逆行とは何か

 よう! 俺だ。元気か?

 え? 誰だ? 酒井の占い小説の主人公、悪徳占星術師の郷原悟だよ。酒井は最近俺にしゃべらせるのが好きなんだ。ということで俺がしゃべるがよろしく。

 ちなみにこのホームページに、俺が出てくる占い小説 「VICE-ヴァイス—孤独な予言者」 が全文無料公開されているので読んでくれよな。

 

 さて、今日のテーマは「逆行」だ。

 最近酒井はいろいろ思うところあり、本格的に占い講師を始めたのだが、その中でお教えした方に聞かれたのだ。逆行とは何なのかと。その返事のためにこの記事を書いているか、他の占星術ファンにも参考になる話だろうと思うのでよかったら読んでくれ。

 逆行、というと、一部おおごとにとらえる占星術師もいるようだ。

 特にメジャーなのが水星。交通機関や連絡、コミュニケーションといったことを司る星なので、それが「逆行」——、つまり「さかさま」に動くということで、交通機関のまひ、混乱、メール送信の行き違い、連絡ミスなどを連想する占星術家も多い。

 酒井は昔、とある航空会社のパイロットさんと占星術について話したことがある。そのパイロットさんは占星術が本当に嫌だとおっしゃった。なぜなら、飛び立つ前から自分の星座が最下位だったり、水星の逆行などで不吉な予言をされると、プレッシャーで仕方がないと。

 まぁ、そりゃあそうだろうな。うん。ごもっともである。水星の逆行は年に2~3回起こるので、そのたびに航空機が墜落していたらおっかなくて飛行機になど乗っていられない。もしも占星術の惑星たちに、地上に対する影響力があったのだとしても、それは人間的努力を上回ってまで働く力学ではない。逆行をああだこうだ言う前に、事故を防ぐため航空各社や鉄道各社、旅客各社がどれほどの努力をしているか、自分以外の誰かの涙ぐましい努力の結晶があって、我々はなんの不安もなく旅ができていることを感謝するほうが素晴らしい。実際、占星術上の「逆行」とはそんな意味ではない。普通の水星と同じ扱いをする。

 しかし、現代は誰かの思い付きで始めた・流布しはじめた占星術理論が、伝統的な占星術の考え方を駆逐してしまう傾向が強い。月の空白時間「ボイド」なども、あんなことを昭和60年代より前の占星術家は誰一人大騒ぎしていなかった。ボイドはもともと「ホラリー」といって、易占的な占星術、偶然性の卜術的な占星術を行う際、質問が「亨る・亨らない」を断定するための判断材料として見られていた、ホラリーの技法のひとつだったものだ。 

 酒井の電子書籍「超次元占星術大全 上巻 思想・理論編」 にも書いたが、そもそも「ノーアスペクト」などというもの自体が存在しない。数学・天文学をちゃんと学べば小学1年生にだって理解できるようなことだ。アスペクトは17世紀の天文学者・占星術師のヨハネス・ケプラーが「360度を任意の整数分割したものときちんと定義しよう」と言い出して現代に至っている。つまり「あらゆる整数」がアスペクトなのだから、「ノーアスペクト」など存在しようがない。それにオーブ、許容度の問題がある。オーブを入れれば余計に月がどの星ともアスペクトを作らない「魔の時間」などあり得ない。本当にしょうもないな、と、人を騙してまで本を売ろう、売ろうとするその姿勢にいつも酒井は「死ねばいいのに」と思っているが、まぁ、あちらはあちらで、アホを対象にした占星術商売をすればいい。酒井はアホじゃない少数の方々のための占星学を追求しよう。

 

 そんなわけで「逆行」の説明。

  逆行現象は、地動説がようやっと市民権を得た18世紀まで、長らく深い階層の占星術者(=天文学者)をてこずらせてきた。なぜなら地動説で唯一説明できないのがこの「逆行」だったからである。

 逆行以外の現象――、たとえば星食や、日・月食、公転周期の差などに関しては、圧倒的に「地動説」が有利なのだった。地動説でなければ説明がつかない。しかし「逆行」だけは天動説のほうが有利だったのである。だから中世の深い階層の占星術者(=天文学者)たちにとって、逆行現象を地動説で説明することさえできれば、勝利を確実に自分たちのものにできる、という期待感があった。

 実はヘレニズム期(紀元前4世紀~紀元元年くらいまでの、ギリシャの文化が優勢だった時代)にも、それより前でも、いつでも地球上には「地動説支持者」がいたのだ。アリスタルコスという、ヘレニズム期に活躍した天文学者は、詳細な日食・月食観測を行い、地動説のほうが理にかなっていることを述べた。

 なんとヘレニズム期、あの天才科学者アルキメデスが、アリスタルコスの地動説についてシラクサの王に宛てた手紙を書いている。さらに古代アレクサンドリア図書館、初代館長だったエラトステネスは、アリスタルコスに大いに影響を受け、アリスタルコスの地動説から紀元前2世紀、なんと地球の円周を約4万2千キロと算出した。この値は現代の数値とかなり近いものである。

 この、「天動説か」「地動説か」で常に揉める原因となるのが「逆行」。

 「逆行」とは、実はかなり単純な現象なのである。要は各惑星が太陽の周囲を公転する速度に違いがあるので、地球のほうが相手を追い越したり、相手のほうが地球を追い越したりしているだけなのだ。

 二台の車を連想しよう。赤い車はあなたが運転していて、青い車はあなたの友達が運転していて、二人で海までドライブ中だった。片側三車線ある高速だ。あなたは直進用の車線を走っていたが、友人は急に追い越し車線を走り始め、あなたの車に迫ってくる。

 このとき、あなたの赤い車と、相手の青い車が同じスピードで並んだら、あなたの眼には青い車が一瞬止まって見えるだろう。これを惑星に置き換えたときが「留」という現象だ。天の1点で急に惑星が止まったように見えるが、もちろん止まってなどいない。単に瞬間的に、地球と相手の惑星が「並走状態」になっているだけである。

 やがて、青い車の友人がさらにアクセルを踏めば、青い車はあなたの赤い車を追い抜ていくだろう。ただし、これは地球上からは見られない。なぜなら、地球で逆行を観測するときは、「並走」→「追い越される」ではなく、「並走」→「周回遅れになる」ということだからだ。

 つまり、青い車は実は、あなたと並走しているのではなく、実はカーブを曲がっていたのである。青い車の友人は急に進路を変えてカーブを曲がっていってしまった。ものすごーーーーーく長いカーブだ。

 このとき、あなたの眼には、青い車がはやり1点で止まったように見える。ただ、車体はどんどん小さくなってゆくから、遠ざかっているのはあなたにわかる。しかし、惑星同士で考えると、惑星は最初から小さな点であるため、遠ざかっているようには見えない。やがてカーブを曲がり切り二周目のラウンドに入った地球内惑星は、地球人の我々から見ると「あれ?? 逆向きに走り始めたぞ?」という感じに見える。つまり、西から東へ向けて運動していた惑星が、急に東から西向きに動き始めるのだ。そして、しばらくそう見えると再び一点に止まり、またいつもの方向(西から東)へ動き始める。今度は反対のカーブを曲がり、再びもとの位置に戻ってきているのだ。

 これが地球から内惑星を見た時の「逆行」だ。運動場のトラックと同じで、何か楕円を周回するとき、カーブは二か所にできる。だから地球と公転周期の近い金星の留~逆行現象は年に2~3回、水星も年に3~4回起こる。

 外惑星(木星・土星・天王星・海王星・冥王星)の逆行は、今度は逆で、あなたのほうが友人の青い車を追い越しているのだ。だから、外惑星の「逆行」現象は、年に1回しか起こらない。地球の公転1回のうち、1回地球が追い越してゆくのである。

 しかし――。問題は「火星」なのだった。火星の逆行現象だけは、長年、何世紀も何世紀も、天文学者たちにとって悩みの種だった。

 なぜなら、火星の逆行は、1年に1回起こらないのである。

 周期が不規則で、なぜ火星の逆行だけ1年に1回でないのか、ケプラーも苦しみティコ・ブラーエも苦しんだ。中世、心ある学者や修道士たちは、皆、天動説に限界が来ていることはわかっていたのである。ただ、火星の逆行周期と、逆行の様子だけがうまく説明できなかった。火星の逆行サイクルと逆行現象「さえ」打ち倒すことができれば、教会も地動説を認めるはずだ。天文学者たちのまなざしは「火星」に注がれ続けてきたのである。

 意外と、占星術における火星の「意味付け」は、こういうところから来ている部分もあるのかも知れない。ただでさえ、赤く禍々しい色であるのだが、逆行の起こり方が神出鬼没。そして光度を不規則にどんどん変えてゆく。火星だけが地動説移行のための「キー」だったのだ。火星よ、教会の横暴から世界を救うために力を貸してくれ! その神秘を天文学者たちに明け渡してくれ! 火星さえ倒せれば!! 何世代も、天文学者たちの恨みの念が火星に向けられたはずだ。それで火星は「トリッキー」「知能犯」という意味になったのかもしれない。実際火星と水星は犯罪者の守護者である。占星術的に。

 さらに、厄介なことに、火星は逆行するとき「カールを描く」のである。

 いや――、「カール」というと大げさか。 

 実際には反転させた「Z」の文字を描くようなジグザグ運動なのだが、これは天動説では「くるりんカール」として説明されている。ジェットコースターで、1回転するヤツがあるが、あのカールというか、「くるりん」と回る軌道を連想してもらいたい。火星は逆行のとき、夜空にそういう軌道を描くのだ(※ちなみに水星や金星、他の外惑星もそういう見かけの運動をする)。

 その「くるりんカーブ」で軌道計算すると、観測結果とよく一致するのである。だから古代の天文学者たちはみな、惑星はジェットコースターのような、「くるりんカーブ軌道」を周期的に描きながら不動である地球の周りを回っている、と考えていたのだ。しかし、その他の、地球と月の朔望サイクルとか、日・月食周期や、星食などの天文現象は、地動説にしなければ説明ができなかった。

 だが困ったことに、深い階層の占星術者(=天文学者)たちにとって、長いことバイブルだったプトレマイオスの「アルマゲスト」では、この「くるりんカーブ」の不思議な軌道でもって、惑星の逆行現象を幾何学的に説明してしまっていた。しかもそれが観測結果とかなり一致していたのだからたまらない。この「ジグザグカーブ」を「くるりんカーブ」ではなく、追い越し現象として地動説でも上手く説明することさえできれば、他の観測結果はみな地動説を支持しているのだから、完全に「アルマゲスト」の天動説を打ち倒すことができると、心ある天文学者たちは熱意を燃やしていたのである。

 酒井は京都大学理学部教授の、薮内清先生が終戦後間もなくフランス語の底本から訳出された「アルマゲスト」を持っていて、少しずつ勉強しているが、まさしく「逆行」をプトレマイオスが、ジェットコースターを連想させるような「重なる二つの円」で幾何学的に説明しているのを読んだ。つまり、なまじっかプトレマイオスが幾何学として見事に、逆行の「ジグザグ運動」を「くるりんカーブ運動」として説明してしまっていたがために、地動説の導入が遅れてしまったのである。

 さらに中世は、カトリック総本山のローマ教皇が、諸公・諸王よりも権力を持ってしまって、教会のメンツをつぶした学者は全員異端審問にかけられ、火あぶりに処されていた。なぜなら、教会では、天文学と占星術のバイブルであったプトレマイオスの「アルマゲスト」を容認していて、そちらのほうにお墨付きを与えていたからである。地動説を唱えることは命の危険につながることだったのだ。実際、ジョルダーノ・ブルーノという敬虔な修道士であり、博物学者だった人が、地動説を支持したために火あぶりで処刑されたし、ガリレオも異端審問にかけられている。コペルニクスは自身が教会の神父だったが、やはり地動説を唱えて教会ににらまれることを恐れて、地動説について思うところを述べた「天体の回転について」という本は、彼の死後に出版されている。すべてはプトレマイオスの「アルマゲスト」を突き崩したい一心だったのだ。

 ただし、火星の逆行が起る周期だけが、なぜ、内惑星型でもなく、外惑星型のように年に1回でもなく、このようにトリッキーなのか、は、さすがのプトレマイオスも答えることはできなかった。

 そこで、17世紀デンマークが産んだ天才観測家、ティコ・ブラーエなのである。実はティコが天文学を志したのは、当時流布していた「占星暦」が、あまりにも観測とかけ離れていることにティコが腹を立てたからだと言われている。

 それで、貴族の息子で裕福だったティコは、財産をかなりつぎ込んで観測方法や観測技術の研究をし、1.5ミリ間隔に刻んだ巨大な六分儀を作り、火星の詳細なデータを取ったのである。

 それを後年、占星術師にして数学者でもあり、天文学者でもあり、プロテスタントの敬虔な信者でもあったケプラーが、8年の歳月を費やし計算して、火星の公転軌道が実は真円ではなく「楕円」であり、長半径と短半径の比が他の惑星の公転軌道とくらべてだいぶ大きいこと、軌道の中心は太陽ではないことを発見した。ケプラーの第二法則である。

 ここから、第三法則が導かれ、ついに天動説はとどめを刺された。ケプラーとティコ・ブラーエの研究を受け継いだのがニュートンである。万有引力は、この二人の天才がいなければ生まれてこなかった。

 

 …というのが、「逆行」。占星術者も、こういうことをちゃんと知って欲しいと思うのだ。逆行で運勢がああだ、こうだよりも、逆行現象をめぐって2千年以上も考え続けてきた先人たちのドラマのほうが何十倍も素晴らしく、面白い!!と思うのである。

 ちなみに占星術では、逆行を特に重視しない占星術家も欧米にはたくさんいる。いつもの水星の意味と変わらない扱いである。影響期間が少し「長引く」という程度の解釈にとどめておくのが、占星術として逆行を扱うときの理性的な範囲ではないかと思うし、酒井はその程度の解釈にとどめるようにしている。

 ただし、逆行が同じ度数で長々と続くようなとき、その度数に出生の惑星を持っていたり、その度数にオポジションやスクエアやトラインなど、メジャーアスペクトを持っている人は、重大な人生上の変化を経験しやすいと言えるかもしれない。

 

 参考にしてもらえれば幸いだ。

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