青葉真司容疑者と小説投稿サイト「小説家になろう」。

 さて、今日の話題は、2019年7月になんと死者36名という、類をみない大惨事となった「京都アニメーション放火事件」とその犯人の青葉真司容疑者、そして酒井さんが2019年6月までアカウントを置いていた小説投稿サイト「小説家になろう」に関するまとめです。

 青葉真司容疑者はようやく大阪拘置所に移送され、ここからようやく取り調べ&裁判、という流れになっていくものと思われますが、実は青葉容疑者のこの、京アニ事件が起こる1ヵ月ほど前に、私は実は水面下で「小説家になろう」という小説投稿サイトの運営者を、メールを通じてきっぱりと叱り飛ばしたことがあります。

 

 ことの発端は、酒井さんが、大事に連載してした「VICE—ヴァイス―孤独な予言者」という占星術大河小説。

 

 この「VICE—ヴァイス―孤独な予言者」は、「小説家になろう」にもともとおいてあったんですが、2019年の5月か6月にいきなり「小説家になろう・運営」(※以下、“なろう運営” と表記します)から、警告メールが送られてきたんですね。

 それによると、私の「孤独な予言者」が、「小説家になろう」の規約違反に当たると。ついては当該箇所の削除または修正に応じなければ小説を削除します、というメールが来ました。

 

 実は「なろう運営」から警告文が寄越されるのは3度目で、正直、暴力団と同じだなぁと。酒井さんは占いライターだったですし、酒井日香@幻冬舎事件としていまだに伝説となっている、幻冬舎の幹部に弁護士事務所に監禁され印鑑を押印するまで帰らせてもらえなかった実体験もありますし、ヤクザのやり口というのは歌舞伎町のキャバ嬢(※誰だ笑ってるやつぁ!!)だった頃も、芸能界とかかわっていた19歳頃も、「夢や射幸心を煽る暴力団の手口」みたいなのにはうんざるするほど接してきたので、正直、なろう運営も、「あー……。ITヤクザあるあるある……(笑)」ということで、別に驚きもなにもしなかった。

 

 前回の2回の警告は「幻冬舎」と書いてしまったことがアレだったみたいで、そこは「某社」とか、ぼかして書き換えてゆるしてもらえましたが、どうも内部事情に精通しているらしいなろうユーザーさんから、「酒井さんを追い出したがっているようだ」という噂は聞いていたのです。なろうは、出版社が著者をいい気にさせて出版させて、その実、売れ残りを強制買取りさせたり、あるいは精神的に追い込んで自ら自己買いして売り上げを上げさせるためのかっこうの「漁場」となっており、私はそれに対して、実体験も交えて注意喚起するエッセイを書いていたから、すごく嫌がられていたみたいです。

 んで、1回目は単に固有名詞をぼかして、修正した、ということにして、2回目の警告ではかなーーーり改稿して語り口をマイルドにしたのに、それでも警告文が来て、やりにくいサイトだな、嫌だなと感じましたが、何人か仲の良い作家友達ができたし、彼らとの交流がすごくたのしかったので、そうしたユーザーさんと離れたくない気持ちのほうが勝りまして、1回目と2回目の警告はまぁ、がまんしました。

 しかし、作家にとって、自ら人生を賭して、ある意味、命がけで発信している文章や体験談を「改変」させられるというのは、かなり断腸の思いであります。しかも弁護士に相談すれば社会的な注意喚起を促す目的の実名表記であれば問題はないと。しかもバイトで、おカネもらって書いている原稿なのであれば、買い手の編プロや編集部が改変するのはしゃーないな、と思いますが、「なろう」は別に、好きで書いているだけですからね。しかも投稿者が投稿してくれるからPV集められるわけでしょ。我々に感謝してもらいこそすれ、なんで内容にまで口出しされにゃならんのだと。

 私の経験は経験として厳然とした「体験・事実」なのであり、それを「改変しろ」というのもおかしな気がしましたが、まぁ、「なろう」と「幻冬舎」は、こんな狭い社会の中で深い関係があるでしょうから、「なろう」からしてみれば取引先の幻冬舎の裏側を、自前サイトで描かれるのは嫌だ、というのも、心情的にはわかります。酒井さんも大人になりました(笑)。20代くらいのくっそとんがっていた頃だったら、暴れていたかも知れません。もうしません。だって日香、大人だもん☆彡 てへ☆彡

 ただし3回目の警告を喰らったときは、ああ、もうここのサイトダメだなと。そんなうるさいならもういいや。自分でサーバー借りて自分でホームページを作ろうと。ちょうど、「超次元占星術」も、周囲の人からの強い勧めやリクエストがあり、もう伏しておけなくなってきた頃ですし、自分がこれまで発信してきたものを、自前サイトで一本化してしまおうと。ワードプレスを構築するのが面倒くさくてただ、既製品ブログに逃げていただけなんで、別に「なろう」そのものに執着やこだわりがあるわけではありませんからね。

 それで爆誕したのがこのサイト。

 しかし、自分のホームページにすべての原稿を「お引越し」すれば済む話なだけなので、別にそれは構わなかったのですが、気になったのが他の「なろうユーザーさん」たちです。

 というのも、「なろう」のユーザーは全体的に、すごく若い方が多いのですよ。なろうの2ちゃんねるとか、なろう掲示板とか、他の作家さんの活動報告とかを見ていると、みんなものすごく「なろう運営」にびくびくして、怯えて、警告などもらおうものなら「私の人生終わった!!」くらいに思ってしまう。

 これ、わたくし、占いライター時代にも、芸能プロに所属させられていた19歳の頃にも、ひじょーーーーーに目の当たりにしました。みんな「それになりたい」という夢が強すぎるために、プロダクションや事務所に嫌われ、追放されたらおしまいだ、と、洗脳されすぎているのです。

 実際はそんなことないです。ジャニーズのタレントが相次いで事務所を脱退するのはなぜですかと。みんなやっぱり、有名タレントといえども、「俺らに逆らったらてめぇ、どうなるかわかってんだろうなおうおう」ということで、「有名にさせてやる」という「弱み」によって支配されているからですよ。

 その「弱み」にタレント本人が気づいてしまえば、もうそこにはいられません。まともな人ならあんな奴隷契約バカバカしいのです。自分自身にやりたいこと、表現したいことがたくさんある人ほどその傾向は強いと思いますね。

 「なろう」で頑張っている書き手さんも、けっこうこの「タレントのジレンマ」「恐怖支配の罠」にまんまと陥っている人が多かったので、もう彼らの親ぐらいの私からすると、子どもたちを見守るお母さんの気持ちになってしまいまして、なろうの運営をこの際だからがつんと叱ることにしました。

 「なろう」は、もともと京都発祥の小説サイトです。京都人は私、けっこう「こんにゃろーーーーー」と思う場面多いです。いや、仲良くしている京都府民もいます。いますよ!! 京都大好きです!! でも、東京に出てきて「こいつヤラしいなーーーー」と思った人の中の、「京都府出身率」のかなりの高さですわええ。。。いや、重ねていいますが京都生まれ・京都育ちのあったかい人、人情豊かな人も東京にはたくさんいます!! 酒井さんがかつてくっそ仲良くしてウマが合いまくり、しょっちゅうお互いにコーヒー飲んで愚痴をこぼしていた「えぐっちゃん」という友達は生粋の京都生まれ、京都育ち(祇園)からの、東京都民なので、えぐっちゃんみたいな京都人いっぱいいますよ!! 京都の人、くっそみんないい人です!!

 京都の地元の人は、ぜんぜんそんなの感じないですが、ただ、稀に「東京住み」の「元京都府民」に、イラッと来ることがあるのですよ。。。んで、イラッと来る京都人の特徴として顕著なのが、なんというか「慇懃無礼」なのです。言い方がすごく丁寧。丁寧だけどめっちゃそれが「無礼」に感じてしまうんです。心とこころ、気持ちと気持ちの交流だと思っていたのに、すんごーーーーく事務的で冷たいメールが来るんです。本当に私のこと大事なユーザーの一人、と思っていたら、こんな「慇懃無礼」なメールをいきなり送り付けてくるか?! そういうとこがちょっと「京都っぽい」ねん。。。わかるかなろうのくそ運営ども。。。えぐっちゃんはそんなことしねぇぞ。すげーあったかい人だったぞ。ホームレスのオラに優しくして、吉野家おごってくれたぞ(涙)。

 この「なろう」の対ユーザービリティというんんでしょうか、人さばきの子どもっぽさ、「うわべだけ丁寧にしとけばそれでいい」みたいな言葉のチョイス、やり方。「あーーーーーーー京都っぽいわーーーーーーーーーー!!!!」と思いましたね。梅崎さん見てますか??? ^^;;

 だからね、大阪人のほうが「人さばき」はすごく上手い。情にからめてくるというか、「まぁまぁ、そんなこといわんといてーな。ワシとアンタの仲やろが。そこはほら、上手くやってくれや」という、人たらし、ある意味馴れ馴れしいのかも知れませんが、それはそれで、ある意味大人の処世術のような気がします。

 こちらは、単なる「サイトを利用さしてもろてる大多数の中の一人」であっても、何年かそのサイトで暮らすと「お世話になってます」とか思って、親愛の情も沸いたりするもんです。「なろう」に対してですが、私はアメブロにもそう感じるし、ツイッターでもユーチューブでもそうです。中の人ありがとう!! お会いすることはないけれど、心のどこかでつながっているよねあたしたち! という感覚ですね。

 そこにぴしゃりと表面だけ、突然、なんの挨拶もなしに用件だけ、あたかもこちらが120%悪い、犯罪者だみたいなくらいの感じで「あなたの作品は規約違反です」と赤文字で送られてくる。決まった文面を機械的に送り付けてきているだけなのはわかっています。わかっていますけど、「大事なユーザーさん」という意識があれば、もう少し優しい書き方はできるだろうと。ここら辺、対人スキルの高い大坂人の会社であれば

「いつも弊サイトにご投稿ありがとうございます。●●様におかれましてはご健筆のこと、スタッフ一同光栄に存じております。しかしながら貴殿の作品中不適切な個所がございます。当該箇所を削除または、改変してくださいますようお願い申し上げたくメールさせていただきました」

 くらいの、優しい「定型文」は描けるはずですよね??? ものの言い方一つですごくショックなんです。ましてや、中でがんばって小説描いてる子たちの大半は、なろう運営に対して「私の小説家への夢をかなえてくれる偉大な人たち」と思っているわけですから、警告文 = 自己存在の一切の否定 と受け止めてしまいかねない。鼻ほじりながら「はいはい、わーったようるせぇな」ぐらいに思うだけの酒井さんとは、ショックの度合いも、まったく違うわけです。

 んで、ここから青葉容疑者の話にもなってくるわけですが、酒井さんは、なろう運営に真心をこめて、お別れの言葉を送らせていただきました。もう少し夢をかけてこのサイトに来る若者に、やさしく接してやれや、という、親心です。このままじゃあんたたち事件になるよ、と。

 その、なろう運営との、やりとりの全文は、酒井日香のアメブロの過去記事、こちらに張り付けてありますので、ぜひ、お読みください。↓  ↓  ↓

https://ameblo.jp/sakainichika/entry-12482877726.html

 んで、青葉容疑者の話にここからなっていきますが、青葉容疑者もね、たぶん「なろう」で頑張っていたたくさんの若者と変わらなかったんだろうと思う。

 小説家になりたがる人間、音楽でもアートでも、そして占いでもそうなんですが、そういう方面に来ようとする者に「心に傷のない人間」は一人もいないのです。

 ヨーガでは、この「心の傷」こそが、人を現世に縛る力であり、かつ、悟りに導く力であり、生命エネルギーそのものだと説きます。

 青葉容疑者は、報道によればかなり悲惨な生い立ちです。その悲惨さの中でどうにか、自分を支え、救うのに「作家」という名前が欲しかったことは容易に想像できます。悲惨な人――、つまり、学業も振るわず、職歴も大したことがなく、家族もおらず、孤独で、だけど自分だって褒められたい、自分だってここに生きていろいろ考えているんだ、ということを知って欲しいという人が「作家」という肩書で世間の人に呼ばれることを夢見るわけですよ。私自身がホームレスで、親も家族もなく、一人新宿のキャバクラからどうにか立ち直っていったので、その気持ちは痛いほどわかります。私には幸い、家族ができて、その家族が支えになってきましたから、青葉容疑者のように道を踏み外さなくて来れましたが、彼は私だったかもしれませんし、「なろうユーザー」の誰かだったかも知れません。

 それくらい、自分に「何もない」人ほど「作家」という称号が欲しいのです。なにもない人が唯一、世間の人に自分の経験を認めてもらえる、もらえたような錯覚を得られるのが「作家」という肩書ですね。

 しかし、「作家」は生き様であって職業ではなく、このあたりのことは表現教育、芸術教育の現場で強く強く、若者に教えていかなければなりません。選ばれなくて当然だと。それでも「俺は描くんだ」「これは俺の祈りなんだ」と思うから、作品を書くとか、自己表現することがその人のたましいを救うんです。

 それで、アニメ化とか映画化とかされると、あたかも「あちら」のほうが優れていて、「こちら」のほうが劣っているのだと見せつけられているような錯覚に陥ります。現実はアニメ化とか映画化もそう華々しいことではなくて、関わる人間が多くなるほど地獄のレベルも上がります。たくさんの人の生き血をすすって、自分の作品があたかも、自分の手柄みたいに放送される。私だったらとても耐えられません。アニメ化とか一生要りません。けれども、「あれになれなきゃ自分は負け犬だ」「あんなくそ作品が映画化でなぜおれの作品はダメなんだ」と、心に恨みを募らせている人は多い。

 そこに、今回の「なろう運営」みたいな、懲罰勘定のたっぷりこもったメールが来たらどうなるでしょうか??

 もう全員ブチ殺してやる、不正とえこひいきばっかりのくせに。ランキングもなにもカネで買ってるくせに、と、そういう憎悪を募らせても何も不思議ではありません。

 だから正直、「京都アニメーション」で放火殺人か?! の第一報をニュースで聴いたとき、一瞬「小説家になろう」が襲われたのかと間違えてしまいました。

 私は占い師なので、たくさんの若者と接します。すると、いっしょうけんめい文学フリマ等で自作の同人誌を売ったり、サイト投稿している漫画家さんや作家さんとお会いするのですが、本当に毎回感動で胸が辛くなります。

 どういうところが辛くなるかというと「よくぞ殺さないでいてくれた!!!」というところです。

 本当に、青葉容疑者と同じか、もっと悲惨な生い立ちの人ばかりなのです。あるいは重い病で、子どもの頃から普通の生活をしたことがないとか、過酷ないじめを耐え抜いてきた子とか。

 そんな彼らはでも、「殺さないでいてくれた」。この事実を、なろう運営にわかって欲しかったんです。描くことは、祈ること。これは自分の祈りなんだと。祈りで支えるんだ、なんとか自分はがんばるんだという、ものすごい「自己救済」の尊い姿です。もう全員直木賞でいいじゃんか!! 彼らに優劣などつける必要がどこにある?! もう書いて殺しそうな自分をどうにか支えているだけで、とてつもなく美しい。感謝しかありません。そんな人が小説投稿サイトの多くのユーザーなんですよ。

 だとしたら、「なろう運営」も、その他の出版社や広告会社も、音楽制作会社も俳優養成所も、プロダクションも、優しい言い方、できるはずですよね。どれだけの思いでみんな描いているのか、わかるはずと思います。私のお叱りで変わってくれればいいけれど、あのままではまたこんな悲劇が起らないとも限らないし、もっともっと芸術教育では、芸で「名を上げる」ことを教えるのではなく、「芸は祈りなのだ」という原点こそを若者に強く強く、教えることではないでしょうか。

 青葉の間違ったところは、「京都アニメーションで働いていた人たちだって血を流していた」という、そこをわからなかった愚かさです。みんな傷をかかえていて、くやしい思いも、選ばれない辛さも、中の人は知っている、同じ気持ちだと青葉が気づけなかった情けなさだし、世間がもう少しランキングとか賞とかで人を線引きするような風潮が和らげばな、と思いますね。

 けれども、世界はみんな地続きです。ユーチューブが俺の動画削除した!! とか怒っても、ユーチューブの中の人は血を流して働いているだろうし、アメーバでもツイッターでもそうだと思います。テラスハウスの問題が発端で自殺してしまった木村花さんと、ネットの中傷問題がありましたが、華々しい人 = 幸福 ではないのです。自己表現にはつねに血の涙があふれていて、地獄だということです。だから、地獄の中で「祈る」。自分一人のためにこそ描くんです。それが芸術家や、クリエイターの最高の「成功」なのだと思いますね。

 

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