太陽に対する考察

 

  太陽は、非常に重要な星です。

 

 いちおうホロスコープを普通に描くとこんな感じになりますが——。

 

 これは本当は誤解の元。

 

 こんな風にホロスコープを描くから、本質がわからなくなるのではないかと私は思います。本当は太陽と、他の天体を同じフォントやサイズで描くのは間違っています。 上のホロスコープのサークル、枠の全部が「太陽だ」と考えるくらいでよろしい。 事実、太陽と他天体を同列に扱ってはいけません。 西洋占星術はとにかく太陽信仰であり、太陽に始まり太陽に終わります。太陽とはそれほど重大で、本当はこんな風に、金星や火星と同じ大きさで描くものじゃないんだ、ということは心に刻んでください。

 

 さて、太陽の基本的な意味は 「ライフギヴァー(生命の贈与者)」 です。まぁ、これはみなさん納得いくでしょう。この地球に生きる生命のどれもが、太陽光なくしては生きられないからです。じゃあ、生命は何で出来ているかご存知ですか? そう……。いろいろなご意見があるかと思いますが、いちおうここでは、「霊」としておきましょう。太陽の基本的な意味は「生命・霊」です。

 

 

 また、心理学的には、「意思」というキーワードも当てられています。他にも「権力者」とか、「王」なんていう意味もありますが、すべてを語りつくそうと思うとそれで本が1冊書けるくらいの分量になりますので、今日はひとまず、太陽が受け持っている「生命・霊」というキーワードのみ、掘り下げていきましょう。

 

 

 まとめ。

 

太陽の基本的な意味は、「生命・霊・意思」。

・・・だが今日は、「生命・霊」という意味のみ深堀りする。

「意思」に関してはまた別の機会に。

 

 

 

 

 

 太陽のシンボルマークを見てみましょう。

 

 

 

 ホロスコープのフレームに似ています。 そして、実は「細胞」に似ている気もするし、太極図にも似ている気がしますね。

 

 占星学を始め、易や数秘学、タロットなど、どの占いもだいたいそうなのですが、シンボルがどこから来ているかと言えばそれは、「瞑想」 であったと考えることができます。

 

 深い瞑想状態に入ることで、我々の祖先たちは、宇宙の成り立ちを知り物質の根本に思いを馳せました。そして得られた「直覚的な体験」を封じ込めたものが、占いである——。 私はそのように結論づけています。

 

 

 瞑想で見たものが 「真実だ」 なんて、どうやって確認できるの? そんなの、ただの妄想や幻覚と違うの? と、瞑想の世界について知らない方は思うかも知れません。私も昔はそうでした。瞑想で、抽象的な時空や、ものの成り立ちといった複雑なものがわかるのか? と。

 

 これがどうもわかるらしいのです。そのせいか、瞑想の達人、大師であった釈迦の説く仏教が、現代量子論をはるかに先取りしたような思想であることに西欧の科学者たちは皆仰天したわけです。古代ギリシャにおいても、エラトステネスやプラトンといった哲人たちは瞑想によって地球が丸いのを見た、という言い伝えも残されています。宗教と科学は、深いところで、そうした霊感とむすびついているのです。そして占いとは、そうした瞑想による直覚的な知覚を、シンボル体系に落とし込んでいったヨーガ思想の一部分なのです。

 

 そして、深い瞑想の果て、いにしえの賢者たちは 「いのちは太陽から始まっている」 ということを理解しました。そしてそれは、現代の量子力学の見解とまったく同じです。占星学を営む上でこの思想を胸に刻むことは大変重要であります。

 

 

光あれ!! が、神の最初の言葉

 

 ここから少し複雑なお話になりますが、占星術をマスターするためにはとても重要なことなので、がんばってお付き合いください。

 

 旧約聖書は、宇宙創造の最初に神が 「光あれ!」 と唱えるシーンから始まります。

 

 そしてどうやら、それは最先端宇宙論でもその通りのようなのです。みなさんは、理科などで宇宙の始まりを「ビッグバン(大爆発)」だと習いませんでしたか? ビッグバンそのものは、どんな爆発だったのかまだわかっておりませんけれども、実は理論上は、ビッグバンである最初の光の点滅が起こってからごくごくわずか、10⁻36乗という、まばたきするよりもはるかに短い時間で、宇宙はとてつもない光と熱の洪水になったと、現代の物理学者たちの多くは考えているようです。これをハイパーインフレーションと呼びますが、このハイパーインフレーションのことを、神は、「光あれ!!」と表現したのかも知れません。ともかくすべては光から始まったのです。

 

 満ち溢れたすさまじい量の光は、高熱高圧になり、その中で最初の物質である 「水素原子」 が生まれてきます。なんと光を集めると、やがて光から宇宙最初の物質である 「水素原子」 が生まれてくることは、数々の実験で証明されています。これは世界中の研究機関で何度も確かめられた科学的な事実です。私はそれを読んだとき腰を抜かしそうなくらい驚きました。長年、意識は「モノ」である脳が生み出す幻影だと思ってきたのに、これでは、光である「こころ」のほうが「モノ」よりもさらに根源的な存在で、私たちの「こころ」がすべてを産み出すと説く、ヨーガや、仏教の世界を裏付けることになってしまうからです。

 

 さて、そうして光の海の中で誕生した 「最初のモノ」 である水素原子は、「モノ」ですから「質量」がありました。質量があると、引力の法則が働いて、質量のある同士がどんどん引き寄せあいます。やがて水素同士が集まって固まった水素の大変濃い部分と、うわずみの澄んだ部分ができてきて、「宇宙の晴れ上がり」という状態になります。

 

 水素の濃い部分の中心ではさらに水素原子同士が引き合い、周囲の圧力が高まることで他の水素原子と融合します。このとき、水素原子から電子が飛び出してエネルギーになります。いわゆる「核融合エネルギー」ですね。そして水素と水素がくっつき、電子がその衝撃で外に飛び出すと、元素番号2番の「ヘリウム」になります。

 

 今度はヘリウムがたくさん水素雲の中にできると、ヘリウム同士がくっついたり、ヘリウムと水素がくっついたりして原子番号3番のリチウムが生まれ、さらに原子番号4番のベリリウムが生まれ、次いで、ホウ素、炭素、窒素、酸素……、といったおなじみの物質が生まれてきます。そしてこれらは私たちの体を構成する「アミノ酸」「タンパク質」の元であることはみなさんご存知でしょう。

 

 そして水素雲の中で水素同士がくっつき始める、ということは、「光りだす」ということで、これがすなわち「恒星の誕生」 です。そうして最初は、もやもやした水素の巨大な塊が燃えているだけの恒星は、だんだん水素を燃やす過程で重たい元素を次々に融合していきます。ヘリウムやリチウム……、と燃やしていって、最後に原子番号26番の 「鉄原子」 まで燃えてしまうと、鉄は重たいですから、超強力に鉄原子同士が引き合い中心に向けて一気に大爆発を起こします。いわゆる「超新星爆発」というものですが、この爆発により鉄より重い重元素——、金銀、プラチナ、鉛などなど——…。ができます。余っていた水素もまき散らします。

 

 そのまき散らされた水素が再び集まって星になり……、というのを、3回ほど繰り返したのが、現在の太陽であると。凝集と爆発のたびに主たる恒星は水素以外の不純物が多くなるため小さくなります。恒星が小さくなるほど、その周りには恒星の排泄物ともいえる金属類のカタマリや、鉱物や、水と泥の混じったカタマリが増えます。

 

 それらの、いわば、考えようによっては宇宙のよごれ、排泄物、ちり、ごみが、恒星の爆発により空間にまき散らされると、今度はそうしたごみ同士が引力で引き合い岩石にまとまり始めます。そうした営みの中から、地球や金星や、火星は生まれてきた。ちょうど生まれた場所にガスが多ければ木星や天王星といったガス惑星になります。

 

 そうして、ただの土塊に過ぎないこの地球は生まれ、その地球では偶然(※ほん水と油と有機物が上手い具合に混ぜ合わされ、それが原子生物となり、だんだんに進化して我々人間が生まれてきた。現在ではそのように考えられていますね。そしてこれはなんと、驚いたことに、数千年も前の古代インドのウパニシャッド哲学でも、同様なことが描かれているのでありました。同じ恒星の死骸から、木星も金星も土星も生まれてきた。これは占星学を知る上では大変重要な思想です。

 

 親しみぶかいあの、地球の兄弟たる惑星たちは、実は、私たち人間と同じ「親」から生まれてきたのです。だからこそ、占星学上の惑星たちはあなたに影響を与えるのです。我々の肉体は、惑星と同じ成分で出来ているのですから、惑星と我々が引き合うのは当然のことです。我々が、我々自身のことを「モノだ」と思うのなら、そのとき太陽以外の惑星たちはあなたに強く影響するということです。

 

 

 

物質はくだらない。もろい。本質じゃない。

 

 さきほど、私は、恒星が吐き出した鉄や重元素、泥などのことを「ごみ・排泄物」という言い方をしました。

 

 天文学者でも「汚染」という表現をすることがあります。宇宙がまだ、誕生して数十億年くらいのとき、宇宙には輝く水素の雲と星々しかなかったのに、それがどんどん濁って、劣化して、今のような岩石(ごみ)がたくさん浮かぶ宇宙になってしまったのです。現実でも、大便や生ごみ、死体といった汚いものからコバエやウジや、菌類などが生まれてきますが、宇宙もそれとまったく同じで、初期宇宙からすれば私たち物質の体を持つ生命は、「劣化生成物」「死体から湧いてきたウジ」も同然なのです。

 

 

 つまりは、水素の純度が圧倒的に高く、まばゆく光っている太陽は、より創造主に近い存在で、宇宙のごみから生まれてきた諸惑星と我々は、より物質的な存在だということです。仏教では、こうした、諸惑星のレベルの世界のことを、「天部」と呼んでいます。天女、天神地祇てんじんちぎの世界ですね。人間よりはちょっと上位ですが、けれども人間より彼らのほうが優れているかと言えば、そうでもないのです。彼らは精神生命体ですから耳も、目もありません。しかし死の恐怖におびえた存在なのです。いつか寿命が来て死んでしまいます。

 

 

 だから、彼ら天部の神々は、人間に憑依してなんとか仏法や真理を盗み聞きしようとするのです。

 

 澄んだこころのお坊さんや、神主さんや、司教などがおられる寺社、教会へ行くと、とてもすがすがしい気を感じますが、それは天界から何とか、仏法や真理や教えを頂こうとして神々が集まってくるからです。そして澄んだこころの人間の耳を借りて、彼らは尊いお釈迦さまやイエスさま、宇宙の真理を説く神主さんなどの話を聞いて、癒されるのです。そのお礼に、神々は人間のカルマを少し減らしてくれたり、おカネや名誉や子宝を授けてくれることがあります。開運スポットの仕組みはそうなっているのですが、そこに集まる人間のこころが汚れていれば、それ相応のレベルの低い、悪霊に近い存在が主流になってしまう神社仏閣・教会もあります。だから聖職者は大変です。常にこころを磨かなくてはいけません。

 

 

 ということで、惑星の神々とは、タワーマンションに住んでいるヒルズ族みたいなものだと考えましょう。タワーマンション(高いところ)に住んで、人間を見下している神々ですが、だからといって人間より偉い存在ではない。金持ちで、何もかも恵まれていたはずの人が殺人事件を起こしたり、横領したり、そんな事例はいくらもありますね。 神々もそれと同じで、高いところにいるから幸福だとは限らないのです。ふと、死の恐怖に襲われたとき、神々も、人間に寄生しなければ真理を頂けないのです。

 

 さて、占星術とは、「合一ヨーガ」 の一形態、技法のひとつだ、というのが、超次元占星術の絶対的スタンスであります。そしてヨーガとは、結び付ける、とか、統合する、とか、一つになる、とか、一体化する、というような意味で、もともとは牛馬などにくびきをかけて、人馬一体、人牛一体となってパワフルに働くさまを指す言葉です。

 

 

 では、超次元占星術では、何と「合一ヨーガ」すればいいのでしょう??

 

 それは、ここまでお読みになった方はわかると思いますが、「光」ですね。

 

 私たちは、「光との合一ヨーガ」を目指さなくてはいけないし、自分がもともとは光そのものだったことを思い出さなくてはいけないのです。そして、今でも光そのものが自分の本体であると悟ることです。

 

 ちょっと、にわかには受け入れられないかも知れません。あなたご自身が神様で、神とは光なのですよ、と言っても、神であるあなたは(※あるいは私は)、だらしないし、怠け者だし、大食漢で嫉妬深くて頭が悪くて、美人でもなければ金持ちでもない。こんな神などいるか、という気持ちになるのもわかります(※私も自分が神だ、などと言われると、気持ち悪くてむずがゆくなるタイプです)。

 

 

 よろしい。では、あなたが神である証明をしましょう。

 

 といっても、聖書の記述をたよりに証明していきますが——(聖書は、案外本当のことを言っているのです)。

 

 

 旧約聖書で、最初に神が「光あれ!」と唱えた、と解説しましたが、その前に旧約聖書の創世記にはこんな記述があります。

 

闇が深遠のおもてにあり、神の霊が水のおもてを動いていた。神は言われた。

「光あれ。」   (新共同約聖書より)

 

 

 神の霊がもともと、流れていたところに、「光あれ!」なわけですから、最初から神がいて、神が「光あれ!」と唱えたことになりますね。

 

 つまり、ライダー一号である本郷猛ほんごうたけしだけがただ、最初にいて、本郷猛が自分の意思で「変身!!」と唱えたことになります。本郷猛が古くてわからないなら、たとえば月野うさぎが最初からいて、月野うさぎが「ムーンライトパワー・メイクアップ!」と暗闇で叫んだことになります(※この例えも古いか?)。

 

 つまり「光」は、「神」の、変身スタイルだということです。仮面ライダー一号と本郷猛が同一であるように、月野うさぎがセーラームーンであるのと同じように、「神」 = 「光」 ということができますね。

 

 その「光」から我々は生まれたと、最先端科学は言うのだから、やっぱり怠け者でもブスでもデブでもバカでも貧乏でも、金持ちでも、やっぱり我々は神ご自身であるわけです。何か外のヤバい宗教とか、心なんとか屋とか、キラキラスピリチュアル起業塾とかに神を探しに行かなくても、情けない自分や、酔っ払って寝ている実家のお父さん、ぶつぶつ文句ばかり垂れているお母さんでも、神様だということです。

 

 

 

 

 けれども、物質・モノが邪魔してそれが非常に感じにくくなってしまっています。「私はバカでデブでブスだし」と言うなら、その時点ですでにモノ・物質の奴隷です。モノ・物質しか見えていないから、やはり身体にこだわってしまうし、物質的な肉体への執着が強いから、肉体生命を脅かす貧困や、病気や、人生を生きにくくしてしまうすべてのこと、なんでも失うことを人は、恐れてしまうんです。

 

 そして占星学では、この「モノ・物質」は、太陽以外の諸惑星がつかさどっています。

 

 だから、諸惑星に関しては、親しみは感じたとしても、創造神と同格にはできません。しょせんは、腐敗し、寿命があり、永遠ではない、はかなくもろい存在なのです。太陽も、はるか長い時間で見ればそのような存在ですが、けれども太陽は光にあふれていて、自ら光るので、人間や諸惑星たちより創造主に近い。だから、太陽の扉を通って私たちは、創造主である神と合一ヨーガしなくてはならないのです。太陽以外の星の奴隷になってはいけない、太陽以外信頼するなというのが、もともと西洋占星術の基本思想です。諸惑星がつかさどる物質はくだらない。モノなどまったく本体ではない。それよりも、絶対的創造者だけを信じましょう、ということです。その創造神の代理人こそが、この太陽系ではあの太陽なのです。だから、「月のパワーでうんぬん」だの、「金星を利用する」だの言っている占星術師は、わかっていないのです。そんな神々を頼ってはいけない。我々が惑星神を助けてやるのでなければいけないのです。

 

 私は長らく、こうした宗教じみた話が大嫌いで、若い頃は蛇蝎のごとく忌み嫌っておりました。死んだらおしまいだと思い込んでいましたが、年齢を重ねるほどに、ヨーガが言う通り、むしろこの世のほうが幻影マーヤーで、光と素粒子が主役の、太陽の世界のほうが真実の世界ではないのか、という思いが強くなってきました。最近はますます、人は死にたくても、むしろ死ねないんじゃないだろうかと、宇宙創成の最初のときから、本郷猛(神)の一部だった私はすでにあって、それで今ここにいるのじゃないかと、占星学のまなびを深めるほど、そう思えてならないのでした。

 

 

 

 

実在する「内なる太陽」

 

 さて、神である光とは、なかなかすごいもので、現代科学についていろいろ読んでいると、なんと人間は令和の世の現在、光のツブツブを一つずつ数えることができますし、光のツブツブに情報を書き込んで運んだり、果てない遠くへ飛ばすこともできます。この技術なくしてはスマホもテレビも、CCDカメラもMRIも成り立ちません。

 

 そして「光」はまた、人間の神経組織や臓器の組織、脳組織などがやりとりをする際のメッセンジャーであります。神経線維の中を観察すると、情報パルスが行き来するたび神経線維は光るのです。いや、それどころか、細胞自体が光っているのです! これは「生体発光」として知られるれっきとした現実です。

 

 「光」に情報を書き込むことができ、「光」が体の中で情報伝達をしていて、細胞は光っており、すべては「光」から生まれてきたのなら、私たちの「こころ」と「意識」と「霊」は「光」であると言えます。そして光は、太陽です。太陽がつかさどる「生命・霊・意思」といったキーワードは、掘り下げるとこれほどの意味なのです。市販の占星本ではまずここまで教えません。さらっと書いてしまうので、みんなうわべしかわかっていないのです。

 

 

 実際、瞑想して、眉間の間に意識を集中させると、自らの体の中に途方もない「太陽」が輝いているのが見えると多くのヨガマスターたちは証言しています。瞑想初心者の私はまだほんのチラリとしか感じたことがありませんが、文献では、それは本当に目がくらむような光であり、まさに太陽そのものとしか言いようがないものだとされています。臨死体験者のポピュラーな体験の中に「光と出会う」というシチュエーションがありますが、これも、瞑想時のトランス状態で見える霊的な太陽と同じなのでしょう。仏教では、この、内なる途方もない光のことを「無量光如来(アミターユス)」として信仰していますし、無量光如来は太陽仏である大日如来と同じ、と考えられています。

 

 

 太陽がいかにすごいか、別格か、他の物質次元界の惑星と同じにしてはいけないか、ご理解いただけたのではないでしょうか。

 

 

 つまり、占星学は、太陽ファーストでなければならない

 

 占星術とは、瞑想に長けた始祖たちが霊感の恵みによってもたらした解脱への道——、すなわち、「合一ヨーガ」ですから、突き詰めると本当は 「太陽さえあればいい」 と言っても過言ではありません。そして実際、占星術とは、そのシステムのほとんどを太陽に依存しています。

 

「アセンダント」と呼ばれるホロスコープの起点を決めるのも、天頂である「MC」を決めるのも、ハウス分割も何もかも、太陽の運動を基準に決められていますし、12星座も結局は、太陽のスタートである春分点から始まるのですから太陽ありきです。つまり、太陽がなければ何にもできないのが占星術なのです。

 

 

 ということは、ホロスコープを読むときは、「太陽ファースト」でなければならないということです。太陽と、そのすぐ側にある惑星、そして太陽が作るアスペクトなどを読んでいけば、それ以外の要素は大して重要ではないということです。超次元占星術でも、重要なことは必ず太陽のアスペクトに現れます。太陽がいつ、どんな惑星とどうかかわるのかを見ることで、心身を強く揺さぶるような、強い事件が起こるタイミングを推測できるのです。

 

 

 また、ネイタル(出生図)でも、太陽がどんな星とどのようにかかわっているか、また、太陽のすぐ両隣になんの惑星がいるのかを分析することが、ホロスコープを読み解く際の中心的な作業となります。

 

 我々太陽系に属する者は、皆、太陽の胎内で生きていると言っていいでしょう。太陽は、たくさんの子分を従えた親分です。夜な夜な黄道を観察していると、木星も火星も土星も、月も、必ず黄道帯のどこかにいますので、太陽が諸惑星を引き連れているのだな、というのは、感覚的にも理解できます。

 

 

 特に、水星と金星は、地球から見ると、地球よりもより太陽に近い軌道を回っていますので、常に太陽に引き連れられた犬みたいに見えます。誰のホロスコープを作ろうが、だいたいは太陽のすぐそばに金星も水星も描かれてしまうのです。水星は、最大で太陽から離れても約45度、金星は75度~78度程度です。地球は1時間でおよそ15度回転するので、水星は太陽から最大限離れている時期だったとしても、日没や日の出前後の3時間しか見ることができません。さらに日本やヨーロッパなどの中緯度~高緯度地域では、黄道自体が傾いていてだいぶ地平線に寄っているために、より観測条件が悪いのです。金星や水星が日没直後や、日の出直前でないと見られないのはこうした理由です。

 

 そのようなわけで、太陽がつねにお供二人と三人いっしょに動いているので、西洋占星術では「3」という数字が大変重要です。キリスト教における「三位一体」なのはもちろんのこと、実はアスペクトもハウス分割もすべて「3」の原理で出来ています。易経では、なぜか算木や筮竹を「3回」きったものを一つの「卦」としますが、これは「3」というナンバーが生命と輪廻と、宇宙の秘密に深くかかわっているからです。

 

 ・・・・と、いうことで、天体が常に、3つ集まる太陽が、ホロスコープにおいてリーディングの中心になるのは必然でありましょう。もし、太陽以外に、太陽から離れた場所において、3つの惑星が固まっている場所があれば、そこは大変深い示唆を与える重要なポジションです。太陽を含んでも、含まなくても、とにかく3つ以上星が固まっている場所を 「マジョリティ(集団)」と言います。マジョリティ(3つの天体のカタマリ)がもし、一つの星座内で起こっていれば、それはよっぽど注意しないと、カルマや問題点が噴き出す部分であることを示します。たいてい病気とか、生活の苦境や、どうしようもない本人のくだらない思い込み、執着がそこに現れます。執着を「才能」とみれば、マジョリティは才能の宝庫でもあるのですが、これも太陽と合一して、創造神のためにその才能を使うつもりでいないと、惑星神に憑依されてすぐにやられてしまうことになります。

 

 

 マジョリティは何度から??

 

 さて、そのマジョリティですが、私はすごくファジーに読んでいきます。占星術をあたかも、機械的な法則のようにとらえて、やれ、5度以内はコンバーストだから知性を損なうだの、10度以上は効果が弱いだの、逆行だと無効化されるだの、〇〇座に入ると減衰または高揚するだの、しょうもないことを言う占星術家が多いわけですが、それこそ 「機械論者」 であり、霊感と瞑想によって営まれる合一ヨーガの本質からかけ離れています。占星学とは——。少なくとも、私がみなさんにお教えする西洋占星術、ならびに超次元占星術は、あくまで合一ヨーガのための占星学ですから、こうした機械論的な、暗記的な占星術は断固否定します。

 

 よってマジョリティとは、別に何度以内でなければいけない、という決まりはありません。インド占星学ではこの辺はまさにヨーガの本場らしくおおらかで、けっこう適当です。西洋占星術も機械じゃないのですから、ファジーで良いし、占者がその霊感で、このお客さんはだいぶ星が離れてはいるがこの星をマジョリティとみなしたほうがよさそうだ、と思えば、星座をまたいで離れている惑星でもマジョリティとみなしてかまいません。事実、太陽のすぐ側——、たとえ星座が違っていても、太陽の近くにある惑星は運命に重大な影響を与えます。

 

 

 水星と金星はいつも太陽のすぐ側にあるので、効果としては弱いだの、太陽に5度以内接近していると太陽で燃やされて水星の働きが弱くなり、知性が鈍るだの、水星が逆行していると飛行機が落ちて電車が遅れるだの、機械法則のような占星学は断固反対です。そういう占星術師に出会ったら、「ああ、この方はヨーガ占星学について不勉強なんだな。ミーハーな、市販の占星本しか読んだことのない浅学なんだな」と受け止めましょう。

 

 

 さて、マジョリティを見つけたら、あとはそのマジョリティを構成している星同士のコンビネーションの意味を吟味していきます。では、太陽が他天体とかけ合わさるとどのような意味や暗示が示唆されるのでしょうか。次にそれをご紹介していきます。

 

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太陽と他天体が作るコンビネーション

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