第十六話 CHAPTER5、突入(3)

 その頃、新橋ダイヤモンドパレスホテルでは、川嶋がすでに待ち構えていた。田代から、郷原をどうにか回収したと報告を受けて、駆けつけてきたのである。本当は、久子も来ると言って聞かなかったのだが、まさか銃で撃たれているなどとても久子には言えないから、川嶋はなんとか振り切ってきた。

 ホテルの裏口から、人目につかないよう郷原と池田史郎を運ぶ。

 一群は、裏口から伸びるスィートルームの宿泊客専用エレベーターに乗り込んだ。一緒にいた山本亮一に、川嶋は声をかけた。

「山本先生……、済まないが、こいつの処置を手伝ってくれないか。今、かかりつけ医を一人呼んだが、医者は多いほうがいい……」

 川嶋の言葉に、眼を伏せて、腕を組み、山本は言った。

「借金と引き換えに、と言ったら、どうします?」

「……………」

 川嶋は瞠目どうもくした。ひと晩、ふた晩会わなかっただけで、山本は妙にタフになったようだった。平然と、減らず口を叩けるようになっていた。

 この川嶋に向かって――。川嶋は、口元を不敵に歪めると、眼を細めて山本を見た。

「わかった。平安ファイナンスにあんたが作った600万……、そこから手術代ということで、相殺してやる。ヤクザの治療は、1分1万円が相場でな。1時間でざっと60万の稼ぎだ。せいぜい、じっくり手術してやってくれ。それでいいか」

「それじゃあダメだ。もう少し上乗せしてください。僕も疲れている。その上で、眠らずに手術なんかしてやるわけだから、1分1万円プラス、オプションで1分2千円の現金をください。もう手持ちが無いのでね」

「……よかろう……。ずいぶんと駆け引きを覚えたじゃねぇか、山本先生……」

「郷原さんのお陰です。オプション分もちゃんと、現金払いでお願いしますよ川嶋社長」

 すっかりアウトローの空気を、身にまとっている山本だった。

「あ、あたしも、手伝います……! 看病とか……」

「この女性は……?」

 川嶋が田代に訪ねたが、田代は言いにくそうに首をかしげた。

「あんたがもしかして、飯田議員が入れ込んでいたという、ホステスか……?」

「あ……、えと……」

 あかりは困惑して、思わず顔が赤くなった。川嶋の視線が足元から頭まで、自分を見ているのがわかった。太ももあらわなワンピースで、肩を出し、濃い化粧の自分は、どう見てもまともな女ではない。あかりはいたたまれずにうつむいた。

「まぁ、なんでもいい。女の人がいてくれると助かる」

 川島は前を向くとポツリと言った。やがてエレベーターの扉が開いた。川嶋は郷原の脇の下に潜り込むと、背負うようにしてエレベーターを出た。田代と山本がそれを支え、浜崎が池田を引っ張った。早朝のせいか、誰にも見られずに済んだ。

 部屋に入ると、皆ですぐに、郷原をベッドへと運んだ。田代が心配そうに、郷原の額の汗を拭おうとしたとき、意識もうろうとしていたはずの郷原が不意に叫んだ。

「ばかやろう! 何してる! おっちゃんは早く帰れっ!! 直人はどうすんだっ!!」

「そ、それどころじゃないだろ?! 俺もここにいるよっ!」

 郷原の足を持ち上げながら、川嶋が言った。

「郷原の言う通りだ田代。お前はもう帰れ。息子をひとりぼっちにさせていいわけはない。回復したら知らせるから安心しろ」

「でっ、でもっ!!」

 郷原を支えてここまで連れてきた田代は、川嶋の部下たちに背中を押されて、部屋を出ていった。浜崎も、今日は出勤日だ。このまま平安ファイナンスへ向わなければならない。

「ま、あとは社長に任せるってことで。田代さん悪ぃ。俺を会社まで送ってってよ」

 浜崎が頭を掻いた。田代は郷原が心配だったが、名残惜しそうに郷原が運ばれたベッドルームを見ると、浜崎を連れてホテルを出た。

 山本はすぐに、郷原のコートを脱がせてネクタイを解き、シャツをはさみで切って、上半身裸にし、創部を露出させた。やがて寺本組のかかりつけ闇医者であるつじという男が、手術道具と点滴のパック、薬やガーゼをたくさん持ってかけつけてきた。その闇医者・辻を手伝って、傷の処置をする山本だった。

 総白髪なせいで、まだ50代だろうに、老人に見えるほど老けている辻は、郷原の両腕と胴体をベッドに縛って固定すると、山本に押さえさせた。切られ、抉られる激痛に腕を動かさないよう、全力で押さえつけるのだ。舌をショックで噛まないよう、口の中にタオルを突っ込む。こんなところでは局部麻酔しかしてやれない。

「まぁ、ちょっとキバれや郷原……。蚊が刺す程度にゃ痛むからな」

 辻はそう言うと、とりあえずわきの下の神経へと直接注射針を刺して、郷原に局部麻酔を施し、麻酔が効いたかどうかも確認しないまま、サクリと創部にメスを突き立てた。

 さすがにうめき声を上げる郷原である。あかりは、見ていられなくて、顔を手で被った。

 闇医は、筋肉層を裂き骨を露呈させていった。そこに銃弾で砕けている骨の破片を、ピンセットで除去するのだ。弾はきれいに貫通し、反対側へと突き抜けている。幸いなことに、主要な神経や大動脈は切れていなかった。

 とりあえず、もっとも痛い一撃を、郷原が乗り越えてくれたので、ホッとした山本は、すぐにベッドルームのドアを閉めた。全員で固唾かたずを飲んで見守られると、やりにくくて仕方がない。

 山本は産婦人科医で、外科は研修医時代のジョブローテーションで経験したくらいしか知らなかったが、銃弾を受けた傷を見るのは始めてだったから、興味深々で闇医の手元を手伝った。

 しかし、辻は老眼なのか、眼が丈夫でないようで、どうも手元がおっかない。仕方がないので途中から処置を替わった。いくら1千万も吹っかけてきた郷原でも、腕の神経が切れて、手が使えなくなるのは不便だろう。

「あんた、なかなか上手いな。産婦人科医なんかやめて、フリーの闇医者になったらどうだい」

 辻が山本に言った。

「イヤですよ。ヤクザなんかと関わるのは、もうこりごりです」

 そう言う山本の施術を受けながら、口元を歪めてほくそ笑む郷原だった。

 砕けた骨は、きれいに除去することが出来たので、あとは闇医の辻が自分の病院から持ってきた、骨を繋ぐ素材で処置を施し、縫合すれば終わりである。たぶん、しばらく安静にしていれば、また元通りに手は動くはずだ。

 郷原は、麻酔が遅く効いてきたようで、縫合している最中に眠ってしまった。山本は、郷原の首元から20センチほど伸びているきず跡が、さっきから気になっていた。まるで鋭い切っ先で、ばっさりと胸を切り裂かれたような疵――。

「この疵……。もしかして日本刀……??」

「ああ。それは俺が縫った。死ぬ寸前まで行った傷でな。よく命があったよ」

 山本は、処置が終わって手を拭っている辻を振り返った。

「フフ……。こいつは体を張るしか芸のない男でな。占い師が本業らしいが、占いを外した落とし前も、ときどきつけさせられるのさ。それはある人物を占い鑑定したときに、予言を外して、その落とし前に取られた傷らしい」

 話を聞いて山本は、眉根を寄せて眼を細めた。

「……クレイジーだ……。馬鹿げているこそんなの……。占いなんて、当たらないのが普通でしょ?当たらないからこそ、占いの本を読んだり、変なおばさん占い師とか、霊能者をテレビで見て笑えるんだよ。あんなとち狂った連中でも迫害しないであげるのが、ゆとりある社会ってものだ。占いなんて、この日本が平和な国だという証拠でしかない。けど、郷原のは違う。なんというか……。こんな占いは、この世にっちゃあいけない……。いけないよきっと……」

「………案外、本人が一番それをわかっているだろうよ。まぁ、あんまり責めないでやってくれ。こいつにもいろいろと、事情があってな。いつか郷原が言っていたよ……。悪いのは、占い師じゃなくて、占星術だの手相だの霊視だの、占いや神秘に縋ろうとする、人の心の弱さなのだとな。裁かれるべきは、神秘を求め、神秘に過度な期待をするお客たちのほうだと……」

「………………」

 山本は、眉間にしわを寄せ、憐れむように眠る郷原を見た。

(お前は……、お前には、何もないのか……? こんなお前を悲しむ人間が、誰もいなかったのか郷原……。これだけの頭脳と、知略と、度胸を兼ね備えておきながら、なぜ占い師にしかなれなかったんだ……。お前ほどの男なら、他の人生を選んでも、きっと何かを掴めただろうに……)

 それが理解できない。どうしても理解できない。

「どうしたよ山本さん」

 辻が、険しい表情でだまりこくる山本を見ていた。山本はうつむいていった。

「だって……。そんなの……。親が、奥さんが、止めるでしょ普通……。こんな生活は……」

 山本の言葉にフッと、半笑いする辻だった。

「そりゃああんた! 恵まれた人間のエゴってもんだよ! この世にゃぁな、親だの家庭だの、そんなもの、最初からない人間だっている。誰もが温かい家庭に暮らしていると思ったら、大間違いだぜ先生」

「うっ……」

 辻の言葉に、返す言葉がない山本だった。辻はあらためて言った。 

「ヤクザなんてな……」

 手持ちの黒いバッグに器具を片付けながら、辻が呟いた。

「ヤクザなんて、子どもの頃から、愛されないで生きてきた人間がなるもんさ。愛されず、嫌われる自分しか知らないから、恐れられ、罵られる世界でしか生きられない……。あんたが郷原を解せないのだとしたら、それはたぶん、あんたが愛されていたからかもな」

「……だから、僕は郷原より、幸せだとおっしゃるのですか……?」

 辻は、うつむく山本に目を細めて微笑んだ。

「そうじゃねぇよ。愛されれば弱くなるのさ人は。弱くなって、自分では何も決められなくなって、優柔不断という迷路にはまり込む。優柔不断になれば、残るのは後悔だけ……。愛される不幸……。それもこの世の一つの真実だ。愛されても不幸、愛されなくても不幸なら、せめて優柔不断にはなりたくないと、こいつらは考える。だからヤクザに反省だとか、後悔なんて言葉は無い。それはそれでいざぎよい生き方さ」

「優柔不断……、か……」

 山本は、郷原のベッドの側に腰掛けて、手を組んだ。

(優柔不断――。確かに、そのせいで僕は子どもたちを……。何かやりたいとか、起こしたいというときに、他人任せにしたらそれはダメなんだ。他人の存在など思いやったら、自分を貫けなくなる……。僕はそれを、正面から考えるのが恐かった。だから他人が勧めるままに開業する気になってみたり、赤ちゃんを院長や、池田理事に全部押し付けて、それで責務を果たしたつもりになっていた……。優柔不断以外の何物でもない……。まるで自分がいなかったのだからな、今までの僕は……)

「あんた、寺本の賭場へ行くんだって?」

 山本が後ろを振り返ると、総白髪の闇医者・辻は、あっという間に身支度を整え終わっていた。

「この際、郷原の占い賭博、じっくり見させてもらったらどうだい。それで、自分の優柔不断と徹底的に戦ってみたらどうだ。何かが、変わるかも知れんぞ……? じゃあな山本先生。今日は居てくれて助かったよ」

 黒いコートを羽織って辻は、郷原が寝かされているベッドルームを出ていった。

(占い賭博――。賭博、か……)

 別に、今の辻の言葉など関係ない。もしギャンブルをするなら、自分の意志で、自分の決断で、すべて自分で結果を受け入れる覚悟で望まなければならないはずだ。

(そうでなければ、優柔不断になってしまう。優柔不断など、もうたくさんだ僕は――。そのためにまずは……)

「あの………」

 安らかな寝顔を浮かべて眠る、郷原の顔を覗き込んでいた山本の背後で声がした。北山あかりが立っていた。

「あの……。手術が終わったって、さっきの先生が言うので……。あたし、何をしてあげたらいいですか?」

 あかりは、相変わらず目のやり場に困るような、水商売の格好のままでそこに立っていた。しかし顔を洗ったのか、化粧はすっかり落ちて、素顔になっていた。こうしてみると、とても素直な、優しい顔立ちの女性である。

「そうですね……。手術直後は、水を飲ませちゃいけないから、しばらくは唇を濡らしてやってください。水、欲しがると思うけど、6時間は我慢させて。6時間したら、何か飲ませて大丈夫。あとは汗をかくから、体を拭いてあげるのと、点滴の交換くらいかな」

「わかりました。あとはあたし、替わります……」

「ああ……。頼みます」

 山本は、立ち上がると、郷原の寝顔をチラリと見て、ドアを出て行った。決別するのだ。これから――。これまでの、優柔不断だった、弱い自分とは――。

 

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