第六話 CHAPTER2、占星術(2)

「このカネで、俺に正式に仕事を依頼するなら、アンタの借金をチャラにできる可能性を作り出してやる。場合によっては、アンタの作った借金より、さらに奪い取れるかも知れない状況をな……。何もかも、元通りになれるチャンスを……。憎い相手に連なるヤツらに、復讐できるチャンスを……」

「う……、ううう……!」

 山本の歯が、ガチガチと鳴っていた。

「まさか、俺がボランティアで、そんなこと考えてやるとでも思ってた? 俺は占い師だぜ? これは鑑定料だ。さぁ、どうする……」

 郷原は、山本の鼻先に顔を近づけた。山本は歯を鳴らして、涙目になっていた。もう言葉を発することも出来なかった。

「なんだ、ビビッて声も出ねぇのか。ケッ、仕方がないな……」

 郷原は、山本の鼻先を覗き込むようにしていた上体を起こした。

「おい浜崎」

「は、はい……! なんでしょう、郷原先生……!!」

「借用書持って来い。山本亮一先生、さらに1000万円お借り入れだ」

「は、はい!!」

 普段から気勢を張っているホスト上がりの浜崎慎吾も、郷原が持つ独特の雰囲気に、すっかり気圧されて、青ざめていた。殴る蹴るといった暴力とは違う、身に纏った空気だけで、相手を制圧してしまう存在感——。それを郷原は持っている。

「さぁ……。それに、サインしていただきましょうか、山本先生……。どうせあなた、借金返すまでここから出られないわけだし。出たとたんに、街金連中が襲い掛かってくるからな、ククク……」

「う……、うぅ~……」

 山本は歯を食いしばり、暗示に必死に抵抗しようとしていた。少し離れたところにいた川嶋貢が、山本の側へ寄ってきた。

「山本先生……、恐れることはありません。郷原はこうして、恨みのこもったカネで、自分自身を追い詰めるのです……。郷原は、命を削り、ときには自分の血を流して、予言の神にお伺いを立てる……。聞くほうも当然、死ぬ覚悟で占いに向き合わないとならない。そうして占うほう、たずねるほうの双方が、命を極限に追い込んだとき、始めて神の領域に到達できる……。命のきしまない、何のリスクもない、子どもの遊びみたいな生ぬるい鑑定料で、占いなんかしたところで、神の声が聞こえるとでも……?」

 川嶋貢が、山本亮一の肩越しに、悪魔のささやききをする。郷原は、冷ややかな薄笑いを浮かべて、鋭い視線を山本に向けていた。山本は、考えようとしたが、抵抗のための言葉が何も思い浮かばなかった。手元のペンと用紙を見つめるしかできないでいた。

 郷原の、眼を見るのが恐い……。魂を絡め取るような、吸い込まれそうな、その眼……。

(ホテルに連れ込まれて、1対3で囲まれた時点でもう、こうなることは目に見えていたじゃないか! こんなの、ヤクザの常套手段だ……! なのに僕は、のこのこと……。自分が情けない……。情けなさすぎる…!!)

「クソっ……、……クソぉっ……!!」

 膝の上に作られた、山本の握り拳が、激しくぶるぶると打ち震えて、肩が、わなわなと揺れ始めた。

「うわぁ……!!」

 山本は、涙を流しながら、やおらペンを取った。1000万円の借用書に、殴りつけるように、ペンを振りかざしてゆく。まるで呪いの言葉のような、恨みがたっぷりと含まれた文字が、借用書の欄を埋め尽くしていった。

「これで満足か郷原っ……!! これでっ……!!!」

 山本は、涙が流れるままの顔を、郷原に向けると、怒りに任せて借用書を突き出した。郷原は、それを静かに受け取った。

「……いいだろう。これで、正式に仕事を請け負った。山本先生のためにいい絵を描いてやろうじゃねぇか……。いい絵をな……」

「やはり、例の賭博か? 郷原」

 川嶋が、郷原に視線を送った。

「そういうことになるね。山本先生の参加は決定だな、これで」

「対戦相手は?」

「それを、これから占う。山本先生の対戦相手として、誰がふさわしいのか……。星が教えてくれるだろうよ……」

 郷原は、そう言うと、手帳と万年筆を手元に引き寄せて、再び山本を見た。

「あんたがカネをむしり取れそうなターゲットを、これから選定してゆく。あんたの女房の親族、世話になった先輩医師、成功している同僚、学生時代の友人知人、知っている限りの人間の、生年月日を教えろ。そこから絵を描く……。下絵をな……」

「僕の、知っている限りの人間の、生年月日……?」

「そう……。あんたの借金をチャラにできる人間……。それがあんたの知り合いの中に、いるかも知れない。誰と誰を結び付け、誰を揺さぶればいいのか、誰が、どんな秘密を持っているのか……。それを一から洗い出す……。あんたの知り合いで足りなければ、世間の他の人間も調べてゆく。とにかく、いろんな材料を持ち寄って、どんな料理にするか決めてゆくのさ。理想はもちろん、近藤学本人をあぶり出すことだが、それ以外にも、ムシり取れそうな人間がいたらそいつに的を絞る。借金を返したければ、とにかく教えろ」

「あ……、う……」

 山本は、ここまでの息詰まるやり取りに、神経がかなり磨耗まもうしていて、思考能力が麻痺していた。完全に郷原に支配されて、知っている限りの情報を、しゃべってしまっていた。

 生年月日を思い出せない人物は、名前や経歴、勤務先などを郷原に話した。郷原はそれを、インターネットを駆使して調べ、わからないものは先ほどの名簿屋、永森に照会していった。

 山本の知人や友人はみんな、医者や薬品メーカーの社員、弁護士、法人の代表など、身元を調べやすい人間ばかりだったから、生年月日を探し出すのは簡単だった。永森が死に物狂いで集めた、有名大学の卒業名簿や、法人名簿などが絶大な威力を発揮した。

 郷原は、次第に集まってくるそれらのデータを、ノートパソコンにすべて打ち込んで、山本の関係者たちの星を調べていった。

 その昔、呪術が横行していた時代、生まれた年月日、時刻、本名などは、うかつに知られてはならないものだった。それを知られると弱味を探られ、呪いをかけられてしまうからである。

 昔は洋の東西を問わず、権力者には多くの場合、お抱えの占星術師がいた。三国志に登場する諸葛孔明や、平安時代後期、一条天皇に仕えた安倍晴明、唐へ留学した空海などはみな、優れた占星術師だったと言われている。

 しかし、占いを歴史的観点から眺めてみれば、それは常に特権階級のものであった。歴史上に登場する占星術師たちも、すべては権力に近い者たちである。もともとが占いというのは、選ばれた階級のためのものであり、それ故にその根底には根深い選民思想、差別的人間観が含まれている。有名人は運が大きくて、庶民は運が小さいというような、差別的な言論が多くの占い所見に見られるのは、占い理論自体がもともと、差別主義だからだ。

 だから、昨今のオカルトブームで、ごく普通の人が占いに夢中になるのは危ない。本人にその気がなくとも、差別的な人間の見方が刷り込まれてしまう。

 しかし、昔の王侯貴族とか、現代だと財産整理や身辺整理しなければ死ねないような人間には、占い師という職業の人間が必須でもある。彼らは自分の判断ミスで多くの人間が路頭に迷い、自然を破壊し、争いを起こして、死なせてしまうことすらあるという、重い責任を抱えているのだから。

 その責任の重さを一人で抱え込むのは、耐え難い孤独であろう。だから占い師という、悪と欺瞞ぎまんを覚悟したヤクザ者が、大昔から歴史の裏で、その責任をいくらか、受け持ってやってきた。

 それが本物の占い師の仕事なのである。決して、占い雑誌の原稿を書いたり、占いの館で普通の人を占うのが仕事ではなくて、もっと業の深い、薄汚い、マトモな神経の人間には行えないシノギだ。

 そして、社会的責任の重い人間の相談役であるためには、あらゆる世事に通じ、この世の裏を知っておく必要がある。郷原悟が天才の異名を持ち、数百万、数千万の鑑定料をむしり取れるのは、少年時代から体で覚えてきた社会の汚さ、人間の普遍的本質という、圧倒的リアリティで占いを眺めているからこそなのだ。

 “うら” は うら”……。だから、占いや神秘に手を染めた者はみな、知らず知らずに日陰者の、目つきの悪い人間になってゆく。占いだとか神秘なんて、テレビや雑誌が書き立てるほど、いいもんじゃない。ヤクザ者でなければ、こんなシノギは到底できないのだ。 

 占い師などという突き抜けた外道、悪党に、生年月日を知られることは、あらゆる弱点を読まれること……。連中に、付け入る隙を与えてしまうこと……。だからゆめゆめ、うかつに口にしてはならない。郷原に占いの読み方を叩き込んだ男の、口癖であった。

 郷原は、爪楊枝を噛みながら、黙々と山本の関係者の星を描き出していった。4人の男が何の会話もせず、じぃっと座っている時間が続く。山本はこの隙に、ここから逃げる手立てはないかと考えようとしたが、疲労のせいで先ほどから、頭がどうにも働かなかった。

 郷原はひたすら、爪楊枝をもぐもぐ噛んで、パソコンの画面を睨み、こよみを繰り、そして時折メモを書くばかりだ。短い間にいろんなことが起こって、混乱していた山本は、逃げ出したい気持ちとは裏腹に、いつの間にかこくりこくりと、ソファにもたれて眠りに落ちていった。

 2時間ほど、そんな時間が続いたが、黙々と星を描いていた郷原の手が、一瞬止まった。

 星々が示すその人物の人間性――。妙に、ひっかかる――。

(なんだこいつは……? 妙に楽天的で、理想主義者的な性向を思わせる配置……。こういう性向の持ち主は、ともすると個人的利得を超えて、強い感情を持ちやすい。もし、このタイプが犯罪などをするならば、似合うのは正義のための悪だ……。あぶってみたら案外、そんなものが出てきそうな人物だ……。星を透かして、そんな人物像を感じる――)

「こいつはいったい、誰なんだ?」

 郷原は、爪楊枝を噛み締めて、山本を見た。その声に山本はハッとして、しばしばと、眠気と消耗にしぼんだ目を上げると、星の位置が描かれた郷原のパソコン画面を、重い腰を上げて覗いた。

「ああ……。その人は、僕がお世話になっているNPO法人の、理事長さんですよ」

「NPO法人の、理事長……?」

「ええ。児童福祉や、母子福祉などの社会活動をしているNPOです。でも、その人を調べたからって、何も出て来ないと思います。とてもちゃんとした人ですから。我々医療側の人間は、大なり小なりその人に助けられている……。その人は、そういう人なんです」

(この男、妙に引っかかる……)

「NPO法人と言ったな。なんという名前なんだ」

「あ……、まさか、郷原さん……、この人に僕の借金を……?」

 不安そうに山本は、郷原のほうへと身を乗り出した。

「さぁ……。それはどうだかね。やましいことが無いんだったら、別に聞いたって構わないだろ? 会社の名前くらい。それとも、そんなに大事な人なのか? まさか、アンタの恋人……?」

「そ、そんなんじゃ……! ワールド里親協会、という法人です。その人の名前は、池田史郎さん……。昔、厚生労働省にいた人で、福祉関連の任に当たっていました。そのときに、乳幼児の人権保護活動の重要性を感じたそうで、私財を投げ打って子どもに恵まれない夫婦に、親の必要な子どもを養子縁組するNPOを立ち上げた人なんです。すごく立派な、尊敬できる人ですよ」

「ふーん……」

(何だ……? 何か無性に、引っかかる、この男……。山本の今の口ぶり……。この男に心酔しているかのようだ……)

 しかしまだ、運命の流れの全体像が見えて来ない。いかなる運が交錯して、山本にこのような苦しみを与えたのか。

(運なんてものは、確かに1割は予測不能な天の配剤はいざいだが、残りの9割はすべて、人の思惑……。この世のほとんどは、人間の、あるいは、人間の集合体の思惑で動いている。だとするならば、山本を追い込んだ運の正体、それも必ず誰かの思惑であるはず……。意図的だったか、偶然だったかはともかくとして、誰かの意志が働いている……。それがまだ、見えてこない……)

 

 

**

 こういう風に占いが行き詰まった場合、視点を切り替えて、個人ではなく、事件全体を俯瞰ふかんするアプローチをしてみると、案外突破口が見つかったりするものだ。

 郷原は、左腕のロレックスに眼をやった。時間を、逆算してみる……。その時とはすなわち、山本が、借用書にペンを走らせた時刻……。場所は、このホテルのある緯度と経度……。その交わりによって算出される星々の位置が、神秘の糸を紡ぐのだ。あの瞬間こそ、郷原にとって、この件との関わり合いが発生した瞬間なのだから。

 あの時刻……。今からそう、だいたい2時間と20分ほど前だった、確か……。

 逆算した時間と、このホテルの緯度経度から、あのときの星の位置を計算する。描き出された星々は、ずいぶんと地平線の東側に集中していた。

(地平線上より約20度か……。ここに集中する星……。ここは、隠蔽いんぺい性、匿名とくめい性の強い何かを示す部位……。隠蔽性と匿名性……。そこから連想されるもの……。そう、たとえば……。インターネットのような……)

 郷原は、爪楊枝を強く噛み締めながら眼を閉じた。何かが郷原の脳細胞の中に閃こうとしていた。意識を、額に集中させる――。

(インターネット……。。隠される何か……。隠す? 何を……?)

 犬歯の辺りで噛み締めている爪楊枝が、ギリギリと音を立ててよじれていった。強く、深く、意識を集中させてゆく――。さらなる連想を紡いでゆくために――。

 ハッと閃いたように郷原は、突然目を開けると、宙の一点を見つめたままつぶやいた。

「トロピカル信販……」

 郷原の占いを、少し離れたところで見ていた川嶋が、そのつぶやきに反応した。こくりこくりと船をぎ始めていた山本も、ハッとして、われに返った。

「トロピカル信販? そこに、何があるっていうんだ、郷原」

「俺の直感が正しければ、トロピカル信販を語った何者かの実態は、口座屋かも知れない」

「口座屋?」

「そう。要するに、マネー・ロンダリング」

「マネー・ロンダリング?」

 山本が、憔悴しょうすいしきった顔で、二人の話を聞いていた。

 

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