占星術とケン・ウィルバー心理学。そして「COSI」

 7月18日(土)、エバーティンの「COSI(The Combination of Stella Influences)」の講座がファイナルを迎えました! みなさまありがとうございました。

 日本ではエバ―ティンの「COSI」は誤った伝わり方をしており、たとえば火星/海王星のコンビを「死病軸」とか、土星/火星のコンビを「停止軸」などという感じで、言葉だけが独り歩きしている状態。それがまたハーフサム・ハーモニックという技法をわかりにくくしているのかも知れません。

 しかし、ハーフサム自体は13世紀にはすでに有力な「出生時刻確定法」として宮廷占星術師などには知られており、歴史はかなり古いのです。現在の出生図解読は19世紀にアラン・レオがマニュアル化させたものですが、ハーフサム・ハーモニックはそれ以前から存在しており、私は実のところ、一番古い技法の一つではないかなと考えております。

 さて、このハーフサム・ハーモニックは、アスペクト研究するには不可欠でございまして、中でもこのR・エバーティンのハーフサム解説の本「The Combination of Stella influences」を知らずして、正しくハーフサムやハーモニックを解読することはできないというほどの、占星術家必読の本であります。ヨーロッパ各地、英語圏の国々、オセアニアなどでは広く翻訳され、さまざまな占星家が研究しており、実はワールドワイドな占星書です。

 なのに日本ではこの本の「日本語版」を入手できません。私は師の門馬寛明さんのところで、門馬さんが自分で手書きで訳した「COSI」を読んだのが最初です。それから原著を読もう、ということで、20年以上前、自力で英語の本を辞書片手に読みましたが、あの頃はまだグーグル翻訳などありませんでしたから、意味を自分がなんとなく理解することはできても、人に読ませるための訳出をするなどは無理。ハーフサムを教えてあげたくても、テキストがないため断念せざるを得ず、長年自分一人だけの知識でございました。

 

 しかし、ITの発達で今や、英語オンチの私でも「機械翻訳」できてしまうのです! ここへきてようやく本物のハーモニック、ハーフサムをお教えできる環境が整ってきました。現在、アメリカでこの「COSI」の版権を持っているオフィスに問い合わせをする準備をしています。ぜひ「日本語版・The Combination of Stella influences」を、私が手掛けることができたら光栄だなと。アリゾナに占星学協会があるみたいなので、そこへ問い合わせのお手紙を現在書いています。いつかエバ―ティンさんの関係者の方にお会いできたらいいですね! ご健在であったとしてもご高齢でしょうから、ご本人にお会いするのは難しいかも知れませんけれども、会えることがあったら私は、万感の思いが溢れすぎて泣いちゃうかも知れません。

 

 そこでもし関係者の方にお会いできることがあったとしたら、私は、私の思いをアメリカの占星学者にぶつけてみたいのです。「星の影響とは何なのですか」と――。

 

 この「COSI」の巻末に、ハーフサムの実例とともに英語版の編集者の方の雑感が書かれておりまして、そこでもありましたが「アメリカでも“癒し”の占星術と称して妄想的な占星術がどんどん主流になっており、真面目な惑星の影響研究がないがしろにされている」と書かれていたのです! これは日本の現在の占星術事情とまったく同じで、この本の初版がアメリカで刊行されたのが70年代初頭ですけれども、そのときから妄想ポエム占星術に、真面目な研究は駆逐されていたんだなと、ようやくわかることができました。

 私が占星術嫌いになった大きな要因は、この “癒し” を歌い文句にした妄想占星術だらけの現状にもう、絶望しか沸かなかったせいです。特に黄道360°。

 もう黄道12サインが「妄想のATM化」してしまっていて、あらゆる意味付けを黄道から引っ張ってくるんですが、その黄道がズレていることとか、そもそもハウス分割法だって100種類を超えるやり方があり、統一見解があるわけでもないのに、それに基づいたことをさも「当たり前だ」というようにみなさん、やっているので、もう「星の影響」もへったくれもない。ただ妄想でうわべだけ撫でればいい、どうせ占星術なんて最初からバカ相手の妄想商売だから、やんわりやんわり、優しく甘いファンタジーだけ垂れ流せばそれでいいという姿勢がどうしても見えてしまって、それも私を苦しめてきました。

 

 なので、「そういうことじゃないですよね?」というのを、アメリカの占星術家さんたちにぶつけてみたいですし、長年私が考え続けてきた「占星術ってこういうことですよね」というものにも、答えがもらえたらなぁと思います☆彡

 

 さて、なんで妄想ポエムで、なんでも意味を黄道signから引っ張ってくるのかという答えは、実は、現代におけるトランス・パーソナル心理学の巨人、「ケン・ウィルバー」の思想にあります。

 こちらの図表をごらんください。↓   ↓    ↓

 これはウィルバーの代表作「無境界」という本に示されていた図表です。

 実はこれが、酒井日香が、占星術との長年の付き合いでのたうち回り、苦しみ抜いてきた意識状態と完全に、もうまさしくピタリと一致するのです!!!

 ウィルバーは、人間の「こころ」には4つの成長レベルがあると言っています。

 ①、ペルソナ/影のレベル

 ②、自我/身体のレベル(ケンタウルスのレベル)

 ③、全有機体のレベル

 ④、統一意識のレベル

 

 です。そしてこれは、欧米の占星術家たちが論理の拠り所にしている「ルドルフ・シュタイナー」の説く人間の4つのからだとも、一致しています。シュタイナーは人間の4種のからだを持っていることを説明しています。

 ①、肉体

 ②、アストラル体

 ③、エーテル体

 ④、真我的領域(メンタル体・コーザル体・ケーシー体・コア―ド体などのより高波動領域)

 です。ウィルバーの階層とまったく同じですが、ウィルバーがシュタイナーからアイディアを取ったのではありません。ウィルバーは古今東西、あらゆるセラピーや思想哲学の本を読み、自分でも禅やスーフィーの秘儀を実践してこのような結論に至ったことを、自身の哲学として打ち立てたのです。

 ヴェーダーンタもまったく同じで、まず肉体(食べ物でできた鞘)があり、その次にわたしが、わたしが、という我のかたまりである原因のからだ(カーラナ・シャリーラ)があり、それがすこし次元が広がると精妙なからだ(ストゥーラ・シャリーラ)になっていきます。この「精妙なからだ(ストゥーラ・シャリーラ)は、ウィルバーの心理学では全有機体のレベルです。

 そのさらに奥に「統一意識」またはシュタイナーのいう「真我」があります。ヴェーダーンタも同じで、そこにすべてのみなもとである梵天・ブラフマンがいると。

 

 これらの教えで見ていきますと、占星術がどうしても「わたし語り」に陥りやすく、わたしにこじつけたものならなんでも「是」として、わたし語り、わたし探し、私の才能、私の天職、私の恋愛……となり、そこから自分とは何か他人に決めてもらうことに飢えた、自信のない人たちを騙すために、すべてを黄道12サインからひっぱりだしてこじつけをする現代占星術の歪んだ構図が見えてこないでしょうか。

 

 もう一度ウィルバーの図表を見てください。今度は占星術の概念をここに書き足してみました。↓  ↓  ↓

 オレンジ色に囲った部分が、現在一般的に「占星術だ」と思われているものですね。アラン・レオという19世紀の神智学協会会員だった人物が、断片的に言い伝えられてきた占星術の諸法則を現在のようにマニュアル化させたと言われています。ホラリーもこの部分です。これらは欲、とか、私個人の不安を問いかける段階の占星術ですから、階層としてはもっとも上です。

 しかしこれには問題も多い。

 なぜならウィルバーは、この図表で「上部」のほうに置かれている概念、置かれているセラピーは、図表の下部の概念やセラピーに関して理解できないか、無視する、と言っているからです。たとえば影/ペルソナの段階にあるセラピーですと、せいぜい、カウンセラーが悩み相談をして、当たり障りのないアドヴァイスをするくらいが関の山でしょう。

 

 「先生、私はすぐクビになってしまうんです。向いている職業などはあるのでしょうか」と質問されれば、このレベルのセラピストは「そうですね。あなたは人付き合いに気おくれするタイプのようですから、お一人でできる仕事がいいのではないですか」などと答えます。ここに「大事なこと」が入り込む余地はありません。当たり障りのない、表面だけのセラピーです。

 占星術の多くはこのレベルなのです。「私の仕事は?」と聞かれたら、ここを読めばいい、「私の性格は?」と聞かれたらここを読めばいい。だから、「太陽星座は社会の顔」とか、「月星座は私生活」などとパーツ化して読んでしまうのです。けれどもこれはウィルバー心理学ではもっとも表層で、他をすべて無視したセラピーです。

 

 ウィルバーは、この図表の下に行くほど「叫びが強くなる」と言っています。もっとも叫びが強いのは最下層の「統一意識」です。そこは一切の区別・差別が意味をなさず、「宇宙 即 我」の境地であり、生も死も超えたこころの領域です。表層で「私の仕事は?」と人が聴く時、さらに深い階層では「そうやって労働して時間を削り、好きなことを楽しむゆとりもないまま死んでいくこの人生とは何なのか?」という、もっと大きな問いがあるのですが、表層のセラピストはそれを理解できないか、理解しても無視する、というウィルバー心理学の前提がありますので、すると表層のセラピーがもっと深い根源の「叫び」を抑圧し、押さえつける形になるのです。

 

 私と西洋占星術との付き合いにおける苦しい葛藤は、まさにこの通りだったのです!! 12星座がたりや、出生のホロスコープでなんでも「第何ハウスに土星があるとこう」「アセンダントが何座だとこう」という、「わたしというパーツ語り」されてしまうと、もっとその深奥に横たわる「全有機体レベル(個性をはみだした部分)」や、「他人との共通点の部分」や、「そもそも生きる・死ぬ・宇宙とは何??」という問いかけをそのままそれが抑圧する形になるのです。

 

 そして、セラピーが下段になるほど、人間の「差別」が薄くなっていきますが、セラピーの上位ほど「差別だらけ」です。占星術もまさにそれで、「私は月がふたご座だからこう」「あなたは月星座がなんとか座だからこう」と、もう差別・差別・差別で、人間のこまぎれです。そして受け取るほうも、下位のこころの抑圧を感じるから、占い師、という人間を嫌うようになります。表層のカウンセリングに終始する心理療法家などもそうです。けっきょくこころの深奥のほうが、人間をどうしようもなく突き動かす大きな大きな、途方もない力なのに、上位セラピーはそれを無視するか、抑圧するのです。すべての占いがまーーーーーったくこれと同じです。

 

 けれども、表層の、上位にあたるセラピー段階は、それより下の階層を押さえつけますので、そこで強い葛藤が生まれます。それをもし突き抜けることができれば、心はより深い階層、高い周波数、大きな世界にたどりつくことができるでしょう。

 

 たとえば、「星座」というものを考えてみる。12星座の占い本などを見ると、あたかも「うお座の人にはうお座固有の感じ方」がある、ような描写ばかりです。するとここで「分断」が生まれます。「差別」と同じです。夢見がちで包容力の高い「うお座」の私は、「神経質で了見の狭いおとめ座の人」とは相いれない、ということになります。占星術など触れなければ、そうした分断は起こらなかったはずです。ADHDの問題や発達障害の問題、がん患者の問題、難病患者の問題などもまったく同じで、診断されなければ患者でない。けれども、診断という「差別・区別・線引き」をされた瞬間から、もうがん患者としての人生、発達障碍者としての人生です。

 ウィルバーはこれこそが「人間の苦しみの源泉」であり、これこそが「社会から戦争が無くならない大きな理由」だと言っています。それは占星術に触れた人間を必ず苦しめるのです。なぜなら広い視野にたてば、確かにちょっとした性格の違いはあれど、誰だって殴られれば痛いし、相手と星座が合わないから、殺していいという法もありません。もしも自分のホロスコープの火星が悪かったとして、そのせいで衝動を抑えられずに殺してしまったら、社会が許すかといえばそうではありません。ものごとには「自分固有」のことと「誰とでも共通すること」が常に混在しています。「自分固有」だけを見て行けばそれは「戦争」です。どうせ健常者は自分を理解できない、とか、あの人とはホロスコープが違うから分かり合えない、と考えれば、それより下位にある「境界を持たないもの」「フレームレスなこころ」「より大きく強く深い部分」を必ず抑圧することになり、その抑圧が現実の葛藤となって人間を地獄の苦しみに突き落とすのです。

 

 同様に、たとえば「第十二ハウスや第八ハウス、第四ハウスなどは死や、死の間際の孤独に関連しているので、あなたはそこに惑星があるから、そうした概念が非常に大切ね」などと語られてしまうと、んん?? ちょっと待ってくださいよ? じゃあ、4・8・12ハウスに星がない人は、死の恐怖も生きることの気持ち悪さも、すべて関係ないということですか?? おかしいですねぇ……。私の眼には、この世の一切の人間はそここそが大事で、みんなそこに恐れおののいているように見えますがねぇ……。となります。

 

 第二ハウスとおうし座が「金運」とされてしまうと、じゃあ第二ハウスに星がない人や、おうし座に星がない人の金運はどうなるんだ?? となります。すべての人間は経済活動をして生きている。おかしいですねぇ……。別に「おうし座だから」とか、「第二ハウスだから」なんて、言えるんですか?? 経済活動していない人間はいるのですか?? と……。

 

 それで、人間は次のこころの発達段階へ向かいます。もしかしたら、こういう、表面だけのパーツでしかものごとを見られないのは、自分が占星術(占い)を深く知らないからではないのか、と。

 

 そうして第二段階では、何か深遠な教えをくれるグルのようなものを求めたり、より深い技法を求めたりするようになるわけですが、これがウィルバーのいう「ケンタウルスのレベル」ですね。ペルソナ/影を覆い隠そうとする段階であり、肉体や脳を鍛えることでよりマトモな人間になるのでは、という期待です。

 影/ペルソナの段階のセラピーですと、次のレベルの「ケンタウルス」になることを強く推奨します。たとえば、第二ハウスに土星がある。おカネに対して真面目な考え方があなたにはあるから、おカネに対して不真面目になりなさい、とか、土地を扱う仕事をするといいとか、アドバイスします。

 具体的に「行動」や「肉体レベルで実行可能そうなこと」を、陰/ペルソナの段階のセラピーではアドバイスされるので、陰/ペルソナレベルのクライアントから見れば、容器は少し大きくなりました。あ、そうか、具体的に行動すればいいのか、と。土地を扱う仕事だから、不動産業とか農業とかの方面で職探しをすればいいのかな、と。

 

 しかし、ケンタウルスのレベルは根本解決になりません。なぜなら、しょせんは「肉体」とか「知識」とか、「行動」といった、永遠ではないものに依存したレベルだからです。〇〇依存症、といった問題もここから出てきます。たとえば整形です。「もうすこし美人なら上手く行くのに」「もう少し勉強して知識を蓄えなければ」「もっと寝る時間を削って努力しなければ」という段階です。占星術や、他の占いの多くがほぼ、この、陰/ペルソナ~ケンタウルスの領域です。そこには永遠不滅なものがない。年取って衰えたとき、愕然とします。あるいは、失敗したときに愕然とします。けれどもウィルバーは、現代人の多くはこのレベルか、ケンタウルスより少し進んだ「全有機体レベル」くらいの心の発達のまま死んでいく、と言っています。この境地のまま死んでしまうことは人生の敗北です。負けた、みじめな人生だった、失敗の人生だったということです。なぜなら「肉体」とか「知識」といった終わりあるものに自己存在を預けているので、肉体がなくなる死は、ケンタウロスレベルにとって敗北意外の何物でもありません。だからこのレベルの人が急に死を宣告されたりすると、パニックでどうしようもなくなりますし、努力で変えられない自分の個性や、直したい部分が変えられないことに挫折も繰り返します。

 占星術もけっきょく、陰/ペルソナ~ケンタウロスレベルをなぞり続けるならば、誰も幸せにならないでしょう。それらはすべて崩れ去るものだからです。よく「星を使いましょう」とか「星にくせをつけましょう」とか言いますが、それもけっきょくは星を使える、支配できると思っている段階でケンタウロスレベルでしかありません。「使う」のは結局、身体性から出てくる言葉です。

 

 さて、このさらに下にあるのが「全有機体レベル」です。有機体、というのは難しい概念ですが、たとえば人間は日々、ごはんを食べて生きていて、その食べたごはんが体の中の細胞と置き換わっています。半年前に「自分」だった細胞はもう、半年たつと食べ物と置き換わってしまいどこにもいません。便になって出て言ったか、壊れてエネルギーに変わったのです。

 そうなると、たとえば目の前に鶏肉があったとして、この鶏肉と「わたし」を線引きできるでしょうか?? 鶏肉を食べます。お腹に入ってしまった。すると鶏肉は、「わたし」でしょうか? それとも、「わたしではない」でしょうか??

 占星術もそうで、空を見上げれば実のところ、星座もハウスも単なる人間が勝手にこしらえた人工的なフレーム、枠、差別・区別でしかないことがわかります。肉眼で地球から見える星はすべて同じ銀河系の内側の星です。ホロスコープは、せいぜい冥王星までしか使いません。けれどもその冥王星の外側には膨大な「外宇宙」があるのです。そしてその「外宇宙」も、「銀河系」という同じ村で暮らす仲間にすぎず、銀河系の外にはさらに「銀河団」や「超銀河団」などが広がっています。それらは重力や空間で影響しあっていて、決して単独でなりたっているわけではないのです。

 このように、どんどん「わたし」を超えて広がるレベル。これが「全有機体」のレベルです。このレベルの延長線上に「統一意識」があります。ヴェーダーンタや、シュタイナー思想や、あらゆる神秘家、宗教家たちが「間違いなくある」と説いてきた「永遠なるもの」があるのです。

 さて、エバーティンの占星術、エバーティンのハーフサム、そしてハーモニックと、エバーティンの占星術を母体に生まれてきた「超次元占星術」は、レベルとしてはこの「全有機体レベル」に位置する稀有な占星術である、ということが言えるでしょう。

 なぜなら、「当たる」からです。影/ペルソナの段階の占星術は当たりません。なぜなら当てることよりも「自分語り」や、「私はみんなとは違うんだよ」という、しょせんは自分語りの占いレベルだからです。ケンタウロスのレベルの占いは、いくらか「当たる」ような気がしますが、それはけっきょく自分が努力したからそうなっただけのレベルです。「明日、あなたはカレーを食べるべきでしょう」と言われて、クライアントも「確かにカレーを食べたほうがよくなりそうだ」と期待し、現実にカレーを買ってきて食べる。それで「当たった」と思うレベルです。書店に売られる占星術本とか、当たる、と言われる占いメソッドのほとんどはこのレベルです。

 しかし、「超次元占星術」は違います。当たるのは、「アストラル体」とシュタイナーが言うように、肉体からややはみだし、個を超えて存在している周波数帯に、惑星が作用して引き起こす占星術です。

 

 惑星たちは、アストラル体に作用する力を具体的に持っているのです。だから、ケンタウロスのレベルの人が、「ぼくは毎日野菜を食べているからがんにはならないはずだ」と思っていても、がんにさせるときはさせてしまいます。人間には避けたくても避けられないものがあると、エバーティンは明確に言っているのです。

 そしてこのレベルに来ると、すでに占いの力そのものが、「我」や「肉体」を超えた「全有機的なつながり」からやって来ていることが理解できます。ようやく、「ホロスコープ」という小さい器をはなれて、全有機体……、それは昔から「天使」とか、「天」とか、「聖霊」などと呼ばれてきた存在たちですが――。ようやく、そうしたものが、「我」を超えて現実にあるのだ、とわかってくるのです。

 ですから、自画自賛なわけではありませんが、ケン・ウィルバーの意識の階層、セラピーの階層で見ると、現代の影/ペルソナ~ケンタウロスレベルにある占星術……、アラン・レオ式のマニュアル占星術に比べたら、申し訳ないですがエバーティンの占星術のほうが器が広いのです。超次元占星術もそうです。

 そしてさらにこの先、より大きな器のレベルには、「性と死」という、途方もない力が渦巻いています。そしてそれらはよりパワフルで抑えがたく、人間の一切の恐怖と喜びはここからやってくる。性と死の恐怖を超えた先に、性と死を統合した先に、「1なる不滅の世界」があるわけです。だからエバーティンも超次元占星術も、これで完成ではありません。もっと深い階層に向かうための、通過点の一つです。

 

 そして最終的に「統一意識」をほんの一瞬でも垣間見ることができれば、そこには恐怖と興奮を超えた静寂があり、静寂こそ汲めども尽きぬ喜びの源泉です。もう死も生も、他者と我との区別も、地面と天の区別も、男も女も、食べる私と食べられる食物の区別も、すべてが無くなります。

 あらゆる聖典、古代神秘主義は、ここに至るためにあります。そして実のところ、占星術のシンボリズムや、タロットのシンボリズム、東洋占術の易や五行や、さまざまなシンボリズムはすべて、この深奥から来た言語を超越したものたちなのです。

 ここをごくごく、一瞬でも垣間見られたものは、占いとはどういうことなのか、ようやく何か、わかってくるようです。私はここまで含めて、生徒さんには理解して欲しい。ここまで学ぶ人でなければ、真に人に役に立つ「占星術師」ではないと考えています。星の道を学ぶことは、なによりも自分自身が根源に立ち返る道なのです。「当てる占星術」はまた「セラピーとしての占星術」の道でもあるのです。

 

 この概念についてより深く学びたい方は、酒井日香の電子書籍、「超次元占星術大全 上巻 思想・理論編」

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 を、お読みください。とくに第三章だけでも読んで欲しいです。第一章~第二章まで、重要なことを描いていますが、中でも第三章は、占星術の核心であると思っています。

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