第九話 CHAPTER3、調査(2)
田代の話は、こうだ。
しらゆりテレフォンサービスに、郷原から託された、03―××××―△△△△という番号を調べに行った田代は、そこの社長からこの番号をここ何年も、ずっと使っている業者が“桂川興産”という会社であることを聞いた。
桂川興産は他にも、二つの番号を借りていて、全部で3台契約し、そのときどきで使い分けているらしい。しらゆりテレフォンサービスの社長に、偽造したバッジ型警察手帳を見せた田代は、その社長から、桂川興産の所在地も聞き出した。
田代はその住所に寄ってみようと思って、それでこのマンションに来たという話だった。
「郷ちゃんはなぜ、ここに?」
「俺? 俺は、星の思し召し。お星様が教えてくれた、池田とか言う男が、このマンションの603号室でNPOをやってるんだ。それで寄ってみただけ」
うーん……、と、考え込む田代。
「それってもしかして、桂川興産と、そのNPOが、繋がっている可能性がある……、ってこと?」
「ん~……、どうかな。よくわかんねぇ。偶然にしてはよく出来すぎているが、何の関係があるのかはさっぱり」
二人が、階段の踊り場で顔を見合わせていると、階下から揃いの薄緑色のジャンパーを着た若い男が二人、昇ってくる。二人とも、手にはビニール紐で縛られた包みをいくつか持っていた。ここで二手に分かれて、包みをそれぞれ届けに行くらしい。彼らのうち、上階に行くらしいほうの男の、通行の邪魔なので、いったん下り階段のほうへ身をかわして、通してやった。
「あれは、何かの配達か?」
この階を回るらしき男は、郷原たちを気にすることもなく、奥のほうから配達してくると、そのまま305号室の桂川興産の前に立ち、インターホンを鳴らした。
「どうもー。フェニックス印刷ですー」
男がインターホンに声を掛けると、ドアが開いて、室内に居た誰かが応対しているようだったが、ちょうどドアで中の人間が隠れてしまって、顔などは見えなかった。
すぐに階段を駆け降りる郷原と田代。シジュウカクマルビルのエントランスを、足早に通り過ぎる。
建物を出ると案の定、「フェニックス印刷」とボディに描かれたバンが停まっていた。すかさずその車体に書かれていた電話番号を、手帳にメモする田代だった。
「フェニックス印刷……、ね。もしかしたら、この印刷屋は、このビルに入居している個人事務所のチラシ作成を、一手に引き受けているのかも知れないな」
「最近、全居室をノマド用とか、プチオフィス物件にしちゃうマンション増えてるもんなぁ……。ここはそういう物件っぽいし。御用達業者なのかも」
「行ってみるかい? 郷ちゃん」
「ああ。行ってみよう。桂川興産のことが何か、わかるかも知んねぇ」
二人は頷き合うと、今メモした電話番号を頼りに、タウンページを調べ、そこからフェニックス印刷の住所を探し出した。車にそれぞれ乗り込み、新宿区若松町にあるフェニックス印刷へと向かった。
フェニックス印刷は、小さな商店街の裏路地の、ひっそりとした一角にあった。ガラスの引き戸に大きく、“チラシ、ポスター、配布用ポケットティッシュ、各種販促ツール作成 フェニックス印刷”と書かれていた。
「いいのか? おっちゃん。いくらこないだまで現役の刑事だったとはいえ、そう何度も偽造警察手帳使ってると、そのうち昔の仲間にマークされちまうぞ」
店の前で、ポケットから、バッジ型偽造警察手帳を取り出そうとした田代を、郷原が静止した。
「ああ、だいじょうぶ。基本はトークだよ。これはまぁ、どうしても聞き出せないときの、水戸黄門の印籠みてぇなモンさ」
「だったら、ここは俺が行く」
「んあ~……? 郷ちゃんが?」
「ああ。まぁ、何とかなる。ここで待ってろ」
郷原はそういうと、田代を残して一人、フェニックス印刷の中へと入っていった。田代はいぶかしがりながらも、その外でしばらく、タバコを吹かして待っていた。
30分くらい経っただろうか。郷原がなかなか戻らないので、気になり始めた田代は、何かあったのかも知れないと思って、フェニックス印刷の引き戸を覗いたが、そのときちょうど郷原が店の中から出てきた。
「どうだった? 郷ちゃん……。収穫はあったのか?」
郷原は、ポケットから3枚のチラシを出すと、田代の目の前に突き出した。
「ああ。ホラこれ。桂川興産が作らせたとおぼしき、うさんくさいチラシだ。しらゆりテレフォンサービスと、桂川興産が契約している電話番号が、ぜんぶあったぜ?」
田代は、郷原が差し出したチラシを手にとって眺めた。
一枚目は、黒地に上半身裸の女性モデルが写り、その周囲をバイイブとか、ローターなどのアダルトグッズが取り囲んでいるデザインで、黄色い丸文字で“クリーム”とあった。そして電話番号の下に小さく、“ナイショのアレコレ、高価買取中!”と書かれていた。
「うわ~、うさん臭いチラシだねぇ~。でも郷ちゃん、よくもらってこれたね、これ」
「こういう個人商店の小さい印刷屋は、条例違犯すれすれのチラシを作ることが多いからな。金融屋だと言ってやったら、俺のこと客だと思ったらしくてよ。チラシ作成頼みたいから、ここ最近刷ったチラシをいろいろ見せてくれって頼んだら、コレが出てきたんで、そのままくすねてきた」
「 “クリーム” のほかは、出張ヘルスと、あとは司法書士事務所のチラシだな……。しかし、なぜに司法書士??」
「さぁ……。弁護士だとか司法書士だとかってのは、実態はヤクザまがいの人間も多いからな。桂川興産の知り合いとか、顧問とか、そんなんじゃねぇの?」
「なるほど。んじゃあ、あとは……」
「そうだな。このチラシから何か、連中とコンタクトするとっかかりを作れないものか、考えてみよう」
「ええ? 桂川興産の連中と、もう接触する気?」
田代は、心配そうに郷原を覗き込んだ。刑事時代の思考が抜けない田代は、調査をするうえでも、とにかく安全の確保を第一に考えるクセがある。相手がまだ、何者なのかわからない状態で、連中とコンタクトを取るのは危険なのではないかと思った。
「ま、ちょっと考えがあるんだ……。今夜、このチラシの番号に電話して、カマをかけてみる。おっちゃん、ご苦労さんだったな。あの生意気息子の直人、そろそろ学校から帰ってくる頃だろ? これ土産だ。直人に喰わせてやってくれ」
歩きながら、ムルシエラゴを停めておいたパーキングまで戻ってくると、郷原は、助手席のシートに置きっぱなしになっていた、横浜・村田精肉で買った神戸牛800グラムを、田代に包みごと手渡した。夏場だったら、とっくに腐っているところだ。
「うあ~、なんかよくわかんねぇけど、ありがとう。さっそくすき焼きにでもするよ。悪いねぇ郷ちゃん」
「作戦の目処が立ったら、また連絡する。んじゃあな、おっちゃん」
そういうと郷原は、パーキングの料金を精算して、車に乗り込み、街の中へと消えて行った。
田代は郷原を見送ってから、自分も停めてある車に戻っていった。今夜は久しぶりに、息子と二人すき焼きだ。帰りがてら、シラタキと春菊、焼き豆腐を、スーパーで買って帰ろうと思う田代であった。
**
山本亮一はその頃、一人、ベッドルームにいた。ここは、新橋ダイヤモンドパレスホテル27階の、スィートルームである。
山本は今朝、伊豆へ連行される前の両親に会い、そして再びここへと連れ戻された。
浜崎慎吾が、この部屋の扉の向こう、リビングへと続く空間で、山本が逃げ出さないよう監視している。しかし、社長の川嶋貢が仕事で、もうここへは帰って来ないので、浜崎はどこかだらけて、漫画雑誌を読みながら、スナック菓子を食べていた。
扉の内側にいる山本の耳に、時折、がさがさと菓子の袋をあさる音が聞こえてくる。山本はベッドの上に寝転んで、あれこれと浮かんでは消える漠としたことを思った。
(亮ちゃん……)
母親の姿を思い出す。山本の母は憔悴しきって、ひたすら、亮ちゃん、と山本の名をつぶやくばかりで、まともに受け答えのできない状況であった。父親もうつむいたまま、硬く拳を握っていた。
(いったいなぜ、こうなった――? わからない……。神様………)
思わず、胸の中で呟く。山本は、結婚もそこそこに、何もしてやることが出来なかった新妻を思い出していた。
(彼女とはもうこのまま、離婚するのがいいだろうな、きっと――)
無性に空しくなって、山本は身を起こすと、タバコに火をつけた。タバコを吹かして、考えて、また吹かす――。そのくらいしか、やることはない。やれることもない。
コンコン、と、誰かが部屋の扉をノックする音がした。
「はい……」
元気のまるで無い声を出して、山本は、タバコを咥えたまま返事をした。扉が静かに開けられると、郷原悟が立っていた。
「よぉ……。どうだ調子は」
「いいわけないでしょ。あなたたちに支払う金利のことを考えて、気が遠くなりかかっていたところですよ」
「まぁ、そりゃそうか……。ホラよ。メシ。缶ビールも入ってる。適当に食え」
そういって郷原は、山本にコンビニの袋を渡すと、リビングのほうへ戻っていった。山本は郷原が調べてきたことが気になって、コンビニの包みをベッドの上に置くと、郷原の後をついて、リビングへと出て行った。
「何か、わかったんですか……?」
「ああ。もしかすると、あんたの尊敬する池田さん……」
「い、池田さん………? 池田理事が、どうしたって……? まさか、調べたんですか?! 池田理事のこと……!」
郷原は、コートとジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを緩めながら、冷やかに山本を見た。山本のこの、異常な池田への態度――。妙に違和感を覚える――。
「近藤学と、繋がっている可能性がある」
ネクタイを緩めながら、ソファのほうに戻って、郷原は言い放った。その言葉に、眼を剥く山本である。
「う……、うそだ……。あり得ない、そんなこと……」
その顔には、明らかな狼狽が浮かんでいた。
「あり得ないもなにも、可能性があるって推量してるだけだ。物的証拠はまだ何もねぇ。そう、うろたえることはないだろ? 池田史郎さん、前職は何だっけ」
体を投げ出し、解いたネクタイをシュッと襟元から引き抜いて、ソファにかけるようにしながら、郷原は尋ねた。
「厚生労働省の、法人担当課長です。でもその前は福祉関連のセクションにいて、児童相談所や保健所の行政指導をしていた……。り、立派な人ですよ。疑うなんてとても……!」
「近藤学が、時雨製薬の社員で、エリート研究員だったという話は、聞いているか」
「し、時雨製薬……?? 知らない、そんな話は……」
「………、あんたが教えてくれた、近藤から聞いたという電話番号、こんなチラシになっていたぜ?」
長い脚を組み、肘を背もたれにどっかりと投げ出すと、郷原は、ボタンのはだけたワイシャツの胸ポケットから、3枚のチラシを取り出した。それを手に取る山本である。
「う………」
「そのチラシを作ったのは、四谷4丁目、シジュウカクマルビルの “桂川興産” という会社だ。池田史郎の里親協会も、同じビルに入っている。もしこれが偶然だとしたら、ものすごい偶然だな。アンタは産婦人科医、近藤は元製薬会社の研究員、そして池田は元厚労省の役人……、なんとなく1本の線を感じる……」
郷原は、自分用に買ってきた缶ビールのプルタブを起こして、美味そうに飲んだ。郷原の突き出た喉仏が上下する様を、山本は唖然と眺めるばかりだった。
「ただ、桂川興産が、池田や近藤にどう関係しているのか、それがわからねぇ……。今からそれを、星に聞いてみるから、邪魔するな」
漫画雑誌を読んでいた浜崎が、郷原がパソコンを見つめ、天体暦を出し、星の計算をし始めたので、緊張して姿勢を立て直すと、慇懃に、郷原の邪魔にならぬよう正座した。星を読んでいるときに、物音など立てようものなら、郷原は、ぶっ殺すぞと言わんばかりに恐ろしい目で睨むのだ。
山本は緊張していた。郷原の占星術が、心底恐い……。まるで悪魔の知識である。
(たかが占いで、こうも秘密を浮き出させるだなんて――。こんなの、本当なのだろうか……。僕は、テレビでインチキくさいおばさん占い師を見たり、妻がくだらない占い本で相性診断をしたりするくらいしか、占いなど知らないけれど……)
そんな山本に構うことなく郷原は、ソファに寝転がり、腹の上にノートパソコンを載せると、なにやらデータを入力し始めた。
(桂川興産と、近藤、池田、そして時雨製薬――。この4っつを結ぶものは、何だ――?星よ、答えてくれ……)
描き出す星々――。ライジングと呼ばれる、答えを教える重要な場所に、太陽が輝いていた。その隣には冥王星。英名・プルートー。
2006年8月14日に、プラハで行われた国際天文学連合総会において冥王星は、小さく、質量も軽い故に、惑星という定義から外された星である。それを受けて、占星術上の冥王星はどうなんだという議論が起こったが、そういう科学的な論理を、単なる民間伝承に過ぎない占星術に持ち込むのは、間違っているのかもしれない。要するに占いなんて、根拠はともかく当たればそれでいいのだ。
郷原は、テーブルにいつも置いてある容器から、爪楊枝を1本取り出すと、糸切り歯の辺りで強く噛み締めた。眉間に皺を寄せ、眼を閉じ、意識を額の辺りに集中させて、連想の糸を紡ぐ。
占いは、すべてが連想である。決して摩訶不思議な才能ではない。世にいう霊能者という人々も、単なる連想、推量の技術にすぎない。結局、霊能だの占いだのの本質は、本人の知識量、人生経験、推理力と洞察力で決まってしまうものなのだ。所詮は、占い師本人が知っている範囲の言葉しか出てこない。
郷原は、プルートーと、太陽を見つめていた。どちらもこの世の権力の象徴である。太陽が表の権力ならば、冥王星は裏の権力――。
(表の権力……。表……。つまり、人前で公言できること……。裏の権力……。裏……。人前では絶対に公言できない秘密の力……。それが鍵だと告げている星……。権力、決定権があるもの、ということだ。決定権、世の中のことを決める、つまり……)
政治家――? 郷原の脳細胞が、推論に冷たく震えていた。
政治家――。口の中で、つぶやく。それと同時に、確かな手ごたえ……。呟いた言葉が、実感を伴って、郷原を押し返した。口にしたときにリアリティを感じる言葉は、大抵間違っていないことを、郷原は長年の経験でよく知っていた。
政治家――。この路線を疑え、という、星のメッセージ――。しかも、ただの政治家ではない。 “決定権がある” 政治家だ、と言っているわけだから、それは、法案を押し通せるだけの力を持った、有力議員という意味だ。
(恐らく、政権与党の幹部クラスか、その一派……。それが、裏・表……)
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