CHAPTER2、連れ去られたあかり(3)

 その頃、自分の住まい代わりにしているダイヤモンドパレスホテルに戻った郷原は、すぐに深夜勤務中のフロント係に言った。

「さ、さっきの俺の電話ッ!! あの電話に応答したフロント係は誰だっ!!」

 血相を変えた郷原に、はぁ……、と、怪訝けげんな顔をして、きょろきょろする男性ホテルマンである。別の同僚に声をかけていた。

「おい、さっき、602号室を見に行ったのって、お前か?」

 資材の入った段ボールを運んでいた同僚は、首を左右に振った。

「え? さっき602号室を見に行ったのは、石塚いしづかさんでしょ?」

「石塚……、石塚、どこに居る?」

 カウンターから覗き込むようにして、ホテルの事務所を覗き込んでいた郷原だったが、ホテルマンはあちこち聞きまわり、しばらくして戻ってきた。

「え……、えっと……。先ほど、郷原様からのお電話をいただき、すぐにお部屋を確認しに行った者が、どこにもいないのです……。いったい、どうしたのか……」

 恐縮しながら郷原に言うホテルマンを一瞥いちべつし、「やられたッ!!」と舌打ちして、すぐに自室に向かった郷原である。ドアノブに手をかけたとたん、ぞくに入られたのがわかった。鍵をかけてあったはずのドアが、開いていたのだ。

 室内を見回した――。確かに、机の引き出しや、クローゼットが開けられた形跡があった。すぐに書斎机の引き出しの中の通帳や、印鑑を見たが、不思議なことにこれらは何も無くなっていなかった。会社の金庫の中の十数万円は無くなっていたが、この部屋の通帳類は何も取られていない。郷原は、通帳とキャッシュカードを分けて持ち歩くタイプで、カード類は全部財布に入れてある。すぐにふところに手を入れて財布を確認したが、こちらは当然全部無事だ。

「いったい何なんだ……? カネ目のものが何一つ盗られていない……」

 だとしたら……? 目的は何だ? 俺が今までせこせこ占いをして、ため込んだカネではないということか?? しかし――。

「本命の通帳は全部、あっちのマンションに置いてある……。だとすると連中が探したのは……」

 不比等ふひとの金印……?? でもあれは……。確かキーホルダーにして、マンションの鍵をつけておいたはず……。

「あれ? 俺……。そういえばマンションの鍵、どうしたっけ?」

 郷原は、すぐにいつも持ち歩くセカンドバッグの中を確認した。それから、自分が身に着けているトレンチコートのポケットも――。そのどちらにも、鍵が無い。

「ええ?? 無い!! 無いぞマンションの鍵がッ!! 俺、いつもこのバッグか、ポケットに突っ込んでいたッ!!」

 青ざめる郷原――。マンションの鍵は付け替えればそれで済む話だから、別にいい。しかし金印は困る。無くなって困るというより、万が一警察に届けられでもして、取得物届け主に、法律で定められている価値の20パーセントを謝礼として、支払わなければならなくなったら恐ろしい――。

 あれの価値は、噂では10億円とも、20億円とも――。その20パーセント……。考えただけで恐ろしい金額だ。いっそこのまま出てこないでいてくれたほうがいい。

 あんなものを持っているから、自分が、出雲王朝の最後の跡継ぎで、ある神社の大神官になるはずだった嫡男ちゃくなんだという噂が消えないのだ……。それが腹立たしいから、シャレで、キーホルダーにしてやったのだ。まさかあんな、土産物屋で売られているみたいな、金ぴかの印鑑型キーホルダーなんて誰も、その昔、かの大大臣・藤原不比等ふじわらのふひとから、天智天皇てんちてんのうの命で出雲の王に送られたという、廷臣の王であることを証明する本物の金印だなんて、思いはしないだろうから――。

 自分を落ち着けるため、ベッドに腰かけてから郷原は、もう一つの部屋の異変に気が付いた。

「あれ……? そういえば、ここにあった俺のワイシャツは……?」

 昨夜は高熱だったから、どうやって自分は朝を迎えたのか、記憶があいまいである。北山あかりが側にいて、それから――。

「……俺が目覚めたとき、あの汚れたワイシャツは確かにここに置いてあった……。部屋を出るときも……。あとでクリーニングに出せばいいと思って……。んん……??」

 狙われた金印――、そして、無くなっている汚れたワイシャツ――。

 それはつまり――。カネ目当ての強盗などではなく――……。

 じわじわと、冷や汗が郷原の全身から噴き出した。賊はつまり、カネ目当てではなく、出雲王朝最後の、行方不明の跡取りかもしれないという、郷原自身の価値について、調べているということ――??

(せいぜい、知らない場所で勝手に身辺調査などされぬよう、お気をつけなさい郷原さん……。敵はすでに暗躍しています)

 郷原の胸の中に、志垣の言葉がまたよみがえった。

 「……も、もしかして……。誰かが……。俺のDNA鑑定を……?? 」

 思わず、ベッドからずり落ちて頭を抱え込んだ。それだけは嫌だ――。それだけは、死んでも受け入れられない……。それだけが、母に復讐する最大の武器なのだ……。自分は断固として、暴力団員として、血を汚して死ぬ……。それが、母への復讐……。それだけのために生きてきたのに……!!

「なぜ、なぜ今、こんなことをされなければならないのですか、イエス様ッ!! 私の唯一の生きる希望まで、あなたは奪うと言うのですかッ!!」

 郷原は荒れて、不意に立ち上がると一人、誰もいない部屋を蹴り倒し、シーツやまくらをめちゃくちゃにした。それから、書斎の引き出しにそっと仕舞ってあるロザリオを掴み出し、腹立ち紛れに床に投げつけた。そして、何度も靴で、無我夢中で十字架を踏んだ。

「イエスめっ!! とうとう正体を現したな!! この偽りの神めっ!! やはりお前は、許せないんだっ!! 占いに魂を売り渡した俺を、お前はとうとう罰しに来たっ!! はーっはは!!! ざまみろサタンめっ!! なにが汝の敵を愛せだこのうそつきめ!! 偽りの神めッ……!! 許せるわけないッ!! 姉ちゃんを返せッ!! 雪村の爺さんを返してくれよっ!!」

「やめろっ!! 郷原っ!!」

 寺本厳に一通りの報告をしたあと、郷原が心配になり、郷原のホテルに様子を見にやってきた川嶋は、郷原が、狂ったようにロザリオを蹴っていたので、思わず取り押さえた。

「やめろッ!! それは大切な、麻生あそう先生の形見だぞっ!! 俺とお前が、兄弟だと証明する唯一の品だッ!!」

「うっ………」

 川嶋の言葉で、やっと正気に戻った郷原であった。ロザリオを拾い上げた川嶋は、自分のハンカチでそれを拭いた。

「よかった……。特に、壊れたりはしていない……。安物の、真鍮しんちゅう製だから、頑丈に出来てる……。麻生先生そっくりだ……」

「………………」

 川嶋にロザリオを見せられて、郷原は、泣いていた。川嶋は父親のように、そんな郷原の頭を抱き寄せた。

「いいよ郷原……。お前のその気持ち、俺は誰よりもわかるつもりだ……。悔しいよな……。今さらお前の生まれを蒸し返されるだなんて……。ずっと避けてきたことだったのだから……。でも……」

 お前の血筋を唯一、信じないでいてくれたのは誰だ? と、川嶋は、優しい声で言った。

「麻生先生だけだっただろ……? 不器用で、頑固で、信仰一途な厳しい牧師だったけれど、俺とお前の、共通の父親さ。その麻生先生が残してくれた形見を、こんな風にしちゃあいけない……」

 川嶋はそういうと、自分も持っている、郷原とまったく同じロザリオを、懐から取り出した。その裏には「大阪・マリアの愛児園贈」と彫られていた。

 郷原は、弱々しくかぶりを振った。

「違う……。違うよ……。俺の親父は……っ……」

 雪村の爺さんだけ、と、郷原は、拳で涙をぬぐいながらいった。川嶋は寂しく微笑んで、もう一度郷原の頭を抱き寄せた。

「いいや。麻生先生は、もう一人のお前の親父さ。とても厳しかったけどな……。お前だって、本当は感謝しているだろう? 麻生先生の厳しい指導がなければ、ろくに教育も受けてこなかった俺たちが、金融屋として大卒をやりこめるほどには、なれなかった」

「………………」

「俺は、頼りない兄貴だが、お前のことは心から、年の離れた弟だと思っているよ、郷原……。一緒に、麻生先生の願い通り、本当に困った人を助けようって、約束しただろ……? 俺たちがヤクザを選んだのもそのため……。平安ファイナンスを設立したのもそのため……。お前が、占い賭博で稼ぐのもそのため……。麻生先生が悲しむ……。雪村のおっさんも……。だから、そう絶望するな……。な?」

「ううっ……」

 郷原は、川嶋が差し出すロザリオを弱々しく受け取ると、そのまま膝を抱えた。

「少し、放っておいて……。一人にさせて……」

「わかった。しかし、今から鑑識かんしきが来るからな。寺本の親父が警視庁のお偉いさんと話し合って、刑事を派遣してもらえるよう動いてくれた。あとで礼をいっておけ」

 川嶋はそれだけ言うと、郷原の肩をポンと叩いて、自分はひとまず郷原の部屋を出た。ホテル1階のロビーで、タバコをふかしながら、鑑識がやって来るのを待った。

 郷原は川嶋が出ていったあと、疲れ果てて、よろよろとべッドに転がり、胸の上にロザリオを置いたまま、北山あかりが残していった手紙をもう一度読み返した。

 優しい言葉と、あかりの思いが溢れている手紙……。これがラブレターかと聞かれれば、そんなもの、一度ももらったことのない郷原は、わからないと答えるしかない。

 けれど……。

(12月31日の夜、よかったら一緒に、明治神宮へ初詣に行きませんか? あたし、夜9時に、原宿駅の竹下口で待っています。きっと待っていますから――)

 これはデート……? デートに誘われたのか……? 俺……??

 わからない――。もう二度と会うつもりはなかった……。この先も、もう決して会うことはない……。それなのに、こんなことに……。

「この世は誰も、思うようには生きられない、不確かな牢獄……。この世の誰もが受刑者……。人は皆、処罰され、苦しむためにここにいる……。それが原罪……。キリスト教の教え……。だけど……」

 だからってイエス様は自分に、ここまでひどい仕打ちをしなくったっていいじゃないですか麻生先生、いくら主が、占い師や霊媒師を死刑にするほどお嫌いだとはいえ、ここまでしなくったっていいではないですかと郷原は、胸の上でロザリオを握りしめ身悶えた。

 

 

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