タロットカード、大アルカナに込められた驚異の秘法とは
よう、元気か? 俺は占い師の郷原悟だ。
ということで今日は、タロットカードの説明をしよう。
とはいえ、原作者の酒井はタロットを深く研究したわけでもない。酒井のベースは西洋占星術や、その周辺の科学史、思想史、自然哲学のジャンルだ。それらの書籍を読み込む中で気づいたことがあったので、それを書いてみようというわけだ。
↑ ※これは「VICE孤独な予言者Ⅱ」に出てくる二人、クリシュナと元晴をタロットカードにあしらったもの。
さて、みんなが占いに惹かれる理由の一つに、「前世の実証」というのがどうしてもあると思う。
特に西洋占星術やインド占星術、東洋の命式などは明らかに「前世ありき」のものの考え方だろう。これらの占いは、今、生きている自分の「前」があり、その「前」の自分がこの日この時を選んで生まれてきたのだ、という思想哲学をベースにしている。そうしなければなぜ、今、この私の命式はこんな命式なのか、ということに答えが出せない。命式やホロスコープというものがある種の「前世の存在証明」として求められている部分は非常に強くあると思う。
ところが、占星術にはもう一つの思想哲学がある。それは「星が我々に影響する」という思想だ。
確かに海が大潮、小潮を繰り返すのは月の引力による。太陽と内惑星(金星・水星)が地球と一直線になる内合のときは電波障害が起こりやすいという話もある。A・リーバー氏著「月の魔力」や、黒木月光氏著「満月と月の魔力」などというベストセラーもかつてあった。人間の生殖や感情に月の満ち欠けが深く関係しているという。
さて、ここで問題になってくるのが「惑星の影響」というヤツだ。誕生のときあなたが星を選んで生まれてきた、という思想と、惑星の影響がある、という思想とは、同時に相容れることはできないのだ。完ぺきに矛盾をきたすのである。
整理してみよう。
誕生の瞬間をあなたが選んで、その日その時に生まれてきた、という前提条件をAとする。
惑星は人間に影響する、という前提条件をBとする。
すると、Aのとき、選ぶ主体はわたしで、選ばれる星やホロスコープのほうが客体となる。Bのとき、影響する主体は星で、影響される客体はわたしになる。
これは激しく矛盾していないだろうか。前提条件がAのときと、Bのときとでは、主体と客体がみごとに入れ替わってしまうのである。ここに占星術の大矛盾が生じるのだ。これはいうなれば愛していますといいながら殴る蹴るをすることや、努力や誠実を歌いながらずるいことをして金品を得ている連中と何も変わらない。こういうものを「ダブルバインド(二律背反)」という。もっとわかりやすくいうと二枚舌だ。いったい占星術はどちらの前提が正しいのだろうか??
酒井日香の評論家の旅はまさに、そんなところから始まった。最初に手をつけたのは宗教を知ること。なぜなら宗教は、古今東西、大抵は占星術や占いの類を禁止しているからである。
宗教の言いたいテーマはだいたいこうだ。「生まれてきたのがもうアウト」「来世は生まれてくるな」「そんなに自分を信用するな」ということ。そして「我・わたし」というものをゆだねてしまう。キリスト教ならばイエス様やイエス様をこの世に遣わした天の父に。イスラームならアッラーに。仏教は冷静にどんどん考えていって「我・わたし」から離れてゆく。どの宗教も「我・わたし」に固執しろ、などとは絶対に教えない。
次に酒井が出会ったのは量子力学。なんと量子の世界では、観測者の「意識」が観測結果に影響するという。「意識」が主体で、なんとこの目にうつる一切が「客体」だというのだ! これは正直驚くべき世界だ。むしろ我々のほうがいろいろされてしまう「客体」だと信じていたのに、最先端科学ではどうもそれは違うのだ。我々は「主体」だったのである! すべての目に移るものを自分が作っていたのだ。
これは紛れもない事実で、実験室でも何度も確かめられている。この動画をぜひみてもらいたい。
だとするならば、「誕生のとき我々が星を選んで生まれてきた」という前提条件Aのほうが、「わたし」を主体に、ホロスコープや惑星のほうを客体に持ってきているので、量子力学と同じ方向を向いていることになる。逆に惑星や月の影響、ということになると、これでは惑星のほうが主体でわたしのほうが客体、ということになるから量子力学とは矛盾する。
ということは、Bの、「惑星(ホロスコープ)が我々に影響する」という前提条件こそが、間違っているのでは??
それにもしBであるならば、我々は一生星の奴隷でしかない。運命は打ち破ることさえできず、我々は星に呪われたまま一生を終えることになる。しかし現実に生身の人間を見てみれば、星の宿命に打ち克った人などいくらでもいるのだ。まったくホロスコープが当たらない人もいる。これは我々が主体で、星のほうが客体でなければ起こりようのない現象だ。ということは、Aが正しいのであるし、それはもはや量子力学と言うお墨付き、後ろ盾を得た思想なのだ。
さて、ここで問題になってくるのが、A、我々のほうが星を選んで生まれてきたのだ、という思想が正しいのだとして、さて、どれくらい?? という問題が出てくる。
今の人生の一つ前の人生を考えてみる。そこでは惑星とわたしの関係は、Aだっただろうか、Bだっただろうか?
やはりAだろう。前の人生のときも、誕生のホロスコープを我々は「選んで」生まれてきたのだ。
じゃあ、その一つ前は? 5つ前は?? もっともーーーーーーーっと前は???
・・・・と、どこまでもどこまでも考えていって、宇宙創成のときに戻ってみよう。星とあなた。宇宙創成のとき、主体と客体はどうなる???
実は酒井が占い講座等でこの話をすると、大抵はとまどってしまう。現代的な常識では、ダーウィンの進化論的発想を元にしているので、人間は45憶年前、地球ができたときに、微生物や魚からだんだん進化して陸に上がり、現人類になった、と誰もが刷り込まれているからだ。
しかし、量子力学の常識では、意識は主体で現象や物質が客体なのだった。これはどういうことだろうか。実は、「心(意識)」というのは「光」である、という考え方もある。我々が今、こうして、ぼんやりとコーヒーを飲み、くつろいでいたとしても、実は人間の意識というのはすさまじい勢いでかけめぐっていて、光を放っている。これは生体電流としてちゃんと観察できる現象だ。この光は、各細胞組織内のレセプターにぶち当たると、ぶち当たったエネルギーを分子に変えるのだ。つまり、アインシュタイン方程式「E=MⅭ²」通り、光エネルギーがそのまま体の中で分子、という「物質・モノ」に変化しているのだ。
ということは、意識とは、「光」であるかも知れない、ということができるだろう。そして「光」から万物は産み出されてきた、というのは、科学的に証明されているまぎれもない事実だ。
すると、この地球も、空気も金星も土星も、「モノ」であるなら、それは光から生まれてきた。
じゃあ土星や金星が存在していなかった頃、同時にこの宇宙に光がなかったのかというとそうではない。宇宙創成の、ビッグバンのとき、そこから光の洪水だったと現代の宇宙論では結論づけているのである。
すると――。光は、金星や土星よりも昔からある、ということで、光は、意識だ、ということだ。だとすれば意識は、土星や金星よりもはるかに古くから宇宙にあったことになるだろう。
あれ??? でも、それじゃあ宇宙創成のとき、「わたし」はいたということ?? 「わたし」が生まれてきたのは太陽系ができあがってからなのだろうから……、あれ??? でも、それだと、惑星が私を作った、惑星が私に影響する、というBの考え方になっちゃう!! でも量子力学の答えは、意識のほうが主体で、惑星やホロスコープのほうが客体だ、というAなわけで……。ええ???
……そうなのだ。俺の原作者、酒井日香は、このことに気づいたとき全身から冷や汗が出て1か月のあいだ涙が止まらなかった!! ものすごい感動が立ち現れ、世界のすべてが色づいてみえるようになり、死の恐怖が打ち砕かれるのを感じた!!
そして実は、世界中の聖典はAのことを連綿と説いているのである。仏典でもクルアーンでもスーフィズムでもヒンドゥーでもすべてA、つまり、この宇宙の主体は「意識」で客体が「現象」だと言っているのである!! だとするならば木星を、土星を、海王星を作ったのは誰?? 太陽を作ったのは誰??
そう――。すべては「わたし」なのだ!! 旧約聖書には神が「光あれ!」と唱えたことで宇宙が始まったが、神こそは光であるのなら(詳しくはこちらの記事を参照)、私は最初から神の一部としてビッグバンのそのときからいたのである!! 木星も土星も私がむしろ作ってやったのだ!! 彼らは私のおかげでこの宇宙にいられるのだ!! だとしたら星の奴隷になる必要などかけらもない。星と我々は我々のほうが上の存在――、へりくだっても、せめて「対等」なのである。私が星に振り回されるいわれなどまったくないのだ!!
そして実は、「意識(わたし)」が主体で、「星や宇宙や世界のすべて」が客体だとすると、これは錬金術思想につながってゆく。実は錬金術の奥義とは「錬心術」だからだ。
ヒマラヤの聖者ババジや、先年亡くなったサティヤ・サイババ、日本でも高橋信次・洋子親子などは、何もないところから物質を取り出すことができた。サイババの奇跡などは物理学者がいくら研究してもいかさまだ、とは認定できなかったらしい。他にも高野山のあるお坊さんのうちには、空から宝石を降らすことができる人がいる。キリスト教の聖女や聖人にも物質化の伝承は残されている。
なぜ、ヒマラヤでヨーガを積んだ聖者や、宗教家だけが、物質化に成功することができるのだろうか??
それは、物質化を起こすためには、精神から「我・わたし感覚」というどうしようもない汚れを取り払い、さらに高次元の存在にお願いして物質化させてもらわなければならないからだ。我々肉を着た人間(聖者であっても)に、物質化が起こせるわけではないのだ。我々より一次元高いところにいる人にまず物質の前駆体になるような、霊の段階の「モノ」を作ってもらい、それを下界に降ろしてもらうから物質化するのである。このとき、一次元高いところにいる存在は、人間が欲しがる命とか、健康とか、カネ、名誉、物質の一切がバカバカしい。あまりに低俗すぎて見たくもない。だから、高次と通信するためには修行して、「我・わたし」というものをそぎ落とさなければならないのである。それで、「我・わたし」を語ってばかりの、わたし語りだらけの占星術や占いの類を深く軽蔑するのだ宗教は。それでいて完全否定はしないのである。それはつまり、そのはざまにこそ、すべての真実が内包されているからだろう。
占星術がひそかに伝えている、「意識が主体で惑星や宇宙は客体」という事実は、錬金術の基本中の基本だったのである。すなわち占星術は最初から占いなどというものではなく、錬金術の奥義に我々をいざなうためのアイテムだったのだ!!
さて、これに気づいてしばらくして、ある日何気なくタロットカード(ウェイト版)を見ていたら、大アルカナの謎が解けたのだった。
実はこの世で一番あり得ない物質化現象を成し遂げた人が、歴史上いるとしたら、それはまぎれもないイエス・キリストである。
なにせ、磔になって絶命した三日後、弟子たちやマグダラのマリアの前に平然と現れたのだ!! しかも、肉体を伴ってである!! 疑り深いことで知られた弟子のトマス・ディディモの前に現れたイエスは、ローマの百人長ロンギヌスに突かれた槍の跡をトマスに触らせている。さすがのトマスもイエスが生前と何も変わらぬ肉体を持って現れたことを信じざるを得なかった。
さらに、聖書にしるされた数々のイエスの奇跡を考えると、これはイエスが錬金術の秘法に達していて、いくらでも物質化できたのだとわかる。イエスの奇跡は、占い学・錬金学として考えると十分「あり得ること」なのだ。聖書の福音とは、「良い知らせ」という意味だが、それはめちゃくちゃ良い知らせなのである!! 主体が私たちで客体がこの世のすべてだという、死の恐怖が一発でなくなる真実に、イエス様はたどりついたのだから。
そしてタロットカードはもともと、イエスの奇跡を伝え歩くためにロマやイェニシェといったジプシーたちが、町村で本当のイエスの奇跡(物質化の福音)を伝え歩くための紙芝居というか、持ち運び絵画だったのだ。それで考えると大アルカナ(アルカナ、とは秘法、の意。大、とは、もっとも大切な、ということ。つまり大アルカナ = もっとも大切な秘法、という意味だ)のそれぞれの絵が、何を指示しているのか、あざやかにうかびあがってくるだろう! さっそくその意味を披露していこう!
0番愚者・・・・ さて、この「愚者」は、大アルカナの最初だ。つまり表紙である。文字通り「おろかもの」と読める。キリスト教で「おろかもの」といえば異端者だ。つまり、教会も教皇も決してみとめないイエスの肉体復活、本当に物質化したのだ、という錬金術の秘法を信じるおろかもの、という意味である。足元に吠えている犬は、イエスの肉体復活を信じられないうるさい外野だ。
1番魔術師・・・・これはもう、この魔術師が誰なのか。簡単にわかるだろう。そう。この魔術師とはマスター・イエスを示している。
2番女教皇・・・・キリスト教の伝統として、女性が教皇になれることはない。もし女性が教皇(教皇とはつまり、イエスのすぐ下の偉い地位だ)になることがあるとすれば、それはイエスの妻でしかありえない。つまりこの「女教皇」とは、あり得ないはずの女教皇が本当にいたかも知れないことを語っていて、それはマグダラのマリアである。彼女はイエスの妻だったという異端は、キリスト教成立初期段階からあった。律法の書「トーラー」を女教皇が手にしているのは、それが正当な地位であることを示している。
3番女帝・・・・イエスとマグダラのマリアの間に生まれたむすめサラ。偉大なる法王・イエスの娘なのだから、彼女は当然世界の女王である。これはまたキリスト教の根本教義である「三位一体」を意味している。「3」という数は錬金術では非常に重要な数である。
4番皇帝・・・・実は数秘的に、幾何学的に、「3」は同時に常に「4」なのだ。「3」が生まれると同時に「4」も生まれてしまう。女性原理あるところに男性原理あり。同時に発生するものなので、この両者は一つだけにはなれない。「3・女帝」の次に「4・皇帝」が来るのは自然のなりゆきだ。それは「正四面体」を考えればわかる。正三角形の形のシートを3枚あつめて、立体にすると、底にもう一つどうしても(シートを貼らなくても)4面目が現れてしまうのがわかるだろう。
5番法王・・・・5、という数は実はこれも神聖幾何学ではとても大事な数。これも「4」が現れると同時に「5」になってしまう。また「5」は、錬金術におけるキーナンバーである「9」と、同じくキーナンバーである「2」をむすぶ数だ。9(神の数)と2・4・8の偶数(欲界の数)は、そのままでは相容れないが、「5」を介在させることで始めて因数として交流できるようになる。「5」は、錬金術における化学反応を促す大事なマテリアルナンバー。それが「法王」である点、重要だ。すなわち、物質化の鍵、化学反応の鍵を握るのは神への信仰心に尽きると言っているのである。正五角形が12枚集まると、「正十二面体」。実はこの正十二面体こそが重要な神の暗号なのだ。その前駆体である「5」が法王、ということは実に意味深い。また占星術では4エレメント(火・土・風・水)だが、これは敢えて5番目の元素を隠しているからだとも言われている。第五の元素――、「空」だ。実はこの「空」こそ、「プリマ・マテリア(第一原質)」なのである。いかなる化学反応も物質化も、プリマ・マテリアなしには成しえない。そしてこのプリマ・マテリアこそ信仰心であることをこのカードは意味している。
6番恋人・・・・・ウェイト版では天使が男女を祝福している構図であることに大注目してほしい。これはすなわち「三位一体」を二回かけているということだ。そして神聖幾何学では、すべての立体を作り上げるベースとして「六角形」でなければならない。六角形がすべての物質化の大事な基礎で、それがあればこのカップルは完成体として新たな「3」を産む、ということだ。そして六角形だけが空間を隙間なく埋めることができるのだ。あらゆる結晶も、分子構造も、6に絡んでいる。
7番戦車・・・・・真ん中に古代戦車、両脇に白い獅子(?スフィンクスに似ている)と黒い獅子。実はタロットカード大アルカナ22枚を、戦車の番号7で割ると、円周率に限りなく近い値が得られる。白い獅子と黒い獅子は円で、真ん中の戦車はその円が接するところ。「ヴェシカ・パイシス」という聖なる印があるが、それは円の半円と半円が接したマークであり、黄金比を意味する数字「7」にシンボライズされている。戦車の乗り手の胸にはコマが描かれている。コマは円運動、惑星の軌道運動をシンボライズする。やはり「円」を意味しているのだ。円と半円、そのはざま。7はまた虹の七色であり、7つの音階であり、古い占星術においては日月を含めた7天体である。
8番力・・・・・・これは重要な暗号。錬金術や、古今東西あらゆる占いには「5・8・9」という数字が頻出する。8は、正八面体に関係。正八面体は実は唯一、他のプラトン立体に変化してゆく際、中間に立ち現れるかたちだ。鉱石や結晶が成長していくとき、一時的に正八面体の形を経るのである。自由自在の力。それで、自在性を意味する女性が獅子を手なずけているのだ。
9番隠者・・・・かつて二コラ・テスラは言った。「3・6・9」に注目せよと。9は、実は3・6・9の繰り返しの中でしか出てこない数字で、昔から神秘数とされていた。神はここに隠れているのである。隠者、とは、その神の暗号に気づいた者。それを誰にも知られてはならない。イエスの奇跡を信じられぬ豚に秘法を与えても理解できないだろう。
10番運命の輪・・・10、というのは不思議な数だ。幾何学的な完ぺきな調和をもたらす数ではないくせに、私たちはつい10、というのを万能に思ってしまう。確かに不思議な数ではあるのだ。4+3+2+1、 と計算してみてくれ。10になる。そして点を4つ、3つ、2つ・・・と重ねると三角になる。そう。10は三角数なのだ。ただし十面の立体というのは完ぺきではない。プリンを二つ重ねたようなバランスの悪い形だ。均等に面積を共有した立体にはなり得ないのである。むしろ幾何学的には「5×2」と考えたほうがよく、逆数にすると0.1になってしまう。この先、完ぺきな数、「12」が待っているが、それを前にして恐れずに先へ向かうのか、それとも逆数になって粉々になってしまうのか・・・。まさに乗るか反るかだ。
11番正義……実は11、は、大アルカナの数である22、と対応している。22÷2 =11、であるからだ。女神が持つ剣は「÷」、天秤は「二つに」という意味。11を2で割ると5.5だが、整数としてきれいに割ることはできない。11は素数なのだ。しかし二倍にするとヘブライ文字22字に対応する。また5+8+9 =22で、22、という数には大きな力が秘められている。ここでは「それを目指しなさい」ということ。まだ11では道半ば。すべての英知はこの先であるという意味。そして10に1あまり、とも考えられるし、神聖幾何学では完ぺきな数とされる12、にはあと1足りない。前へ進んで完ぺきな秘法を手にするのか、学びをやめて中途半端になるのか。
12番つるされた男・・・これこそまさに錬金術の暗号。錬金術師は、イエスが起こした物質化の奇跡こそを最上とし、それを阻むこの世の幻影(マーヤー)を憎む。この世はマーヤーだからこそ物質化するのだ。12という数字は、実は神聖幾何学ではすべての物質精製の鍵である「正十二面体」に関係。正十二面体のパーツ一つは正五角形。正五角形が12枚集まって組みあががると「正十二面体」。実はDNAの塩基やさまざまな分子結晶、ウイルスなどは正十二面体、正二十面体で出来ている。ピュタゴラス教団では、この正十二面体が教義の根本だったという。この世の物質化の秘密をになう数。ホロスコープの星座が12なのも、このことに深く関係している。しかしそれはまたマーヤーを産み出す装置。つられた男はマーヤーの正体を見切り、そこから脱出する方法を探っている。彼の目はこの現象界よりさらに一オクターヴ高い次元界へ向いている。
13番死神・・・・これはもうそのまま。12が、この現世における完成の数である、ということは述べた。正十二面体がすべての鍵を握る。次の13とはすなわち、もはやこの次元界ではなくて次の次元界なのだ。次の次元界へのはしごなのである。それを渡るには死、という、肉体を脱ぎ捨てる行為が必須。この肉体こそがマーヤーなのだ。恐れることはない。
14番節制・・・・これは中幽界を表示すると取れる。13で、次元の壁を越えて次のオクターヴの世界へ入るため、ここでは神の命の水に浸されて記憶を奪われる。あるいは現世の体験を水に溶かして宇宙すべてで共有する。そして14は1+4=5、でもあるから、正五角形が物質化を促す素子の一つであったように、この世界で準備したことが次の次元界での生活に必要なのだ。そして天使は、我々の次元界のすぐ上にいる存在でもあり、物質化の秘法が欲しければこの中幽界の住人に働きかける必要がある。
15番悪魔・・・・実はこれは大変に福々しいカード。悪魔、という存在を考えてみて欲しい。己の欲望のために行動し、その欲望をどんどん叶えていく存在だ。つまりこの悪魔は「物質化」を自由自在に行えている存在なのである。しかし彼はまだ物質化の魔法が面白いので、今のところ夢中である。しかしいずれ飽きる。物質化現象で何かを手に入れても、それはしょせんマーヤー(幻影)だからだ。この悪魔が自在に自分の我欲をかなえられる証拠に、彼の額には錬金術で言う「プリマ・マテリア(第一原質)」である五芒星が描かれている。プリマ・マテリアとは、この世の一切は空だと見切る力。彼はわかっていて悪魔なのだ。しかも半分飽きかかっている悪魔なのである。物質はむなしい、この現象界になどとるに足るべきものはなにもない。だからつながれた男女が理解できない。なぜこんなくだらない世界のために苦しむのかと。
16番塔・・・・・これも非常に良いカード(錬金術的には)。いよいよすべてのマテリアが揃い、この中に電気が通されるのだ! 15の悪魔は怒る。この現象界のすべてに。こんなものなど無くなってしまえ!! と、ありったけの怒りで物質錬成を行う。その結果、マーヤーにしがみつくものは塔から落とされ、現象界のすべてにほとほと嫌気が差した悪魔ただ一人が、賢者の石を手に入れるのだ。だがそれすらももはや彼にはどうでもよいことだ。
17番星・・・・・・この現世に興味はないが、宇宙の果てにはさらに深遠な次元が潜んでいる。あらゆるものが折りたたまれ、隠されているのだ。星は、この現象界と同じようなマーヤーの世界が宇宙にはいくつもあることを物語っていて、結局物質などいくら集めてもむなしい。秘法とは何だったのだろうか。こころの安らぎは?? 見れば星でさえも、物質化を促すいまわしい存在だ。星の力もこの現象界を産み出しているのだ。
18番月・・・・・体を意味する漢字のほとんどに「にくづき」が使われている。そう――、月こそ、この現象界に我々の肉体を産み出し、食べ物を与え、体を維持させるいまわしい働き。我々は星をあがめてはならない。奴らはむしろ我々をこの現象界に縛り、苦しみを与える。恐るべきカルマの力だ。月こそ忌むべき存在だ。このマーヤーの多くをお前は維持しているのだ。
19番太陽・・・・死んだら我々はどうなる? 生まれる前は何であったのか?? そう――、生まれる前、我々は「光」だった。そして霊とは光だ。太陽と、その背後に広がるエネルギーの海こそが、我々の霊魂の源だ。海は「産み」である。あの宇宙の広大な海、光の海から私たちはやってきた。もはや、月や星(惑星)が与えてくれる食べ物や心地よい家や、排泄・睡眠などなんの意味があるだろう。我々は光なのだ。それを思い出した!! 1+9=10。 完成のときは近い。この太陽系の輪を今こそ抜ける。
20番審判・・・・いよいよ物質化の秘儀は思いのまま。イエスの再臨が起こり人々は再び肉体を得て復活する。けれどもそれでいいのだろうか。もう二度とここへ戻ってきてはいけないのではないだろうか?? 正二十面体――、これは正十二面体のもう一つの別の側面。そして遺伝子コードやウイルスの形、分子構造などに深く関係している。今なら操れるけれど、それでいいのだろうか?? 錬金術について学び終えた今、錬金術に惹かれる気持ちが薄らいでいる。
21番世界・・・・・もう物質次元界にも、中幽界にも戻りたくない。中幽界がいくら現世よりいいからといっても、しょせんは欲界の一部だ。もう欲そのものがどうでもいい。解脱の境地。ここまで来れば22のヘブライ文字は完成し、宇宙のすべてと一つになる。長い旅が終わる。そして私は再び生まれることはない。永遠の静寂の中だ。
・・・というように読めるんだ。1本のストーリーとして繋がって読めて来る。これに気づいたとき、やはり一切の占いとは錬金術であり、物質化の秘法を織り込んだ魔法の書であり、だからこそエリファス・レヴィやクロウリーといった魔術師たちがタロットに惹かれたのだろう。物質化の秘法を求めて。
俺が主人公の占いたが小説はここから。
ぜひ読んでくれよな!!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません