第二十七話 CHAPTER9、占い賭博(2)
「では志垣会長、ライフル銃の時限発射装置のスタートボタンを、押してください」
志垣は、浜崎に促されるまま、観覧用のソファに座り、時限発射装置のスタートボタンを押した。じりじりと、部屋の隅に置かれた水平移動装置の上のライフル銃、自衛隊からの横流れ品M24SWSが、導火線のように移動を始める。
郷原はすぐに眼を見開くと、パソコンを立ち上げて、関係者4人の星を描き出していった。それから、この瞬間の星の配置――。それらを総合的に読み解いて、どんな展開になるのか予想するのだ。
しかし、郷原の頭の中には夕べから、占うまでもなく、あるイメージが定着していたのである。
それは、山本が負ける、ということ――。もし、この勝負が純粋に、山本対池田の戦いならば、山本には勝ち目があったかも知れない。だが、戦うのはリングに上る橋爪であり、原口である。彼らの体や、命を無視することが出来なければ、山本が勝つことは叶わないだろう。
(それが出来るのか……? あの優しい男に……)
しかし、山本がコンビを組んだのは、元・東洋太平洋チャンピオンの橋爪功治だ。その橋爪が負ける? ど素人の原口に――??
そう考えると、山本が負けるという路線は、かなり薄くなる。しかし……。郷原にはそれでも、どうしても、山本が負けるような気がするのだ。それは、どんな占いの知識も関係なく、直観の深い洞察――。山本という男にじかに触れて、そして感じる皮膚感覚だ。この感覚は曲げようがないほど強く、心の中で揺るがない。たとえ、どんな占いを当てはめようとも……。
それでも、藁をも掴む思いで、未来へのヒントにはならないものかと、郷原は必死で星の計算をした。
橋爪の運――。星回り――。眼を皿のようにして、指で星の角度をなぞっていたその時。
パァァァ………ン!! と、乾いた音がして、微かな弾丸の風圧が、郷原の頬に届いた。ヒヤリと冷たいものが、背中を這い登る――。体中の毛穴という毛穴が、恐怖で縮こまる――。かぶりを2、3度振ると、再び星の配置を見つめた。
とにかく結論を――! それ以外にはない。
しかし、必死に星を見ても、橋爪功治の運勢に、命が揺らぐような印はない。もちろん、危険、というシグナルは浮いているし、死に傾きやすい星回りもある。だが、それは、かなり音量の低いレベルのもので、不安定であり、たやすく覆る可能性を多分に秘め、強く、ハッキリと聞こえるものではなかった。
(どういうことだ!星よっ!! これでは、意味がわからないっ!! なぜ、デスマッチをするはずの橋爪の死相が、曖昧なもので、ただのセコンドの山本に浮いた死相が、こんなにハッキリしている……?? わからないっ!! わからない、俺にはっ……!!)
焦る神経と比例して、どんどん思考が混乱し始める。
[ククク……。もう認めろよ郷原……]
頭の中で、あの声が響いた。いつも、緊張状態に置かれるたびに聞こえてくる、自分のたましいの声――。
[いい加減、もう諦めろ。占星術など捨てろ、郷原! こんなもの、所詮は何もわかりはしないのだ……。お前の占いが当たるのは、単に、死に物狂いで考えるからこそだろ? 死に物狂いで分析し、洞察し、欲を通して見える人間の本音を知り抜いているからこそ、お前は未来を占うことが出来るのだ――。神秘を憎み、占いを心底軽蔑していながら、占わなければ生きられぬお前……。なんという矛盾……、なんという……]
心の荒野を覗かせようとする、もう一人の自分の声を、郷原は振り払った。
(うるさい――!! 俺は今、忙しいんだっ!! は、早く池田や、原口の星を見なければ――!!)
さっきまであんなに、占いなんかに頼るものかと、自分に言い聞かせていたのに、やはりこうして命を危険に曝け出すと、藁をも縋る気持ちが起ってしまう。ホロスコープなどという、クソの役にも立たない屁理屈に、縋りついてしまう――。
焦って、暦をめくる郷原の鼓膜を震わせて、2発目の銃声――。
志垣はいつの間にか、手にしていたシェリーグラスを落としていた。目の前のイカれ占い師、郷原悟が、本当に死に怯えているのを見た気がした。
寺本と川嶋も、占い賭博は何度も見ているはずなのに、やはりここうして目の当たりにすると、我を忘れて見入ってしまう。
血が滲むほど唇を噛み締めて、強く頭を振ると、郷原は再びホロスコープを必死に観た。今度は池田と、原口の星を見比べた。
(池田……。こちらもハッキリと、勝つとは出ていない運勢だ、今日は――。しかし、山本の、あの妙にきっぱりと浮かんだ死相を考えれば、勝つのはやはり池田……。色合いの強弱だけで考えれば、そういう判断になる……。原口、原口はどうだ………?)
原口信夫の星を眼で追った郷原は、次第に泣きそうな顔になった。原口にもまた、決定的に勝つとか、負けるとかの相はなくて、どちらにも傾く可能性のある、不安定な弱いサインだったのである。
(ダメだ―――! これで俺に、どう判断しろって言うんだよっ! だから、占いなんて信用できないんだっ!!)
郷原はパニックになって、ベルトから逃げようと身をよじった。今まで読んだ星座の見方だとか、星の角度の読み方だとかをなぞるように、すべての脳細胞を震わせて、テキストを思い出してみるけれど、今まで読んだどの占い本にも、こんな星回りをどう読み解いたらいいのか、書かれていなかったように思う。
[フフフ……。だから言ってるだろ?星なんか読んだって、本当に可能性のある未来などわかりはしないのだと……。もうやめろ郷原。星など見るヒマがあったら、状況をもう一度考えて、事態を見つめ直せ。もう一度人間の根源を、人は何によって生きるのかということを考えろ!そこにこそ、山本が負ける理由がある……!]
心の、ずっとずっと、ずっと深くから聞こえてくる自分自身のその声は、すっかり死に怯え、弾丸で頭を粉々に打ち砕かれる間際の恐怖に、身悶えている彼自身を、励ますものだった。
(そうだっ!! 最後の最後で占いに頼るなんて、バカのすることだっ!! 考えろっ!! 考えろ、俺――!!)
その、すぐ耳元に、劈くような銃声――。3発目――。
次第に、精神が死に近づいていって、通常では得られない未知なるチャンネルが、郷原の中に開きつつあった。まるで高速処理機のように、1秒間の間に複数の思考が駆け巡る。遠い記憶も、未来への計算も、瞬きする間もない一瞬に、脳が処理し始めていた。
究極の変性意識――。トランス状態――。
最新の脳科学によると、脳内麻薬物質ドーパミンが、死の恐怖に身悶えて怯えきったその瞬間、爆発的に分泌され、人にさまざまな神秘的幻覚を見せるのだという。さまざまな宗教に伝わる秘儀はまさに、この状態を、意図的に作り出すためのもの――。
郷原は、単にショウのためだけに、時限発射装置に狙われているのではない。こうやって、命を死に曝け出したとき、未知なるチャンネルが開くことを経験的に知っているのだ。
3発目の弾丸が耳元を横切ったとき、郷原の精神はまさに、そんな状態にスイッチしつつあったのである。
[怯えるな! 決して思考を手放すな!! 考えつづけて死ねっ! 郷原!! 考えつづけて死ぬことこそ、人間が人間である証明――!]
(わかってる! 考えるっ……! 人は、何によって生きるのか……。何によって生きるのか――)
ドーパミンの大量分泌が起こりつつある郷原の意識の中、おぼろげに浮かんでくる人影があった。老人の影である。
(爺さん――。雪村の爺さんじゃないか、なぜ――?)
郷原は、自らの遠い記憶の中に焼きついている、老人の姿を眼前に見出して、縋るような気持ちになっていた。
(爺さんっ! 爺さん教えてくれっ!! こんな相を俺は、どう読んだらいいんだっ!! 教えてくれよっ!! もう一度――!!)
いいか郷原――。
鼓膜を震わせて甦る、郷原に易者のイロハを教えてくれた、亡き雪村幸造の声。雪村の言葉。
いいか郷原……。占いで、人と自分を迷わせて生きてゆくなら、これだけは忘れるな。人間の行動原理の根底にあるのは、あらゆる欲なのだということを――。人は誰でも、欲望という名の醜い汚物を抱えている。神秘など信じるな……。人間の醜い欲望こそを信じろ……。欲こそが、人の世のすべてを動かす力だということを――。
(そうだ……。人間のあらゆる行動原理は欲望だ――。だから、池田や橋爪、原口たちが、勝負の今日を生きる理由も、欲望であるはず……。カネを掴み、落ち着いた暮らしを取り戻したいという欲――。では山本の欲は……?山本の欲とは、何なんだいったい……)
(僕はもう、優柔不断などイヤだ!!)
賭博に臨む直前、山本は、強い瞳でそう言っていた。優柔不断を捨てる……。それはつまり、他人の存在など一切排除して、すべて自分で決断し、生きるときも、死ぬときも、自分の心のままに行う、ということ――。
この決意は、欲なのか――?? 池田や原口たちの欲望と、山本の決意はもしかしたら、異質のもの……?。
(どの言葉ならピッタリくるんだ……?この山本の状況は――)
郷原は目を閉じ、必死に脳細胞を震わせて、考えに集中した。死に怯える自分自身に、言い聞かせるように――。
ふと、魂の奥深くから、“どうでもいい……” そんな言葉が浮かんできた。胸の奥のずっと深く、耳元で聞こえるかのような距離感のところから、自分自身の意識の声が沸き起こってくる。
(そう、だ……。もうすべてがどうでもいい……。借金のことも、親のことも、結婚のことも、医者としての自分も何もかもが……。それが今の山本――。生きることにすら、頓着しない状態――。命を捨てた心はもう、欲じゃない……。欲というのは生存とともにあるものなのだから……。生きること、生きたいと願うことこそが、救いようのない、欲の源泉なのだから……)
郷原の耳に、師匠の声が再びこだまする。
ククク……。その通りだ郷原。お前自身と一緒じゃよ……。お前は、いつ死んだっていいと思って、未来を予言してきたのだ。生きる気などないからこそ、まやかしでない真実を、お前自身の手で掴み取れてきた……。占い師として最高の才能を持った者……。それは、生きる気のない者――。あらゆるもの、命すらどうでもいいと思えたその瞬間、人は始めて、人知の外を垣間見る――。神秘は、神秘を信じぬ者にこそ舞い降りるのだ――。
(そうだ。欲じゃない……。これは欲ではない……。なにもかもを投げ出し、天にわが身を放り出そうとしている――。だから読めない――。占いなんかではとても読めない。今の山本の運命は――。すべてを失う覚悟をした者の前では、どんな宗教も慰めも、まやかしの神秘もまるで無力――。ということはつまり……)
やはり負ける――。賭博には負ける……。しかし……。勝ち負けをすでに超えてしまった状態なのかも知れない、今回は――。そんな未来が、人間である俺に読めるものか!!
そう思った瞬間。郷原の肩を、不意に何者かがざわりと抱いた。
そう……。お前には読めない……。人の身であるお前には――。
さざなみのような、地鳴りのような幽玄なる声――。天上の悪徳の女神――。郷原を連れにきた――。
郷原悟――。占星術という天上の悪徳に、魂を売り渡したお前……。そのときから、お前の人生は決まっている。この先も、占い師だとバカにされて、世間の誰からも嫌われ、孤独に生きる――。それが、神秘を語る者のさだめ……。神の領域をおもちゃにした者たちの、憐れな末路……。さぁ、私を受け入れよ……。私に心を明け渡せ……!! されば、垣間見せよう、ほんのひととき――。人の身に見ることの叶わぬ未来を――!!
凍りつくほど美しく、そしておぞましい、黒い翼の女神の声が、郷原の精神世界を支配して響く。
人は、弱い。
誰もが、弱い。
誰もが、死にゆくわが身の事実に怯えている。
誰もが、ここに生きねばならない理由を、知りたいと願う。
だからこの世から、オカルトや疑似科学が無くなることは永遠にない。オカルトに込められた、見えないものを解明したい、死の恐怖を癒して欲しいという究極のエゴイズム――。どす黒い欲望――。それが、人間が作り出した神秘――。ククク!!
この者たちを、誰が裁けるというのだ!! 誰もが神秘を求めてやまない、この世界で――!!
女神が、高みから舞い降りてきて、はっきりと一人の女の姿となり、郷原の耳元に口を寄せて、うっとりと甘く囁き始める。
いつも私に連れないあなた――。逢いたかった――。こんなに愛しているのよ郷原……。あなただけを愛しているの……。だから、私を信じてちょうだい……。人に未来を占うなど、出来るはずがない。人は、決して創造主にはなれないのだから――。創造主の真似事たる占いなど、一神教から見れば恐ろしい大逆罪――。一千万遍、煉獄の炎で焼かれても、贖えぬほどの神への罪――。ならば、唯一の創造主ではなく、人間の醜い欲望より生まれ出でた、我ら俗なる神々より与えられし力こそが、今のあなたには必要なはず――。さぁ、それがわかるなら、星の言葉を聞くのよ――。もう一度、星の行方を読み取りなさい郷原――。
[ダメだっ――!! 暦などめくるなっ!郷原――!!]
郷原の背後に抜け出た、もう一人の郷原が、女神の魅力にふらついているたましいに寄り添うように、飲み込もうとする黒い翼の風圧の中で、必死に抵抗していた。
[確かに人は弱い!! みんな人生に意味があって欲しいと思う!! そうでなければ、苦しむ自分が憐れだっ! この人生には意味があると、この世の誰もが信じさせて欲しい、それは人間の希求として、仕方がない……。それは俺にもわかる! だがな、強く願い過ぎればそれは欲だっ!! 醜い欲じゃないかっ! 強い欲は人間を不幸にするだけだ!! 欲望こそが人間を苦しめ続ける悪――!! 目に見えない神秘を求めるその心こそ、不幸の源っ…!! 占いなんて、欲を煽るだけっ……!! わかるはずだっ!! いろんな人間の欲望を、願いを聞いてきたお前ならば――!! 眼を覚ませ、郷原――!!]
もう一人の、自分の声――。
その瞬間、占いの暦をめくりかけていた郷原の、虚ろなるたましいの受け皿、肉体がピクリと、もう一人の自分の声に手を止めた。
[郷原っ! そうだっ!! 悪しき女神の声など聞くなっ! 自分で決めて死ねっ!! 星の言葉を信じるなんて愚かだっ! それは他人に、自分を明け渡すことと同じっ!! 明け渡すということは、すでに死んだのと同じことっ!! 生きたければ、自分で決めて死ね! それでこそお前は、占いという呪縛から逃れることができる……!!]
女神が、もうひとりの郷原の叫びに対抗するように、猶も喉を震わせた。
黙れっ!! 人ごときがっ!! わらわに逆らうかっ!! さぁ、迷うことはない、郷原よ――。人の子の憐れな男よ――。我ら俗なる神々の愛を受け入れよ――!! 俗なる我らの魔力を信じよ――!! 星の言葉に耳傾けよ――!! さすれば、天上の悪徳の英知が、お前に未来を垣間見せる――。さぁ――!
女神がいきり立って、背中の翼を激しくはためかせ、もう一人の郷原を吹き飛ばそうとする。もう一人の自分の声と、悪徳の女神の声とにさいなまれ、郷原は、耳を塞いでいた。
(やめろっ!! やめてくれっ!! そんなに大きな声でぎゃあぎゃあ言われたら、なにもわからないじゃないかっ!!早く決めなきゃ本当に俺、死んじゃうよっ!! 早くしなきゃっ!!)
精神世界の中の郷原は、激しく思考が混乱して、地団駄踏んで泣いているだけだった。黒い翼に守られた女神が、徐々に肉感を伴い、自らの裸身を、子どものような郷原の前にさらけ出してゆく――。
「うっ――……」
女神に抱きすくめられ、唇をうっとりと吸われる郷原。めくるめくエクスタシーが、高波のように体を包み込んでゆく。
さぁ――。いい子ね、怖がらなくても大丈夫――。私を、信じなさい郷原……。私を、抱くのよ――。未来を知りたいのなら、拒むことなど出来ないはず――。
女神が、幻覚の中、まさぐるように起立した郷原自身を掴み、ねっとりと口に含んでしゃぶる。自分の中へと導き入れてゆく。
肉体を超えた、この世ならざる存在との性交――。幻覚なのか現実なのか、まるでわからないほど、確かな性の激しい快感――。
脳内麻薬物質ドーパミンは、性の快感とも密接な関係にあるといわれている。臨死体験者の中には、死に際での、ドーパミンの大量分泌が起こっていたと思われる最中に、めくるめく性的興奮を感じた経験をした人もいるらしい。
だとすれば、郷原にしゃぶりつく淫乱なる女神は、郷原自身の大脳の作用が生み出した、まぎれもないただの幻覚であるはずだ。それなのに――。睾丸の奥から精液がこみ上げてきて、射精しそうになる。思わず腰をひくつかせる郷原だった。性の快感が呼び水となり、次の刹那、さらなるドーパミンの大爆発が脳内で発生――。まるで、宇宙創造の、ビッグ・バンのように――。
(開いた――!! 予言の扉が――!!)
激しい性感が一瞬で遠のくと、耳の奥でキーンという感じの、耳鳴りのようなものを感じた。
目の前が暗転し、闇の中へと一切の存在が消えてゆく。流れる時間がくっきりと、コマ送りのように止まり始める。ここにないはずの光景が、はっきりと見えた。
郷原の膝の上で、うっとりと彼自身を咥えこみ、腰をくねらせる女神の乳房を透かして、向こう側に見える映像に、郷原の瞳孔は釘付けになっていた。
そこに見えたものは、山本――。山本が、木偶のように倒れている姿――。唖然として、山本を取り囲んでいる、観客たち――。
それ以外には、何も見えない。たったこれだけの断片が、郷原がわざわざライフルに狙われて、命がけで変性意識を起こし、その代償として見ることができた、時空の超越だった。
(まさか――。これが、未来……?? 山本は死ぬ――?? 死んでしまう――?? もしかして――)
そうよ郷原……。山本亮一はもう死ぬわ――。そういう運命よ……。星にも、似たようなことが浮かんでいたのでしょう――?
(死ぬ――? 山本が――? なぜ――)
しかし、倒れている山本の映像が見えただけでは、「ハンデボクシングの勝敗と、その勝負の成り行きを予想する」という今回のテーマに、何も答えていない。つまり、ストーリーの描きようがない。
山本が倒れるのだとして、それが他人の殺傷によるのか、自傷によるのか、あるいは他の要因なのかもわからない。そこまで答えなければ、あの志垣が郷原を、認めるわけがない。
「ふざけんなっ!! これだけの情報では、わからない――。もっと細部を、この先を見せてくれよっ!! 俺は、命を張ってるんだぞ?! これを読み解かなければ、俺は死ぬんだぞ?! 俺が死んでもいいのかっ!! このクソバカ女っ!!」
脈絡なく、急に郷原が叫ぶから、周囲にいた者たちは、いよいよ郷原の神経が限界に来たのだとわかった。郷原のその眼は明らかに、あるはずのない何かを見ていた。
[フフフ……。それはできない相談だよ郷原――。わかってるだろ? この精神世界は、お前の外部から来たものではないのだ――。この空間で見えるもの、起こること、聞こえることのすべては、お前の内からやってくる、お前自身に帰結したことなんだ――]
女神に吹き飛ばされたはずの、もう一人の郷原が、再び郷原に寄り添っていた。
[女神が垣間見せた映像は、お前の脳が今、直感的に確信を得ていることの象徴だ。お前にはもうわかっている。山本がこのゲーム自体を、自らの命をかけて終わらせる意思を持っていることを――。あとはそれを、思うまま紙に書けばいい。素直に、思うままに――。そして外れたら、そのときはそのときさ。運が悪かった。それだけ――。パチンコや競馬に負けることと、占いが外れることは同じことだ。ツイてねぇなと笑って、死ねよ郷原――。な? 今までだって、ずっとそうして戦ってきたんじゃないか]
ドーパミンの大量分泌は、そう長くは続かない。放物線を描くように急上昇していた分泌量も、限界を超えた映像が垣間見えた瞬間から減り始め、また郷原を、現実へと押し戻してゆく。
(そうだ――。占いの相なんか関係なく、思うとおりに書けばいいんだ。そして、外れたら、笑って死ねばいい。許してくれるよね、姉ちゃん――。姉ちゃんを遺して、俺が先に死んでも――)
ペンを握り直し、文字を綴ろうとした郷原だったが、その瞬間、フラッシュバックのようにあかりの顔が閃いた。
(郷原さん――。また、逢えるよね――……)
蘇るのはささやかな秘め事――。楽しかったおしゃべり――。
(北山――……)
断ち切ったはずの、自分の思いに、自分でおののいた郷原は、不意にそのまま、動けなくなった。
「………??」
固唾を呑んで郷原の占いを見守っていた一同は、椅子に括られたままの郷原の、ペンを握る手が、迷いで激しく震えている様子に眼を奪われていた。
存在のぼやけはじめた女神が、郷原の背後で囁く。
ククク……。決められまいよもう――。今までのお前ではないのだからな――。今までの、死にたがっていた郷原悟はもういない。北山あかりが胸に住み着いてしまったあの夜から、お前の心は、お前自身も気付かぬ奥底で、お前を生かし始めている――。さぁどうする? 占いが外れたら、本当に笑って死ねるかぇ? 恋しい恋しいあのめす猫に、もう一度逢いたければ、ここで死ぬわけに行かないぞ?? ましてや、志垣なぞに飼われるわけに行かないぞ?? だとすれば――。より確実な未来を選ぶべきではないのか? 星の言葉をもっと、読みこむべきではないのか?
「う………」
女神の言葉に、激しく心乱される郷原だった。
より確実な未来――。あかりの存在が、郷原のたましいを欲で曇らせてゆく。その欲が、「より確実なもの」を求めさせる。
(より確実なもの――?? より確実って、何だよそれ……。想像上の安っぽい神秘や法則が、安易に与えてくれるものが “より確実” だって言うのか――?? 俺には、わからないよそんなもの――)
そう、思った直後。精神世界をただよい、すっかり現実を越えたところにあった郷原の意識を不意に、いかずちが打った。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません