生命も吉凶も、すべては「トーラス」。

 よう! 俺だ。みんな元気か? 

 え? 誰だって? 酒井日香の占星術小説「VICE-ヴァイス—孤独な予言者」の主人公、占星術賭博をやっている占星術師の郷原悟だよ。覚えといてくれ。

 今日は、悩んで悩んで、悩みから抜けきれないお前らのために、この天才占星術師の郷原さまが、ありがたい記事を書いてやったぞ。これで少しでも気がラクになったら幸いだ。まぁ、そういう俺も悩みだらけだけどな。

 

 というわけで、突然だが「トーラス構造」という不思議な形があるんだ。みんな知ってるか? 下の図のような形だ。ドーナツのようだが、中心に空洞、または芯、があって、そこから外側へ向けて力が流れ、表面を通ってまた内側に戻るような構造や、あるいは中心からスパイラル状に動いていくような構造をすべてひくるめて「トーラス構造」と言うぞ。☟   ☟   ☟

Torus. Object with lines and dots. Molecular grid. Technology style with particle. Vector illustration. Futuristic connection structure for chemistry and science.

 この「トーラス構造」……。

 実は、自然界の基本のかたちであると言われているんだ。

 かのレオナルド・ダヴィンチは、渦の力――、すなわち「トーラス構造」こそが、浮力を産むと考え、トーラス構造状のプロペラのついた飛行船を考えたり、水が逆巻く波や渦を何枚もスケッチしたりしている。波もトーラスだし渦もトーラスだ。竜巻・渦潮・地球の磁力線・銀河・星間ガス・太陽系ももちろん太陽を中心としたトーラスだし、ブラックホールもトーラス。時計の回転もトーラスなら、電磁調理器の磁力もトーラス構造状に流れていて鍋を温める。

 いや――。そればかりじゃない。実は俺たち人間もトーラス構造をしているぞ。人間の「芯」は脊柱と脳だ。そこを中心に筋肉がつき、手足がついている。ミクロに目を向ければ俺たちの体の設計図「DNA」も、らせん状のトーラス構造だ。犬も猫も、リンゴやオレンジも、葉っぱも、「中心・芯」があってそこから外側に伸びてゆく流れ、構造が伴う。無限に続く運動――、つまり、「エネルギー効率が非常に高いもの」ほどトーラス構造で出来ている。生物は生きている限り、莫大なエネルギーを生み出し続けている。しかも、全自動でだ。ということは、生物の身体や生命エネルギーも、すべて「トーラス構造」でなければならないということだ。この形こそ無限のエネルギーの根源なんだ。

 イラストだと「ドーナツ」のようにしか見えないので、ユーチューブ動画でぜひ「トーラス構造」と検索してみて欲しい。動画で見た方がイメージが掴みやすいはずだ。

 さて、実は占いのシンボルも、あちこちにこの「トーラス構造」の暗号があるぞ。

 

 たとえば、タロットカードのシンボリズムだと、1番魔術師とか、8番力、に描かれているインフィニティマークや、10番運命の輪、コインの2に描かれた波、節制のカードの二つの杯など、他にもたくさんあるがすべてトーラス構造の暗号だ。

 

 俺の産みの親、酒井が考案した「超次元占星術」もトーラス構造をしている。ホロスコープで使う「ハウス」も、まさにトーラス構造だ。そして、占いのシンボリズムの中でもっとも有名なトーラス構造であるものは――。そう……。韓国の国旗の中央にも描かれている、易の根本である「太極図」だ。

 太極図は、白い方が陽・黒いほうが陰。わかりやすいな。

 そしてまさに「渦」をシンボライズしていることがわかる。エネルギーを産もうとする力だ。次々と陽が陰を押し、陰が陽を押して無限のスパイラルを産んでいくんだ。

 だが、もう少し太極図を見て欲しいのだが、太極図は陰陽だけではなく、よく見ると陽の中にすでに小さな陰が、陰の中にすでに小さな陽が生まれている。わかるかな??

 俺は最近、生命とは何かとか、生まれてきたとは何かとか、生きるって何かとか、そんな取り留めもないことを考えるにつれ、すべては「トーラス構造」だと感じることが多くなった。

 つまり、あんたが今、心痛で疲れ果てて、明日に希望も何も感じられなかったとしても、陰が極まったときすでに陽が生まれている――、いいや、陰しかないように見えて、いつでも小さな陽があり、勢力を盛り返そうと常に伺っているということだ。真の暗闇など宇宙のどこにもない、ということだ。

 また、逆に言えば、どんなに栄耀栄華の最中であっても、常に陰はあり、盛り返そうと伺っている。この宇宙のどこにも、100%の善とか、正義とか、幸福、成功なんてものはありはしない。同様に、この宇宙のどこにも、100%の地獄とか、苦しみとか、辛さ、痛さ、恐れなどはないということだ。

 

 考えてみればこれは、生物の身体構造だけでなく、俺たちの心の働きにもピタリと合う考え方ではないだろうか。だとするならば究極の話、我々の人生は「我々の人生だけではない」ということだ。前世なのか来世なのかはわからないが、すでにこうしている間も、「次の生」がすでに俺たちの日々の中にある、ともに来世や過去世とすでに暮らしているということだ。そうして無限に生命の連鎖が続いていくということを、太極図から読み取ることができる。

 そう考えるとどうだい。あんたの悩みなんか、どうでもいいことに思えるだろう? 失敗したっていいんだ。常に次はもう用意されている。なんなら、夢半ばで死んだって大したことはねぇ。もう今すでに、来世の「芽」が生まれているんだからな。安心して死んで、また戻ってこればいい。最終的には「生まれてこないように自ら生命を卒業する」のが究極のようだけれど、それだって自分がその気になるまでは、好きなだけ生命の輪廻の中で遊べばいいのだから、失敗など大したことではないね。死でさえ、世間がぎゃあぎゃあいうほど大したことじゃねぇ。俺はそう思っている。まぁ、こんな話をだれかさんにすると、本気で心配されるので、俺は黙っているけどね。

 生死も、それほど大したことじゃない。そう思えたとき、ほとんどの「悩み」はどうでもよくなるだろう。悩みの究極、本当の問題は「生きていること」だ。俺はそう思う。俺自身も、この「生きていることへの悩み」と、どう向き合っていくのだろうか。自分でもわからないが、あんたらもまぁ、がんばってくれよな!

 

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