超次元占星術@たまごさんからのコメント。

 はい、ということでどうも。私です。

 

 この頃過去ログ置き場になってしまっているアメブロのほうに、「たまごさん」というPNの方から超次元占星術へのご感想が寄せられました。素晴らしいのでご紹介して、ご質問に答えてみたいと思います。

 

 まずは一通目。

 

 私はことあるごとに「占星術が当たると感じる人はメンタルが弱い」と言っていて、「占いが当たったら負け」というのはしょっちゅう言っていますね。往々にして人は「失うことは悪いことだ」と思い込んでいるため、占いで「悪い」と言われると言われた通りにおびえ、占いで「良い」と言われるとまだ実現していないのに喜んだりする。「得る」がよくて「失う」は悪いことだと皆、脊髄反射的にそのように、自動で反応してしまうものですが、しかしそれだと、いずれはすべてを地上に残して去らねばならない我ら「形あるもの」は、人生の結末は「悪だ」ということになりはしないでしょうか。

 占いはこうした「損得」を問う行為なのですから、その損得から離れて、自在な心で占いに対峙できる人であれば、凶が出ようとも吉が出ようとも動揺はしないはず。占星術家として有名な故・初代銭天牛さんも生前、「信仰心のある人(損得を超越している人)には占いは当たらない」と話していたそうです。

 

 んで、「当たったら負け」というのは、たまごさんがメールで書いてくださった通り、「占い通りになったから悪い」ということではなくて、起こった出来事に対して過度に感情的に対処することを、「悪い」と、私は言っているのでございました。つまりたまごさんの解釈は完ぺきな解釈である、ということです。

 だから、何か損失が惑星によってもたらされても、「ああ、損したな」と受け止め、冷静に、感情的にならずに起こった出来事をじっと見つめる。受け流す。感情的に処理しなかった、感情でものごとをなさなかった、ということが仏教では「よいカルマの蓄積」になるわけです。そして毎回感情的に処理せずに、感情をコントロールできるこころの筋力がついてくると、それに応じてたまごさんがおっしゃるとおり、「星が起こす未来の出来事も、より穏やかなものに変わってゆく」ということですね。

 

 神智学を世に啓蒙した哲学者・教育者のルドルフ・シュタイナーは、人間には4層の「ボディ(体)」がある、と説明しています。一番下の階層が肉体。その肉体と重なるようにして「アストラル体」「エーテル体」「メンタル体」が階層的に重なって存在していると言っています。

 

 そして、「アストラル体」とは主に動物的な危険察知能力、感情主体の感覚器官であり、その語源は「アストロ(星)」です。つまり人間にはもともと、惑星のパワーを感知するセンサーが肉体と精神の内部に組み込まれているのだが、そのアストラル体は感情を司ると言うのです。だから神智学では、アストラルボディとは大変に波動の荒い、克服しなくてはいけないもので、アストラル体を脱ぎ捨てなければ高次の進化は遂げられないといいます。

 仏教でも、人間は感情の奴隷であると説くのです。占い全般がなぜ「醜くなりやすいか」といえば、お客さんは感情でもって相談に来るからです。仏教では特に「怒り」がよくありません。怒りこそすべてを破壊する忌むべき感情なのですが、占いの館に相談に来るお客さんというのはみんな怒りでもって、占い師のところに来る。怒りの根源は欲です。何か自分の邪魔をした、自分を困らせた、なんとかしてくださいという「欲と怒り」で占い相談に来るのです。その人の人生を苦しくさせる根源はまさに、その「欲と怒り」なのですが、占いに来るお客さんは感情的になっているので大抵は聞く耳を持ちません。ここをどうにか落ち着かせ、目を覚まさせなければならないわけですが、そんなことを時間の切り売りで行えるはずもなく、それで「超次元占星術」の連載に託すことにしたのです。

 

 惑星の天使たちの働きは、どうやら「アストラルボディ」がある次元界と同じ階層にあるらしく、感情(喜怒哀楽)をゆさぶるような現象を次々と起こしていきます。しかし、惑星の神の力によって何か起こっても、それは単なる「できごと」なだけで、我々がそれにつられてぎゃあぎゃあ騒いで怒りまくらなくちゃいけない理由は何もないのです。

 

 例えば「痛み」。体が痛いと、ああでもない、こうでもない、これはできないんじゃないかあれもできなくなるんじゃないか、そうなったらどうしようどうしようで、家族にまでその不安と恐れと怒りをぶつけてしまう。しかし、体が痛いことで怒らなくちゃいけない理由はないのです。体の痛みが心まで支配することはありません。心のほうが体よりももっと深くで働く、より高次の力だからです。

 けれども人は往々にして、「できごと」と「感情」を一緒にしてしまう。自分が怒っているのはあいつのせいだ、親のせいだ、何かがなくなったからだ、フラれたからだと一緒になって怒り、その怒っている自分を「なんてかわいそうな被害者なんでしょう。なぜ私ばかりがいじめられるのでしょう」と、自分のためだけに憐れむ。

 

 こうなると最悪の人間です。思いやりのかけらもありません。そんな人に何か、手を差し伸べてやろうなどと、世の中の人も思いにくい。結果、その人は人生が上手くいかなくなるのです。

 

 だから超次元占星術は、確かに当たるんです。惑星は生きていて、アストラル界レベルで物質化に働きかけているのは間違いないのですから。

 

 けれども、起こったできごとに同化して、自分まで感情的になることはない。我々は悲しいかな、未熟な人間で、聖者ではありませんから、どうしても可愛がっていた猫が死んだり、大好きなおじいちゃんが死ねば、大変なショックです。でもそれはただの「できごと」。一緒になって怒る・嘆くのは違いますね。冷たいようだけれど、形あるもの皆、そのようになるのであって、起こるべきことが普通に起きただけ。おカネや物品がなくなったり壊れたりするのも、当たり前のことが当たり前に起こっただけ。一緒になって嘆く・怒るは違います。執着も、ゼロにするのはほぼ不可能。だったら、少しでも進歩・向上する方向の仕事とか、趣味とか、学問などに執着を傾けたほうがいい。執着があるのなら、少しでも「自分次第でどうにかなりそうな方向」へ向ける。それが賢い生き方ではないでしょうか。

 

 そして、惑星が落としていった出来事に対して、感情を動かさないトレーニングをしていくと、実はそれ自体が良いカルマですが、ここでいう「良いカルマ」とは、「解脱の可能性がより高くなる」という意味であって、実はよいカルマを積めば社長になれるとか、いい結婚ができるとかではありません(笑)。けれども、社長になりたい人も玉の輿に乗りたい人も、「よいカルマ」を積まないよりは、積んだ方がそうしたものを手にできるチャンスは増えます。それらを目当てにしてはいけないが、我欲や感情を突き放して、いつも穏やかにいられる人のところには人間が集まってきますから、やはり夢は叶えられやすいのです。

 

 超次元占星術はそのように、「感情的にならない」「いちいち感情で反応しない」ことを学び、日々、積み上げていくカルマ返済ゲーム型占星術である、と、たまごさんはご理解いただいていらっしゃるようで、原作者としては大変うれしいメールでした。たまごさんの解釈で完璧に合っています。どうぞこれからも、占星学を通して学びが深まれば、週報を書く身としては身に余る喜びでございました。

 

 

 

>プラスのカルマが増えるほどいいというものでもないのかなぁ、 …とおっしゃっていますが、はい。これもその通りです。

 というか、プラスのカルマが溜まると「より悟りに縁ができやすくなる」「解脱しやすくなる」という方向にどんどん加速するだけなので、もしも我欲を叶えようとか、現世的なことを叶えたいという動機でカルマを積むと、良いカルマを積んでいるつもりでも実は悪のカルマになっていた、ということも往々にしてあるようです。

 

 たまごさんが書いてくださった太陽に関する部分は、実は「ヨーガ・スートラ」にも記述があります。

 

 
 太陽に瞑想すると、この宇宙全体の知識が得られる。

 月に瞑想すると、星々の配置の知識が得られる 。

 北極星に瞑想すると、星々の運行に関する知識が得られる 。

 

 「瞑想すると」と書かれているわけですから、太陽を観想したり月を観想したりしなければならないわけですが、特に太陽は宇宙全体の知識を得られるわけですから、ひときわ重要でしょう。太陽によって悟る、ともヨーガでは言われています。太陽は一切の太陽系に生きるものを作った生命の源であり、太陽を通じて我々は宇宙の根源とつながっています。たまごさんが言うように太陽の意識になる(つまり太陽は“意思”を表示するわけですから、感情になど負けないぞ! と強い心を持つことだ、と解釈できるかも知れません)ために、占星術を学ぶ、というのは、まさしく本来の占星術のあり方でしょう。

(2019・10月29日 記)

 酒井日香 敬具

 

 

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