占星術は西部劇

 今日のお話は 「占星術は西部劇」 というお話です。

 占星術を学ぼうとしている方全員にこの記事が読まれることを願います。

 さて、酒井さんは長年、占星術師でありながらも、占星術に対して激しい怒りを感じてきました。「超次元占星術®」を発表するまで、いや、発表した今も怒りがなくなったわけではありません。

 その大きな理由は、「占星術ライター」とか「講師」とか名乗る人々が発表する書籍や中身に、ひどく傷つけられてきたことが大きな原因です。私などはマスに対する力もなにもない、ただの平凡な立場で、彼らとの影響力を比べれば私の占星術のほうがむしろゴミで、無名なのですが、人気ライターさんたちの書く占星術にどうしても納得がいかなかった。

 しかし、どうして「占いライター」みたいな人たちにあそこまで怒りを感じるのか。ああいう雑誌とかマスメディアとか〇ねばいいのにぐらい思ってしまうのか、自分でも長年その理由をうまく言語化できなかったのです。嫉妬??とも考えてみましたけれども、別にうらやましいわけじゃない。ただ、人気占星術ライターの描く中身がことごとく気に入らないのです。なんなのだこのゴミは、ぐらいに感じてしまって、本人もその理由をうまく言語化できないから、私も長年本当に苦しみました。

 それが、2021年の春から、私はどうしてもトレミーの「アルマゲスト」という天文学(占星学)書を読みたくて、数学の家庭教師を探しておりました。幸い気の合う若い先生を得て、その先生に個人レッスンでアルマゲストを一緒に読んでいただく、ということをしていただいています。アルマゲストは高等数学、幾何学、三角関数等がどっちゃり出てくるため、大学数学を履修した以上の先生にお願いしないと、とても読み進められなかったのです。

 その先生と月に2回、ZOOMで講義をしていただくのですが、その先生とひょんなことから、「公理と定理の違いとは何か」みたいな話になりました。

 定理というのは、法則であり、証明していけるものというか、証明するためのもの。

 公理というのは、定理のようにそれで証明するとか、そういうものではなくて、もう少しふんわりしていて、宇宙の真理としてそういう感じだよね、とか、そういうものだよね、という、やんわりした思想、概念のようなもの。

 ……という話になりました。

 へぇ~、といって、数学の先生に、実は占いの世界には大昔から「マリアの公理(老子の公理)」というものがあって、それがイーチンとか、占星術の秘法のようなんですよ、みたいな話になりました。

 先生はふんふん、と聞いてくれましたが、私はなんとなく先生と気が合ったので、長年自分が占いを許せないと感じてきたこと、今でもそれに対して怒りが消えないことをお話しました。そうしたら先生が、

「酒井さん、それはね。占いには原理原則がないからですよ」

 とおっしゃったのです。

 これは科学や哲学、およそ「学」とつく一切、それが全部土台なんだと。酒井さんのお話を聞いていると占星術とやらには原理原則がなにもない。これは「学」とはいえない。学問の土台はすべて「定義づけ」に始まり「定義づけ」に終わるのだと。

 たとえば数学ではとにかく「定義づけ」が大事で、同じ概念を扱っている、ということを共通ルールとして徹底しなくてはならない。🌸、というマークが今、この場では「÷」で定義しますよ、いいですね?? と、最初に定義づけさえしてしまえば、数学って実は何をやってもいいんだと。しかし「定義づけ」されない以上はボコボコに非難、批判されるんだと。この辺、学者の世界というのは容赦ない。みんな真理を求めているから、学問のセオリーを無視することはおよそ、文学だろうが理学だろうが許されなのだと。

 その話を聞いて、私はなぜ自分が、世にあふれる占星術にここまで怒りを抱えていたのか、一気に氷解しました。

 ああそうだ。私は、占星術の「原理原則」を占いライターとか、占い講師とか、占い入門書のどれもが、まずきちんと明らかにしたうえで本を書いていないからアタマに来てたんだ!! と――。

 そして、長年、わが師、門馬寛明先生のおっしゃっていた言葉が、この数学の先生の言葉と激しくリンクして、雷のように私を打ったのでした。

 門馬さんは、1950年代に最初に自費出版で出した全三巻の「占星学」という本の中で冒頭、

 「占星術とは無法の荒野を丸腰で行くがごとし」

 と書いておられたのです。

 当時、まだ20代だった私は、この言葉の意味が当然わかっていませんでした。ただ、なぜだか、不思議と脳裏にこびりついて離れない言葉だったから、長年考え続けてきた。

 無法――。無法の荒野――。そんなところに丸腰で行くがごとし――。

 なんとなく「西部劇」のイメージです。無法、とは、英語で言えば「lawlessness」。1、違法[非合法]であること 2、無法な[法律がない]こと 3、手に負えない[統制されていない]こと という意味であるらしい(英辞郎WEBより)。

 この言葉が脳裏にあったうえで、数学の先生との会話があり、ようやく、私の怒りの理由がはっきりわかりました。

 ああ、そうだ!!占星術には原理原則が何も示されていない。共通の約束が整備されていない。ひたすら名声と人気を得るための大フロンティアになっているだけで、そこに集う人々は大西部のガンマンなんだと。保安官のいない荒れ放題の世界で、何をやっても言っても書いても、ひたすら自由なんだ!! だから「無法の荒野」になって当然なんだ!! と――。

 しかし、門馬さんの占星術にはしっかりと原理原則があったのです。

 門馬先生はよく言っていました。

「占星術とは、“できごと”を描写するためのツールである。これを徹底することが占星術の第一の原理原則なのだ」

 と。

 私にはその教えが染みついていた。

 だから、その教えを胸に女性雑誌の占いライターの世界や、鑑定の世界や、出版業界に踏み入れたとき、同業者があまりにも「大フロンティアで裸で走り回る原理原則なき占星術」を書き散らし、多くの者をまた無法者にさせ、暴れまわり、荒らしまわって好き放題だから許せないんだ!! 許せなかったんだ!! と。

 思わず数学の先生が救いの神に見えました。そうか!! 門馬さんが言っていた「占星術は無法の荒野」とは、そういうことなんだ――!! 25年以上ずっと苦しみ続けてきたことの本質、怒りの原因がはっきりそのときわかりました。

 それでさっそく、自分の生徒さんや、鑑定に来られる方々に私は話すのです。

「占星術の原理原則とは何か。これをみなさん心に刻んでください」と――。

 その原則はやはり、門馬先生の教えである「占星術とは“できごと”を描写するためのもの」という、そこを絶対の土台に据えることです。この原理原則を胸に刻んでおれば、名声と欲望と承認欲求渦巻く無法の大フロンティア、「占星術西部劇」で、迷わないで済む。悩んだら常にここに立ち戻ればよい。自分の書く原稿、SNSの記事、講座で話すこと、お客さんを鑑定させていただくとき――。悩んだら、一番最初の「できごとを描写するツールである」という、第一原則に必ず戻ればいいのです。

 それで、なぜ12星座占いとか、ツイッターで妄言MAX、みずがめ座がどうしたこうした、やぎ座の性格がどうのこうのと、自由に詩吟しているポエム占星術が腹が立つかというと、彼らの星占いには原理原則がなにもないからです。「占星術とはそもそも何か??」ということを問おうとしない。それで、理屈っぽい私にはどうしても馴染まないのです。

 しかし、書店に並ぶ一見「おしゃれな」12星座本や、女性雑誌で人気を博しているような占星術とか、Twitter等で自由気ままに、詩吟するように「星詠み」している人たちは、彼らの世界の外にいる者からしたら、単なる「ならず者・無法者」だとわかっていないのですよ。しかし彼らの正体が無法の大西部劇ガンマンだとわかれば、近づかなくて済む。

 そして無法の荒野だからこそ、「自分さえ気持ち良ければいい」「知識で星を読むのではなく、霊感のひらめきで、でたらめでも、とにかくタマシイや感性に響けばそれでよい」という、ものすごい乱暴無礼な占星術が出来上がり、そんなものが占星術なら簡単じゃないか!!と勘違いした、承認欲求の亡者が、占星術のフロンティアで名声と人気とフォロワーをもとめて、また無法を繰り返す。

 実は占星術以外でも、タロット占いや東洋占いでもそうなのですが、だんだん気分的に「行き詰って」くるものです。

 占い師の多くが、占いのそもそもの「原理原則」を知らない。それでタロットめくりしても、原理原則という土台がないままリーディングするから、気持ちイイならそれでよいということで、とにかく気持ちよく一方的にしゃべって、飽きたらそこで「はい。鑑定はおしまい」とやってしまう。

 これでは無法の大西部で、ガンマンが女性をなぐさみものにレイプして、飽きたら放り出すのと何も変わらないでしょう。

 そうした「無意識に負担がかかる誤った土台の上」で占いをプレイし続けているから、占い業界でバイトしても結局、数年たつと自分の欺瞞性に耐えられなくなっていきます。それは原理原則が何か、ということを問わない、考えないからです。

 こうしたことは独学では到底わからないことです。私だって門馬先生の教えがあったからこそ、まともな占星術とは何なのかと研究を続けてこれた。

 つまり、占いとは独学は無理です。独学で正しい占星術にたどり着けるほど、占い師という仕事は甘くない。

 けれども無法のフロンティア(に見える)から、そこの先住民を真似して、自分もフリーダムにルール無用に、自分さえ気持ちよく詩吟すりゃあいいんだと。最初から無法で、ルールも原則もないんだから(…ということに、おかげさまでなってしまった)、先生になんて習う必要ない。専門書も読む必要ない。ましてや天文学など学ぶ必要もなく、数学なんてなにそれ食えるの?? 統計学?? どうせいい加減だよそんなもの。霊感でひらめいて気分さえアガればそれで解決なんだよ、と、そういう風に占星術をとらえる人が異常増殖してしまった。その功罪を作り出したのはやはり、女性雑誌や出版社と組んで、粗悪占星本を乱発してきたライターみたいな人たちだと思ってしまうのですよ。

 そろそろ占星術の世界も、誰かそうした無法状態に、「踏みとどまろうよ」と言う占星術師が現れてもいいのではないかと。私の生徒さん、お客さん、超次元占星術の読者さんたちには、原理原則ある、有法の、平和的な占星術の世界をお伝えしていけたらなと思います。

 

 

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