第十話 CHAPTER3、調査(3)

  郷原の耳に、かつて占い師の騙しの手口を叩き込んでくれた老人の声が響く。

(いいか郷原。人間の真実はたった一つ……。欲だ。人は誰もがみにくい、欲望という名の汚物を抱えている。神秘など信じるな……。人間の醜い欲だけを信じろ……。けっして、まっさらな気持ちで星など読んではならん。人間とはすべからく醜いものだとまず100%、決め付けて、その上で星を読むのだ。それでこそ、人の裏側が見えてくる……)

 そう、爺さんの言う通りさ……。人間のたった一つの普遍的真実……。それは欲だ。カネが欲しい、人より有利になりたいという欲。欲――。池田は元役人、近藤は製薬会社、そしてそれを結ぶ可能性のある政治家――。

 一瞬、脳裏にフラッシュが走った。

(あ――!! そうだ、こう考えてみたら――?? 時雨製薬、厚生省、政治家、この三つを、利権という欲望で透かしてみる……。すると、どうだ……?? 政・官・業の癒着ゆちゃくのような構図……。そんなデッサンの跡が、おぼろげに見えてくる……。それを取り持つのが、桂川興産なのか……? もしかして、桂川興産をつつけば、池田史郎本人を案外、あぶりだせるのかも知れない……)

「ど、どうしたんですか、郷原さん」

 じっと座っていた山本が、顔を上げた。郷原は不意に身を起こすと、自分のスマホを取り出した。

「おい山本さん……。さっきあんたに渡したチラシ、ちょっと貸してくれ」

「………???」

 山本は、ジーンズのポケットにねじ込んであったさっきのチラシを、郷原の手に戻した。郷原は爪楊枝を噛みながら、そのうちの1枚、“クリーム” を取り出すと、残りを山本へと突っ返して、スマホのダイヤルを回し始めた。

(郷原、何を………?)

 山本は、残り2枚のチラシをどうしていいかわからずに、とりあえず再びジーンズのポケットへとねじ込むと、浜崎とともに、郷原の様子をじっと見つめていた。かすかに空気を震わせて、郷原の手中のスマホから、女の声が聞こえてきた。

「はい、クリームです」

「すいません、転送してもらえる?」

「はい。少々お待ちください」

 また、“愛しのエリー” の保留音だ。

「はい、もしもし」

 巻き舌なしゃべり方の、低い男の声が出た。昨日とは違う。

「そちら、桂川興産……?」

「おたく、どちらさん……? なんでウチの名前を……??」

 相手の声は、明らかに郷原をいぶかしがっている。郷原は、缶ビールをひと口飲んだ。

「お宅の会社、銀行口座を買ってくれるんだってね」

「誰から聞いた? お前は誰だ?」

 電話の向こうの声は、威圧いあつ的な、威嚇いかく的な調子に変わって、低くくぐもった。

「まぁ、いろいろとね。裏の世界ではそんな噂は広まりやすいもんだ。気をつけな。ところでな、買ってもらいたい口座がある。しかも、大量に……」

「大量にだと?」

「ああ。俺は金融屋の下っ端でな。返済不能になった連中から、口座を集めて、自分で売りさばこうと思ったんだが、どうやらそれが兄貴連中にバレたらしくてよ。捕まって、バラされる前に早く逃げなきゃなんねぇんだ。カネが要る……。頼むよ、まとめて買い取ってくれ」

「……………」

 言葉が途切れた。郷原は、電話の相手が誰か別の人間と、こそこそ話している様子を感じていた。たぶん、この話が信用できるものかどうか、相談しているのだろう。保留中の音楽が受話口から流れてくる間に、郷原は手持ち無沙汰な感じで、缶ビールをひと口飲んだ。しかしその眼は、危険なやり取りを楽しむかのように細く絞られ、遠くの果てない方向を見つめていた。

 やがて保留中の音楽が止むと、先ほどと同じ男が出た。

「何本持っている」

「そうね。30くらい」

「……いいだろう。こちらへ宅急便で送ってくれ。料金引き換えで支払う。1本につき買い取り価格は1万5千円だ」

 電話の向こうの男は、事務的に答える。どうやら郷原のハッタリに喰らいついたようだ。

「ええ? ダメだよそれじゃあ。こっちは急いでるんだ。直接会ってその場で買い取って欲しい」

 郷原は、大げさな演技をしてみた。電話の向こうの連中を試しているのだ。つまり、本当に単なる口座売買だけの組織なのか、それとも、もっとどす黒い何かを秘めた連中なのか。

「ちょ、ちょっと待て」

 郷原のカマかけに、男は慌てたように敏感に反応した。また電話の向こうが静まり返る。保留音にされてしまった。

 待たせる時間が妙に長い。30秒……、1分……。

 郷原はその間、腕組みをしながら、余裕の姿勢でソファに投げ出した長い足を組み替えた。

 再び、保留音が切れて、男の声がした。

「では、こちらの事務所まで来い。本来は来客お断りだが、お前が一人で来るというなら、特別に受け付けてやろう……」

「ええ?それも恐いなぁ……。ホントはあんたら、うちの兄貴たちと繋がってたりしてな………。俺、今、ナーバスだから、事務所なんか恐くて行けねぇよ」

「だいじょうぶだ。現物を見て、カネを受け渡すだけだ。別になにもしねぇ。金庫が事務所にあるんだ。安心して一人で来い」

(……………?)

 郷原は、眉を寄せて、爪楊枝を噛みながら、違和感を覚えていた。

(なんだ? こいつのこの話し方……。なにか意図がある……?)

 郷原は、眼を細めて、また缶ビールをひと口飲んだ。

 さきほどから郷原の神経が、電波を通じて届く相手の声の調子に、恣意しい的な誘導とでも言うべき何かを、感じ取っていた。駆け引きの匂い――。向こうもどういうわけか、自分を、おびき出そうとしている――?? そんな直感が働いて、さらにカマをかけた。

「ん~……、じゃあいいや。別の業者を当たるから。事務所に来いなんてヤダよ。おっかねぇ。んじゃ」

「あ、待て! わかった、待ってくれ! それなら、事務所でなくてもいい……。ファミレスはどうだ」

「ファミレス……?」

「ああ。ファミレスなら人目もある。妙な真似はお互いにしにくいはずだ。そうだな……、渋谷から世田谷通りを登戸方面へ行って、三本杉陸橋を越えたところに “ヴェリーズ” というファミレスがある。そこへ明日、夜10時に来い。くれぐれもお前一人でな……」

「いいだろう……。んじゃあ、アンタも一人で来いよ……。フェアにやってもらおうじゃねぇの」

「お前の特徴を教えろ」

 そう訊ねてきた電話の声に郷原は、横目でチラリと、神妙に正座している浜崎慎吾を見た。

「そうだな……。髪は茶パツで、つり目。赤箱のラークを吹かしている……」

「赤いラークだな……。わかった」

 そういうと、通話を終えた。

「ご、郷原先生、まさか……。ヤツらと、接触するつもりで?!」

 浜崎は、不思議そうな顔をして郷原を見た。

「ああ。連中に会ってみる。できればヤツらをどうにか拉致らちりてぇ」

「拉致る?!」

 意外な言葉に、眼を見開く山本と浜崎だった。

「拉致るって……?」

 山本が、緊張した顔で尋ねた。山本の生活の中で今まで、拉致などという穏やかならざる言葉が、出てきたことはない。言葉の持つ危なさに、山本は心臓がキュッと締まった。

「そうだ。ヤツらを拉致る……。拉致って、吐かせる。そのほうが手っ取り早い。これは俺の推理だが、俺が今電話をしたクリーム、桂川興産はたぶん、元厚労省の役人、池田史郎と、時雨製薬の社員だった近藤学を、なんらかの形で取り結んでいる。そして、その奥には政治家……。そんな構図だと、星が俺に教えているのさ……。俺たちは一般人じゃなくてヤクザだ。だから、結果を得るのに手段は選ばなくていい。ククク……」

「…………………」

 郷原の不敵ふてきさに、身震いする山本だった。もう止めてくれ、といいたい気持ちが、こみ上げてきた。

(郷原は、池田理事を疑っている。池田理事を例の賭博に引き込もうと、密かに考えているのでは……。池田理事と向かい合うのが恐い……。自分の過ちを、確認させられるのが恐い……)

 山本は、鎮痛ちんつうな面持ちで、自分の思いに堪え切れず歯を食いしばった。それを横目で、チラリと見る郷原であった。

「うあ~、スゲーやりたいっス、俺! そーいうの憧れてたんっス!」

 浜崎は、目を輝かせ、身を乗り出していた。どうもこの男は、危ないこととか、ワルっぽいことに憧れているようだ。

「そうだなぁ。でもどうすっかな……。浜崎はここで、山本先生の面倒見てなきゃなんねぇもんなぁ。かといって、おっちゃん一人じゃあ頼りねぇし……」

「お、お願いします先生! 俺、連れてってください! 俺、ずっと柔道やってたから、たぶん役に立つと思います!」

 浜崎は、床に手を付いて、深々と頭を下げた。その前にしゃがみ込む郷原であった。

「しょーがねぇな……。んじゃあ、山本先生も連れてくか」

「ああ?」

「ぼ、僕も………?」

「いいじゃん、気晴らしに。あんたを騙した憎いヤツを賭博にハメるための行動なんだから、あんたも手伝えよ」

「で、でも郷原先生、スキを付いてこいつに逃げられたら……!」

 浜崎が言った。

「そん時は、伊豆の飯場で頑張っている山本先生の父ちゃん母ちゃんを、どうにかするだけさ。なるべくならお年よりは、いたわってやらねぇとなんねぇけどよ、フフフ……」

「あ……、あぅ……」

 またしても、郷原のペースに飲み込まれ、振り回される山本だった。口をパクパクさせて、何か言おうとしているようだが、郷原はそのまま立ち上がって、冷蔵庫のほうへ行ってしまった。

 郷原は、冷蔵庫を開けると、冷えたエビスの350ml缶を、3本取ってきた。

「まぁ、おっちゃんも入れて4人でかかれば、男の一人ぐらいサラえんだろ。あとはまぁ、出たとこ勝負ってことで」

 山本は、展開についていけなかった。郷原は、その目の前に冷えた缶ビールを突き出した。

「んじゃまぁ、とりあえずご協力をお願いしますってことで、乾杯」

 そういって、美味そうにビールを煽る郷原だった。

 

**

 こうして、郷原たちが、桂川興産の者を拉致しようと画策かくさくしたときから、時間は前後して数日前のことである。

 ワールド里親協会のある四谷4丁目、シジュウカクマルビル602号室のドアに、でかでかと、大きなポスターのようなものが貼られていた。

 その写真はかなり気味の悪いものであった。赤いじゅうたんの上に、禿げ上がった男がうつぶせになって、倒れていた。

 じゅうたんの回りは、どす黒い変色――。血液のようだ。頭の周辺には、ところどころカッテージチーズ状の白い何か。脳髄のうずいの破片だろうか。男の服装は、スーツ姿であるが、ネクタイもジャケットも血で黒く染まり、元の色が判然としない。

 そしてなぜかこのポスターの真ん中には、赤いスプレーで 【Give it Up】 と、メッセージらしきものが書かれていた。

 彼氏の所へ泊まって、朝帰りした、602号室をオフィスにしている隣の若い女性は、エレベーターから降りたとき、真っ先にこのポスターが眼に飛び込んできたので、思わずうわっと、った。

(なにこれ……。ホラー映画のポスター……? キモチ悪ぅ~……)

 思わず、まじまじと眺めてみた。しかし、死体として倒れている男の、髪の生え方や、服装、傷の具合のナマナマしさなどが、かなり迫真で、夢に見そうなくらい鮮明だった。

 しばらく女性は、そのポスターを眺めていたが、まさかこんな、里親協会なんていう平和そうな法人のドアの前に、こんなものが貼られている関連がわからなくて、やっぱりきっと性質の悪い、B級ホラーの画像だろうと思いなおすと、自室へ帰っていった。

 他にこのドアの前を通りかかった人たちも、おおむね、この女性と同じリアクションである。ひとり、この部屋の借主である池田史郎いけだしろうだけが、皆と違うだけで――。

 池田史郎がドアの前に現れるまで、そのポスターはひっそりと、その時を待ち続けるのだ。池田に対する、池田一人が身震いする、強烈なメッセージを与えるために――。

 

 

**

「それにしても、なんで世田谷なんだ? 桂川興産の事務所は四谷なのに」

 ステアリングを握りながら、田代英明がつぶやいた。

 4人の男を乗せた型落ちのマツダ・デミオは、都心から世田谷通りを、流れに乗って西へ向かっていた。空は薄く曇っていたが、雨が降りそうだという予報は、夕方のニュースでは出ていなかった。

「さぁな。たぶん、何か思うところがあるんだろ?」

 助手席にふんぞりかえった郷原は、あくびを一つ吐き出した。カーラジオから、北原ミレイの “石狩挽歌” が聞こえてきた。今日はどうやら、懐かしの歌謡曲特集ということのようだ。

「懐かしいなぁ、なんか……。この歌……」

 郷原が、リアウィンドウの向こうに眼をやりながら言った。

「なによ郷ちゃん。何年生まれよ。だいぶ古いぞ? この歌」

「昔よく漁港でさ、なんかあると、かかってたんだよこの歌」

「漁港……? どこの……?」

「俺の地元」

「ふーん……。そういやぁ郷ちゃん、故郷はどこなんだっけ……」

 田代がつぶやいた。尋ねられた瞬間、サイドミラーに映った郷原の眼が、わずかに伏せられたのを、後部座席に座っている山本は見た気がした。

「あ! 今のあそこじゃないっスか? 指定されてたヴェリーズって」

 浜崎が指を差した。田代の車のカーナビは、使用している地図が古すぎて、ナビがあまり役に立たないから、注意深く前方を見ていないと、通り過ぎてしまう。

 約束のヴェリーズから、少し通り過ぎた場所にあるコンビニの駐車場に、田代は車を停めた。時刻はちょうど夜9時を回った頃だ。

 田代と郷原、浜崎は、それから1人づつ、ヴェリーズの中や周囲を確認しに行った。どういう配置、作戦で行くのか、現地を見てからでないと決められない。

「んで、どうする……? あのファミレスの駐車場で男3人が、車の中で待機していたら、一発で怪しまれちまう……。かといって、ひとりでヤツらに接触する郷ちゃんの身の安全も気がかりだし……」

 田代が、全員の顔を見回した。今、のぞきにいったヴェリーズは、郊外によくあるような、そこそこの駐車場がある、平屋型のファミレスだった。箱のようなファミレスの建物の裏側は、調理場と繋がっているようだが、そこにはたくさんのビールケースや、ダンボール、おしぼりのカゴなどが積まれていた。

 トイレは比較的広く、男子のほうは、大便用の便器が2つ。小便用の便器が3つあった。便所の小便器の前は、おあつらえ向きに大きなガラス窓が嵌っていて、その向こうは調理場の影の、ビールケースが置いてある辺りであった。客席は、まずまず人がおり、それなりに活気があるようだ。

「まぁ、一番安全なのは店内だな。しかし……」

 郷原は左腕のロレックスに眼をやった。眼を閉じ、鼻柱を押さえてしばし考え込む。郷原が考えている様子を他の3人は、息を潜めてみつめていた。しばらく黙想してから郷原は、おもむろに言った。

「浜崎、お前行け」

「へ??」

「お前が店の中で、連中を待つんだ。昨日電話した者だというフリをして」

「えええ~?!」

「俺は、店内の便所の中に待機する。おっちゃんは、駐車場で、車の中で待機。なるべく目立たないようにな……。山本先生は、浜崎の向かい、浜崎と顔が見合わせられる位置に、ひとりで座る。いかにも寂しい独身が、一人でメシ食ってますみてぇなカンジで」

「んで、俺、どうするんです? 先生……」

「やつらの目を盗んで、コレを飲み物や食べ物に混ぜろ」

 そういうと郷原は、浜崎に小さな錠剤を渡した。

「……なんスか? これ……」

 浜崎が、小さな錠剤を眺めながら言った。

「即効でよく効く下剤。これを飲むと、ものの10分もしないうちに猛烈に腹が痛くなる。連中が堪えきれずに便所へ行くまで、お前はなんとか粘れ。ヤツらの誰かが便所に来たところで、待ち構えていた俺がクロロホルムを嗅がせる。山本先生と浜崎は、連中が便所に立ったら、すぐに後を追いかけてくれ。どうにかして気を失わせたら、あとは3人がかりで便所の窓からそいつを出す。おっちゃんはこのまま、車の中で待機して、そいつを車に押し込めるのを手伝う。上手く行ったら、そのままホテルに逃げる」

「……わかった……」

 3人は、緊張した面持ちで、郷原に頷いてみせた。そして、それぞれの持ち場に散った。

 

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