第十七話 CHAPTER6、対決(1)

 ドアを出るとそこには、池田史郎が静かに座り、川嶋貢が、部下とともに待っていた。

「山本先生、助かったよ。とりあえず、これは切ってもらってあった手形だ。約束した通りの金額ぶんを返そう。あと、これは処置代30万だ。足がつくとマズいから、領収書は切らないでくれ」

 川嶋が差し出した封筒を、山本はだまって受け取ると、中を改めて、その場で現金を数えた。確かに30万円入っている。封筒と、自分が買い戻したことになる手形をしっかりと手に握ると、山本は、疲れきった体を池田と対峙する位置のソファに投げ出して、川嶋のシガーボックスからタバコを1本無断で拝借すると、煙を深々と吸い込んだ。以前の山本ならば、目上の者の前ではこんな態度はしなかったかもしれない。山本の中で、何かが壊れ始めていた。

 メスや注射器を扱ったのは、数ヶ月ぶりである。ひと口プカリと煙を吐いて山本は、固い表情のまま池田のほうを向いた。

「それで結局、池田理事長……。僕の5千万円は、何に使ったんです?」

「う……、そ、それは……」

「僕らは別に、あんたがたの犯罪をどうしようとか、罪を糾弾きゅうだんするとか、そんな気はさらさらありません。どうせみんな、同じ穴のむじなですからね。だから、本音で話してください」

「本音………? 本音と言われてもな……」

「いい歳して、しらばっくれないでくださいよ理事長……。大人の本音といったら、二つしかないでしょ? カネとセックス。この世は、それだけです。僕の5千万で、なんの利益を得ようとしたんですか。それを聞かせてください」

「う…………」

 池田は、側にいる川嶋貢や、川嶋の部下たちをキョロキョロと見回していた。みんな柔和そうな表情を浮かべているが、それが作られたものであることがわかる。それが余計に怖いと感じた。全員、ひとクセもふたクセもありそうな連中だった。

(寺本組……。ヤクザの前で、こんな話をするだなんて……)

「わ、わかった……。話すよ、本当のことを……」

 池田はそう言うと、タバコを1本取り出して火をつけた。タバコで胸を落ち着けなければ、なかなか上手に話せないことである。

 郷原の乾いた唇を、濡らした綿わたで何度か拭いてやり、額や首筋に浮かんだ汗を拭ってやってから、彼が安らかに眠っているので、北山あかりも、リビングのほうへ戻ってきた。

 男たちのためにコーヒーをれた。自分も、池田の話を聞くために――。

「あの5千万は、厚生労働省の新薬承認審査の審査官たちに、賄賂わいろとしてバラ播くつもりだった……」

「新薬承認審査?」

「ああ。キミも医者なら、知っているだろう? 厚労省の承認が取れなければ、国内で薬を売りさばくことが出来ないことぐらい。近藤は時雨製薬の研究室で、ある夢の薬品の研究をしていた……。トルバイドファリン……、微生物が作る酵素の1種だ……。それが持つ作用を応用した薬 “トルバイシン” ……。知っているかね?」

「トルバイシン? 聞いたことがある……。たしか、体内に入った放射性物質を、体外に排出する作用のある薬だとか……」

「ああ。近藤と時雨製薬は去年、そのトルバイシンの治験に成功したんだ。それで、それをさっそく新薬として承認してもらおうと、書類申請をした……。まずは日本で承認されてから、その後、世界中で特許を取得して、莫大な利益を得ようとな。ところが……」

「中国の針陽薬品のほうが、申請が早かったというわけですか」

 あかりが差し出したコーヒーをチラリとみて、山本が結論を言った。その言葉に頷く池田であった。

「そうだ。タッチの差でな。世界は今、トルバイシンを熱望しているというのは、わかるかね?」

「……まさか、先年起こった、日本の原発事故……?」

 川嶋が、眼を細めて池田を見た。

「その通り。あの大震災以来、改めて世界各国で、万が一の原発事故に備えなければという機運が高まっている。地球環境が変わりはじめ、地殻が不安定化してきている今、このままでは、世界のどこかであの原発事故は繰り返される。それらの脅威に備えるために、日本には、いいや、世界には、トルバイシンが要るのだ。大量に……。世界中の研究機関がこぞって、トルバイシンの開発を進めてきた。時雨製薬と近藤は、書類を提出するのが3日遅れただけで、何千億という富を掴み損ねるところだった……。だから、私が……」

「元厚生労働省の職員だったコネクションを通じて、近藤と時雨製薬に、承認審査官を紹介したのですね……。飯田継男議員の力も借りて……。針陽薬品よりも、自分たちの提出書類のほうを、より早く審議してもらおうと……。3日の遅れを取り戻すつもりで……」

「そうだよ。しかし、けっきょくは無駄な悪あがきだったがね」

 あかりは、男たちの邪魔にならぬよう、ソファから離れて、トレーを持ったまま話に聞き入っていた。

 再び池田の声がした。

「けっきょく時雨製薬は、近藤を見限った……。もう針陽薬品が特許を取ってから、その針陽にパテント料を支払って、製造シェアを拡大すればいいじゃないかと、そう考えを翻した。針陽薬品には、純度の高いトルバイドファリンを大量に精製する技術がない。技術力では、時雨製薬に勝てない……。だから、面倒なことにやっきになるよりも、漁夫の利を取った。しかし近藤は、納得できない。そりゃあそうだ。もうこうなったら会社の資金などあてにせず、自分が個人として特許申請すればいいと……。だが、申請書類を作るだけでもべらぼうなカネがかかる。その段階で近藤は、借金だらけで身動きが取れなくなっていた。あと一息なのに……。そんな中、飯田継男議員のツテで、ある大物代議士が働きかけてくれ、有力な審議官が相談に乗ってもいいと――……。その審議官は、私も知っている実力者だった。その人に頼めるなら間違いない。私はその人とは、古くから顔なじみだったから、私が頼みに行けば嫌とは言わないはずだった。それで、カネ集めに必死になったんだ。賄賂でもなんでもバラ播いて、どうしても承認されたいのだと……。そんなときだよ。キミがのん気に、開業話なんかベラベラ話していたのは……」

「……だから、マヌケな世間知らずの産婦人科医から、賄賂に使うカネを、むしり取ってやろうと……?」

「……まぁ、そういうことになってしまうかな……。医者の開業には、億単位のカネが動くからな。キミには確かに、恨みなどなにもなかった……。ただ、私も近藤も、カネと名誉に取り付かれて、支配されていた。近藤が殺されたとき、私は本当に目が醒めた。もう特許や承認などどうでもいい、どうでもいいから、殺さないでくれと……。針陽薬品が飛ばしてきたヒットマンだよ。近藤を殺したのはな」

「………………」

 山本は、硬い顔をしていた。本当の事情を知って、気持ちが落ち着いた部分と、人間の営みの矛盾みたいなものが、同時に胸に迫ってきて、無表情だった。

「でも、わからないです……。そりゃあ、トルバイシンが近藤の名前で承認されれば、根回しを手伝った見返りに、近藤からカネは受け取れたでしょうが……。僕には、あなたがカネだけのためにこんなことをしたなんて、信じられない……。あんなに、子どもたちのためにと、私財を投げ打ってまでNPOを立ち上げたあなたが……」

「……それは、買いかぶりすぎだよ山本くん……。私は助成金が欲しかっただけさ」

「なっ……――!!」

 あまりの池田の率直さに、思わず頬を赤く染める山本だった。池田は悪びれた風もなく、山本を小ばかにするように見た。

「きみは本当に、お育ちが良いのだな。きみのご両親は、一人息子のきみをさぞかし慈しみ、清く正しく育てたのだろうねぇ……。純粋培養……。ふふ……」

 池田はそういうと、二本目のタバコに火をつけた。

「今、特別養子縁組は、国が積極的に進める政策だ。事業者が足りない……。それで、早期退職した私にやらないかと言ってきただけさ」

「そ……、そんな……」

 山本は、目の前にいる池田が、山本と出会うずっと前から、腹黒い人間だったのだとは信じられず、思わず唇を震わせた。

「……で、でもっ!! 僕が取り上げた何人かの赤ちゃんを、あなたは幸せにしてくれましたっ!! だから僕は――!!」

「そんなの、わけないさ。産婦人科医を抱き込めばいいんだ。不妊治療に通う夫婦が疲れてきたころ、そんな話をしてやればいい。私が必死に里親を探したわけじゃない。まぁ、そりゃあ、頑張りましたというポーズはするがね。それだけだ」

「――――!!!!」

 山本の頬はますます赤くなった。あかりも、表情を険しくして池田を見つめていた。ひとりぼっちの孤独な病院で、まるで隠し事みたいに娘を産んだとき――。谷中がどういうわけかこの池田を連れてきて、あかりに子どもを手放すよう、説得してきたのだ。辛い記憶がよみがえり、あかりは唇をかみしめうつむいた。

 そのときだ。ゆらりとあかりの後ろで陰が揺らめいた。ソファに座っていた男たち全員が、一斉にそちらを振り向く。あかりが首を後ろに向けると、点滴を吊るしたポールにすがりながら、肩を包帯でぐるぐる巻きにした郷原が立っていた。あかりは慌てて、側へ駆け寄った。

「だ、だめですよ……!! 寝てなきゃ……!!」

「う、うるせぇ……。面白そうな話じゃん……。俺にもき、聞かせろよ……」

 あかりは郷原を押さえながら、困惑して山本を振り返った。

「……いいですよ、北山さん……。別にもう、処置は終わったわけだし。汗、拭いてやってください」

「わ、わかりました」

 あかりは、郷原を支えて、山本の隣へと座らせると、バスルームから湯を張った洗面器とタオルを取ってきて、郷原の体中に滲んだ汗を拭おうとしたが、それを冷たくね付ける郷原であった。

「いい。余計なことはするな」

「でも……。体、冷えちゃうわ……」

「いいったら! 邪魔だ。向こうへ行ってろ!」

 郷原は言い放つと、あかりを突き飛ばした。よろけて、洗面器のお湯が大量に床の上にこぼれた。

 あかりはこぼれたお湯を、皆が見ている中、郷原を拭こうとしたタオルで、はいつくばって拭いた。拭きながら、涙も一緒にこぼしていた。

 郷原の胸の奥が、意地悪な感情に染まる。あかりの尻をなぜか、後ろから思い切り、足蹴あしげにしたくなった。女のこういう卑屈な態度をみると、なぜか郷原の神経は、激しく苛立ってしまうのだ。

 それを上手に隠すことができないまま、郷原は、乱暴にあかりの手から、あかりが床を拭いたタオルを奪うと、それで火照った自分の頬を押さえた。そして、あかりのかわりに切り出した。

「それで池田さん……。山本センセェのこたぁわかったけど、この女の子どもはどうなったんだ。飯田継男と冬野こずえの大物代議士夫婦が、人気取りで養子に迎えた赤ん坊……。あれはどうせ、この女の子どもなんだろう?」

「うっ――」

 池田は単刀直入に言われて、思わずたじろいだ。あかりは当然、真実を知っている。ごまかすわけにもいかなかった。

「ま、まぁ……。そこのお嬢さんには、育てられる力はないわけだから……。いい親にもらわれて、よかったんじゃないの?」

「良くないですよっ!! このお嬢さん……、えっと……」

 名前なんだっけ? と、山本は側にうずくまっていたあかりに聞いた。

「あかりです、北山あかり」

「ああそう……。北山さんが、未成年のときに産ませた子どもではないのですか?! この子は飯田の被害者でしょ?! ねぇ北山さん、そうだよね?!」

 山本が迫るので、あかりは固まった。

「あ、えと……」

「本当のこと言っていいんだよっ!! きみは、飯田継男に強姦まがいのことをされたんだろう?!」

「あ、えと……、その……」

 青ざめて、固まったあかりを見かねて、郷原が山本をけん制した。

「もういいよ、その辺は。聞きたくもねぇ。この女が知りたいのは、自分が産んだ子どもの病気が、なぜ治ったのかってことだろ。そもそもどうやってあんたと近藤は知り合った?? そこから全部説明してもらおうじゃねぇか。山本さんだって聴きたいだろ」

「そ、そりゃあもちろん……!!」

 山本は、赤い顔のまま強く頷いた。池田はためらって背中を反らしていた。話したくはない……。しかし……。

「あんた、俺らに囲まれてること、忘れないでくれよな? 家に帰りたきゃ話すしかないぜ?」

「ううっ……」

 郷原の言葉に、池田は身震いすると、おずおずと背中を丸めて、大きく息を吐き、「わかったよ……」と、力なくうつむいた。

 

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