第八話 CHAPTER3、調査(1)

 午前8時を回った。

 新橋ダイヤモンドパレスホテルの高層階スィートルームで夜を明かした4人は、ほんの3、4時間休んだだけで、すぐに次の行動へと移っていった。

 山本の両親を今日中に、しかもできるだけ早い時間に、伊豆にある川嶋の知り合いの、国民宿舎の寮へと引っ越させなければならない。山本亮一を自分たちの思うままに操るための、いわば人質だ。

 川嶋と浜崎は、朝早く山本亮一を連れて、部屋を出て行くと、山本の自宅ビルへと向かった。そこで山本と両親を引き合わせ、山本の口から、自分は別行動に出るから心配しないで欲しいと言わせる必要がある。そうでないと、いざこじれたときに面倒なのだ。

 それが済んだら、浜崎と山本のみ、再びここへ戻ってくる。川嶋は社長業と組の仕事で多忙な身であるから、そうそうこの件にばかりも関わっていられない。後は浜崎に、山本の管理を任せることになっていた。

 郷原は、ろくに眠らないまま身を起こすと、ホテルの室内のバスルームへと向かい、熱いシャワーを浴びた。そしてスーツにトレンチコート、黒い革靴に眼鏡といういつもの服装に身を包むと、ホテルの地下駐車場に預けてあった、イエローカラーの愛車、ランボルギーニ・ムルシエラゴに乗り込んだ。

 郷原は、ホテルを転々として暮らしていた。そのたびに、車も移動させる。ランボルギーニ・ムルシエラゴは、新車で買うと2~3千万円はする超高級車だ。

 シートにもたれ、イグニッション・キーを回す。ゴボォッ……、と、待ちかねた野獣のようにエンジンが目覚め、主人の郷原に呼応して喉を鳴らした。セミオートマティックのシフトレバーを、ローにチェンジして、アクセルを踏み込む。

 薄暗いホテルの駐車場を抜けると、そこはもう物流トラックが絶え間なく流れ、ダイナミックにこの国の人と経済が躍動する、東京の喧騒の中だ。ステアリングを横浜方面に向けた。

 まずは、山本亮一を騙した近藤学という男が、まんまと山本からカネをせしめてとんずらするまで事務所を置いていたらしい、横浜・関内のKYマンション、302号室を目指した。

 今日は比較的道路が空いている。ものの40分程度で横浜に着いた。手帳にメモしてきた住所を頼りに探すと、確かに、デパートの裏手の路地に、ひっそりとした青い外壁のマンションがある。

「ここがKYマンション……?なんか、貧乏くせぇところだな」

 KYマンションは、繁華街の路地裏の、いかにも狭間にあるような、入り口の狭まった構造をしていた。ファミリー用ではなくて、独身ばかりが住んでいそうな雰囲気のマンションだ。

 入り口は、格子状に銅線の入ったガラスの扉だった。そこを開けるとすぐ右に、全部屋の集合ポストが置かれている。いくつかのポストからは、ピザとか、宅配寿司、ピンクチラシなどが溢れ返っていた。部屋数は各階に4室、それが3階までだから、全部で12部屋である。

 302号室のポストには、チラシが溢れ返っていた。

(今は無人なのか――?)

 郷原が、302号室のポストから溢れ返ったチラシ類を見ていると、スーツの上にコートを羽織った若い男がやってきた。

(ここの住人――?)

「すみません、ご出勤途中に呼び止めて……。私、社宅用の借り上げマンションを探しておりまして。ここの大家さんか、管理会社をご存知じゃありませんか?」

 郷原にすれ違いざま、声をかけられた若い男性は、急いでいる風に歩きながら言った。

「……大家さんなら、そこの商店街にある “村田” というお肉屋さんですよ。すぐにわかると思います」

「そうですか、ありがとうございました」

 狭い通路なので、郷原は、若いサラリーマンを通すために、ポストのほうへ一歩下がった。若い男はそのまま、入り口のガラス戸を出ていった。

 郷原は一応、302号室の前まで行ってみた。電気のメーターは止まっていて、ドアの新聞受けには、新しい入居者のための電気・ガス・水道の開設案内が挟まっている。近藤の痕跡こんせきは何もない。

 さっきのサラリーマンに聞いた通り、郷原はそのまま近くの商店街へ向かうと、村田という名前の肉屋を探した。

 すぐに見つかった。わりと大きな、立派な店だ。ちょっとしたスーパーのようである。自動扉を入ると、突き当たりが精肉のショーケースになっていて、パートらしき三角巾をつけた中年女性や、初老の男性がお惣菜を作っていた。

「はい、お兄さん、何あげましょう?」

 ショーケースの向こうの調理台で、ひき肉を捏ねていた女性が、郷原に声をかけた。

「ああ、すみません、ちょっとそこのKYマンションのことで……」

「KYマンション? 社長! なんかマンションのことだってよ!」

 女性が大声を出すと、奥にいて肉をスライス機で切っていた初老の男性が、手を拭きながら出てきた。

「ああ、お忙しいところすみません……。ちょっとあの、KYマンションのことで聞きたいことがあるんですけど……」

「ん~? おたく、どちらさん?」

 男性は、いかにも気さくな、商店街の社長という感じで、明るい笑顔のまま、郷原の前のショーケースから、顔を乗り出した。

 郷原は、肉屋の社長に自分の名刺を差し出した。名刺は【株式会社 平安ファイナンス顧問 ビジネスコンサルタント  郷原悟】となっている。郷原の名刺はもう一枚、威圧用に寺本組の文字と代紋が入った、ヤクザ仕様の名刺があるのだが、社長がビビると困るので、一般人向けのほうを出した。

「平安ファイナンス……?」

「ええ。KYマンションの302号室に、この間まで住んでいた、近藤学という者について、ちょっとお伺いしたかったんです。いろいろと、お金を貸してあるもんで」

「あちゃ~……。またかぁ……。もしかして、踏み倒されちゃったの? あの人、居なくなる直前には家賃も相当溜めちゃっててさ」

「近藤がお宅のマンションを引き払ったのは、いつなんですか」

「ん~、先月の頭だったかな」

「急に、引き払うと?」

 郷原は、コートの内ポケットから手帳を取り出し、メモを取った。まるで刑事みたいである。

「そう。なにせあの人、半年も家賃溜めちゃっててね。家賃の催促にすごーく苦労したのよぉ。なんだか知らないけど、いつも夢みたいなこと言うクセがあってねぇ。そのうち莫大なカネを掴むから、今はもう少し待ってくれって、そればっか」

「莫大なカネを掴む……?」

「ん~、なんかそう言ってたよいつも。まぁ、事情はよくわからないけれども、お金に困っているのは確かだったみたい。けっこういいつとめ先に勤めてたのに、いったい何があってあんなにきゅうしていたんだろうねぇ。家賃は、最後はまとめて全額払ってくれたけど、敷金の精算も済まないうちに、もぬけのカラになっちまってさ。会社も辞めたみたいよ」

 社長は言いながら、郷原に背を向けて持ち場に戻ると、再び仕事をし始めた。ランチどきに売るための惣菜などを、作らなければならないようだ。

「すまないね社長。忙しい中、ただで話を聞くわけにも行かないな。そこの肉ちょうだい。グラム1380円の神戸牛」

 郷原は、ショーケースの中の肉を指差した。

「はい、いくらあげましょう?」

 手を止めて、再びショーケースの前に出てくる社長である。

「そんじゃあ800グラム。近藤の勤め先とかは、なにか聞いてない? 社長」

「ああ、時雨しぐれ製薬だよ。近藤さんが住んでた302号室は、時雨製薬さんの借り上げ社宅でね。代々、そこの社員さんが住んでるんだ」

「時雨製薬……?」

「ああ」

「じゃあ、時雨製薬を辞めたってこと?」

「まぁ、そうだろうね。でも、聞いた話じゃあ近藤さん、借金だらけでパッと見、禿げあがった冴えないオッサンだったけど、すごい経歴の持ち主らしいよ。東大のドクターコースを出て、外国のすごい大学で研究をしてたんだって。それで、ヘッドハンティングっての?なんかそんなので時雨製薬に入社することになったらしいって、ウチに住んでる別の社員さんが言ってた。そんな人でも、家賃が払えないんだからねぇ。世の中って面白いよ」

「研究者……、研究……。製薬会社の……?」

「まぁ、俺が知ってる近藤さんは、そのくらいだな。あとはなーんも知らない。悪いねぇお兄さん。はい、お肉。オマケに牛脂も付けといた」

「ああ、ありがとう社長。邪魔したね」

(近藤は、時雨製薬の社員で研究者……。研究……?なんの……?)

 

 

**

 ムルシエラゴに戻る途中に、コーヒーショップがあったので、そこに立ち寄った郷原は、オリジナルブレンドを1杯買うと、タブレットPCを広げた。インターネットを調べる。

(昨日星をみた池田史郎という男……。NPO法人の、ワールド里親協会理事長と言ったな……)

 検索をかけてみると、ワールド里親協会自体が運営しているホームページは無かった。仕方がないので、検索に引っかかってきたページを、辛抱強く覗いてみると、東京都庁のページで、都内のNPO団体の一覧を探すことが出来た。どうやら、NPO法人というのは、事業所のある都道府県が承認するものらしい。

(四谷4丁目、シジュウカクマルビル605、ね……)

 なんとなく癖で、そのままコーヒーを飲みながら、他のページも開いてみた。するとどういうわけかノイズのように、まるで関係なさそうな中絶体験のブログだとか、難病を抱える子どもを持つ親のページだとか、そういったものがちらほら引っかかる。

「…………?」

 郷原は違和感を覚えていた。こういうのは検索ロボットが、検索された文字列と同じ文字列を含むウェブページ内の内容をランダムに自動表示するから、“ワールド里親協会” と検索したものに引っかかってくるということは、このブログを作ったサイト管理人が、“ワールド里親協会” という文字列を、自己のブログのどこかで使った可能性が高い。

 検索に引っかかってきたブログ、「青空のなみだ」を試しに開いてみた。ページの管理人は、夢見がちな女子大生のようだ。少々イライラする文章だったが、斜め読みに、とにかく眼を通す。

 更新の最後のページには、同じように望まぬ妊娠で困っている人に向けて、メッセージが書かれていたが、郷原の眼は、そのページを読み進めるにつれ、次第に細く絞られていった。

(中絶した子どもを、難病治療にだと……? なぜ、こんなブログが、ワールド里親協会の検索で引っかかってくる……? アルゴリズムの悪戯なのかな……)

 コーヒーを啜りながら、思わず眉間に皺が寄った。パソコンを閉じ、店を出ると、駐車しておいたムルシエラゴに戻る。そして再び都心を目指して第一京浜を抜け、霞ヶ関に出ると、国道1号線に折れた。着いたのは四谷4丁目、シジュウカクマルビルだ。

 小綺麗なビルだった。普通の居住用マンションというよりは、事務所用の集合マンションといった感じである。エントランス奥のエレベーターホールには、手入れされた鉢植えが置かれており、受付ブースも設えられていた。入り口のプレートを見ると、確かにほとんどが事務所のようだ。設計会社や弁護士事務所、イラストレーターのアトリエなどが入居しており、6階にはワールド里親協会の文字があった。

 郷原は、迷わずエレベーターに乗り込むと、6階へと向かった。 

 チン、と小さく音がして、エレベーターの扉が開くと、そこはごく普通の、1LDKマンションのような設えである。603号室はエレベータを降りたすぐ目の前にあった。部屋のインターホンを鳴らしてみたが、誰も応答しない。

「居ないのか……」

 電気のメーターを確認する。電気の使用量を測るメーターは、じりじりと回っていた。ということは、この部屋が現在も使われているのは確かのようだ。部屋番号が書かれているプレートにも、プリンタで印字した紙を貼り付けたような、“ワールド里親協会” の文字がある。

 在室していそうな、隣の部屋のインターホンを押してみると、はーい、という、若い女性の声がした。

「すみません……、あの、隣の603号室のことで、ちょっとお伺いしたいんですが」

 相手が若い女性なので、郷原は、慇懃いんぎんな声を出してみた。

「はぁ……。私、お隣のことは、ほとんど知りませんけれど……」

「何時頃に出入りの音がするとか、在室しているようだとか、そういうことは?」

 女性は、少し間を置いて、考えた風に話してくれた。

「さぁ……。たまに物音が聞こえることはありましたけど、別に騒がしいとかでもないから、そんなに気にはしていなかったです。でも先週、そういえばお隣に、変なものが置いてあったわ」

「変なもの?」

「ええ。大したことじゃないんです。気味が悪いホラー映画のポスターみたいなものが、ドアの前に飾ってあったの。そういうご趣味の方なのかしら。お隣さんの印象は、そのぐらいです」

 女性はそういうと、インターホンから消えた。

「……ホラー映画のポスター? なんだそれ……」

 郷原は、首を捻った。他の部屋もインターホンを鳴らしてみたが、どこも留守のようだ。腕時計に眼をやった。

「……もうそろそろ昼だ……。おっちゃんと落ち合う時間だな」

 そういえば田代は今、どのあたりに居るのだろう。なんとなく、エレベーターには乗らず、階段を降りることにした郷原だった。階段を降りながら、携帯電話を取り出し、田代英明の番号を選択して、通話ボタンを押す。コール音を聞きながら階段を降りてゆくと、遠くからiPhone特有の着信音が聞こえてきた。

「ははは。すげー偶然。かけた瞬間に誰かのケータイが鳴った」

 しばらく鳴らすと、田代が出た。

「おー、おっちゃん? 今どこにいる?」

「んあー? 四谷だよ」

「四谷ぁ? 奇遇だな。俺も今四谷にいる。四谷四丁目」

「え……? ほんとかい郷ちゃん。俺も、四丁目なんだ」

 どすん、と、何かにぶつかった。上を向いて携帯電話で話しながら歩いていたので、どうも前方不注意になっていた。3階に差し掛かった階段の踊り場で郷原は、そこを通ろうとした人とぶつかったのだった。

「あ、すみませ……、あれ??」

「うあ……! なんだ! 郷ちゃんじゃないのっ!」

「何してんだおっちゃん……。こんなところで……。俺、ここも調べてくれって頼んだっけ?」

「えーと、俺はあれだよ、そうそう、しらゆりテレフォンサービスを利用してた業者の住所が、えーと、ここの305だったから、そんで寄ってみただけ」

「ん~……??」

 

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