CHAPTER7、逃走(3)

 側で聞いていた英国人神父は、その話を聞いたとたん「Really?!」と言って、真顔で「それは本当か??」と、岸本に迫るから、岸本ははぁ……、と頷いて、少年刑務所で同じ部屋だった少年のことを話してやった。

 すると神父は興奮して、すぐにどこかへ電話をかけにいった。

 さらにそんな噂は、あっという間に広まるのか、なぜだかソマリア沖の海底天然ガス鉱を掘削している日本の商社マンが、外務省関係者だという小太りの、黒縁メガネのずんぐりした男を連れてきた。

 聞けば彼は、宗教学者で、日本の出雲王朝について研究している人物だと――。

 その男に、猊下と呼ばれた少年の、今の居所を知らないかと何度も尋ねられた。

 そんなもの、知るわけはない。戸惑っていると「日本に帰ったらぜひ、元同囚だった少年を調べてみて欲しい」と言われた。日本での生活や安全なら、精一杯守れるよう努力するし、警察や検察にも、不正出国と旅券法違反のことについてなら、考慮するよう説得するからと――。

 確かに、もう日本に帰りたかったし、現地で産ませた自分の子どものことを考えるなら、きちんと日本に帰国して、立ち直り、妻子を日本に呼び寄せるか、あるいは、日本とソマリアをつなぐ仕事をしたほうがいいに決まっている。

 岸本は、外務省関係者だという、黒縁メガネの小太りに、すべてをゆだねることにしたのだが――。

 しかし、役所を説得し、岸本を日本へ移送させ、司法当局の誤解を解いていくためには、かなりの労力がかかるらしく――。

 外務省関係者を名乗った男からの連絡は、なかなかやってはこなかった。

 その代わりにやってきたのは、ウィオスの本部長クリシュナ……。

 どうせ無政府状態のこの国……。現地の取調官がいつ来るかもわからない……。日本でお前が受け入れられるという話も、役人がよく用いる嘘だ。騙されるなと言った。それよりも、極秘で日本に戻り、ソマリアのために重要な仕事をしろと……。

「あなた、ソマリ人の少女を、ゲリラと一緒に暴行しましたね?」

 クリシュナの言葉に岸本は固まった。つい、いたずら半分……。年端も行かぬ少女たちを、カエルにイタズラでもするように、からかって草むらで強姦した。

「あ……!! あれは、仕方がなかったのです!! ああすることが、ゲリラの仲間に入れてもらうための通過儀礼だったのですから!!」

「……結果、少女たちはどうなりました?」

「……そ、それは……」

 岸本は、口ごもった。一人の少女はそれが元で自殺をし、一人は肌の白い子どもを産み、一人は親の怒りと恥で葬られてしまった。自分の子どもを産んだ娘に関しては、岸本は、きちんと責任を取ろうと覚悟をしてはいたが――。

「イスラム教徒の彼女たちにとって、純潔を犯されることは、何よりの侮辱でした。あなたは、ソマリアを救いに来たのか? それとも、汚しに来たのか? ここで償いたいとは思いませんか……」

「う、うう……っ……」

 頭を抱えて、自分のしたことを恥じる岸本に、ウィオスの極東部長クリシュナは囁いた。

「日本に戻りなさい。岸本」

「………!!」

「あなたの昔の仲間、郷原悟を調べるのです……。その居場所と、彼が本当に出雲王朝の、行方不明の皇太子なのかどうか調べて欲しい。そして、日本の過激派に協力しなさい。彼らは、新しい日本の救国軍……。物欲に狂った先進国病の日本人を、目覚めさせる革命の志士……。彼らに協力すると誓うのなら……」

「……そうすれば、私の息子や妻のいる村を壊滅させようとしている暫定政府軍を、本当に止めてくれるのですか……?」

 岸本が問いかけると、クリシュナはええ、と、頷いた。

「内戦など、所詮はカネでどうにでもなる問題です。ヤツらは軍隊を気取ってはいるが、その実はただの強盗と同じだ。武力にかこつけてカネを出せと、外国人や商人を襲うだけの連中……。取り締まる政府軍だって同じ……。あなたに5万ドル貸しましょう岸本……。そのカネを政府軍大佐、オヨノドという男に渡しさえすれば、あなたの妻子や仲間たちのいるゲリラ村は、ゲリラ掃討作戦からは外してもらえるはず……」

「………………」

「ソマリア暫定政府の連中は、ロシアや中国といった国々と、天然資源開発をしようと企んでいる……。日本の現政権もソマリアの天然資源に関しては関心が薄い。日本の総理大臣を、もっとエネルギー問題に積極的な人間にチェンジしなければ……。そして、日本の古い王朝を再興させ、海外から日本へ働きかけなければ……。郷原に近づき、日本のゲリラたちに協力しなさい岸本。私の言う通りに……」

「………………」

「そうすれば住居も、生活費も、ソマリアの仲間たちも守りましょう。日本の外交官などが約束する将来より、このウィオスにくみするほうが、金銭的には有利……。我々に協力するというのなら、日本のゲリラの幹部待遇で……。月に130ドルの給与を支払いましょう。悪い話ではないと思いますがね、フフ……」

 悩んだ末、日本の外務省職員だと名乗った男に手紙を書いた。すぐにクリシュナの魔手にかかるなと、引き留める返事が来たが、それにしては何をやっているのか、日本から自分を助けにくる動きがまったくない。そうこうしているうちに貨物船に乗せられ、日本近海からボートに乗せられて、原発事故で人がいない無人の港に上陸し……。

 そうして俺は、戻ってきた……。それから、新自由革新党の江川夏実に会い……。気が付けば兵器製造要員に……。

「江川は、見た目は整った女だが、心は恐ろしい化け物……。ヒステリックで、サディストだ。あのとき、俺を日本で受け入れると約束してくれた外交官……。確か、宮下広夢みやしたひろむさんと言ったか……。あのまま、もう少し現地で待つことが出来ていたら、こんなことにはならなかったのかな……」

 ちがう――。
 岸本は、あかりを抱いたまま唇を噛んだ。

 ちがう――。心の底にあったおりのようなもの――。それを確かめるため、クリシュナの仲間になったふりをしただけ――。ヤツらは、あの灼熱の砂漠でいったい何をしようとしていた? あの戦いは、いったい何のための戦いだった?

 その結果岸本は見た。見てしまったのだ。もう、どうにもならない事実を――。

 自問しているうちに、腕の中のあかりが、ずしりと重たくなった。意識が飛び、さらに脳の活動が低下すると起きる現象だ。岸本は何度も経験した重み……。死ぬ手前の脱力――。

「……おい、寝るなってば!! 寝たら死ぬぞッ!! 死ぬなッ!!!」

 岸本が揺すっても、叩いても、あかりは起きない。岸本は、ふぅっとため息を吐いた。

「………………」

 ずっと抱きしめていると、なんだか情が移ってしまう……。自分も疲れ果てた。しんと静まり返った、誰もいない、真夜中の公衆トイレ――。なんとなく、あかりに頬を寄せ、しっかり抱きしめていた。自分も、眠くなる――。

(このまま、この女とここで死ぬ――? それも、運命か……。どうせこの地球ぜんぶが狂った世界……。もう、悲惨なものも、恐ろしいものも、見なくて済むのなら……)

 この女を抱いたまま、ここで果てるのもいい――。

 岸本が、あかりに頬を寄せて、うつらうつらし始めると、遠くからエンジンの爆音が聞こえてきた。

 スポーツカーの音……。この峠道でドリフトするためにやってきた、ドリフト族だろうに……。どうせ助けてくれっこない……。叫ぶのも無駄だ……。

「……さん……」

 ふと、あかりが眼を開けた。

「ご……、さん……」

 つられて眼を覚ました岸本。静寂を切り裂いて、こちらに迫ってくる爆音に、耳を澄ませた。

「……近づいてくる……!! ま、まさかッ!!」

 岸本は、あかりをトイレの便器のフタに座らせると、思わず公衆便所の外に出て、周囲を見回した。

 峠の下のほう――。眩しいヘッドライトをギラつかせ、驀進ばくしんしてくるスポーツカー……。

 あれは――。

「ラ、ランボルギーニッ!! 郷原かっ?!」

 確か、ヤツの車だったはず――。間違いない――!!

 思わず展望台の駐車場から飛び出し、ジャンパーを脱ぐと、岸本はフラッグみたいに振った。

「ここだッ!! ここだ郷原ッ!! おおいッ!!!」

 スポーツカーはすぐに岸本に気が付いて、展望台の駐車場に駆け込むと急停止した。ガルウィングから降りた郷原は岸本には眼もくれず、北山あかりを探した。

「北山ッ!! どこだ北山ッ!!」

 遅れて岸本が郷原を追ってくると、郷原は、半開きにされた公衆トイレで気を失っている血だらけのあかりを見つけていた。

「おいっ!! 北山ッ!! 北山、しっかりしろッ!! すぐに医者へ連れていくからなッ!!」

 郷原はあかりを抱き上げると、すぐにランボルギーニの助手席に座らせた。岸本正巳が、駆け寄ってきた。

「……よく見つけてくれた郷原っ……!!」

 運転席の郷原はしかし、全身から黒い瘴気を立ち昇らせていた。うかつに接近したらかみ殺されてしまいそう……。

 無理もない……。こんなことの発端を作ったのは、自分なのだから……。

「事情は、ちゃんと説明するっ!! とにかくその子を病院へ……!!」

 岸本はそういうと、無理やり2シートのランボルギーニの助手席に、自分もすべり込んだ。郷原は無言でアクセルを踏んだ。

 

 

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