第一回星読み師乱闘パーティーIN調布@まとめ☆彡
ということで俺だ。
え?? 誰だ??
酒井の占い大河小説 「VICE―ヴァイス―孤独な予言者」 の主人公で、天才占星術師の郷原悟だよ。覚えとけコラ!! 酒井はこの占い小説が読まれたい一心でいろんなことやってんだ察してやれ(笑)。酒井はな、最近、自分の代わりに俺にしゃべらせるのが好きなんだ。
ということで今日は第一回・星読み師大乱闘パーティーIN調布、ということで、多数の暇じ……、おおっと!!! 間違えた!! 「多数の占星術に熱意を燃やす人たち」 が、酒井に会いに来てくれたぞ! 次回からはおひとり様参加費 ¥8,000,000ーだ!!! 参加者にはもれなく、「絶対集客できる占い師マル秘ブログテク」のPDFと、酒井先生のフォトアルバム、全曲酒井先生作詞作曲熱唱CDつきだ。握手は1回10万だわはは!!! ちなみにローンも受け付けているぞ☆彡
……というのは冗談だが(本当か??)、今日はホロスコープの読み方、ということで、「そもそも星座ってズレているのか??」 という質問や、「ステリウムとは??」とか、「どうしてズレている星座なのに占星術はそれでアセンダントとか、MCとかを割り出すの??」 といったことを聞かれたのでまとめてみよう。
質問① そもそも星座がズレている問題
これはその辺の占い講座へ行ってこういうことを聞くと、占い師は「そういうものだからそうなんだ」としか言わない。少しまともな占星術講師だと、「いや、最初から星座のことは“サイン”って、言っているでしょ?? 実際の星座は“コンステレーション”っていうの。でもうん。ほら、うちらが使っているのは“サイン”だから。星座じゃないからうん」ぐらいのことを言って終わりだ。
しかし、その割には星座星座言うのである西洋占星術は……(汗)。しかも、インド占星術では星座と、そこに宿る惑星の位置は見かけ(観測)とだいたい合致しているのである。インド人はちゃーーーんと観測通りの星空でホロスコープが描けているのに、西洋占星術が盛んなイギリスやアメリカ、日本等では観測通りの星占いができない、なんていうのはおかしい。インド人にできることは英国人にもできる。英国人にできることは日本人にもできる。
だとしたら、それは、「わざと現実の星座でなくて良いようにしてあるのだ」と考えるのが普通だ。
んで、西洋占星術は、今から2000~2500年前くらいの春分点をいつでも、永久不変、固定の「おひつじ座0度」に設定してある。なぜ2000~2500年前の春分点で固定されているのだろう。なぜ、800年前でも、1万年前でもなく「2000~2500年前」の春分点なのか??
これに対する明確な回答はなかなか見当たらないが、一つのヒントが古代ギリシャとエジプト・アレキサンドリアの都市にある。
実は春分点をBC5世紀頃のものに固定することを主張した人物の一人が、「プトレマイオス(トレミー)」であると言われている。しかし、プトレマイオスが、彼自身の判断で春分点を固定したわけではなく、伝統的にBC5世紀~BC3世紀にかけて、ギリシャ哲学が花開いた時期であり、西欧の神秘主義者たちがことごとく影響を受けた大哲学者・ピュタゴラスとプラトンが活躍していたのがこの頃である。西洋占星術の礎となる多くの理論を作った、とされるヒッパルコスやプトレマイオスは、当然、数世紀前を生きていた大哲学者のピュタゴラスやプラトンのことは知っていただろう。彼らがアレキサンドリアの古代図書館で学んだのならなおさらだ。
つまりは、春分点の固定とは、ピュタゴラスやプラトンなどの偉大な哲人たちを称えて、というのが、可能性の一つ。
もう一つは、ちょうどBC1世紀頃、アレキサンドリアを含めたエジプトや、地中海諸国の多数がローマ帝国に侵攻されたことである。
もともと西洋占星術の基礎をはぐくんだエジプトでは、「夏至スタート」のカレンダーだった。春分点を用いる理由はないのである。実は天文学の基礎として、「春分」と「秋分」はもっとも決めにくいのだ。日時計の山と谷の差が一番少ない。世界的に、日時計の影の長さが最長になる「冬至」または、最短になる「夏至」を1年のスタートとしていた国々が多いのだ。ただローマだけは、「ロムルス暦」という古来からのこよみの風習で、1年のスタートを3月にしていた。つまりエジプトの側が、ローマ帝国に遠慮、ないしは服従の姿勢を見せるために、ローマのこよみに従って春分点を固定した可能性もあるのだ。
つまり、「なぜ2000~2500年前の春分点でなければならないのか??」という疑問に対する、はっきりした、説得力のある回答はいまだ、世界のどこにもないのである!! まず本来ならばここをはっきりさせてもらわない限り、どこか決まりが悪い。大事なことがなおざりにされている感じがしてしまう。
しかし、そのことに対する一つのヒントが、インド占星術なのかも知れない。先ほども述べたように、インド占星術での「星座」は、観測と合致していなければならない。春分点は常に変動している。インドという国は、偉大な仏教やジャイナ教、ヒンドゥー教をはぐくんだ霊性の大地であり、インドの哲学的伝統は「この宇宙神羅万象一切、変化しないものはない」という教えだ。つまりインド人にとってこの宇宙に「永久不変の春分点」などはあり得ないのである。そして事実、天文学的にはインド人の考え方が正しいのだ。
しかし、反面、インド占星術では「アスペクト」を決められないのである。星座の幅、というのは、実際に空を観測してみてもらえば一目瞭然だが、見かけの大きさ、幅は、星座によってまちまちなのである。たとえばみずがめ座やおとめ座は、30度の幅よりも大きい。対しててんびん座は視角度で見ても、明らかに30度の幅より小さいのである。ということは、そこに惑星が通っても、なんとなく、ふわっとでしか、アスペクトを決められないということだ。そして事実、インド占星術では、「だいたい同じ星座に星同士があればコンジャンクションと見なそう」という、けっこう大雑把なやり方なのである。
厳密に空の星座を決められない、ということを、インド占星術は素直に我々に教えてくれているのだ。しかし、西洋占星術は、春分点を「永久不変・固定」にし、いつでもそこを「おひつじ座0度」に据えることで、星座をものさしの目盛り化することに成功したのである。
つまり、西洋占星術とは最初から「アスペクトありき」であり、「星座は本来それほど重要でない」ということだ。そして星座は、「支配星」というものがあてがわれており、本来、西洋占星術は、星座(sign)は、惑星として見るのが普通なのだ。つまり、「おとめ座」というサインを、文字通り「おとめ座」という姿かたちや神話からの連想、エレメント分類での連想として見るのではなく、「水星の出発点」として読む。おとめ座 = 水星の代わり、 として読むのであり、やはり無意識的に、読もうとしているのはどこまでも惑星なのだ。
つまりは、うぞう・むぞうの「星占いライター」や、占いコンテンツ企業がひたすら垂れ流すような「星座解釈中心の星占い」は、西洋占星術の流儀には反している。もしどうしても「星座語り」をしたいのなら、インド式の星座でやるべきではないだろうか。そしてサビアン占星術もおかしい。西洋占星術が問うているのは「度数」ではなく「惑星の力」なのだから……。また、松村潔さんが最近気に入っているらしい「恒星パラン」などの考え方も、トロピカル星座を用いる以上それは実測とはズレているのだし、恒星が全部黄道座標で表せるわけではない。黄道座標で表せる恒星はあくまでも、黄道帯というごくごく薄い帯状のエリアにある恒星だけだ。それ以外の位置にある星は赤道座標系でなければ表示できないのである。これも、西洋占星術をやりたがる人に天文学的な無知が多いということに付け込んだ、ちょっとズルい商売占星術であると言えるのではないだろうか。
今こそ我々、西洋占星術を知ろうとする者は、「そもそも西洋占星術とは何なのか」ということを真正面から再確認するべき時代に来ているのだと思う。商売占星術ではなく………。
質問②「マジョリティ(ステリウム)とは何か
さて、ここまでで、「星座とは惑星の代わりとして読むのが本来の西洋占星術の流儀だ」ということを説明したが、ここを踏まえてマジョリティ(最近の占星術ではなぜか「ステリウム」などと呼ばれている)の話をしよう。
マジョリティ(ステリウム)とは、「星の集団、星の固まり」のことだ。ホロスコープで、ある一つの星座、またはハウスに、3つ、ないしは3つ以上の惑星が固まっているとき、それを「マジョリティ(ステリウム)」と呼ぶ。
そしてマジョリティ(ステリウム)は、もっとも影響が強く、ホロスコープ解読とはこのマジョリティを読むことに尽きるのである。
なぜマジョリティ(ステリウム)が、もっとも大事なのかと言えば、それは、星座の「支配星」を辿ったとき、3つ以上の星が同じ星座内にあると、ほぼすべてのハウスの支配星がそこでストップするからである。(ごく一部例外もあるが)。
つまりは、運や悩みが常にそこに集約されてしまう、ということだ。したがってホロスコープの解読はほぼ、このマジョリティ(ステリウム)を構成している惑星を分析することに尽きる。酒井は、もし星座を読むとしたら、マジョリティを形成している星座(sign)を少し参考にする程度だ。あまり深くあれこれと「星座連想ゲーム」はしないようにしている。たとえばマジョリティが「さそり座」であれば、「さそり座」の支配星である火星が重要だ、ということだから、火星がいかなる惑星とアスペクトを形成しているのかを分析すれば良い。それがオーソドックスな西洋占星術の流儀かな、とは思う。
もしマジョリティ(ステリウム)がない、という場合は、次に強いのはタイトなコンジャンクションである。そしてそのタイトなコンジャンクションにもし、オポジションがあれば、それはマジョリティと同じだとみなして良い。なぜならコンジャンクションは、オポジションと「同じもの」だからだ。大抵、コンジャンクションを形成する二つの惑星に対しオポジションになっている星は、そのままハーフサム(※また後日解説しゃす☆彡)を作ることが多いからだ。
しかし、この辺の「勘どころ」はやはり、実際のホロスコープ鑑定を何件も体験してみないことには掴めない。占星術とはやはり、実践を積まなければなかなか上手に読めるようにはならないシロモノなのである。
質問③どうしてズレた星座なのにそれでMCやASCを決めるの??
うーん……。これも、ここまで語ってきた内容をもう一度整理することになるだろう。
インド人やスリランカ人の占星術師は、大抵、インド星座(サイデリアル星座)でASCやMCを決めるので、西洋占星術の星座でASCを答えるとキレる(笑)。彼らは、「自分たちは正しい星座で星占いをしている」という自負心があるのだ。
それに、意外とASCやMCは、インド星座であてがわれた星座のほうが当てはまっている、と感じる人も多い。酒井は、西洋占星術ではASC(アセンダント)は「かに座」で、MC(天頂)は「うお座」だが、インド占星術だと一つズレるのでASCは「ふたご座」であり、MCは「みずがめ座」になる。正直、どちらも当てはまっていると感じる(笑)。つまりこれはもう「信じたいほう」でいいのではないだろうか……???
ただ、インド占星術だと、ASCに来る星座が「活動サイン」なのか、「定着サイン」なのか、「変通サイン」なのかでカーストが決まるとされる。活動サインは全般的に「バラモン階級」だ。バラモンは最も社会的責任が重い。インドでは「教育者こそもっとも重要な仕事」という伝統があるという。人を教え、育てて、一人前の、立派な人に導かなくてはならないバラモンこそ、もっとも高度な倫理観と自分への厳しさが要求される。
続いて定着サインはバイシャ階級。つまり公務員や、公共の職業従事者を表示。警察とか、陸軍とかに従事する人々や消防、医療福祉、行政執行にまつわる職業全般に携わる階級である。だから、インド占星術でASCが「おうし座」とか、「しし座」という人は、そういう、国家運営における中核、重要な仕事をするたましいである、と考えられている。
続いて変通サインはシュードラ。雑民・一般商人である。酒井はインド占星術ではASCは「ふたご座」なので、シュードラ階級のたましいだ(笑)。日本では「作家・ライター」というとなにやらカッコいい職業のように思われがちだが、インドでは文筆などというものは身分の高い者のすることではない。使用人が、あるじに恥をかかせないように原稿を用意し、ものを調べ、回答するのだ。だからASC「ふたご座」の酒井は、人々のために文筆で奉仕するのが役目であるらしい。妙に説得力がある(笑)。
西洋占星術で決めたASCやMCは、先ほども述べたようにそれは星座、というより「惑星」と考えたほうがいいのかも知れない。ASCのサインを支配している「支配星(ルーラー)」が、他の星からどのようなアスペクトを受けているのか。それを主に見ていくので、インド占星術のASCより描写が「出来事寄り」になるというか、上手く表現できないのだが、能動的な運・不運を見ていくものであって、それで性格や外見が決まるものではない。
・・・・ということで、今日、ジョナサンで講座をしたことのまとめだ。各自きちんと自分の中でもう1回振り返ってみてもらうといいと思う。
ではまた☆彡
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