……!!」
志垣は目玉が飛び出しそうなほど、好奇心丸出しの表情で、括られ、動けない郷原をまじまじと見た。郷原は志垣の眼は見ずに、志垣の向こうの、どこか果てない方向を、遠い眼で見つめていた。もうこの世に未練などないというような、そんな表情――。
たまらず志垣は、郷原の耳元に息を吹きかけ、頬を撫でた。
「こうして間近でみるとあなた、本当に滑らかな肌をしておいでだ。いい、実にいい。こういう生意気な若造に、屈辱を味わせるのはたまらない……。あなたを殺すのは残念です、郷原さん。せいぜい、いい加減な占いをして、5発撃たれるまでに逃げ出してください。ククク……。ハ、ハハハハ……!!」
男色家丸出しで郷原を眺める志垣の素振りに、川嶋は、眼を背けずにはいられない。それをチラリと、横目で見る寺本だった。組長の深読みするような視線をごまかすように、グラスに注がれたシェリーを、川嶋は一気に煽った。
時計に目をやってから、浜崎がその場にいる者全員に聞こえるように、大きな声で、ゲームのスタートを宣言する。
「では、いいですか?郷原先生」
「ああ。もうやるしかねぇ……。いいぜ」
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