第三話 CHAPTERⅠ、詐欺(2)

「本当か?」

「ああ。これならたぶん、ハメるのはわけない。簡単にすっ転ぶだろう」

「具体的には、どうしたら……?」

 川嶋は、思わず身を乗り出していた。

「そうだな……。この息子は、医者なんだろう?」

「ああ。今は杉の木坂総合病院で勤務医をしている。産婦人科のな」

「それなら、開業資金を貸し付けてやればいいさ」

 郷原は、眼鏡を左手の中指で、鼻骨のほうへと押し戻しながら言った。その目は鋭く光り、感情のない酷薄さをたたえていた。

「開業資金か……」

 川嶋は、膝の間で手を組み、思案を巡らせた。

「そう……。勤務医なんてぇのは、キツい仕事のうえに、賃金も安い。だからほとんどのヤツは、自分の病院を経営したいという欲があるはず……。その欲を、あおってやればいい」

「しかし、うちはノンバンクだぞ?ノンバンクのバカ高い金利で開業資金なんか、借りるかなぁ」

「やだなぁ、川嶋さん……。地上げ、成功させたいんでしょ? 担保たんぽを手放させて、身包みがすには、このビルの評価額の最低3倍は貸し込まねぇと、すぐには倒れないよ。だから最初は、建て替えのための融資話を持ちかけて信用させてから、さらに息子の開業にかこつけて、もっと借りさせればいい。そうすると、星の言うことには、そのあともっと大きなカタストロフィーが起って、山本は簡単にお終いになると、そう、告げている……」

「ほ、本当か?!」

 川嶋は、思わず身を乗り出していた。それを見て、薄い口角を上げる郷原だった。

「今まで、俺の占いが外れたことあった? そうだな……。まずは浜崎を営業に行かせてみなよ。あんな、元半グレがバレバレの、ガラの悪い茶髪兄ちゃんが、寺本組の代紋だいもんが入った名刺持って、建て替え資金のご入用はありませんかって現れたら、フツーは、狙われてると思ってビビる。そこがむしろ、俺たちの付け入るスキだ……」

「どういうことだ……?」

「つまりだな、人間ってぇのは、まず不安を与えてやればいいのさ。不安を与え、心に澱みを残してやる……。不安を与えると、人は、その不安を払拭してくれる権威を求めるものだ。けなして、罵倒して、不安感を煽るだけ煽ってから、最後に誉める。安心させる。できるだけ権威的にな。データや論理、ネームバリューで装った権威で、いつわりの安心を与えてやる。そうすると、バカみてぇに信じきって、人は洗脳されてゆく……。占い師とは、そうやって客をハメるものだと、俺は叩き込まれてきた」

 郷原は立ち上がって、川嶋に背を向けると、南東に面した窓のブラインドを指で押し広げた。そのスラリと均整の取れた背中を、川嶋は見つめた。

「……わからない?」

 郷原が振り返って、川嶋を見下ろしていた。その瞳の奥が、俺は馬鹿は嫌いだと、愚鈍な川嶋を見下すような光を帯びているのが、川嶋には気に入らなかった。

「つまり、平安ファイナンスが、お宅を狙っているんだと、さんざ営業かけて不安感を煽る……。系列金融にも情報を流して、あおりに加わらせる。あちこちから危険な融資話がやってきて、感覚を狂わせたら、ここで東京日の出銀行という、権威の出番だ」

 ペットボトルのふたを閉めながら川嶋は、眼を丸くして郷原を見た。

「東京日の出銀行……?」

「そう。日の出さんとウチは仲良しでしょ?ノンバンクに怯えた山本のところに、きちんとしたサラリーマンの、日の出銀行の社員を派遣するんだ。そして、日の出銀行もお宅に、融資したいんだと持ちかけてやれば、ノンバンクから借りるよりはずーっといいと考えて、安心して飛びつくはず……。日の出から借りてしまえば、しつこい勧誘も追い払う口実が出来る。その後、日の出銀行が、息子の開業資金も用意してやる。そのカネは裏で、ウチが貸してやったっていい。要は、東京日の出銀行の皮を被った、平安ファイナンスを仕立てるのさ」

 郷原は、胸元まで大きくはだけたシャツのボタンを、留めることもないまま、テーブルの上のジャック・ダニエルを、2つ用意したグラスに注ぐと、今飲んでいたミネラルウォーターを足して水割りを作った。妙に手馴れた仕草で、その一方を川嶋に手渡した。

 厳然としたタテ社会であるヤクザ業界では、本来、兄貴分の前で、こんな態度は許されないのだが、それが黙認されてしまうほど、川嶋は郷原に頼りきっていた。寺本組の本部にもそういう噂が聞こえていて、最近は、川嶋ではなく、その弟分の郷原悟を、組幹部に推そうといい出す者もいるほどだった。

 郷原は、美味そうに濃い水割りを飲み干して、笑って見せた。

「ククク……。転ぶさ一発で……。星が、俺に告げている。借金さえさせてしまえば、あとは俺たちが手を下さなくても、面白いように転落する運命だと。たぶん山本亮一にはもっと、致命的なことが起るはず。それが何かはわからないが、恐らく致命的な事件、事故……。思いがけない伏兵……。今にわかるさ、今にな」

 そういって、酷薄な笑みを浮かべる郷原悟を、川嶋は、腑に落ちない顔で見つめていた。

 

 

**

 その8ヶ月後、東京日の出銀行が、山本の当座預金から持ち出された、ビルの建替修繕費、亮一の開業費など諸々の経費を繰り越した直後、なんと山本亮一は、とある医療機器メーカー社長を名乗る男に、開業準備金のうちの5千万をだまし取られてしまったのである。

(ご……、郷原の言った通りだ……!!)

 川嶋は、愕然がくせんとした。しかも、郷原が予告していた通りのタイミングで、このことが明るみに出たのだった。

 天才占い師――。背筋が、凍りつくほどだ――。

 川嶋はこの情報を、自社のデスクで聞いたとき、鳥肌が立っていた。

 そこからの展開は、まさにジェットコースター。手元に置いてあった現金5千万を騙し取られると、すでに着工に取り掛かっていた建て替え工事と、開業のための内装工事などの買掛金支払いが、山本敏夫と、息子の亮一に襲い掛かってきた。支払いのカネの工面に、朝から晩まで追われる山本親子だった。

 とうとう、あんなに、ノンバンクだといって馬鹿にした浜崎慎吾の元へ、山本敏夫から連絡が来たのであった。

「お願いだ浜崎さん!! な、なんとか、息子の病院がオープンして、軌道に乗るまで、つなぎの運転資金だけでも、融資してくれないだろうか……。病院がオープンしたら、必ず返せるお金だ……。頼む……! 他の金融機関に行って、息子の恥をさらすようなことはできんのだ、事情を知っている平安さんだから、頼むんだよ!!」

 そういって、まだ25、6の若造の足元に額を擦りつける、背中の曲がり始めた山本敏夫だった。

 浜崎は内心、罵倒ばとうしてやりたい気持ちで一杯だったが、顔じゅうで笑顔を作り、精一杯優しく応対してやった。それはお困りでしょう、わかりました、ウチでなんとかしましょう、と。

 山本敏夫が平安ファイナンスから借りたのは、全部で600万円である。その600万円のために振り出した手形が、今日、落ちないのを確認したのだ。明日になれば手形交換所から、手形が決済されなかった情報が、ほとんどの金融機関に知れ渡る。

 だから、明日になれば、山本敏夫のところにも、その息子の山本自身にも、ノンバンク――、そういうと聞こえはいいが要はサラ金――の、死肉に群がるハイエナどもが、一斉に牙をいて襲い掛かってくるはずだ。

 川嶋は眼を細めて、アイスコーヒーをひと口飲むと、夢中で煙を吸い込んで、苛立っている山本亮一医師を眺めた。そして、再び切り出すのであった。

「それで、けっきょく今、どこに、いくら借金があるのですか。黙っていても始まりませんよ、山本先生。正直に話してください」

「う……。そ、それは……」

「まぁ、いいですけどね……。言いたくないのなら。しかし、あなたは誤解しているようだ。むしろ我々は、あなたを救ってあげたいと、そう、思っているのですよ……?」

「え………?」

 優しい川嶋の言葉の裏に、どす黒い罠が潜んでいるとも知らず、山本は少しの光明に青ざめた面を上げた。川嶋は、再びタバコに火をつけて言葉を続けた。

「あなたは、誤解していらっしゃるようだ……。明日の朝になれば、あなたの不渡り情報は、すべての金融機関に知れ渡る。明日になれば、ヤクザやごろつきどもが、大挙して押しかけてくるでしょう。もう、自宅には帰れませんよ。言っておきますけどね」

「そ、そんな……!!」

「あなた、お坊ちゃんだから知らないでしょうけど、取り立てなんかに来る連中はみんな、暴力団の息の者ですよ。上場企業だからと舐めてかかったら、とんでもない。耐えられなくてそのまま首を吊った人を、私は何人も見てきています。私はそこが心配で、見ていられなかったから、こうしてわざわざ、喫茶店にお連れして差し上げたんですよ? 事務所じゃあ緊張して、頭が働かないと思ったからね。本当に私のところで一番最初に不渡りを出したことを、感謝してもらいたいくらいです。こんな親切な金融屋は、そうそうないですよ」

 そういって川嶋は、ついノリ過ぎて、今のはオーバートークになったなと思った。いくらこちらの術中にハマっている男だとはいえ、あまり誇張した表現を用いると、かえって警戒心を引き出してしまうから、注意しなければならない。

「では、りょ、両親は……? 両親は、どうしたらいいんです?!」

「そうですねぇ……。普通の人が、取り立て屋を追っ払えるはず、ないでしょうねぇ。なにせ連中は、恐いものなしのヤクザですから。一応今夜は、うちの若いのがご両親の身辺を守ってあげる予定ですが、それもいつまでもというわけには行かないでしょう。どこかへ、身を隠させてあげないとね」

「し、しかし、身を隠すといっても、どこへ……?」

 そう山本が言いかけたとき、川嶋の携帯電話が鳴り出した。

「おう俺だ。なに? 本当かそれは……。うむ……。わかった」

 携帯電話を切った川嶋は、そのまま、山本を上目遣いに見た。

「今、さっそく取り立て屋が一組、やってきたそうです。うちの若いのが2、3発殴られたそうですが、ご両親には手を触れさせなかったと。もう時間がない……。急いで、引っ越させましょう」

「ど、どこへ……?」

「そうですね……。さすがにご両親は負債者だ。豪華3LDKマンションというわけには行きません。私の知り合いが、伊豆で国民宿舎を経営しているのですが、そこで調理場の手伝いを探しています。そこの寮に入れてもらえるよう、掛け合ってあげましょう。6畳一間で隙間風も吹くし、朝は毎日3時に起きて、浴場掃除やら飯焚きやらしないとなりませんが、路上生活者になるよりはマシでしょう。お年よりには残念ながら、そんな仕事しか無いのでね」

「そ……! そんな……!!」

 山本はやおら、尻を椅子から落とすと、ここが普通の喫茶店であることも忘れ、床の上に突っ伏した。

「お、お願いです! 母はリウマチもひどいんです! 父だって心臓病が……。そんな暮らしはとても耐えられない! 僕が、どんなことをしてでもお金返します!だからあのまま、住み慣れた家に住めるようにしてあげてください……! こ、この通り……!!」

 山本は、突っ伏して泣いていた。ボロボロと涙を流していた。

 カウンター席にひとりだけいた、文庫本を読んでいた男性客がぎょっとして、山本と川嶋のほうを見ていた。マスターは、何のリアクションもない。

「じゃあ、診断書でも書きますか? それとも、保険屋をだまくらかして、当座のカネを作る……? 自分が、逮捕されて、人生を台無しにするのと引き換えに……」

 川嶋は、突っ伏している山本の前に、しゃがみ込んだ。山本は閻魔えんま大王に怯える亡者のように、震えて、顔を上げることができない。

 川嶋は、本当に閻魔のような形相を浮かべると、急にドスの効いた声を出した。ヤクザの、寺本組若頭の、残忍なカネ貸しの本性が、真っ黒いとぐろを巻いて、山本を飲み込んでゆく。

「なんとか言いなさいよ、山本さん……。アレはダメ、これもダメで、そのくせ、お願いだけは一人前ですかぁ……? これ以上、私の善意を踏みにじらないでくださいよ……。ねぇ……」

 さきほどからこちらを気にしていたカウンターのビジネスマンは、そっと文庫本を畳むと、こっそり千円札をカウンターに残して店を出ていった。マスターは眼を伏せたまま、トレイを磨いていた。

 山本はひたすら目を閉じ、祈るだけだった。これは夢だと、自分に言い聞かせるように――。

「仕方がない……。これでは話にならない。うちの顧問に会ってもらいましょうか。顧問なら、もっと何か、いいアイディアを出してくれるかも知れない」

 川嶋は、そういって、大きな体を立て直すと、後ろを向き、自分の携帯電話を取り出して、どこかへ電話を掛け始めた。山本から2、3歩離れて、携帯電話を耳に押し当てた。

 なにやら、少し親しげに話している声が、床の模様を間近で見つめている山本の耳に入ってきた。その声が気になって、山本は、泣き顔を上げて川嶋の背中を見た。そして、聞こえてきた会話――。

「本人が今、ここにいる……。これからお前のところに連れて行こうと思うが、構わないか?」

 一呼吸おいて、川嶋がさらに続けた。

「わかった。それじゃあ今から行くからな。用意しておいてくれ」

 電話を切り、山本のほうを振り返る。

「さぁ……。いいですよ山本先生。今から、うちの顧問が会ってくれるそうです。顧問なら、あなたに救いの手を差し伸べられるかも知れない。なにせ、うちの顧問はただ者ではないのでね。人の心を、未来を、自在に読める男だ」

「あ……、あぅぅ……」

 そう言って、乾いた笑みを浮かべる川嶋貢を、山本亮一は、涙に汚れた顔でただ、見つめるしか出来なかった。

 

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